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  • 珍しく先生をやる

    珍しく先生をやる

    今月やる若い声優さん相手のワークショプ用にちょこちょこ講義の内容をまとめていた。
    私は実演家ではないので、座学になるわけだが、まあまあ面白く聴けるのではないかというものになったかな。
    アニメの制作の中でも演出家というのは何をやってるんだか分からないという人は多いのじゃないだろうか。
    画を作るスタッフ向けにも演出の講座みたいなものをやっているところは少なくて(全くないわけではない)演出が自分の技術について語るという機会はあまりない。
    演出を教えるとなると、作品の良し悪しを計る物差しはないから演出の良し悪しも作品によって変わって教えにくいものである…と思っている人も多いのだが、そんなことはなく基礎的な技術なんかは、どんな作品をつくるにせよ変わらなく案外と言語化できる。
    しかしまあ、教えるのも教わるのもそれなりに時間もかかるし、なかなか演出の技術が伝わる機会は作りずらい。
    かくいう私も師匠に手取り足取り教わったということでもないのだが、それでも師匠と言える人がいるので、それが大きな足がかりになった。
    演出についての本もあるにはあるのだが、意外と分かりやすく初心者が学べる本は少ない。
    富野さんの指南書なんかはアニメ関連の演出の本の中では比較的分かりやすかったような覚えがある。
    覚えがあるというのは、読んだのが昔過ぎて記憶が定かでないからだが…。
    アニメ関連ではないけど、平田オリザ「演技と演出」は演出の仕事を知るには良い本だと思う。
    主に”演技を演出する”というタイトル通りの部分について語られているのだが、アニメの演出家は演技というものについて、誰かに教わった経験がある人というのは殆どいないと思うので、その一端を知るものとしては読んでみて欲しい、とこんなところで書いていてもしょうがないのだが。
    そもそも本を読まない人が多いんだよね。
    本を読め、と若い演出家には言ってはいるものの実践してくれているだろうか。

    アニメ業界での教育の機会を作るのは難しい、が最近は少しずつ増えてはいて、特にアニメーターはあまりに不足しているので育てようという気運は高まっている。
    演出家の方はイマイチ進んでおらず、なんとなくで仕事をしている人も少なくない。
    そこは、も少し何とかしたいのだが。

    話は戻って声優さんたちは、色んな演出家と仕事をすることになる。
    アニメの場合は、音響監督が直接的には演出家として役者と向き合う機会が多いが、最近は監督が自分で音響監督をやっている場合もあるし。
    何にしろ、作品ごとに違うに違う演出家と付き合うことになる。
    まあ、色んなことを言われるわけで、それは大変だ。
    多少なりとも演出家の仕事を知ることが、求められるものへの理解へ繋がると良いなと思っている。
    演出家なんて勝手な生き物だからね…。
    いや、私は勝手ではないつもりだが、そう見えることも多々あるだろうな〜。
    広い心で受け止めていただきたい。

  • ついに年末

    ついに年末

    多少、余裕も出来たのでワールドカップを見たり。
    スペインに勝つとは思わなかった。
    「すずめの戸締まり」遅ればせながら見に行けた。
    制作が大変そうな話は聞いていたが、そりゃこれを作るのは大変でしょうよ、と頷かされた。
    ジブリの映画がしばらくなくて、代わりを担っていたのは細田さん、新海さんだが新海さんが一歩抜け出したような印象。
    大勢が興味を持てるようなネタを上手く料理して新海さんらしさも残しつつ、面白くまとまっていたと思う。
    要石側の理屈はもう少し説明したほうがいいと思ったが、目をつぶれるような作りには出来ていたんじゃないだろうか。
    天変地異を題材に3本作ったので次は何を作るのだろう。
    毎度、皆の期待に応えていくのは容易ではないが、新海さんは毎度進化を感じるので楽しみだ。
    アニメの映画も最近は沢山あってなかなか追いかけきれない。
    デルトロのピノキオとフィル・ティペットのマッドゴッドは何とか見に行きたい。
    知り合いの関わっているものも全然見られていない。
    最近は配信でも見られてしまうので、油断して余計見逃してしまう。
    ディズニーの新作なんかも映画館では最近はあんまり大きく宣伝しなくなって配信で見せる方に切り替わってる感がある。
    歳を食ったせいで最近は長い映画を見るのに少し身構えてしまって、3時間とかあると配信でいいかな、などとも思う。
    すずめ…も、まあまあ長かったので構えていたが長さを感じず楽しめた。
    ブラックパンサーの新作も見たいけれど、3時間くらいあるからなぁ…。
    しかし、映画館で映画を見るのは好きなので時間があればなるべく行きたい。

    年が明けたら、自分の映画「アイカツ!10th story」も公開だ。
    映画といっても短めだし軽い感じで見られると思う。
    ただ、完全に昔見ていた人のために作った作品なので初見の方にはお勧めしない。
    が、なるべく大勢の人に見てほしいのも素直な気持ちで同窓会に行くみたいな気分で映画館に足を運んでくれるといいなと思っている。
    10年経つと本当にいろんなことがあるもんだな、とつくづく感じる。
    後日談みたいな映画は蛇足になりかねないが…なかなか10年経って作品を作らせてもらえるタイトルというのもないので、できる限りのことはやったつもりだ。
    喜んでもらえる作品になっていると思いたい。
    大ヒットはしないが、来た人は楽しんでもらえるんじゃないだろうか。
    私がアイカツ!に関わる機会も、流石にこれが最後かなと思うし。

    来年は何をやっているだろうか。
    来年放映の作品が始まる頃には制作は終わっているので、次の仕事をしているとは思うが、特に何か決まっている訳でもない。
    相変わらず流浪の人生。
    楽しくやれればなんでも良いが。

  • 今年も終わりじゃん

    今年も終わりじゃん

    もう11月も半ばに入ってしまった。
    仕事は落ち着いてきたものの、10月末は事件があったりで気分的には全く落ち着かない。
    この一年放置してきた私的なことを片付けたいが、やっと本を読む時間が取れる様になったくらい。
    来年の作品の準備はまだ続いている。
    先日、とある作品の音響用の準備に途中経過の映像を編集する作業をしたのだが、とても良い出来である。
    ま、最後まで作り終えてみないと本当のところは分からないのだが、十分すぎるほど期待させる出来だった。
    そこの班は地方で制作していて、演出家も若くて、一人で全てやるのはこれが初めてということだった。
    どこにでも凄い人たちは居るものだと感心するばかりである。
    他にも、以前一緒に仕事をしていた演出家が監督となり凄い出来のPVを発表していたのを見て驚愕した。
    正直今アニメ業界は空前の人手不足でグダグダなのだが、そんな中でも血気盛んに良いものを作っている若い人たちは素晴らしい。
    昔なら、負けない様にしなければなどと思ったものだが最近は観客の様に楽しむだけで自分に引きつけて考えることはあまりない。
    別に仕事に対してやる気が無くなったとか探究心が無くなった、というわけではない。
    今作られている良くできたアニメの作り方の仕組みというか、こういうことをやっているのだな、という作り方の部分は大体は映像を見れば分かる。
    しかし、だからといって真似が出来るものではない。
    真似はできないが仕組みは、既存の制作手法の延長線上にあるので大体わかる、という印象だ。
    良くも悪くも、日本の商業アニメーションは同じ制作手法で作っているので、私でなくとも皆んな何となく想像出来る。
    単純な制作技術の部分はわかっても、人材集めみたいな部分が真似できないと、その凄いものの真似はできない。
    技術そのものよりその土台となっている何かを実現させるほうが遥かに大変だったりする。
    人の庭は、どんなに手に入れたくても人の庭なので、自分に引きつけて考えたり羨望したりはあまりしなくなってしまった。
    あとは自分の興味が、目の前の仕事と少しズレているせいもある。

    なんとなく、この後は色々潮目が変わったり、やりたいことがあったりで人生の転機みたいな時期に差し掛かっているのかもしれない。
    そんな大袈裟なもんでもないのだが、人間、5年とか10年おきにそういう時期が来るものだ。
    死ぬまでの時間はもう長くは無くなってきたので、体力もないし派手なことは出来ないが、なるべく楽しいと思うことをやっていきたいものだ。

    数日前、若い人が仕事で書いたコンテにアドバイスみたいなものをつけて返してあげたら結構喜んでいた。
    私のアドバイスは、なかなか分かりやすく的確なのである。
    アニメ業界から師弟制度が無くなって久しいので、ひたすら独学で誰かのアドバイスを受ける機会は猛烈に減っている。
    そういう若い人のお手伝いはちょっとやりたいと思っている。

    あとはインディペンデントで何か作ってみたいな。

  • 久しぶりに髪も切った

    久しぶりに髪も切った

    いよいよ仕事が落ち着いてきて、少しホッとしている。
    猫の相手をできる時間も増やせそうだ。
    しかし、仕事が落ち着く、終わるということは我々フリーランスにとっては無職になるということを意味するので、毎度どうしたもんかな〜と考えるのだが、やっぱり休みたい。
    若い頃ほど金がないわけではないので、多少のモラトリアムの時間は確保できるだろう。
    仕事もまあ、くれと言えばあるようなご時世なので十数年前よりは気楽な状況だ。
    リーマンショックのあたりは仕事がごそっと減って肝を冷やした業界人もすくなくないのではなかろうか。
    しかし、コロナ真っ只中の2021年の頭あたりは、さっぱり企画が決まらず暇を持て余していた。
    あんなに暇だったことは仕事を始めてから経験したことがなく、今考えればなかなか悠雅な時間だった。
    そこで暇した分、ここ一年ほど猛烈に働くことになったのだが、致し方ない。
    とはいえ、クタクタになった。
    昨今の企画は放映が始まる頃には全部作り終わっている、という作品が少なくない。
    昔は、テレビで自分の担当している番組の予告を見ながら、やばい再来週うちの班のオンエアじゃん…とか思いながら仕事をしていたりすることはザラにあった。
    デジタル化もそれほど進んでいない時代に良く間に合っていたものだな、とも思うが配信サービスなどの事情で昨今はそんなギリギリ納品はあまりない。(いや、また増えてきたという話も聞くけど…)
    80年代は沢山の若い作り手がいて、それは人口の推移に伴い徐々に減っていき、いまだ80年代若者だった人たちに支えられているところは大きい。
    しかし、皆んな歳を食って無理はきかなくなっているし、若い頃の無理が祟ってか早くに逝ってしまう人もいる。
    そりゃ、昔のようなスケジュールではつくれないという訳だ。
    良くも悪くもいい加減が通っていた80年代から90年代頭くらいまでは、作品のクオリティーの落差が激しかったかもしれないが、良いものはビックリするほど良く出来ている。
    アニメに限ったことではないのだが、金があって人が沢山いた時代はこんなことが出来たのか…と驚嘆することがある。
    今は極端にダメな作品は減ったように思うが、無茶苦茶すごいと思わせられるようなものも減ったかもしれない。
    全体の作品量は膨大に増えたので、そこは本当に凄い。
    相変わらずすごい才能の持ち主も沢山いるのだが、その人たちが一堂に会する機会はなかなか無さそうだ。
    いや、一部の大きな予算を使える会社が凄腕スタッフをざーーっと集めていたりはするので、巷で話題のハイクオリティーな作品には、それなりにすごい人が集まっていると思う。
    しかし、名もなき作品が突然すごいものを作ってしまうみたいなことは構造的に
    出来にくい状況になったしまった。
    今は潮目が大きく変わっている時なので、少し落ち着いたらまた面白いことが起こるかもしれない。
    アニメは良くも悪くも(今のところは)若者文化だと思うので受け手と作り手の年齢差が近い方がいいんじゃないかと思う。
    なので、才能ある若者をオジサンたちがうまく支えていくのが幸せな形なのかなと思う。昨今のリメイクブームを見ていると高齢者向けアニメもこれからバンバン作られる気はするが…。
    はて、自分はどうしたものかと思うのだが、今は特に目標はない。
    やりたいことが無いというわけでは無いのだが、仕事とは結びつかないかな。
    若者に教えられることを教える、というのはしばらく前からやっているのだが、基本的には作品が動いている中でしか出来ない。
    終わってしまえば次の仕事を求めて若者たちもバラバラに散っていくので、その間に出来ることをやる程度だ。
    音楽のようにノウハウを求めてくるアマチュアがいるということはないので、私塾のような場所を作るのもなかなか難しい。
    一年以上続くような長いシリーズをやっていた時は、教えていた人たちがそれなりに成果を出していた。
    これからは、なかなかそういう仕事は無さそうなのでどうしようか…ということは少し考えている。
    最近知り合いが50代で亡くなっていくので、私もいつまで持つかなぁ〜などと考えるが、自分のことは、とりあえずそれなりに楽しくやれればそれでいい、かな。

  • 秋よ来い

    秋よ来い

    また暑さが戻ってきて真夏のような装いと秋らしい装いが同居しているのを見るのは楽しいもんである。違うものが入り混じってる状態は健康的だ。気温の振幅が激しいと体調を崩しがちなものだが、歳を食うほどに気候で風邪をひいたりしなくなってる気がするのは付き合い方を覚えたということだろうか。
    この2週間も粛々と仕事に勤しんでいた。もう一息で自分の手持ちの仕事は落ち着きそうなところまできている。自分の仕事で手一杯で人様の作品を見る余裕がなかなか無いのだが、また沢山のタイトルが発表されていて、その中からどの作品を見るか選ぶだけでも大変そうだななどと思ったりしている。
    私の担当している作品も多数の作品の中から選ばれなければ見てもらえないのであって、それはもう半分運任せ。
    逆に半分は確率を上げる方法はあるということではある。
    沢山作品があるということは、見る側からしたらニッチでも自分の琴線により触れる作品に出会える可能性が高まるが、作品の鑑賞がみんなの共通体験となるような機会は低まる。これはどっちが楽しいのやら分からないが時代はずーーっと細分化へ向かい続けている。
    我々が若い頃、おじさんたちは若者が共通体験を持たないのは気の毒だと言っていたが、気の毒かどうかは検討の必要があろう。

    細分化と多様化は似ているようで違う。
    作品の細分化のされかたに比べて多様化が進んでいるのか、全体像を印象で掴むのも難しくなっている。
    なるべく多様に越したことはない、と思うが、それはほとんど見られない作品も存在することができるということなので贅沢なことである。
    10年前に比べたらかなり多様になったのは間違いない。
    しかし、多様性はがっちり経済の豊かさと結びついているので一瞬で消えていったりしがちである。
    アニメ業界が儲かってりゃ、いろんな作品ができるという単純なことでもある。
    しかし儲かってなくたって多様でありたいのだが、それにはどうしたらいいのか難しいところだ。

    この間、我々より少し上の世代の仕事仲間と話していて、やはり80年台のアニメブームは凄かったのだ、と思わざるを得なかった。
    なにが凄かったかといえば、作り手側の年齢と観客側の年齢が非常に近かったのだということだ。
    当時は10代や20代前半で作画監督や監督をしている人たちがいて、もちろん30代以上のベテランの人もいたのだが、スタッフの平均年齢が圧倒的に若かった。
    今は60〜40代前半がボリュームゾーンだと思われる。
    80年代アニメが圧倒的に若者文化だったのは、作り手との距離の近さが大きかったのだと思う。
    今は、基本的には歳上のスッタッフが若い人へ作品を提供するという構図だ。
    これが悪いというわけではないのだが、歳の差はどんどん広がり続けるので、これをどう捉えるかは、ちと考える必要があろう。
    若い人に向けたものは若い人が作った方が良いと思う。
    それには若いスタッフを育てるしかないのだが、そもそも若い人が少なくなってきているのと、育てる環境が崩壊しているのが相まって、若い人が若いうちに活躍しづらい状況なのかなと思う。
    それも10年くらい前に比べれば少し改善したとは思うのだが…。
    膨らんでいく予算も若い人を前に立てにくくなっている一因かもしれない。

    まあなんにせよ、多様性は豊かさなのである。

  • 忘れがち

    忘れがち

    ここ一年くらいは仕事ばかりで、仕事をしているうちにやりたかったことも忘れて行きがち。とくにそれを気に病んでいるわけでもないが、あらゆることが知らないうちに過ぎ去っていって後で追いかけるのも思い出すのも難しくなっている。
    きっとそれで他人をイライラさせたりもしているのであろうが、生来の忘れっぽさは、そのことさえ忘れさせてしまう。普段は気楽なものだが、たまに忘れていたことを突きつけられたり忘れていたことに気づいてしまったりすると途方に暮れたりはする。しばらくすれば忘れてしまうので、結局長い間憂鬱を感じるということもないのだが、神経質な人間を苛立たせ続けているかと思うと申し訳なくはある。

    神経質な方がクリエイターとしては大成するのかもしれない。しかし、早死にもするし生きるのが大変辛いに決まっているので、気の毒である。鈍感とかいい加減な人間でも、それなりにできることと役割はあるのでそういうものは意識的に果たして行きたいとは思っている。

    突然なんでこんなことを書いているかというと、今忘れてたもの、気づかなかったものに気づいて途方に暮れているからである(笑)
    まあしかし、こんな気分もすぐに忘れてしまうので書き留めておきたい。

    現在は3タイトル抱えていて、アイカツプラネットが動いていた時は、ほぼ4タイトルだったのでさすがに大変であった。
    だいぶ忙しさは抜けかけているのだが終わりかけの時期が一番気が抜けて、体力も尽きかけで危ない。危ないというのは、うっかり体調など崩しがちということで私が倒れると、あちこち本当に大変なことになるので気をつけなければいけないのである。多少仕事の手を抜いてでも体調は気をつけないと、完全に機能停止してしまった時の対処は多少のスケジュールの遅れに比するものではない。
    こうやって、この文章を書いているのもサボタージュの一種であるが、私のストレスは大分軽減されるのでコストパフォーマンスは良かろうと思う。

    3タイトル動いている状態というのは平日昼間はほとんど打ち合わせや必須イベントで埋まってしまう。
    それ以外の仕事はそれ以外の時間にやるという事になる。
    アニメの演出家の仕事の半分くらいは打ち合わせなので、打ち合わせの多さはどうにもならない。特に監督は8割くらい打ち合わせが仕事と言っていい。
    ずっと打ち合わせを減らす方法は無いかと考えているが、私などかなり人任せにする人間でもなかなかの量である。

    どうでもいいが、これまでの記事はスマホで書いていたけどPCで書く方が圧倒的に楽ですね…。

    アニメの監督が必須でやらなければいけない打ち合わせ、イベントの一般的な例としてはシナリオ会議(これは実制作に入る前にはほぼ終わっている場合が多い)、絵コンテの発注、演出の発注、キャラクターの発注、美術・色彩の発注、撮影の発注、他各種発注、発注したものが上がって来れば、その監修。
    編集の監修(オフライン・オンライン)、音響監修(アフレコ・ダビング)、ラッシュチェック(上がってきた映像の監修)などである。
    これに加えてレイアウト(下書きの絵)のチェックなど始めるといくら時間があっても足りなくなってくる。

    はて、これで3タイトルも持ってるっていい加減な仕事してるんじゃ無いの?と思われるかもしれないが、まあ確かに几帳面な人からみればかなりいい加減な仕事の仕方かもしれない。
    しかし、限られたスケジュールの中で監督が直接手を下せる部分はかなり少ない。それなりの力量を持ったスタッフに任せる方が自分が直接触るよりクオリティが上がることの方が多い。
    人に上手く任せるのが良い監督である、と私は思う。が、これは世間のイメージとは違うかもしれない。宮崎駿のようにとにかく何でも自分で手を突っ込んで、それなりにこなす監督は非常に稀有で、一時期アニメーター出身の監督が何でもかんでも自分で管理しようと試みるのが流行った時期があったが、ほぼ失敗に終わったと思う。
    絵的な華やかさを求めるためにアニメーター監督を起用して、細かな絵のコントロールにも監督が手を出す。そのためには、制作期間がかなり必要で、腕の立つアニメーターもかなり用意しておかないと、一人の人間の力でどうにかなるものでは無い。
    昨今、アニメーター監督を起用して成功している作品は、アニメーター出身であっても分をわきまえている人を使っているとか、あるいは優秀なスタッフと制作期間をしっかり用意して監督の厳しい要求にも応えていける環境をどうにか作っているのだろうと想像する。

    さて、私はといえば私が得意としている領域というのはあって、そこはなるべく自分でやるけど、得意で無いところは人に任せる、というのが得意であると思っている。
    沢山のスタッフが皆、気持ちよく仕事ができるように良い環境を作れているかと言われれば、胸を張れるというわけでは無いのだが…。

    監督業も色んな人に色んなことを言われがちな職なので、それにすべて応えようと思っているとすぐに気持ちは折れてしまう。
    なので忘れることはとっても大事なのだが、忘れっぱなしも良く無いので、たまには忘れてたことに向き合わないといけないのである。

    あー、ちょっと気が晴れた。

  • 日差しが痛い

    日差しが痛い

    最近は日傘を持ち歩いている。
    歳をくうごとにお日様の光がささるようになって、仕事の行くだけでヘトヘトになったりしていた。日傘は持ち歩くのは少々面倒だが、日差しへの効能は的面である。
    女性用の日傘は山のようにあるので、デザインも豊富だが最近は紳士用も随分出ていて、洒落たものからアウトドア系まで値段も様々、お安くて性能が良いのも結構ある。

    一級遮光というやつが紫外線をかなりカットしてくれるらしい。が、それ用の布を張っているので見た目涼しげな傘には少々邪魔に見えるかもしれない。私の買ったのはコットンの生地の裏に遮光の布が張ってあるというもので、裏側は少々無粋な感じもあるが、機能としては申し分ない。
    アウトドア系のは安いし機能的にも優秀なので若い方が持ち歩くには良いと思う。
    私はアウトドアな人間でないのでちょいと洒落た見た目なものを選んだ。

    日傘はここ最近の買い物で一番良かったと思う。差していると疲労度が全く違う。暑さは、それほど軽減されないが、それでも体感一度位は下がるかもしれない。本当にもっと早く買っておけば良かった。

    もはや、随分前になってしまったがプラネットの撮影をしている時、役者には常に大きなアウトドアで使う様な日傘が差し掛けられていた。もちろん日焼け対策なのだが、それも作品のためで、同じ話数でも撮影する日がシーンによってバラバラなのが普通なのでシーンが変わると肌の色が変わるというのは困ると言うわけだ。単に美しいから色白であれ、と言うことではない。役者は大変である。
    スタッフも人によるが、結構ガッチリ日焼け対策している。下手すると火傷になって動けなくなるからさもありなん。
    私も日焼け止め塗ってたのに撮影一日目で随分日焼けしてヤバいと思い、UVカットの長袖の羽織ものを買った。アウトドアブランドから、その手の商品は結構出ている。キャンプとか山歩きとかする人には常識なんだろうけど。

    昔、南国に遊びに行った時、うっかり脚だけ日焼け止めを塗らずに半パンで歩いてたら次の日パンパンに腫れあがって歩くのも大変みたいな事になった。太陽の力は偉大である。

    子供の頃は海の側に住んでいて日焼けでシャワー浴びるのも辛いみたいな状態になるまで遊んでいたが、日焼け止めくらいは塗っとけと今は思う。

    今年は日差しの強い日が長く続きそうだし、ネットで日傘を探してみるのはお薦めである。

  • 映画館の中

    映画館の中

    しばらく前、劇場版アイカツプラネット!の舞台挨拶行脚をしてきた。
    盛況で大変感謝である。
    我々は何ヵ所か回るわけだが、お客さんも好きな人は何枚もチケットを取りハシゴしたりする。
    移動に失敗などすると、満席なはずの劇場の席が空いていたりして、こちらは寂しい思いをするのである。
    舞台挨拶のハシゴは是非完遂してほしい(笑)
    今回も数席空いてる回があったが、移動に失敗したのだろう。

    最近の舞台挨拶は、映画が終わった後と始まる前をセットにする。これで、待ち時間を縮めつつ2回の挨拶をこなせる。
    見終わった後の回はネタバレOKなので、話せることも多くやりやすい。観る前のお客さんを相手にする場合はネタバレは極力避けるので、ゴニョゴニョと歯切れの悪いコメントを言ってしまったりすることが多々ある。

    舞台挨拶も皆、台本が用意されている。
    渡されるのは直前だったりするが、質問とこんな答えが欲しいという想定問答が書かれているのである。この質問の面白さも当然我々のコメントの質に関わってくる。
    今回は劇場毎に台本が用意されていたが、それでも同じ質問は混じっている。
    今回であれば、花彩ちゃんが誰か感謝を伝えたい人がいますか?と言う質問を数回受けていて、流石に辛いということで途中でオミットされている。
    感謝を伝えたい人間なんて、定番の母ちゃん父ちゃん以外そういるものではない。
    プラネットメンバーは殆どが初めての舞台挨拶だったので最初は少し硬かったのが途中だいぶ慣れて尺が伸びてたのもオミットの理由である。
    私も久しぶりの舞台挨拶だったので最初の方は少し緊張していて、1回目2回目は同じ質問に同じ様な答えをしてしまい、サービスが足りなかったと反省。

    舞台挨拶の度、何を着ていくかは悩むのだが今回はあまり時間が無かったのもありアイデアもなくシャツを新調したのみ。
    一緒に上がる演者たちは、殆ど衣装の制服だったので悪くはなかったかな。
    衣装を自宅から着ていくかは非常に悩みどころ。
    本当はシワになるので現地で着替えたいのだが映画館の控え室事情的には難しい。女性用のメイクルームなどは辛うじて確保される場合が多いが、オジサンの控室は個室とかではないので着替えるならトイレくらいのものである。
    映画館は舞台挨拶など想定して少しは控え室の用意はあるが、基本的にそれほど広くない。
    他の映画などでの監督たちはどうしているのだろうか。そもそも監督なんて誰も見たくないんだから要らないんじゃないかとも思うが。
    アイロンで綺麗に仕上げたシャツにシワが入るのは毎度テンションが下がるので(笑)今度は現地着替えも検討しよう。

    映画館の裏側をウロウロ出来るのは楽しいし、映画館のイベントは好きだ。
    また年明けには舞台挨拶があると思われるので、その時また。

  • 滲みでる

    滲みでる

    アニメの監督をやっていると、人様の描いたコンテを沢山見る。原作ものであっても、コンテマンによって結構バラバラな作風で上がってくるもので面白い。
    私は長期の作品が多かったので、割と色々な人のコンテを見ている方ではないかと思う。

    キャラクターの表情の作り方など、原作があればそれ程バラツキは起こりずらいかと思いきやそうでもない。
    それは単に原作を読み込んでいないという場合もあれば、読み込んでいたとしても、このキャラクターが担当コンテマンにはこんな風に見えているのか…と不思議に思える様な芝居をさせている場合もある。
    そもそも監督のキャラクターに対する認識が多数の理解と違っているという可能性もあるのだが、原作ありにしろ、オリジナルにしろ監督は脚本作りから関わっているので、基本的には理解度は高いと思う。そりゃそうだろ…と言うもんであるが。

    面白いと思うのは、人によってズレてる方向もかなり違う。良くあるのは、担当コンテマンが普段メインでやっている作品に引っ張られるパターン。
    大体、演出家にも自分の得意や好みがあるので、キャリアの中でこう言う作品を沢山やってきたというものがある。私だったら日常芝居の多いものを受ける事が多かったとか。
    少年漫画的な仕事が好きで沢山やってきた人が、たまたま少女漫画の仕事を受けたりすると如実に癖がでる。
    少年漫画的な感性の人は、柔らかい表情みたいなものを描かなくてはいけない時、その中間的な機微をどちらか極端に振ってしまう。
    逆もまた然りで、とても怒っているみたいな少年漫画にありがちな感情の表出をソフトにしてしまうという人もいる。
    作り手の気質と言うのは、拭い難く滲み出てしまうのである。

    役者などもそうで、痩せている声優に太った役をやらせても大体上手くいかない。
    背の小さい人は、可愛らしい感じが声に乗るし、大きい人もまたそれらしさが乗る。
    自分の身体性や経験を良く知ることが、表現の幅を広げたり上手く使ったりの第一歩である。
    恐ろしげな巨漢のキャラクターが可愛い声で話す、とか…上手く嵌ると良くあるよねー、というイメージを超えていける可能性がある。
    役者のオーディションの時は、テンプレート的な選び方をなるべくしないように心がける。

    私も仕事が来ると何で俺に頼んできたんだろうか、と考えるのだが、大体は手近にいるから…だ。良くないね笑。

    しかし、スタッフの場合はオーディションもないし手近にいない奴は大体スケジュール合わないし、なかなか難しい。

    歳と共に自分に出来ることも変わってくる。
    自分の身体と仕事が上手く嵌まるかは半分運だ。
    私は自分のストライクゾーンに投げて貰えない球は見送るタイプ。はて、人生も残り少ないが、どんな球が飛んでくるやら…。

  • 10年目

    10年目

    *これはNOTEに書いたものを引っ越しした記事

    はて、アイカツプラネット!の撮影日誌が終わってから放置していたNOTE。
    せっかくなので何か書いてみようか…。
    といいつつ、何を書いたものやら。
    日々の仕事の事は殆ど言えないことばかりなので書けないし。
    文章を書くのは結構好きなのだが、現在は仕事が猛烈に忙しく、書けるとしたら移動の時間で書くくらいか。お酒もコロナとは関係なく全然呑んでない。しょんぼり…。

    アニメ業界は今、仕事が過密みたいだ。
    みたいだ、というのは人と話していると明らかに過密だなぁと思うという程度で確たるエビデンスを持ってる訳ではない。
    しかし、スタッフを集めるのがとても大変な様だと制作チームの様子を見ていると判る。いや、昔から大変ではあったのだが、ちょっとここまでのは人材不足は無かったのではなかろうか。
    過密だからといって、皆んなバブリーでウハウハ言ってるって訳でもないのが不思議である。

    バブリーで浮かれてる人が沢山いた90年代は今や30年以上前の時代である。
    私が大学を卒業する直前にバブルは崩壊して、あの時代のお祭り感は全く味わっていない、と思う。が、多少の残り香のようなものはあったかもしれない。
    80年代後半から90年代あたり、当時は浮かれた時代の雰囲気と自分の距離感がありすぎて、何か馴染めないような、あまり自分がそこに参加しているという実感もなく眺めていたが、今は音楽やら何やら多少楽しく見たり聞いたりできる。距離感は偉大である。

    コロナを取り巻く気分もだいぶ和らいだようで街もコロナ前に近い賑わいを見せるようになってきた。良きかな。自分が賑わいに身を投じるには、まだ暫くかかりそうで去年コロナ真っ盛りで暇を持て余してした時が懐かしい。
    コロナで色々狂った帳尻をこの半年くらいで合わせようとしてるような状況なので、無茶が続くのは仕方ない。身体は追いついてないが。

    しかし、アイカツ!10周年というだけでなく久しぶりの人と仕事をする機会に恵まれて気分は楽しい。
    仕事をしたくてもなかなか組めない人は沢山いる。身体は一つなので仕事の量も自ずと限界がある。一年ものの様な長いシリーズであれば、ゲスト的にでも色々な人に関わってもらえるのだけれど、なかなかそういう機会は少ない。
    ワンクール、今は大体12話。放送であれば3ヶ月ほど。制作現場が回り始めてしまえば半年経たず終わってしまうような期間である。
    この人とまた仕事がしたい、と思っても次の機会までは随分かかってしまうことが多い。

    10年経てば、スタッフもあちこち散り散りになっているので、頼みたかったが色々な事情で参加が叶わなかったスタッフもいる。仕方のないところである。
    とはいえ、多くの当時のスタッフが参加してくれてありがたい。試写会は同級会の様でもあって、終わった後はいつまでも話が尽きないような雰囲気だった。

    と、毎度取り留めない話しか出来ないと思うが書いてみるかな。