月: 2024年1月

  • 髪を切った【2024年01月28日】

    髪を切った【2024年01月28日】

    放置していたアイカツプラネット!の撮影日誌のエントリーに画像を配置して読める様にしました。

    コロナ禍で暇だったとはいえ、よくこんなに描いたな…。

    撮影は3年半前なのだな…ついこの間の様な気もするけれど随分色々変わったという気もする。

    昨年の1月といえば10th Storyのプロモーションをやっていたのだけれど、1年といわずもっと前の様な気がしてしまう。

    去年はさして忙しくもなかったのだけれど、それが時間を長く感じる由なのか。

    将棋が好きで、よく中継など見るのだけれど、先日見た棋聖戦の藤森哲也ー木村一基の勝負は感動的だった。

    藤森氏はあまり強くはない中堅棋士なのだが、YouTubeで実戦を見せつつ解説をするというチャンネルをやっていて登録者は10万人ほどいる。

    この藤森氏が最近調子を上げている印象で、木村一基戦もとても良い一局だった。

    藤森氏はもっぱらの攻め将棋、木村氏は受け将棋で両者の持ち味を存分に発揮した戦い。

    しかし後手番の藤森氏が積極的に立ち回ってギリギリ攻め切った。

    格としては、全く違って勝てないだろうと思っていたのだけれど終盤の踏ん張りが素晴らしかった。

    藤森氏が調子を上げているのはYouTubeの影響が大きな気がする。

    応援してくれている人がはっきり見えるのは、やはり人間のモチベーションに大きく貢献するのだと思わされた。

    私もあまり冴えない演出家だったが、アイカツ!がたまたまアーケードに置かれる様なお客さんの見えやすいゲームだったのは幸いだったかもしれない。

    ゲーム機やライブ会場で観客を目にすることは少なからず創作意欲を支えてくれた。

    しかし、こういう経験ができることは稀で私はラッキーな方だろう。

    このラッキーをみんなに経験させる方法があると良いのだけれど。

  • 速く読めた…?【2023年01月26日】

    速く読めた…?【2023年01月26日】

    先日、近所の本屋が居抜きで中身が変わりブックファーストになっていたので、つらっと覗いて本を1冊買った。

    小川哲「君が手にするはずだった黄金について」

    小川さんの小説は読んでみたかったのだが、「地図と拳」は分厚すぎて躊躇してしまい、短編集である本書を手に取る。

    読み始めると、つるつると進んであっという間に読み終わってしまった。

    小説は読むのに時間がかかってしまうタチなのだが何故だろうか…と考えてみるに、あまり時間が問題になっていないからなのでは、と思い至る。

    時間が問題になっていないとは、例えば「いやあ、今日はあたたかいですねえ」などというセリフがあった場合、そのセリフに流れているであろう時間をあまり想像しなくても問題ないという様なことだ。

    他にも小説内で当然に物語の時間は流れているのだが、あまりそのことと小説の面白さが繋がっていない。

    基本的に判じもののような作りなので、時間とか関係なくパズルを解く様な面白さになっているからだろう。

    脚本を読む時などは基本的に20分のテレビアニメの脚本ならそれ以上の時間をかけて読みたい。そんな時間はないことが多いけど。

    何故かといえば、脚本上で流れている時間は映像化する時、決定的に重要になるからだ。

    脚本を読むのも慣れてくると、読み飛ばしても大体そこで流れている時間が感覚である程度はわかる様になるのだけど、ゆっくり読んだ方が正確だと思う。

    ゆっくりというか、声に出して音読するか、声に出さないまでも頭の中で音読して物語の中にある時間を想像したほうが脚本上にある時間を比較的正確に体感出来るだろう。

    アニメのセリフの長さは基本的に演出家が決めるのだが、新人の頃は必ず声に出して読めと教えられたものだった。頭の中で読んでセリフを測っているのと声に出して読むのとでは随分違うことがあるからだ。(特に新人のうちは)

    私が本を読むのが遅い、という要因の一つに頭の中でつい音読してしまうということはあるのだろう。読むのが早い人はきっと音声化していないに違いない。

    いまは小さい字を読むのが苦手(老眼だから…)とか他の要因も多々あるのだけれど、文章を音にしてしまうのは、本を速く読むいう意味では短所で、しかしアニメの演出家としては長所である。

    流れている時間を味わうことが、圧倒的に物語の面白さに繋がっている小説というものもあるわけで、そういう小説はやはりゆっくり音にして味わうほうが良い。

    能楽師の安田登さんは古典を声に出して読むと全く違う味わいがわかるという様なことを言っていたが音としての言葉は音にしないとわからない。

    それはそれとして小川晢の小説はさくさく読めることが分かったので、そのうち「地図と拳」も読んでみよう。

    全く関係ないがSNSを見ていたら接地面の見える歩きは必ず必ずフリッカーか地面の滑りが発生するので避けたほうが良いという様なことを言っている方がおられたが、まあフリッカーが起きようが滑りが起きようが地面を見せることが必要なこともあるよ。と演出家としては思うのだった。

  • 寒い・そして昔話【2024年01月20日】

    寒い・そして昔話【2024年01月20日】

    今週末は雪も降りそうとかで、ずいぶんあったかいと思っていた冬もそれらしくなってきた。

    手持ちだったコンテを終わらせて一息つく。

    久しぶりにやるタイプの作品だったので楽しかったものの手こずる。

    1月新番で小高くん監督の「休日のわるものさん」が始まったらしい。

    エンディングのコンテだけお手伝い。去年の頭の方で描いたような気がする。

    小高くんはスタジオジュニオの同期の演出で、入社は彼の方が早くて制作を何年かやっていたのだと思うが私と同じタイミングで演出になったのだと記憶している。

    彼はジュニオのメインのスタジオ所属で阿佐ヶ谷の北の方、社長の香西さんもいる早稲田通りに面したスタジオにいたと思う。

    私は岡崎稔さん(ドラゴンボールの初代監督)が率いる別の班で南阿佐ヶ谷のあたりにスタジオにいた。

    スタジオジュニオは元々東映から別れたスタジオで老舗なのだが入るまでは全く知らなかった。

    私のいる班は、ベテランだと前田稔さん(ドラゴンボールのキャラクターデザイナー)や我妻宏さん(一休さんのキャラクターデザイナー)がいて、他にはスラムダンクのデザイナー佐藤正樹さんや堀内修さんがいた。

    仕事としては我妻さんが演出として作っていたアメリカとの合作がメインの班だった。

    数人いた私と近い年の若者たちはたまにくるグロスのテレビの仕事などやっていたようだった。私が入った時はレッツ&ゴーを受けていて少し手伝ったと思う。

    私は演出志望の制作として入ったものの当時まだ免許を取っている途中で、最初は撮出しの手伝いなど演出助手的な仕事をしていた。

    半年もしたころ「はりもぐハーリー」というNHKの帯アニメに入れと言われてそれがデビュー作となる。

    本当のデビューは何か公共広告的な短尺のアニメの演出なのだが、どこで使われたのかも、タイトルも覚えていないので、まあ置いておこう。

    小高くんもハーリーがデビューで同期というわけだ。

    監督は神戸守さんで、ジュニオ生粋の演出だった。他にジュニオに所属していた演出は佐山聖子さん。あとはフリーの演出を使っていたと思う。後輩だと平池芳正がいる。

    私は全くなかったが、小高くんも先輩から手取り足取り教わったという経験はしていないように思う。よくそれでやっていたもんだと思うが、私はそれでしばらく苦労することになる。

    ハーリーは半パートを何本かやらせてもらったが、デビュー作からクレジットを間違えられて、私の担当したものは別パートの担当の方の名前になっている。

    なんでそんなことが起こったかというと普通の人は2本まとめて担当している場合が多かったからだと思う。

    私は新人なので、十数分の普通のテレビであれば半パートぶんくらいの話を1本ずつもらっていたからだ。それにしてもデビュー作から間違えられるとは酷い。

    小高くんとはその頃知り合って、しかし会社はそれからしばらくして倒産してしまうので同じ作品に入ることはなくなっってしまった。

    あれから幾年、なんとか二人とも生き残って仕事で関われたのは僥倖だ。

    私のいた班は倒産騒ぎでジュニオから別れてシナジージャパンとなる。

    その後、社長と揉めて私はフリーランスとなる。

    ピカちんキットで古巣に関わることになるとは思わなかったが…。

    もう当時のことは、かなり記憶が薄らいでしまった。

    若かったな。

  • 最近見たもの【2024年01月14日】

    最近見たもの【2024年01月14日】

    Netflixで碧眼 Blue eye Samuraiを見た。

    なかなか面白かった。

    3Dでフランスの会社がつくっているらしい。

    エログロ・アクション系。

    アクションがとにかく凝っている。血はたくさん、指も腕も足も切られて良く飛ぶ。

    エロもちゃんとエロい。

    裸のモデルはポリゴン数が多いようには見えないが柔らかく見せている。

    セリフがきちんとエロティックである。日本のアニメではあまり見たことがない。

    世界観はありそうで無い幕末のパラレルワールド的な架空の日本。しかし良く風俗を調べているようで嘘のつき方が白けない。

    監督は女性の凄腕アニメーターらしく芝居は本当に良い。

    モブのモデルなどもかなりいろんな種類を作り込んでいるように見える。物量的にも相当大変だったのでは無いかと思うが使い回しなどが上手いのかもしれない。

    シナリオは序盤はとても引っ張られる。途中、母親のエピソードで主人公の主人公の行動原理がぼやけたところや、後半に行くにつれポリコレ的な目配せが目立つようになって仕方ないところはわかるが失速感を感じる。が、概ね良くできている。

    日本だと川尻さんの作品のようなテイスト。

    日本でもまたこういうのを作れる人が出てくると良いが…。

    あとはアマプラでスピルバーグのフェイブルマン。

    こちらも面白かった。

    スピルバーグの自伝的な作品。

    懐かしいカメラが沢山出てくるので、そこだけでも堪能できる。

    ボレックスは8ミリのカメラも作ってたのか?分からないのだけど、16ミリのカメラは学生時代使っていて懐かしかった。

    いい感じに屈折した青春物語になっていて、単なる映画少年のサクセスストーリーではない。

    恋愛が大人にとっても子供にとっても人生を救ったり落っことしたりするように、映画作りも人生を救ったり落っことしたりするという当たり前のことを温かく描いている。

    映画館で観たかった。

  • 偶然について【2024年01月08日】

    偶然について【2024年01月08日】

    なんで今と考えても、ほとんど単なる偶然で、もし自分の身に降り掛かっていたら詮無いことと分かっていても、それでも因果について考えてしまうのだろう。

    私はたいした厄災を経験したことはないけれど、いつ自分がそこにいてもおかしくないし家の猫たちを見ながら少しは準備をしておかねばと思いつつ後回しにしてしまう。

    準備といっても何をすれば良いのやら分からないし、猫を4匹連れて避難所へ行くのはひどく現実味がないなと思うと考えるのが億劫になってしまう。

    私の仕事部屋に同居している猫は元野良でほとんど私にしかなついていない。果たして大人しくケージに入ってくれるかだろうか?

    なんとか家が倒れずにいたら心中の覚悟で猫としばらく生きていけるような準備をしておくくらいが関の山かもしれない。

    突然の不幸に見舞われるというのは、自分の身には未だ大きなことは起こってくても、長く生きていれば皆んななにがしか近しい人に起きた経験をするだろう。

    私が思い出すのは、子供の頃に絵を教えてくれていた先生のことだ。

    その人は広告会社の看板書きで自分の子供と近所の子供を集めて絵を教えていた。

    ある日、自分の個展を開くのでその準備をするのだということで意気揚々と仰り教室は休止となった。

    しばらくして、先生が仕事で高所での作業中足場から落ちたというニュースを地元の新聞の小さな記事で見ることとなった。

    一命は取り留めたが体は、ほとんど動かなくなった。

    自分が元気で仕事をしているだけで奇跡のような気がする。

    先生はその後も口で筆を咥えて絵を描かれていた。

    全てはたまたまでしかないのだろうけど、偶然と向き合うのはなかなかしんどい。

  • 明けた【2024年01月01日】

    明けた【2024年01月01日】

    去年は仕事は暇だったのだが色々あって落ち着いた気持ちになれなかったが、今年はもう少し落ち着けると良いなぁ。

    去年は作品的には「アイカツ!10th」「もののがたり」「おとなりに銀河」と3タイトル発表されたのだけれど、どれも2022年中にはほとんど作業を終えていたので仕事の方は暇だっというわけ。

    来年は少しは忙しそうだけど、発表できるものはしばらく何もなさそう。

    50を過ぎて大病はしていないものの体はあちこちガタが来ていて病院へ行くことが多かった。これはまあ仕方あるまい。

    コロナ禍の間より世間は喧騒を取り戻して久しぶりに年の瀬らしい活況を呈しているように見えて何よりだが、私はなんだかやっぱり落ち着かず正月気分には浸りきれていない。

    正月もゆるゆる仕事をしなければ…こういうのは久しぶりだ。

    とはいえ、大晦日は仕事をづる気は起きず本を読んだりでのんびり。

    未読だった『「未熟さ」の系譜ー宝塚からジャニーズまでー』著:周東美材を読んだ。

    面白かったのだが、明治末期から昭和中期1970年代あたりまでのポップカルチャーの歴史の記述が主で未熟さの愛玩への読み解きはちょっと食い足りなかった。けれど近代の家族形態と子供を通した異文化受容がその中心にあったという見立ては面白いと思った。未熟さへの愛玩は近世とは断絶があるというのが本書の態度なのだが、本当にそうなのか?と私は思う。繋がるマインドもあるんじゃなかろうか。

    日本独特と言われている未熟なものへの愛玩が近代、それもここ100年くらいで形成されたものというのは納得できる部分もありつつ、もう少し掘り下げないとよくわからない。

    なんでこんなことに興味がるのかというとアニメカルチャーもどっぷり「未熟さ」への愛玩と寄り添っていると思うからだ。

    本気で調べようと思ったらとてつもなく大変なのでどこまで出来るやら分からないが、ちまちまと調べてみたい。

    日が昇ったら初詣に行くつもりだが、健康祈願これしかない。