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  • 桜は咲いたが、また寒い【2025年03月30日】

    桜は咲いたが、また寒い【2025年03月30日】

    あたたかくなったと思ったらまた冷えてチューベローズの植え替えをいつやろうか若干悩ましい。

    今週は美術の打ち合わせがあって、その時に私が求めた絵画的な表現について、不安というかイメージが掴めないようで、しばらく自分の意図を話すなどした。

    キャラクターのリアリティーに関わらず、背景はフォトリアルという表現は今のスタンダードだが、特徴的なのは目の大きいキャラクターとの取り合わせ。
    フォトリアルな背景がメジャーになったのは押井守がパトレイバーで写真を下敷きにした背景に比較的リアルなキャラクターを上に置くことでリアリティーを作ったというあたりだろう。
    キャラクターはカワイイが背景はリアル、という形式の嚆矢は、けいおんだろう。
    今はどちらかというと、けいおんの流れが主流を占めている気がする。
    キャラクターの抽象度は高く目が大きくてカワイイ、リアルな背景とは合わなさそうなキャラクターを組み合わせる、そのやり方は不気味の谷のようなものを感じてしまって苦手だ。
    しかし、そういう表現の作品は山ほどあるし受けているので、何故そういう形式が求められているのかは考えている。

    自分の作品では、比較的リアルめなキャラクターでも背景に絵画的なテクスチャーなどをなるべく残すようにしてもらっている。
    背景がフィクションである事を担保してくれることが重要だと思っている。
    ただ最近は背景の抽象度を上げるのは結構難しい。
    抽象性の高いイメージを大勢のスタッフ間で共有していく難易度が高いからだ。
    とくに透視図法を使わない背景はほぼ作れない。
    透視図法は実は比較的簡単に共有可能な方法だ。
    今フォトリアルな背景が席巻している理由の一つでもある。
    3Dモデルを使えば余計簡単に透視図法のクオリティーは上げられる。
    という事で、最近の背景美術の抽象度を上げるには、もっぱら質感ということになる。
    テクスチャーは様々使えるようになってきているので、それなりに幅のある表現は出来るのだけど、作品ごとの決定的な差別化を図るのは難しい。
    毎度悩むのだが、担当するスタジオやスタッフの持つ技術に大きく依存するので、そこで出来る枠組みの中で選択する。

    3Dモデルを使うことに付随する問題も議論されている。
    実写の撮影などを見たことがあれば簡単にわかることなのだが、狭い部屋のモデルなどでキャラクターを大きく映す時、かなり広角で撮ってしまうオペレーターがいるが、これはカメラの後ろの壁を外して引きじりを作れば簡単に解消できる。
    そもそもレンズの選び方の意図が分かっていないとか。

    アニメーターはアニメーターで透視図法が全く分かっていない人もいるし。

    色々悩ましい時代ではある。

  • 編集はじまりとか【2025年03月22日】

    ついに次作の編集が始まってしまった。
    編集が始まったということは音響制作も始まるということのなので、切羽詰まってきた。
    音響制作は役者さんのスケジュールのお尻があるので、始まってしまうと基本的にはあまりずらせない。
    が、ずれまくっているのが昨今ではあるのだけど人気声優を使っているほどスケジュールの押さえが難しく、画の状態が悪くてもアフレコに突入しなければいけないということは有りがち。
    拙作も遅れてのスタートだが、まあそこそこの状態には出来ると思うのだが…。
    ちょっと今回は自分の仕事が多くて大変。
    久しぶりにスタッフに声を荒げてしまったりもして先は思いやられる。

    預かっていた保護猫は正式に我が家の一員となった。
    初日から腹を出して寝ていたので、とくに問題もなく先住猫たちもだいぶん慣れてきたみたいだ。
    体調を完全に理解している訳ではないので、これから何か出てこないといいけど。
    雄猫はある程度年齢がいくとあまり遊ばなくなるのだけど、おもちゃを振ると飛びついてくる。
    子猫返りなのか、ちょっと新鮮。
    真っ黒猫なのでクローゼットなどに潜まれると全く気づかない可能性が高いので扉を閉める時気をつけなければいけない。

    木曜日スタジオに行く前に、新宿の京王百貨店のグリーンギャラリーガーデンズを覗きに行く。
    花苗の売り場面積は狭く量はあまりないけれど、種類はそこそこ置いてあった。
    ローダンセマム2種類、オダマキ、リーフを3種、宿根草をひとつ買う。
    オステオスペルマムも欲しかったけれど、量が多くなるので断念。
    本格的に暖かくなってきたので、家にある花もだいぶ咲いてきた。
    地上部が完全に枯れて2、3ヶ月たったほんとにこれ大丈夫なんかな?と思っていた宿根アスターも芽吹いてきて生きてるんだと驚き。
    しかしフランネルフラワーは冬に水を切らしてしまって完全い枯らしてしまったみたい。
    フランネルフラワーはシルバーリーフが綺麗でかなり良かった。春も売り場に並ぶみたいなので新しいのが欲しい。
    アガパンサスは1種類芽吹きがまだなのでちょい心配。
    根は大丈夫そうだから生きてると思うけど。
    アネモネはとにかく水を吸うので水切れに気をつけたい。
    ビオラももりもりしてきた。
    楽しい季節到来。

  • 雪、また降った・園芸日記・新入り猫【2025年03月20日】

    雪、また降った・園芸日記・新入り猫【2025年03月20日】

    昨日は雪。
    この時期にまだ降るなんて。
    さすがにもう厳しい寒さはないようで園芸シーズン到来などと言われ始めた。
    地植えのプリムラジュリアンは3度の雪を乗り越えてモリモリと花を咲かせ始めた。
    幾つかあるアネモネも花芽がずいぶん上がってきている。
    試しで買ってきたのオレンジ系ラナンキュラスが思った以上に花が大きくて茎がしっかりしていて風にも耐えられそうで楽しみだ。
    まだ売っているので他の色も買ってみたい。
    ラナンキュラスラックスは育ててみたいが丈夫すぎて地植えにすると大きくなりすぎるらしいので、どうしたものか考えている。
    宿根草はいくつか欲しいものがある。
    エキナセア、ヘリアンサス、ヘリオプシス、の夏の花と少し立ちが上がるペンステモン、アンチューサ、アカンサスモリス、ロベリアなど。
    葉も楽しめるものの方が良いのだが。
    宿根草も放っておくとかなり大きくようなので、はてどこに植えようか。
    庭のユスラウメの枝を整理しようと思ったらもう、芽吹いていた。枯れ込んでいる風の枝と他の木と被りそうな枝を少し切る。

    この前、新宿京王百貨店のうえのグリーンギャラリーガーデンズに初めて行ってみたが仕事帰りだったので花苗は全て片付けられていて観葉しか見られなかった。
    屋上近辺を使った店舗で狭い割には色んなものが置いてあっていい感じ。
    花苗は屋上に並べているようなので日が沈む前に行かないと買えないらしい。
    パンパスグラスの大きなドライフラワーが置いてあって欲しくなった。置く所がないが。

    先週から保護猫を預かっている。
    年末に逝ってしまった猫と同じアメリカンカールの黒猫。
    老人の多頭飼育崩壊から救い出されたらしい。
    歯は犬歯1本残してなく、結膜炎を放ったらかしされたらしく上の瞼の皮が少し垂れ下がっている。
    推定6歳ということだが雄猫の割によく遊ぶのでもう少し若いかもしれない。
    初日からマイペースなのか人見知りもせず先住猫にもグイグイ迫っていて、先住猫の方が警戒しまくってやっと最近慣れてきたみたいだ。
    体は結構大きくて歯がないが食欲旺盛でドライフードもあまり苦にせず食べている。
    放ったらかしだった反動か初日は特に子猫のように擦り寄ってきて布団の中まで入ってきて寝ていた。
    まるで10年もここに住んでいるような雰囲気で腹を出して転がったりしていて人間の心をぐいと掴んでしまった。
    気管支炎を持っていたり目ヤニが多かったりうんちも柔らかいとか、心配なところは多々あるが懐いているので、一緒にやっていけそうである。

    外れスキル木の実マスターがもう直ぐ最終回。
    12本1年ほどかけて作って放送は3ヶ月とあっという間に終わってしまう。
    いや3ヶ月があっという間に感じるというのは制作する側の感覚でしかないのかもしれない。
    地上波での視聴が大きな指標で無くなった現在は見られているかどうかの数値化は難しいのかもしれないが、ABEMAの視聴回数は結構良かったみたいなので健闘したのだろう。
    視聴率で測れない、円盤が売れないという時代のヒットの指標は分かりにくい。SNSにもはっきり現れなくなった。
    観客の反応を知る術を探っていかないと次に繋げるのが難しい気はしている。
    もともとテレビ越しの観客の反応を知るというのは難しいものだったが、直接の観客と触れ合うイベントなどさらに必要なのかもしれない。
    委員会の成績を教えてくれるでもいいのだが。

    少し風邪を引いたり仕事が忙しかったりで、ほとんど家にこもっていたら膝が痛くなり出したりした。
    スタジオに出かけた日にしばらくぶりに散歩を決行。
    痛みは引いた。
    うーん、ほんとに運動を欠かすのはまずいなと思う。

  • もう雪は降らないか…?

    もう雪は降らないか…?

    また雪が降って、さすがに落ち着いたか。
    植物も新芽や花芽が上がってきたり春が近づいてきた感。
    一つ仕事のミッションを片付けたら気が抜けたのか風邪をひいた。
    熱も他の症状も酷くはないのだが微妙に長引いて、こちらもやっと落ち着いてきた。
    そもそも風邪をひいたのが、えらく久しぶりな気がする。
    コロナ禍の感染症対策が過剰なまでに行き届いていた頃は風邪が蔓延する余地もなかった訳だから日常が戻ってきたともいえるか。
    しかし、風邪もコロナも引いてなんの得もないので出来るだけ遠ざかっていたいものだ。

    大統領の口論などというのは初めて見た。
    そもそもあんなに長くメディアのカメラが入っているのが珍しい。口論などYouTubeなどを探せば幾らでも出てくる時代なので、今どきな出来事の一つなのかもしれない。
    とはいえ、あれだけ世界をざわつかせる口論が見られることはめったにない。
    現実の映像がフィクションの映像にどういう影響を与えるかは興味が尽きない。
    フィクションの中で感じるリアリティはこういうもので常に更新されているのだろう。
    シビルウォーは、ニュース映像的なリアリティーをよく再現していた。
    ただ映像のリアリティーだけでは物語のリアリティーは担保されない。
    ユーチューブにしろニュース映像にしろ、人が撮ったものに含まれる演出についても選り分けるのは難しい。

    今作っている作品との繋がりやら自分の興味もあって、渡部渚のエッセイを読んだ。
    時代は変わると言っても一様なグラデーションで変わる訳ではなくて斑にぐるぐると攪拌されながら良くも悪くもゆっくりとしか変わらない、というのは身に染みる。
    憂鬱ではあるが、ゆっくり攪拌するしかない。

  • Precious【2025年02月25日】

    Precious【2025年02月25日】

    時間が経てば大人になったり忘れたり、だいたいのものは変わっていくものだけれど、何かしらずっと残り続けたり変わらないことを発見すると、それは特別なのだということが伝わる。

    その変わらないものに自分が関与している時、嬉しい様な申し訳ない様ないたたまれないような、なんとも言えない気分を感じることがある。

    自分が関与していたとて、それはその人のものでその特別はその人が作りあげたものだから私の手柄では無い。しかし関わってしまっていて、あまつさえ感謝されたりするのは重たくのしかかってくる様に思えることもある。

    自分に、これ以上出来ることはあまり無いと思うと途方にくれる。

    しかし、その何かしらの特別を人の中に発見した時、もう少し頑張ろうか、という気も少し湧いてくる。

    途方に暮れつつも探り探り、もう少し歩いてみようか。

    週末に下地紫野のライブに行った。
    何か溢れて言葉が出てこず会わずにそのまま帰った。
    良いものを見た。

  • ストリーボード作成で学ぶ演出(のための準備)【04】「映画理論講義」

    ストリーボード作成で学ぶ演出(のための準備)【04】「映画理論講義」

    いろいろ探してみたけれど一般書で出ている映画理論の入門的な本は殆どなくて、2000年に勁草書房から出たこの本くらいしか見当たらなかった。今も新しい刷りで売り続けてるので参考に良さそう。

    映画理論講義 –映像の理解と探究のために

    著者:
    ジャック・オーモン
    アラン・ベルガラ
    ミシェル・マリー
    マルク・ヴェルネ

    訳者:
    武田 潔

    目次:

    序論 …………………………………………………………………………………. 3

    I 映画文献の分類 ……………………………………………………………… 5
    1 “一般的な”の出版物 ……………………………………………………. 6
    2 映画狂のための書物 ……………………………………………………. 7
    3 理論的著作 ……………………………………………………………… 8

    II 映画理論の諸相 ……………………………………………………………. 10
    1 “内発的”理論 …………………………………………………………. 10
    2 記述的理論 …………………………………………………………….. 11
    3 映画理論と文学 ……………………………………………………….. 11
    4 映画理論と技術的実践 ………………………………………………… 12
    5 映画理論の多様性 ……………………………………………………. 12
    注 ……………………………………………………………………………… 15

    第1章 視聴覚的表象としての映画 ………………………………………….. 19
    I 映画的空間 ……………………………………………………………….. 21
    II 奥行きの技巧 …………………………………………………………….. 32
    1 遠近法 …………………………………………………………………. 32
    2 被写界深度 ……………………………………………………………. 35
    III ショットの概念 ……………………………………………………………. 41
    IV 聴覚的表象としての映画 ………………………………………………… 48
    1 経済的=技術的要因とその歴史 ……………………………………… 48
    2 美的およびイデオロギー的要因 ……………………………………… 49
    注 ……………………………………………………………………………. 55

    第2章 モンタージュ …………………………………………………………… 61
    I モンタージュの原理 ………………………………………………………. 63
    1 モンタージュの対象 …………………………………………………… 67
    (1) 映画作品の一部分(映画的連辞)でショットよりも
    大きいもの …………………………………………………………. 67
    (2) 映画作品の一部分でショットよりも小さいもの …………………. 68
    (3) 映画作品の一部分でショットへの分割と(完全には)
    一致しないもの …………………………………………………… 69

    II モンタージュの機能 ……………………………………………………… 76
    1 経験的アプローチ ……………………………………………………. 76
    2 より体系的な記述 ……………………………………………………. 78
    (1) 「創造的」モンタージュ ………………………………………….. 79
    (2) 統辞的機能 ………………………………………………………. 80
    (3) 意味的機能 ………………………………………………………. 80
    (4) リズム的機能 …………………………………………………….. 82
    (5) モンタージュの分類法 …………………………………………… 83

    III モンタージュのイデオロギー …………………………………………… 83
    1 アンドレ・バザンと「透明性」の映画 …………………………………. 84
    (1) 「禁じられたモンタージュ」 ………………………………………. 85
    (2) 透明性 ……………………………………………………………. 87
    (3) つながりのためではないモンタージュの拒否 ………………….. 91
    2 セルゲイ・エイゼンシュテインと「映画の弁証法」 …………………. 92
    (1) 断片と衝突 ………………………………………………………. 97
    (2) モンタージュの概念の拡張 …………………………………….. 97
    (3) 観客に対する影響 ………………………………………………. 97
    注 ………………………………………………………………………….. 100

    第3章 映画と物語 …………………………………………………………… 105
    I 物語映画 ………………………………………………………………… 107
    1 映画と物語の出会い ………………………………………………… 107
    2 非物語映画――境界を定めることの難しさ ………………………. 109
    (1) 物語的/非物語的 …………………………………………….. 109
    (2) 境界の基準 …………………………………………………….. 109
    3 物語映画――研究の対象と目的 …………………………………… 111
    (1) 研究の対象 …………………………………………………….. 113
    (2) 研究の目的 …………………………………………………….. 113

    II フィクション映画 ………………………………………………………… 115
    1 あらゆる映画はフィクション映画である ……………………………. 119
    2 指向対象の問題 …………………………………………………….. 119
    3 物語言表、物語叙述、物語世界 …………………………………… 121

    第4章 映画と言語活動 …………………………………………………….. 187
    I 映画言語 ………………………………………………………………… 189
    1 古くからある概念 ……………………………………………………. 190
    2 初期の理論家たち ………………………………………………….. 192
    3 「映画の文法」 ………………………………………………………. 197
    4 映画における言語活動についての古典的理論 …………………… 201
    (1) 伝統的な映画言語 …………………………………………….. 202
    (2) 言語活動の消滅に向けて? …………………………………… 203
    5 記号なき言語活動 ………………………………………………….. 206

    II 映画――言語か言語活動か? ………………………………………… 209
    1 映画的言語活動と言語 …………………………………………….. 210
    (1) 言語の多様性と映画言語の一律性 …………………………… 211
    (2) 言語活動、コミュニケーション、極の入れ換え ……………….. 214
    (3) 映画言語の類同的なレヴェル ………………………………… 215
    (4) 線状性と離散的単位の存在 ………………………………….. 216
    はい、続きをお送りします:

    (5) 映画における分節の問題 ………………………………………. 216
    2 映画の理解可能性 ………………………………………………….. 218
    (1) 知覚的類同性 ………………………………………………….. 219
    (2) 「質料的希釈のコード」 ………………………………………… 221
    (3) 映画特有の記述形式の形象 ………………………………….. 223

    III 映画的言語活動の不均質性 ………………………………………….. 228
    1 表現素材 …………………………………………………………….. 228
    2 記号学におけるコードの概念 ……………………………………… 230
    3 映画に固有なコード ……………………………………………….. 232
    4 映画に非固有なコード …………………………………………….. 235

    IV 映画作品のテクスト分析 ………………………………………………. 237
    1 「言語活動と映画」における「映画作品のテクスト」という概念 …… 238
    2 実例――D・W・グリフィスの『イントレランス』
    におけるテクストのシステム ……………………………………… 240
    3 文学の記号学におけるテクストの概念 ……………………………. 242
    4 テクスト分析の抑制性と理論的射程 ………………………………. 248
    (1) テクスト分析の主要な特徴 ……………………………………. 248
    (2) テクスト分析における具体的な困難 …………………………… 251
    注 ………………………………………………………………………….. 259

    結論 ………………………………………………………………………….. 351
    注 ……………………………………………………………………………. 359

    参考文献(I、II)……………………………………………………………. 363
    用語対照表 …………………………………………………………………. 403
    索引(人名、映画題名、事項)…………………………………………….. 417
    訳者あとがき ……………………………………………………………….. 453

    原書は初版が1983年、改訂が94年らしいので30年くらい前にフランスで出版されたらしい。

    私が学生の頃なので参考で扱ってる映画も古いがまあ仕方ない。

    少し読んでみたが凄く抽象的な部分はあるけど、使えそう。

    映画評論はずいぶん沢山出ているし理論的な更新みたいなものは無いのか?と思うけど無いのかもしれない。

    渡邊大輔が言ってることなんかは新しいと思うけど、入門としては必要ないのか…いやそうでもないような。

    YouTubeはじめ映像メディアは様々広がっているので本当は更新されて良さそうだが。

    学校などでは、どういう本を教科書で使っているのだろうか?

    私が見つけられないだけで、良い本があるのかもしれない。
    フィルムアート社から出ている入門書的なものは実務的だけど理論が薄そう。パラパラめくってみただけなんでわからないが。

    認知科学とかも随分進んでいるので、その辺りを引いたものもありそうなものなのだが。

    その辺を調べ出すと無限に時間がかかりそうなので躊躇してしまうが、多少はやらないとダメそうだ。
    そのあたりは良さげな本のあたりがついてるので。

    私が学生の時は、ほしのあきら「フィルムメイキング」を使ってた。本人が講師だからだが。
    エイゼンシュタインの理論などは、ぱらぱら読んだけど流石に嘘でしょみたいな部分も多くて今素朴には読めない。

    「映画理論講義」はそのへんもざっくり整理してあるみたい。とにかくざっくりでも読まないとなぁ…。

    実務的なものは他にも良さげな本があるので、参考にしようと思う。最近の学生はそういうのを読んでるのかもしれない。

    映画記号論的なものはだいぶ前に死滅してしまったようで、理論書は流行らなくなったのかも。
    私が教わった浅沼圭二で終わってるぽい。

    映画分析的な本は色々ある。
    苦手な蓮實重彦もめくってみるべきなのかもしれないが。

    私のやろうとしてることも、どちらかというと実務寄りだし。

    久しぶりに更新。

  • 1995年【2025年02月17日】

    1995年【2025年02月17日】

    1994の年末辺りからアニメ制作会社で働き始めた記憶があるので丸っと30年くらい経つのだと思う。
    よく続いたものだ。
    記憶が薄れかけているので当時のスタジオについて思い出してみる。

    最初(で最後)に入った会社はスタジオ・ジュニオをという老舗のスタジオだった。老舗だというのは入るまでは知らなかったのだが。
    私の入った班は元ドラゴンボールの制作班を母体にしていて、監督だった岡崎稔さんの管理する班だった。
    社長は香西隆男さんだったので岡崎さんの役職が何だったのか分からないままなのだが、後に別れて今のシナジーSPという会社になり、そこでは社長だった。
    私は演出助手(兼制作)という当時にしては特殊な形態で採用された。
    最初から演出助手で採用している会社は多分なかったのではなかろうか。
    当時私の入った班は合作と呼ばれるアメリカのカートゥーンの下請けと日本のテレビのグロス受けという2本柱で回していたようだ。
    グロス受けとはテレビシリーズの中の1本を個別に下請け制作する仕事。
    合作の演出は一休さんのキャラクターデザイナーだった我妻宏さんが担当していた。
    合作は日本のテレビシリーズであれば原画単価1カット3千数百円だったが、秒単価で5千円くらい出ていたと記憶しているので、比較的に割の良い仕事だったのだろう。
    1カット3千数百円は衝撃的に安いな、と思ったものだ。
    当時は月に40カットくらい描く原画マンはまだ沢山いて、それはそのくらいやらないと食べていけないから引き受けていたのだけれど、40カットやっても20万にも届かない。
    私の給料も初任給たしか12万くらいで安かったが、アニメーターに比べれば遥かに安定していた。
    TBSの初任給が20万位と求人票に書いてあった時代。

    入ったばかりの頃、私は自動車の免許を取得中で、制作の仕事は殆どまともに出来なかった。
    同僚の制作たちも、変わった待遇で基本17時か18時頃に退社でOKな超ホワイトな扱い。
    ホワイトだが、制作の仕事が円滑に回っていたとは言い難そうだった。

    当時のジュニオは3つの建物に分かれていて、それぞれ全く別の仕事をしていたという訳でもないが私の班は独立していた印象。
    岡崎さんがスタジオで気楽に使える演出が欲しくて私を採用したのだろうと思う。

    入ったばかりの頃、岡崎さんの(多分取引先とかを見せるための)ドライブに付き合って、いいとこを見せてやろうとしたのかお台場に移る前のフジテレビに連れて行かれた。元ドラゴンボールの担当Pが突然の訪問に困惑しながら対応していたのが面白かった。

    当時の岡崎班の構成は、ベテランに我妻宏、前田実。中堅は堀内修、佐藤正樹、久保川美明。若手が高田晴仁、槙田一章、安彦英二、他数名で基本アニメーターしかおらず会社の仕事をしている人も少なかった。
    出入りしていたフリーの演出家は大関雅幸氏だけで、私は彼の担当していたレッツ&ゴーの撮出しを手伝ったのが割と最初の仕事だった気がする。
    もちろん撮出しとは何なのかは殆ど教えてもらわなかった…。
    誰も教えてくれないので怒られつつ覚えるという方法でしばらく生き延びる。

    初めての演出と呼べる仕事は、入社して数ヶ月後だったかの公共広告みたいな仕事で、ごみはみんなのたからもの、みたいなタイトルだった気がするけれど右も左もわからないのに絵コンテと演出までやらせてもらった。
    岡崎さんは良くも悪くもいい加減だったので、入社半年後くらいには今のおじゃる丸なんかやっているNHKの帯番組の「はりもぐハーリー」という作品の半パートを絵コンテ演出して、それがテレビアニメデビューなのだが出来はもちろん酷かった。
    とはいえ、オンエアを楽しみに見たところ私の名前は無い。
    1話の前半と後半で話しが違う2本立ての作りだったせいで両方とも私ではない別の演出家の名前をクレジットしてしまったらしい。というわけで、デビュー作に今でも私の名前のクレジットはなくwikiなどにも別の演出家が記載されている。
    暗澹たる船出。
    まあ、私はあまり気にならず、とりあえず作ったものが世に出たことが嬉しかった。

    そのあと、まともに仕事ができる様になったと思えるまで10年くらいかかった。

    とりあえずここまで。

  • 嘔吐・シビルウォー【2025年02月09日】

    嘔吐・シビルウォー【2025年02月09日】

    結局うちの辺りは雪は降らずで助かった。
    しかし風が強いので寒さが沁みる。
    週明けからは少し暖かくなるという予報だが…。

    久しぶりに腰痛が出ているので散歩に行きたい(少し運動しないと治らない)のだが、寒くて外に出る気力が全く湧かない。
    今日は植物を買いに行くという理由をつけて久しぶりに少し歩いた。
    仕事は終わらないし、打ち合わせか買い物でもなければ外に出るきっかけが無いので何か歩く口実を作らないとまずい。

    忙しいと椅子で居眠りしたり、うっかり床で横になったりで腰をやってしまうことは良く有って、気をつけていても、猫に構え構えとせがまれて遊んでるうちにうっかり床で寝落ちて後悔したり。この世の終わりの様な声を出して廊下で鳴かれては集中できない。

    新しい文芸誌GOATに載っていた小川哲の「嘔吐」を読んで爆笑した。
    女性小説家を推してるファンの炎上騒動をネタにしてSNSあるある言説が書かれていて笑うと同時に頭がを抱える。
    ネット上のライトで真面目に読むに足らない批判だが微妙に痛いところを突いてくる感じなどがうまく再現されていて苦笑。
    ラストの切り捨て方は笑えるのだが、現実はああバッサリといかないか。
    筒井康隆の「大いなる助走」が読み返したくなった。

    シビル・ウォーアメリカ最後の日を仕事しながら見た。
    映像はとても良くできている。
    戦闘シーン、残虐シーンは割とストレートに血みどろでネット上に溢れかえる残虐シーンを見慣れている人間にも説得力を感じさせる。
    しかし、肝心なことは何も言ってない言わない感が強すぎて虚無。
    ジャーナリストが主役なのだが、肝心の内戦がどうして行われているのかという事には全く触れないので沢山描かれる死も娯楽的な要請以上のものは無い。
    最後まで重要なことは何も言わないまま見せ切る脚本力は大したものなのだが仏作って魂入れずの典型に見える。
    マウリポリの20日間の方が残虐シーンはあまり無いもののよほど恐ろしい。

    仕事しながら起きていたのでトランプ大統領と石破首相の会見を見ようと思っていたら少し寝落ちしている間に終わっていた。
    石破氏が68でトランプが78。元気だなあ。

    仕事のトラブル諸々は何とかなりそう。
    劇伴ラフが出来た。良い感じである。

  • 雪が降るとか【2025年02月01日】

    雪が降るとか【2025年02月01日】

    2月になった。明日は雪が降るというので地植えのプリムラジュリアンとアネモネの上に不織布をかぶせておいた。
    アネモネは寒さに強いので放っておいても別に平気なのだが綺麗に咲いてるのと花芽も上がっているので雪で潰れないようにするため。
    しかし降らない方が良いなぁ。
    特に外に出るというわけでもないのだけれど、雪かきなどは面倒である。
    むかし大学受験に出てきた時に雪が降っていて、なんで東京なのに雪があるんだよ、と憤った記憶があるが、この時期は最近とくに積もるくらい降ってる年が多い。
    今年は日本海側は大雪で大変そう。
    新潟に住んでいた頃、小学生くらいまでは毎年結構積もっていた気がするが、年々積もる量は減っていたのじゃないだろうか。
    2月に入ったらだんだんあったかくなってしまうので、いちじくを早く植え替えないと。

    今週はトラブルが湧いたり消えたり。
    作品を作っていれば何かしらトラブルはつきものだが、ベテランスタッフの体調トラブルは、もはやこれから避けようがなくなるんだろうな。
    暑さ、寒さは体に障る。

    町屋良平「生きる演技」をゆるゆると読む。
    芥川賞を取った作品が面白かったので。
    文体が脚本のようで読みやすい。
    モチーフが少し苦手だが。

    新しく出た小学館の文芸誌もゆるゆると。

    欲しい本が幾つかあるので買いに行きたいが、出かける余裕があるのか…?

    フジテレビの10時間会見を全部見た人はいるのだろうか。
    倍速でみても5時間。

    YouTubeでイスラエル大使が会見しているのをぼんやり眺めていたがガザをリビルドすると言っていたが、リビルドされたそれは果たしてガザなのか。

    しばらく暇したい。

  • リメイク・流行り・今【2025年01月27日】

    リメイク・流行り・今【2025年01月27日】

    寒さで枯れ込んでしまった赤羽千日紅寄せ植えをバラしてアネモネとグラスで植え替え。
    アネモネは霜が降りる様な寒さにもめげずに咲くので気に入っている。
    ただ花首がぽっきり折れてしまうほど強い風が吹くことがあるので対策できると良いのだが、短めのピックなど売っているのだろうか。
    もう一つ植え替えたい寄せ植えがあるが、花を買いに行く余裕がない。
    いちじくもそろそろ植え替えないと暖かくなってきてしまう。
    近所のめちゃめちゃセンスよく植物を飾ってある家にオリーブだったか(うろおぼえ)大きなシンボルツリーがあって、てっきり地植えだと思っていたのだが、よく見たらドラム缶の中に植え込んであることに気づいた。わざわざドラム缶を調達して植え込んでるわけで感嘆せざるを得ない。
    捨てて置いてある様にみえる錆びたスチールの書類棚などが巧みに配置されていて、ほとんど鉢植えで飾ってあるのだけど景色が作り上がっている。
    上手くやればこんなことが出来るのかと思うものの、色んな意味で相当に凝らなければ難しいことも判る。
    気負っても、植物はいい感じになるまでに時間がかかるし、上手く育てられる様なるには経験が必要。センスよく飾るのは、そのまた先という具合で一足飛びにはいかない。
    まずしばらく、気楽に育てたいものを育ててみる。

    ジークアクスは平行宇宙というかファーストガンダムのifの世界だったいうのは、ちょっと驚いた。
    そもそもテレビシリーズとして作られているものなので映画はごく触りだけだから、どうファーストの物語と関わっていくのかまだわからない。
    ビギニングの部分はあれで初めてみる若者などはどの程度理解できるのだろうか?と思うが絵は流石に綺麗に出来ている。
    本編?は、前提の世界観を共有出来ないと分からないということでもなさそうだが、どんな観客層を想定しているのかは聞いてみたい。
    伝統が重いと新規は入りにくいわけだが、伝統を知る者にとっては考えることが減って楽。
    保守に軸足を置いていると考えるとまさに今風な作品と言えるのかもしれない。

    リメイクは制作側としてやりたい人とやりたくない人とハッキリ分かれる気がする。以前、私は全くやりたくない派だったのだが今はまあそうでもない。
    リメイクはリメイクだけに以前のものを化粧直ししながらなぞることになるので、分かりきっていることに新鮮な気持ちで向き合う必要がある。
    リメイク小説というのは、少ないと思うが映像のリメイクは、もはや伝統的に作られている。
    観客は以前の作品を知らなければ新鮮に見ることが出来るかもしれないが作り手は仕事を引き受けるまで知らなかった作品だとしても前提を踏まえるために詳細に元の作品について知らなければいけない。
    そして観客が新鮮な気持ちで見られる様に工夫を凝らす必要がある。
    そもそも元の作品は、それが作られた時代を背景として成立しているので、リメイクされる時代との齟齬をどう埋めていくのか、とくにアニメは若者に向かって作られていた分、時代の空気をいやがおうにも色濃く反映してしまっているのでリメイクによって脱色されてしまう部分が大きいと酷くつまらない物になる。
    いざ仕事でやれと言われたら難しそうだ。

    若い頃は自分の好きだった作品「のようなもの」を作りたいと思うのは自然だが、実際作る立場になると自分のやりたいことと観客の求めるものとの不一致に悩むことになるのが常だと思う。
    自分はどんどん年老いていく事に無自覚なまま、自分の見たい物を観客に見せても失敗する。
    しかし、自分が相手にする観客について知るということは容易ではないし、相手に合わせることに腐心して自分の興味のない物を作っても仏作って魂入れずということになる。
    魂が入っていなくたって面白いということもありうるかもしれないが。

    原作ものをやっていると特に自分との繋がりをどうつくるか考えざるを得ない。