10年…だって

2023年1月20日、今週の金曜から映画『アイカツ!10th Story 〜未来へのSTAR WAY〜』(タイトル間違っとるかもしれん)が公開になる。
先日、初号試写というやつをやった。
初号ってなんだよ、っという御仁に少し説明するとひと昔前まで映画は合成樹脂の透明なフィルムに映像を焼き付けて後ろから光を当ててスクリーンに映写していたのだ。
テストで焼いたフィルムを0号といって、調整を経てお客さんに見せられる状態で焼かれたフィルムを「初号フィルム」と言っていたのである。
フィルムを焼く、という表現も若い人には甚だ分かりにくいと思うが割愛。
今はDCPというデータで上映されているので、お客さんに見せられる状態のDCPの映像を初めてスクリーンで関係者が見る事を初号試写と呼んでいる。

出来上がった作品は何度か見ているので、さすがに落ち着いて見られたのだが、集まった関係者の懐かしい顔を見ていてグッと込み上げるものがあった。
放映開始から10年経ってるので、立ち上げからアイカツ!のプロジェクトに関わっていた人は殆どいない。
私もアニメの企画が始動を始めてから入ったので、本当の立ち上げから関わってるのは加藤陽一くん位かもしれない。
とはいえ私もほぼ立ち上げメンバーで、アニメの現場で立ち上げに関わっていた人は今アイカツチームには私以外いない。
試写では、そんな立ち上げ当時のメンバーが結構集まってくれた。
作品に直接関わってくれている人ももちろんいるが、もう離れている人ともちらほら来てくれていて、とても嬉しかった。

MONACAの作曲家・帆足くんとは何年ぶりかで会えて思わずハグしてしまった。
アイカツ!的、作詞家・御三家の辻さん只野さん、こだまさんも来てくれていた。
只野さんは、試写の後ずいぶん長い事ロビーに残って話し込んでいて帰りもご一緒してしばらく話し込んだ。
只野さんは20年近く続いているプリキュアにアイカツ!より長く関わっているので、色々話して励みになった。

関係者は、監督にとっては最も先に反応してくれる観客だ。
意外と関係者の反応はビビットなので、見せる前はドキドキする。
試写の後の皆んなの反応を見て少し安心できた。
これで観客・ファンに見せられる、と思えるようにはなったのだが、まだ怖い気もする。
作品は終わって仕舞えば完全に観客のものだ。
観客の心の中に残っているものが全てだ。
アイカツが終わったときは娘を送り出した様な気分になったのを憶えている。
今回の作品は、一旦、観客の手に渡したものをまた返して貰って作った様なものなので非常に緊張している。
ただただ楽しんでくれる事を願うばかりだ。

今回の映画は完全に昔見てくれていた人に振り切って作っている。
当時、アイカツ!がメインターゲットととして想定していたのは7〜9歳の女の子。今、高校卒業したかしないか位の年齢の人たちだが、その世代の人たちに向けて作った。
なので卒業をテーマとして取り上げてある。
10年経つと当時ファンだった子がスタッフとして働いていたり、演者として関わっていたりもする。
私もアイカツ!に関われた事で色々な経験をさせて貰った。
今度の映画はそういう色々への感謝の気持ちも込めたつもりだ。
いや…大仰な内容ではないのだけれど、むしろこんな話で大丈夫なのか?といまだに心配だけれど、オールドファンは楽しんでくれるのではないかと思っている。

なにはともあれ、もうすぐ公開である。
この映画をきっかけに、しばらくの間ファンも関係者もアイカツ!10周年を楽しんでくれたら、こんなに嬉しいことはない。

バスケはよく知らないが…

近所の映画館でスラムダンクがやっていたので見に行った。
田舎の映画館なので余裕で観られるだろうとたかを括ってギリギリに行ったら、ほぼ満席で危うく入れないところだった。
あんなに人が入っているのは滅多に観ないのだが……。
客層も特に原作を読んでいた人ばかりという雰囲気でもなく、老若男女偏りなくいてヒット映画の典型といった風情だ。
私も原作はほとんど知らず、連載のはじまった頃に少し読んでいたのでキャラクターの名前は多少判別がつくくらいの知識しかもっていない。
私なんぞが言うまでもなく面白い映画だったが、作りが変わっていたのでメモ的に記録しておく。

ネタバレ的なことも書くので読みたくない人は気をつけてください。

 

さて、冒頭は……なんせ地味だなと思う。
絵は素晴らしいものの華のある画面というわけではなく、あの二人が1オン1
をしているというだけで、原作知っている人であればエモいのかもしれないが、まずあの二人の関係が直ぐには分からない。
ポンとワンカット入る手洗い場の上に置かれたリストバンドの画が全編通して重要なアイテムになっているのだが、それも大して長く見せるわけでもなくサラッと映している。
直ぐにはわからない、というのはこの映画の特徴で監督の趣味でもあろうと思われ、とても良い効果を発揮している。
ここでリョータの名前は呼ばれるが、この映画の中で人物の名前が説明的に呼ばれることはない。
説明的に呼ばれることはない、というのはとてつもなく重要。
これも直ぐに分からなくても良い、という監督の明確な態度を示している。
普通、娯楽映画のシナリオであれば新しい登場人物が出てきたら、その瞬間か程なく名前を誰かに呼ばせてやる。
が、この映画ではそれを敢えてしていない。
それはスラムダンクだから原作がよく知られているから、それで良いという判断もあったかと思うが、説明的に名前を呼ぶことに対する拒否がハッキリと観て取れる気がする。
そして、映画が始まってしばらく音楽が鳴らない!
冒頭のムービングロゴの所にはギターが鳴ってるだけ…。
音楽と効果音、音の使い方は、この映画に特異な印象を付けている。
多分初めて劇伴が鳴るのは試合が始まってから(しかも大して盛り上げない)で冒頭のそれなりに長いドラマ部分は効果音だけで作られている。
これは効果さん的には相当に腕が問われるので、なかなかプレッシャーだと思うがよく出来ている。
効果音は全体に非常にいい仕事をしていた。
笠松広司さんの名前がクレジットされているので、よい音響の映画館で見ると随分印象が変わるかもしれない。
監督のインタビューをザッと読んだら音楽の付け方はお任せしたというような事を言っていたので笠松さんが音楽ラインを基本決めたのではないかと思われる。
正確に記憶していないが音楽が使われているのは殆ど試合のシーンだったのではないか。
普通、平場の長いシーンなどでは情感の音楽を付けたくなるものだが、あえてやらないという判断だったのだと思う。
ドラマ部分では音楽で情感、エモーションを盛り上げる様な事は絶対やらないという抑制の効いた態度は娯楽映画としては非常に勇気のいるものだと思うし、実際に来ている客層からすると見続けるのが辛くなるギリギリのところかなと感じた。

試合の間に回想が入る形で進んでいくというのも、話が分かりづらくなりがちなので娯楽としては非常に難しいが上手く見せられていたと思う。
リョータの縦軸の物語が原作を知らなくても他のキャラ含めキャラクターを魅力的に見られる様にしている。
初見の人でもキャラクターをある程度理解できるように回想を作っているのが面白いバランス。
ドラマは非常に抑制されていて玄人好みの日本映画といった風情だが娯楽的にもしっかり目配せされている。
それは前半はあっさりと終わっていく試合シーンの後半の見せ方で花開いていく。

後半の試合のシーンは、えげつない位に娯楽的な盛り上げを絵も音楽も達成していてラスト近辺の音楽の使い方はとにかくあざといし、ラストのシュートが決まった後の無音の長さも普通の人なら勇気がいる様な演出だが非常に効果的だったと思う。ドラマ部分の抑制が試合部分のあざとすぎる位のあざとさを際立たせていた。

ドラマ部分は本当に最後まで抑制が効いていて、人が何か成し遂げるには時間がかかるのだということを試合部分にも重なる様に描いていて非常に良かった。
エンドクレジットの後の画は監督の中に染みついた娯楽精神の表れで稀有なバランス感覚の持ち主だと思う。私が偉そうに言うまでもないが………。
見習いたいものです。

残された人間がどう生きるかというモチーフは「すずめの戸締まり」と同じなのだが見せ方が真逆で新海誠は非常に情動に訴えかける様な見せ方をしているのが好対象。たまたまだろうけど同じ様な時期に同じ様なモチーフが重なるのは何かを象徴している気もして面白い。

もう少し書けるけど疲れたのでこの辺で。
とにかく非常に面白かった。
こういうの書くときは自分のことは棚上げ……。

明けまして

クリスマスにやった先生は、話し出したらすぐ時間に収まり切らないのが分かってしまったので少し焦って分かりにくくなってしまったかもしれない。
反省。
声優の卵や、半分業界に足を踏み入れている子たちに向けて演出の仕事を説明しよう、ということだったのだが短くまとめるのは難しい。
リアリティについてなど結構むずかしいけど重要なことに踏み込んだのだが噛み砕ききれなかったかも。

年の瀬は色々やらなきゃいけないこと、やりたいことがあったけど疲れが出てしまったのか、あまり手がつけられずに終わった。
ぼやぼやしていると忙しくなりそうなので、事務的なことなどは早く片付けないと…。
本は数冊読めた。
今年は少しづつでも積読を崩したいものだ。

街は賑わいを取り戻した感がある。
元日から開けている店も多かったのは数年の売り上げを取り戻そうということなのだろうか。
明治神宮に初詣に行くと、人手はコロナ前に戻っている感があった。
お守りやおみくじなど売る場所は拝殿から少し離れた場所に設置されていて、まだコロナへの配慮がされていたが、境内の出店もあってほぼ通常営業になっていた様に思う。
おみくじ売り場で酒を片手にしたミュージシャン風のお兄さん達が「これ大吉とかないの?」と巫女さん姿の売り子に問うていたが、明治神宮のおみくじは和歌が書かれていて一年の指針にして下さいよ、というものなので占い風味は少ないのである。
大晦日から働いて帰りに寄ったという風情の人や、戯れている若い男女もいて賑わっていた。
表参道にも出店がずらりと並び、朝にはさすがに人手は少なかったものの昼くらいにはギッシリと人がいて繁盛している様だった。
元日から開けている飲食店は、ほとんど行列ができたいた。
千疋屋は、朝、店の前に大晦日に人が立ち入らない様にしたと思われる「立ち入り禁止」と書いた黄色いテープがべったり貼られていたが昼前には入り口前だけ剥がされて営業していた。
ほとんどの人は店には入れないので出店で何か買って沿道で食べていた。

今年は色々風向きが変わるのだろうが、私はどうだろうか。
先のことは何も決まっていない。
先のことは決まっていない、で四半世紀くらい生きてきたので怖いということも無いのだが、歳の近い人がポツリポツリと死んでいくのを見て私の残り時間はどんなもんかな、とはよく考える様になった。
とはいえ人生の残り時間など、おみくじを引いてみても分からないのだし考え過ぎても意味はない。
会いたい人に会う、とか小さな願いは忘れない様にしておけば実現できるだろう。
大きな願望は、もうあまり無いし実現の見込みも薄いので、あまり捉われるつもりははない。が、まったく無いわけでも無い。
なるべく出来ることを楽しく。