月: 2024年3月

  • 散髪【2024年03月28日】

    散髪【2024年03月28日】

    髪を切りすっきり。ひさしぶり。

    美容師のお兄さんにビールを献上。大変喜んでくれた。

    最近はお酒が飲めず大量に余っている。

    体調は上向いてはいるものの、まだしばらくお酒は控えるつもり。

    3月も後半で少しづつ暖かくなってきているのでありがたい。

    寒い時期は何かしら体調が崩れがちなのは歳のせいで致し方ないのだろう。

    シラスで山﨑孝明という心理療法士(どうも定義が難しいらしい)の精神分析についての講義をみる。面白かった。

    エヴァは精神分析の用語が沢山引用されているようだが山﨑氏はエヴァをきっかけに精神分析にはまったらしい。

    フロイトは興味ありつつ手が出ずにいたのだが、藤山直樹の集中講義・精神分析は買ってあったので、ざっとでも読んでみよう。

    山﨑氏の精神分析は文学という言葉が刺さった。

    以前は精神科の診療はカウンセリングも一体なのだと勘違いしていたが山﨑氏の「精神分析の歩き方」で随分違うことを知る。精神科の医療は基本的に物理。

    カウンセリングも精神分析も現状は医療行為ではなく保険が効かないので高い。

    そもそも精神分析を医療行為ではないと考える精神分析家(日本に数人しかいない)もいるようだ。

    カウンセリング、精神分析的心理療法は精神分析を実際の臨床治療に応用するというものだが、その内実の腑分けは難しいので山﨑氏の本など読まないとわからない。

    心理療法をやっている人たちにも良し悪氏があるようなのだが、使う側にとってはかなり見えずらい世界。

    医療としての精神分析はともかく、物語の中のキャラクターを考える上で精神分析は非常に有用そうだ。

    ハリウッドの脚本だと当たり前のように精神分析の考え方が使われているとも聞くが実際はどうなのだろう。

    オッペンハイマーは見に行こうかと思っている。

    ノーランの映画は長くてラストの方でいつもトイレに行きたくなるのだが、頑張ろう……。

    今回も3時間あるとか。

    今日は会議だ。

  • 読書日記「文学のエコロジー」【2024年03月27日】

    読書日記「文学のエコロジー」【2024年03月27日】

    山本貴光さんの「文学のエコロジー」読了。

    文学の中に書かれていることをコンピューターのシュミレーションの要素として読み直す、というのが主な企み。

    言われてみれば、仕事では原作や脚本などをシュミレーションし直す様な読み方はしているのだがシュミレーションという言葉で考えたことはなかった。

    前半は事物、時間など物質的なことを取り出して解析。

    後半は紙幅を割いて、心に関する描写についての考察。前半に比べると抽象的なテーマだが、それがAIへと接続されて現代の問題として語られていて大変面白かった。

    最終章の文学のイメージは読者との共同作業の中に現れるという事についての考察は、全くその通りだと思う。

    文学以外でも物語を扱った何かに敷衍できる内容で大変面白かった。

    山本さんは同い年だけれど博覧強記の人で、同じ人間とは思えない。

    なかなか本を読む時間がとれないけれど読みたいものが溜まっている。

  • 楽しそうなAI【2024年03月24日】

    楽しそうなAI【2024年03月24日】

    AI面白そう、などと言っているとSNSでは吊し上げに合いそうだが、やはり面白そうである。

    画像、動画の分野だとまだやれることは大分限られている印象だけど、実験的にAIを使った映像を見ていると現状でも工夫すればかなり面白そうなことが出来そうだと思う。

    かなりワクワクする。

    数年後にはAI抜きの制作は考えられなくなるんじゃないかと言う印象がある。

    このまま色々AIが進歩したところで何でもかんでも出来る様にはならないので、基本は人間との共同作業だろう。

    使い方次第で色々なことができる様になりそうだ。

    AIを使った映像を見ていると、今まで以上に映像のアニメーション化が進む様に思う。

    現状、動画生成系のAIに求められているのはフォトリアルな映像を作れる様になるということの様だ。

    この方向で進化したとしてもアニメーション化していく。

    アニメーションとは何かと言う定義はどんどん拡張していて、CG映像をアニメーションとした時からフォトリアルな映像は、とうの昔からアニメーションのカテゴリーの中に内包されてしまっている。

    ライブアクションとアニメーションの違いは、現実の『時間』を映しているか、そうではないか位の大雑把なカテゴライズになってしまった。

    現状のAIの映像を見ていると人の手が入っているのは明らかで、それは非常にアニメーション的だ。

    特にCGを使った映像に似ているものが多い。

    そう遠くない未来に現実と見まごう映像が可能になることは間違いない、というかCGにだって現在それが可能だしフェイクのようなAIを使った映像も既にある。

    ライブアクションとそれら映像の違いが見分けることが、やり方によっては非常に難しくなる。

    しかし、概ねの作り手が求めるのは、そう言うものではなく、フォトリアルであってもアニメーション的なものになると思う。

    そうなって手描きのアニメーションは何をやるのかな?ということについて考えるのは面白そうだ。

    AIを使えば手描きの様な手描きではないアニメーションも可能になるので、人間の役割も作品によっては大きく変わっていくだろう。

    アニメーションを作るのには何と言ってもとてつもない時間がかかっていたのがもっとお手軽な表現として作れる様になるかもしれない。

    結局アイデアが一番重要ということになる。

  • 10th再上映【2024年03月22日】

    10th再上映【2024年03月22日】

    昨日でアイカツ!10thSTORYの再上映も終わり観てくれた方には深く感謝。

    ゆるゆるとアイカツ!界隈は何か続いていきそうなので、のんびり待っていただきたい。

    わざわざ、コンタクトフォームからファンレターをくれたお嬢さん(JKと書いてあったのでお嬢さんであろう)、ありがとう。

    10年もたった作品に対して愛情を示して貰えるのは制作者冥利に尽きるというものだ。

    あの映画については前に色々書いてしまったので、もうとくに言うこともない。

    繋がった映画の形態で見られるのは映画館か配信なので、たまに映画館でやってくれると良いのだが。

    つい先日、ジャネット・ジャクソンとTLCが共演するという神ライブをやっていたが、知り合いのオールドファンたちは大満足だったようだ。

    若い頃に見たもの聞いたものは、やはり強烈に体の中に残っていて、いつまで経っても力を与えてくれる。

    不思議だなとも思うけど、創作の仕事に関わってるような人も子供の頃や若い頃に得た初期衝動の勢いだけで歳をとっても動いてることは多いと思う。

    アイカツ!も初期衝動についての物語だ。

    アイカツ!に限らず沢山の作品で繰り返されている永遠不変のテーマだと思う。

    私もいまだに子供の頃の初期衝動だけが力の源泉だけれど、職業選択は半分偶然で続けられているのも半分偶然だし、他の選択をしていたとしても何らか若い頃の経験が初期衝動として機能していたんだろう。

    良くも悪くも若い頃のかけられた呪文は強力で、そこから逃れるのは容易ではない。

    解いてしまった方が良い呪文も沢山あって、それにはプリンセスのキスのような強烈な体験が必要だとは思う。

    そうでなければ解けないか、解くまでにえらく時間がかかることはあると思う。

    老いると、いろんな魔法がその効力を失っていく。

    そうして気づくことも沢山あって、それは楽しいことだ。

    自分には出来ないと思っていたことが出来るようになってしまったりすることもある。

    解けてしまわないでほしい魔法は、自分で望まなければそうそう解けないものだ。

    魔法、呪文は良い面も悪い面も持っていることが常だろう。

    ある時期までは自分を守ってくれていたものが、気づいたら唯の重荷になっているということもある。

    芸術(高尚な意味ではなく広い意味での)作品もそれが見た人に何らかの力を与えているうちは良いが、何かの足枷や頸木になってしまうことはある。

    だから私は、ひとしきり楽しんだら忘れてしまった方が良いと思う。

    必要になったら体の中に刻まれた何かが思い出させてくれるんじゃなかろうか。

    体の中で昇華されて残っているものが重要だ。

    時を経て作品を見返すと新たな発見をすることが多い。

    しかしかつてのような魔法は立ち現れず色褪せて見えることがほとんどだ。

    それでもかつて魔法の呪文をかけてくれた作品は何か輝きを残している。かつては見えなかった魅力が立ち現れてくることも尋常にある。

    I can cast a spell of secrets you can tell

    というI’m Every Womanの歌詞のようでありたいと一人の演出家としては思う。

  • また寒くなったし【2024年03月19日】

    また寒くなったし【2024年03月19日】

    いのまたむつみさんの名前を覚えたのはプラレス三四郎だろうか。

    丸くて柔らかくて動かしても映えるデザインだった。

    金田伊功的ラインと少女漫画的ディティールの共存。

    動かしやすい、というのは最近のデザインでは最優先事項に上がることはあまりなくなったが当時はまだ当たり前の様に動かしやすさは意識されていたと思うし、立体優先ではないデザインの黄金時代の仕事の様に思う。

    特に意識せずとも80年代アニメ界隈が好きなら、いのまたさんの絵は山ほど見ただろう。

    三四郎、レダ、ウィンダリア、宇宙皇子の挿絵、あたりが私の中で印象に残っている仕事。

    GBボンバーも持っていたと思うな。

    今も、その影響はそこら中に残っているだろう。

    80年代活躍していた頃はまだ20代だったわけだが、当時は20代で活躍しているクリエーターは沢山いた。

    その中でも時代を象徴する絵描きの一人だったろう。

    私が子供心に憧れたクリエーターたちは、お兄さん、お姉さんといっても差し支えのない年頃だったわけで、日本の勢いのある時代の象徴だったも言える。

    そんなアイドルたちが少しづつ天に召されていくのは寂しいが、仕事は永遠にこの世に残る。

  • 学生作品【2024年03月17日】

    学生作品【2024年03月17日】

    月曜、TAAFのイベントの一つYOUNG POWER 2024という学生作品の上映イベントに呼ばれた。

    作品上映後に講評をしてくれということで私とニンケ・ドゥーツさんというオランダの作家が登壇した。

    学生の作品は美術大学の学生の作品なので、私よりはニンケさんのコメントが学生たちには有用だっただろう。

    司会は野村 辰寿さんという90年代「ストレイシープ」など作っていた多摩美の先生。というのは名刺を見て後で調べて知ったのだが。

    基本的に卒業制作で作られた作品らしい。

    まず、アニメの場合一人で作品を完成させるのがとても大変なので、完成しているというだけで素晴らしい。私も卒制でアニメを作ったが大変だった…。

    概ねデジタルツールを使って作られていたが、撮影以外はデジタルを使わない伝統的なストップモーションアニメもあった。

    中にはびっくりする様な出来の作品もあって、多摩美の高山さんと東京造形の伊藤さんが作った作品は飛び抜けていた。

    とはいえ、続けていれば皆上手くなるだろう。

    アニメは作り続けるのが大変だ。学生でなくなった瞬間、自分の食い扶持を稼がなくては行けなくなるがアニメを食い扶持にできる人は限られるだろう。

    私の様に商業アニメを生業にするとインディペンデントで作りたい人は時間を作るのが難しいだろう。

    どういう形であれ、作り続けられると良いのだが。

    水曜は某会議。

    どうも私のセンスは他の人とズレている。

    まずまずの落とし所に落ち着いたとは思う。

    木曜も会議。

    こちらは細々と詰めて時間がかったが進行としては順調であろう。

    金曜は某作品の打ち上げ。

    自分の作品の打ち上げをやるのは一体何年ぶりだろうか。

    ピカちんキットの打ち上げはコロナで出来なかったので。

    その前に出た打ち上げが何だったのか記憶がない。

    思ったより随分多くの人が来てくれていた。

    中には10年以上前に関わった作品のスタッフが当時いた企業とは違う企業の社員としてきていて、声をかけられてびっくり。

    見た目があまり変わらなかったので思い出せた。

    色んな人に声をかけてもらったが、残りの人生で自分ができることは何だろうと、また考え込んでしまった。

  • Dr.スランプ【2024年03月09日】

    Dr.スランプ【2024年03月09日】

    昨日は久しぶりに会う面子で酒を飲んでしまったのもあり体調振るわず遅く起きてSNSを覗くと鳥山明の訃報に触れてなんだか長い時間呆けてしまった。

    私は特に鳥山明のファンという訳ではない、けれど子供の頃に強く影響を受けたのは間違いない。

    小学生の頃、鳥山明の絵を良く模写してた様な世代。

    漫画やアニメ界隈の仕事をしていて80年代に子供時代を過ごしていて鳥山明の影響を全く受けていない人は存在しないと思う。

    私が好きなのはDr.スランプでドラゴンボールの前半あたりまではリアルタイムに読んでいた気がするけど、その辺りで終わっている。

    当時の漫画としては圧倒的に絵が垢抜けていて、日本人ぽくない絵柄が新しかったと思う。

    江口寿史の「ストップひばりくん」と「Dr.スランプ」が似た様な時期に出てきてオシャレな絵柄で子供向け漫画を描いて見せてくれた。

    鳥山明と江口寿史は私の中では似たキャリアを歩んでいるような印象で漫画家とイラストレーターの中間の様な仕事をしてきた人。

    今でこそイラストの様な絵柄で漫画を描く人は沢山いると思うが、80年代あたりはまだまだそんな作品は少なかった。

    大友克洋など、圧倒的画力の人は鳥山明以前もいただろうけどポップなイメージを併せ持っていた人は稀有だと思う。

    鳥山明の描くメカはすごく好きだ。メカに限らず立体感がある絵は、その後の漫画、アニメの絵作りの方向性に良くも悪くも大きな影響を与えている。

    しかし鳥山明に限らず、80年代はリアリティをフィクションにどう取り込んでいくかというのはいろんな場所で模索されていた様な気がする。

    CGの無い時代に絵の中で立体が立ち上がるというのは、それだけである種の快楽をもたらした。

    今はリアリティが陳腐化してしまったが。

    私がアニメ業界で初めて入った会社はドラゴンボールのメインスタッフがいる会社だった。

    監督の岡崎稔、キャラクターデザイナーの前田実など。

    前田さんが居酒屋でボトルキープの札にサラサラと悟空を描きながら上手いだろと笑ったことなど思い出した。

    子供時代に影響を受けたクリエーターが亡くなるのは寂しいが、同じ時代を過ごした幸運を噛み締めたい。

  • まだまだ寒い【2024年03月06日】

    まだまだ寒い【2024年03月06日】

    医者と話していて、ここしばらく続いている体調不良の原因の一つが判明。

    少し気持ちが落ち着く。

    原因が一つというわけでもなく、分かったから急に快方するという訳でもないが心の波立ちが少しでも軽減するのはありがたい。

    人間の体は複雑で医者が全知全能なわけでもないし、体調の因果関係の全容なんて分からないものだが、多少なりとも因果がわかると先が見える気がして安心するのは不思議。現代医学もそれなりに偉大だと思う。

    歳を取るごとに体の不調の頻度は増えるが、まあもう少し何とか生きられると良いなあ。

    近所の駅に誰でも弾けるピアノが設置してあって買い物やら行くと演奏しているのを見かけるのだが、わりと引っ切りなしに誰か演奏している。

    そんなに沢山世の中にはピアノを弾ける人がいるのか、と感嘆を覚える。

    裾野が広い文化は、質が高い。

    音楽はその筆頭なのかもしれない。

    漫画も随分裾野が広くなったと思うが、音楽のように国の垣根を越えられるようなものになるだろうか。

    アニメもパソコンを使う人が増えてから随分と裾野は広がったと思うが、作るのにえらく手間がかかるので作り手はなかなか増えないのだろう。

    しかし意外に世界中に作り手はいる。

    プロ・アマ関係なく愛好家が沢山いれば質も自然と上がる、はず。

    質なんておいといても、量はイコール隆盛を表す。

    AIを使ったりして、もっと気楽にアニメーションが作れるようになると良い。

  • 祈り【2024年03月04日】

    祈り【2024年03月04日】

    神に祈りたい、と誰にもたまには考える時があると思う。

    今はそんな気分。

    なんでこんなことになったのか、などという因果に思いを馳せても詮なき事だが数ヶ月の差がうらめしい。

    時の流れに身を任せ、寄り添う腕のあなたとは一体誰なのか分からぬまま、やはり身を任せるしかないのかもしれない。

    先週はワシントンから来日していたDJのプレイが最高だったのが救いだった。

    しかし、しばらくはなるべく大人しくしていることに決めた。

    ほんとに何故こうなった。

    何故か今年もTAAFに呼んでもらって11日に学生作品の講評をすることになった。

    前回は吉浦さんだったらしい、納得。

    果たして私は適任なのか疑問だが、楽しみではある。