木村隆一 website:Ryuichi kimura website

演出家の出自【2023年11月23日】

少し体調が良くなったこともあり、ぼんやりと日々が過ぎていく。

仕事もしばらくはだいぶのんびりモードなのだが、暇なうちにやれることをやっておかないと、あとが大変のは火を見るより明らかなのでコツコツと働かねばいけない。

SNSを見ていたら、最近はアニメーターあがりの監督が重宝されているのである、見つからなかったらその他の部署上がりの監督を探すのである、という様なことを言っているアニメ監督がいた。

私の肌感は、最近アニメーター上がりの監督は少し減った、なのでどうも見解が違う。

まあ、事実がどうかもどうでもいい様なことなのだが、実際どうなのだろうか。

最近は名前を見てもどういう出自の監督か、私にはほとんど分からなくなってしまったのだが知っている名前を観測している限り、アニメーター出身が突出して多いという感じはしない。

もともと演出家の出自は、制作、アニメーター、撮影がほとんどを占めている。その割合と変わらないという印象である。

10数年前まではアニメーター出身の監督、演出家、特に絵コンテマンが重宝されていたのは事実だと思う。

しかしながら徐々にその傾向は落ち着いていった。特に最近は。というのが私の肌感。

それには幾つか理由がある。

一つはスケジュールが大幅に改善されたこと。

最近はまた大変な現場も増えている様だけれど、一昔前に比べるとゆったりと作っているところが増えているはずである。

数年前から配信向けや中国向けに放送するための審査用に全てを作り終わってから納品するという作品が増えたことや労働環境の改善などの影響で良くも悪くも従来の何倍ものスケジュールで作る、あるいはそれだけ長いスケジュールがないと作れないという状況になっている。スケジュールの長期化や発表されてないが制作に入っている作品の数が増えたために、さらに長期化するという様な悪循環も起こっている。

スケジュールとアニメーター出身の演出家が重宝されることに何の関係があるのかと思われるかもしれないが、大いに関係があった。

スケジュールが無いとコンテ撮という主に絵コンテの絵を使った映像でアフレコを行うことがある。

この時、アニメーター出身の演出家の描いたコンテの方が圧倒的に見やすい。

アニメーター出身でなくとも絵の上手な演出家はいるのだが、一部の絵があまり上手く無い演出家は絵コンテを任される機会が減ったし、若い演出家志望の人も絵が描けない人は絵コンテを任される機会が少なくなってしまった。

しかし、スケジュールが伸びてアフレコで絵コンテの絵でアフレコする必要がなくなれば、絵コンテの絵が上手かろうが下手だろうが面白ければ良い。

また、スケジュールが無くても絵のクオリティを上げるためにアニメーター上がりの演出家が重宝されていたという側面もある。

スケジュールが改善されれば、演出家が絵に手を突っ込んで下手にスケジュールを食い潰すよりもアニメーターに任せた方が良いという当たり前の結論に落ち着ついていった現場が多いのでは無いだろうか。

二つ目は綺麗な絵だけでは作品が売れなくなった。

作品が売れるとは?どういう状態かというのは難しいのだが、ざっくり綺麗な絵だけでは人気は出ないという傾向がここ10年くらいでハッキリとしてしまった。

高い値段でパッケージを売るという商売が全盛の時は、やはり綺麗な絵の作品というのはとても高い価値があった。

しかし、今はパッケージは全く売れない。因果関係はよく分からないがパッケージ全盛時代よりは明らかに作画のクオリティは重視されていないと思う。

かっこいいとか、きれいな絵をつくるというのはアニメーター出身の演出家に今でも一日の長があると思うが、そういうものを求める作品ばかりという傾向では今は無くなったという気がするし、スケジュールが改善されたことによって演出家のイメージをアニメーターが補佐できる現場が増えたのでは無いだろうか。

そうすると、演出家の出自はあまり関係がない。

アニメーター出身の演出家を重宝する傾向のスタジオはある。

しかし一時期ほどに偏りは感じない。

お客さんにとっては演出家の出自なんてどうでもいいことだと思うが、アニメーター出身の方が圧倒的に有利である、なんてことはないんじゃ無いかなぁ。

次へ 投稿

前へ 投稿

© 2024 木村隆一 website:Ryuichi kimura website