「体はゆく」「言語の本質」【2024年07月31日】

暑すぎる。
日傘を差す男性も最近はだいぶ増えた。ただ歩いてるだけでも頭が痛くなってくる気候では必須アイテムになりそう。特に中年以降には。熱中症になるより傘を持ち歩く面倒くささの方がマシだと思う。

最近読んだ本。伊藤亜紗「体はゆく」、秋田喜美・今井むつみ「言語の本質」

「体がゆくは」どのように人間の体が出来るようになるかをテーマにテクノロジー系の研究者を取り上げて対談形式で研究を語っている。
ピアノ練習を補助する装置として指に機械を装着して教師や自分のベストな演奏を指先に再現する技術というのが出てきて自分の体にベストな動きを再現することで体で理解することができる、という話が面白かった。
けん玉などもバーチャルで練習すると意外に皆出来るようになるとか。

絵でも上手い人が絵を描く動きを体に再現させることで上達するかもしれない。
絵を描くという行為もかなり身体的なので体で覚えるというのは必要、とにかく描けというやつである。
しかし盲滅法に体を動かしても当たる確率は低めなので体を動かす装置があったら大分効率は良さそうである。
スポーツ選手がビデオで自分がベストの時の映像を見るというのもその類のようで、上手い人が絵を描くのを後ろか見ると同じような効果があるのかもしれない。

体が頭というか意識に上らないところで動いていて、それを使って意識や体に変容をもたらすことが出来るというのは面白い。
頭と体の関係は一筋縄ではない…というか頭も体の一部なので分けて考えるということで見失ってるものがあるのかもしれない。

「言語の本質」もなかなか面白かった。
オノマトペというのは言語の原初的な形で、そこから言語がどのように作られていったのか、という仮説を組み立てている。
前半はオノマトペが言語の中でどういう立ち位置なのかという検証(実験などを紹介しつつ)なのでちょっとまどろっこしくて飽きてしまうかもしれないが、ざっくりとばして後半の面白いところだけ読むのでもいいかもしれない。
オノマトペがアイコン性の高い言葉(ビジュアル的なアイコンと似たような)で音の具象をもしたところから始まっている、なので幼児と会話する時にオノマトペが用いられることが多い、ということだけ押さえれば後半は問題なく読めると思う。
記号接地の問題について論じたかったというようなことを著者の一人である今井むつみが話していたので読んだのだが、オノマトペは記号接地のキーワードということらしい。
なるほど、ではある。
あ、記号接地の話に興味がある場合は前半も面白いかもしれない。

先週末は、ものすごく久しぶりに大橋彩香のライブに行った。
もうすっかり貫禄のついたステージで、年月を感じる。
日本のポップカルチャー最前線はマンガ・アニメ文化の周辺にあると思わされた。

少し仕事の待ち時間があったので噂の「ルックバック」も昨日見られた。
なるほど、丁寧に作っている。
短いのでちょっとした隙間に見られるし、この形態が成功したらアニメ興行の新しいスタイルになるかもしれない。

話の筋は概ね原作通りなのだろうか。原作は未見。
監督が思い入れて作っているのは、この話の主人公に自分を重ねているからなんだろう。
思い入れて作っていなければ自分でほとんどの原画を書いたりはできない。
私も主人公の気分は分かりすぎるほどによく分かる。
が、感動したかと言われると、ピンと来なかった。
周りでは若者が啜り泣いていて、帰りのエレベーターでも感動を口にして語らっていた。
私はというと淡々と見られてしまった…それは何故なのか考えてみると面白そうだと思う。

ちょいネタバレあり。

劇中でのテーマそのものだが、素描力があるということと伝わる絵が描けるというのはニアイコールで同じではない。
これは、そのまま当の映画に批評的に向けられてしまう視線でもありうる。

年齢によっても感じ方は違うかもしれない。
私などはそりゃそうだろう、と思うラストなのだが、若者なら強いカタルシスを得られるかもしれない。

短尺の漫画道みたいな話なので、短尺ゆえの話の作りの難しさもありそうだ。

主人公と観客の距離感の取り方は少し遠めに作ってあるのではないか、といのは私の印象で、それは感動ポルノみたいな印象を上手く避けている一方、主人公を分かりにくくさせているのかもしれない。
スラムダンク前半のクールさを彷彿とさせる。

大学での凶行イメージはドラマ的には不要だったように思うが、原作ものでもあるし主人公の漫画とも絡むネタではあるからカットは難しいにしても、もっと淡白にした方が分かりやすかったかもしれない。

クリエーターあるあるみたいな作りの主人公の話なのと、ビジュアルの力が非常にあって、色々考えてみたくなる作品であった。

しばらくぶりの連絡【2024年07月21日】

しばらく会っていなかった人たちから連絡をもらい、ご飯を食べたりということが最近つづく。
たまたまなのだろうが不思議なものだ。

別に一緒に仕事をということでなくても、お互い元気にやっているのが確認できると安堵する。
歳の近い人は会わずに後悔することもあるやもしれんと思うと、少し無理してでも出かけようという気になる。
わざわざ私なんかに連絡をくれる人というのも少ないし。

仕事を一緒にしていないと会う機会は、なかなか無い。連絡する機会が減るから。
よほど仲が良くても歳を食うほどに会う機会は減っていく。
家の事情、仕事の事情、体力など様々な理由で会えないことはよくある。

会えば時間はあっという間に巻き戻る。が、ずっと止まったままとも言える。
その間に何があったのか分かり得なかったり聞くのも憚られることもあるけれど、それはそれでいいような気がする。
何かあればまた会えばいい。


少し仕事が落ち着いた。
休み休みでないとなかなか前に進めない、歳には逆らえない。

とはいえ、のんびりと休むという暇があるわけでもなく。

友人の笑った顔に少し元気をもらったので頑張りましょう。

今週読んだ本とか【2024年7月14日】

自分ごとでも嫌なことでも無いのだが、とある事があって今週はずっと憂鬱な気分だった。
しばらくは引きずってしまいそう。

久しぶりにアニメ関係の本を買った。
「TOROYCAアニメ撮影テクニック」「井上俊之の作画遊蕩」「アニメーション動きのガイドブック」

TOROYCAの本は最近のアニメ撮影の雰囲気を知るのに良い。
メインの著者TOROYCAの取締役でもある加藤くんは私の初監督作の撮影監督でもあり、今や数々の作品の撮影を担当している。もう一人、一番担当記事が多い津田くんは最近の新海誠作品の撮影監督でもある。

基本的にかなり作り込むタイプの撮影。
もう少しぱっと見は分からないような処理を重ねるタイプの撮影もいる。

売れ筋の作品は撮影で作りこんでいるものが多い印象なので主流と言えるんじゃなかろうか。

本には細かなプラグインなども記載してあるので本業の人が見ても参考になりそう。
私はよく分からないので雰囲気だけ味わった。

井上さんの本は、遊蕩というには極めて真面目にアニメのレイアウトについて語っているのだけど、井上さんの語り口が熱っぽくてとても良い。
井上さんのようなベテランが今だに熱量高く仕事に対峙しているというのは胸が熱くなる。

本の中で提唱されているレイアウトキーポーズ制度。
昔のレイアウトはシートにはラフなタイミングしかないかタイミングは書かれておらず、原画のように細かな演技は描かれておらず背景の発注に必要なキーになるポーズだけ描かれているだけだった。
現在はラフ原画がレイアウトの時に描かれるのは当たり前になっていて、しかしそれらを作画監督が修正するのは難しいし不可能なのでキーポーズだけにしてレイアウトを描き、作画監督が修正したものを原画マンに戻した方が効率的、大雑把にいうとこんな事だ。

昔は、その通りのシステムだったのだが、幾つかの理由からこのやり方は現在は使われていない。
一つ大きな問題は音響スケジュールとの関係性。
全て絵が完成してからアフレコ以降の音響作業が行われるようなスケジュールなら、上記のレイアウトキーポーズシステムは十全に機能する。
しかし、絵のスケジュールの遅れから絵が完成しないまま音響作業に突入せざるを得ない現場は昔から沢山あった。
特にテレビアニメーションであれば放送日に間に合わせるために絵と並行で音響作業を進めなくては行けないという事がよく起こった。
これが90年代後半に深夜アニメが増え始めてから、スタッフが足りなくなっていきスケジュールは劇的に悪くなっていく。
せめて、原画作業まで終わっていれば音響作業は何とかならなくも無いのだが、それも出来なくなっていき、レイアウト撮と言われる状態で編集から音響作業をしなければならなくなっていく。
そこで問題になるのがキーポーズしかないレイアウトで、キーポーズは原画ではないから大雑把な動きしかわからない。さらにタイムシートも付いていなかったりする。
初めは原画にならなかった残りのレイアウトのキーポーズは原画マンに戻してラフ原画(!)にしてもらったり演出や作画監督が絵を足して編集に対応する事で、ギリギリ何とかなっていた。
しかし、それも量が多くなると対応しきれなくなり、であれば最初からラフ原画を描いてもらった方が良いじゃないか、というような流れで急速にレイアウト・ラフ原制度に変わっていった。

その他にキーポーズだけに作画監督が修正を入れるケースでは、まともな原画マンであれば良いのだが作画監督の修正があるところだけしか形が描けない、あるいは第2原画に出されて、やはり修正のあるところしか拾えない、あるいは修正のあるところすら拾えないみたいな事態も起こるようになっていったのも一つの要因という気がする。
他にも理由はあると思うが、大まかにはこんなところか。

みんな現行の体制に慣れきってしまっているので、修正は難しい問題が横たわっていると思うが効率良い制作体制は考えないと辛いばかりというのはそうだろう。


アニメーションの動きのガイドブック、は動画協会でやっているアニメーションブートキャンプというワークショップの内容をまとめたものだ。まだちゃんと読んでないが…。
単純な作画の技法書というよりは、劇団なんかがやっている役者へのワークショップに近いものがある、と思うし実際参考にしているようだ。
作画以前の演技とか人に伝えるとは?みたいなことを扱っていて文章多めで技法書っぽくないのであるが、これは意外と面白い。
スタジオで新人に何か教えるような事がある人は読んでおくと参考になると思う。
作画だけでなく色んな職種の人が読むといい。

デジタル環境が整えば商業アニメも、もう少し表現の幅が広がると思うのだが、そこまでいくにはまだだいぶ時間がかかりそうだ。
遊びで試行錯誤する時間があるといいのだけど…。

暑さが身に染みる【2024年07月07日】

急激な暑さが襲ってきた今日この頃。
少し外に出ただけで、くらくらと眩暈がしてくる。
植物も日にあたりすぎると弱ってしまうものは日陰で過ごさせたりしなければならない。
もう日本は亜熱帯のようだ。

滑り込みでオッペンハイマーを見た。
都内の劇場だともう終わりかけだが新宿東宝のIMAXでやっていたので仕事帰りに見に行った。
仕事帰りに3時間の映画は、ちとしんどいな…と思っていたが意外と集中して見られた。

音響のイメージがかなり重要な作品だったのでIMAXで見られたことはラッキーだった。
原爆作成の過程から完成辺りは、微妙な気分になるのだが、人間の奇妙さのようなものをオッペンハイマーを通して良く描いている。
単なるドキュメンタリー的ではない手法で人間の内面と表層を表現していて面白かった。
史実的なところはダイジェスト的な作りになっているので、本などを読まないと良くわからないことも多々ある。
反戦映画という訳でもなく、かなり変わった趣向の映画だと思った。

最近、臨床心理の本を読んでいるせいか子供の頃のことをポロポロ思い出したり考えたりするのだが、それとも重なるような映画だ。

映画を見た以外は仕事ばかりで書けるようなこともない。

一つあった、アイカツ!のスタッフだった人と今やっている現場で顔を合わせた。
元気にやっているのがわかるのは嬉しい。

もうしばらく仕事漬けなのは致し方ない。

園芸勉強中【2024年07月01日】

WordPressを使っているのだけれどブログにもAIアシスタントが付いている。
スペルチェックとか要約とかやってくれるということかな?

7月だ。
梅雨に入ってから、あまり梅雨らしくないような気がする。

藤井聡太がついに8冠の一角を伊藤匠に明け渡した。
羽生も7冠を保持していたのはそう長い期間ではなかったが、藤井聡太は
一度くらいは全部防衛するかと思っていた。
タイトル戦で敗れたのはこれが初めてなのだから、凄いことなのだが。

家で本を読む時間がないので携帯で読書。
また東畑開人の「なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない」
途中だけど今井むつみ・秋田喜美「言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか」

「なんでも見つかる…」はカウンセリングとはどんなものなのかが事例風の物語を使ってわかりやすく解説されている。途中の女性事例のオチはよく出来すぎていて、おお…と感動した。
事例といっても守秘義務があるわけだし、かなり創作な筈だがよく出来ている。

先週は細々と予定が詰まって忙しかった。
なかなかまとまった時間がとれず、仕事の進みは芳しくない。
最近は園芸YouTubeばかり見ているので人のうちの庭が気になる。
狭い玄関先でも偉い凝ったことをやっている人がいたり庭先に植わっているの樹木や花が気になったり。
多少分かるようになると面白いものだ。
ちょっとした移動の時の楽しみになっている。
玄関先の雑草取りさえ楽しい。

自分でも鉢で何か育ててみたいが…。