月: 2023年5月

  • 実写とアニメと

    実写とアニメと

    おとなりに銀河は実写版とアニメ版と同時期の放送となったわけだが、実写版は一足早く終了。

    まだ全部見られていないものの、自分の関わったアニメ版とのアレンジの違いなんかも楽しめてとても面白かった。

    少し前にアイカツプラネット!で実写の現場を見せてもらったので、手がかかっているところとかアレンジの理由なんかもある程度分かって、作り手目線でも楽しめた。

    装飾という部署の仕事ぶりがとても素晴らしかったのが個人的なツボ。

    私も仕事で関わるまではよく分かっていなかったのだが、美術と呼ばれる部署は基本的にはセットなんかの設計だけ。実際に作るのは大道具さんで、部屋の中に置いてあるものとか役者が手荷物以外の全てのものは装飾と呼ばれる仕事をする人たちが作る。

    作ると言っても1から10まで手作りというわけではなくて既製品と作り物を組み合わせて作品の世界を作っていく。

    夜ドラのおとなりに銀河の場合だったら、キッチンの作り込みが素晴らしいなと思った。映る回数が多いので手をかけたということではあると思うけど、生活感の溢れる感じで物が置かれていて、あの感じをアニメで作るのは相当に難しい。

    アニメの場合は、ありとあらゆるものを描かなければいけないので、ごちゃっと物がたくさんある空間はとてもカロリーが高い。実写でも、その手間は実は同じではあるのだけど、アニメの方が仕事のカロリー的には高くなってしまう気がする。

    なので、ああいう空間作りを見ると羨ましいなと思う。

    アニメの得意なのは、既製品にないものを作れること。

    実写版では、やはり漫画の中のキッチンとは大分違う形の部屋になっていたが、アニメはほぼそのまま再現している。

    実写ドラマで同じことをやろうとすると、まず部屋のセットを作って漫画に合わせて調度品を全部作って……こうなると仕事のカロリーが一気に跳ね上がり、予算と時間がないとちょっと無理みたいな話になる。

    アニメは、そういうフルスクラッチな作業は比較的得意だ。

    でも、実写もアニメも作業の物量が多くなれば大変なのは同じで重なる部分も多い。

    実写もアニメも得意なところ不得意なところがあって、制作陣は最大限自分たちの使う表現方法の良さを活かして作っていくので、そんなことを気にしながら見るとまた違った楽しみ方ができるかもしれない。

    「おとなりに銀河」アニメは1話が無料公開中なのでお時間ある方は是非。

  • 向いてるとか向いてないとか

    向いてるとか向いてないとか

    小学生の姪っ子が絵で賞をとったらしい。

    絵の写真を見せてもらったところ、ずいぶん上手。

    もともと絵を描くのは好きだったみたいだけど、だいぶ前、4、5歳の頃だったか…絵を描きながら描くのは好きだけど自分の絵は上手くないのだ、と言っていた。

    私は驚いて、そんな事ないよと返したと記憶している。

    多分誰か、大人か友達かに上手くない、と評された事があるのだろう。

    当時の絵は子供らしいかわいい絵だった様に思う。立体を正確に捉えてる様な写実的な絵では当然なかった。

    絵が上手いとか、下手というのを決定するのはそう容易いことではない。

    プロにでもなって写実的な表現を求められて出来なければ、それは下手と言われる。

    しかし写実的な表現だけが絵画ではない。

    写実的な表現が不得意でもプロで仕事をしている人はいるだろう。

    子供の描く絵に上手いとか下手とか評定するのは、相当に難しいと思う。

    思うけど、子供の絵を簡単に上手いだ下手だと評価してしまう人が沢山いるだろうことも想像に難くない。

    私は子供の頃に絵を褒められた記憶ははなくて、美大受験も落ちまくったし成長してからも下手だったのだと思うが、しかしやっぱり歳を食うほど絵の上手い下手というのは単純には評価できないよねと感じる。

    凄く大雑把に言うと描き手が自分の表現したいものが表現できれば技術というのは、それで必要十分なので写実的な絵を描きたいと思わない人が透視図法や立体の表現の技術を持っていなくても問題ないということは当然ある。

    アニメーションのスタッフでもアニメーター(上手い人でも)が一様な技術を持っているわけではないし、役職によって求められるものも変わるし何が必要な技術なのかを判別するだけでも結構難しい。

    アニメーターの場合、写実的な表現を求められる事が多いのでそれを可能にするための技術が基礎教養として求められるが、キャラクターなどデザイナーの様な役職になった時、全く違う技術が求められたりする場合もあるし技術が邪魔して感覚に寄り添えないということもありそうだ。

    漫画の絵の面白さは感覚に重きを置いて描いても成立するところだと思う。

    基本一人で描くものは自分の感覚が絵柄を串刺してくれるということが可能だから。

    アニメの場合は沢山の人間が同じキャラクターを描かなければ行けないので感覚的な癖の様なものを旧友するのは難しい。どうしても大勢の人間が共有しやすい様な平均化の作業が必要になる。

    漫画家の絵にしてもアニメーターの絵にしても必要とされる技術の差異はあっても、それは絵の上手い下手とは別だ。

    芸術と呼ばれる様な分野の中で究極的に上手いとか下手とか決めるとするならば表現したいものが表現できているのか、そうでないのか…位しか判断基準は無いように最近は思う。が、表現が達成されているされていないの判断をするのも容易でないので、やはり上手い下手を決めるのは難しい。

    技術の部分であれば上手い下手を決め安いとは思う。

    立体をうまく捉える事ができるか、透視図法を理解しているか、とか。

    技術は、基本的には共有可能なものとして作られているので比較もしやすい。

    しかし、そうでない表現の本質的な部分に分け入っていくには批評の様なややこしい分析が必要になるだろう。

    子供の絵にそんな面倒な批評が必要な訳でもない。

    大人のアドバイスが必要な場面があるとしたら、子供がリンゴを描きたいと思っていて、しかし自分の描きたいと思っているイメージと差異がある場合とか、他人に見せた時、自分が表現したい物が伝わっていなくて傷ついた時とかだろうか。

    後者は余計なお世話になる場合もあるが…。

    姪っ子に私の言葉が響いたのかどうか定かでないが、自分が楽しいと思う事を楽しそうに続けているのは何よりだ。

    好きこそものの上手なれとも言うし、人生の楽しみを一つでも多く持っているのは良い事だよ。

  • 観劇からの感激

    観劇からの感激

    先日、ロロ『BGM』を見た。

    ロロは、ここ何年か追っかけていて公演があれば大体見ていると思う。

    コロナの前は他の劇団もたまに見ていたけど、落ち着いてからも忙しかったこともありロロ位しか見られていない。

    しかし、演劇もライブも元の状態に戻れそうなので嬉しい限りだし時間があれば色々見に行きたい。

    ロロを初めて見たのは「ハンサムな大悟」だったかと思う。

    板橋駿谷さんは強烈に印象に残ったが、全体として自分が普段やってる仕事に近い事をやっているのに表現として全く違うし思いもつかない様なことをやっているのが面白くて嵌ってしまった。

    三浦直之さんの劇作、演出は色々なものの境界を曖昧にする、又は同じレイヤーというか同じ次元に重ねて見せてしまうというところが強烈に好きだ。

    時間や場所や個性や現実と非現実、普通重ならないものを重ねて見せて、見えないものが見えてくる。

    私の作っているアニメーションは、実はそうしたことがとても得意な表現技法なのだけど三浦さんの様なことをやっている作品はあまり見かけない。無いわけでは無い。

    舞台ならではのシンプルな美術(舞台装置)の中で時間や様々なものが重なり変化していくのは不思議だが自分の中の観念の世界を感じて自然でもある。

    劇作の中で扱われる題材は根の部分はそれほど突飛なことは少ない、と思う。突飛な世界でも地に足がついている感覚がある。それは役者の力量のおかげでもあるのかもしれないが。

    なのに夢の様な魅力的な世界が見えてくるというのは素晴らしい。

    特に今作『BGM』は友達の結婚式に行くという、ただそれだけの事が描かれているだけだ。だが劇的だ。

    日常が魅力的に見えるというのは素晴らしい、自分もそういうものを作りたい、と思っていることもあって『BGM』はとても好きな作品だ。

    今回は再演であったので筋は概ね知っていたが、思っていたより雰囲気が変わっていた。音楽が変わったのが大きかったのかもしれない。

    表現技法の特質をうまく使った表現というのは、やはり個性的で刺激的だし三浦直之の舞台は、いつもそれを明快に見せてくれて好きだ。