月: 2024年8月

  • ソニーのアニメ制作用ソフトとか【2024年08月25日】

    ソニーのアニメ制作用ソフトとか【2024年08月25日】

    制作中のアニメのアフレコが終わったりで少しほっとした週末。
    多少、打ち上げっぽいことも出来るようになった昨今、役者さんとも少し話ができて楽しく過ごした。

    土曜はロロの「飽きてから」を内古閑さんと観劇。
    いきなり別れ話から始まるようなところが、今までの三浦さんとは少し違う感じ。
    食事についての会話がいきなり別れ話に接続してしまうのは面白くもあり、とてつもなくリアルな感じもして、胸がギュッとする。
    時制の繋ぎ方の面白さは相変わらずでどうしてこんなことを思いつけるのかと毎度思う。
    短歌をシーンの間ごとに挟むという趣向は、考える間隙が生まれるようでなかなか良かった。
    鈴木ジェロニモが歌う「瞳を閉じて」も最高だった、劇中では涙を誘うまでに至らず失敗という設定なのだが笑えながらもしみじみと響く。
    ジェロニモ?何でそんな名前?と思って調べたら芸人さんらしい。
    Rー1で準決勝まで行ったというwiki情報を知る。
    短歌が趣味らしく、それもあってのキャスティングなのだろう。
    終演後、側にいた客の会話が聞こえてきて、結構有名な歌人も見にきていたことを知る。
    移動のタクシーの運ちゃんが自民との総裁は誰が良いと思うかなどと問うてきた。タクシーで政治の話などしていると危ないんじゃないかと思うが余計なお世話か。大谷翔平の話も振られたが、前日たまたまテレビでニュースを見ていたので会話になった。

    ソニーが開発しているというアニメ制作用のソフトは仕上げ機能も組み込んであって、どうもガチで使えるものになりそうだ。
    朝日新聞の記事によると仕上げ機能から現場投入されるようで、RETASの保守が効かない事への危機感から開発されたことが窺える。
    もう10年以上前にRETASの開発は打ち切られているのだが、放置され続けてきてアニメ業界の不甲斐なさを思い知らされていたが、ここにきてやっとRETASの代替になりそうなソフトが出来そうだ。
    他にも仕上げのできるソフトはあるのだが、RETASとは思想が違って、同じような素材を作るための使いやすさがだいぶん違った。
    RETASの素材に業界全体は特化しすぎてしまっているのもどうかとは思うが、共通フォーマットがあるからこそ現在のような物量でアニメが作れていることは間違いない。
    後継ソフトは悲願というと大袈裟だが無くては立ち行かないだろう。

    庭の木を切った枝にコガネムシが付いていた。
    コガネムシの幼虫は花木の根を食い荒らすので害虫とされているのだが、ゴミ袋に突っ込むのも忍びないので、そっと地面に置いた。

  • オリンピックも終わり【2024年08月18日】

    オリンピックも終わり【2024年08月18日】

    ほとんど見なかったけれど、体操の団体とかサッカーとかちょこちょこと。
    体操を見ていて楽しい。昔、体操アニメがあったけどアニメは体操なんかを描くのには向いていそうだ。すごく大変ではあるが上手くやったらすごく面白そう。
    二十数年前、女子の新体操を取材しに行った時、隣で男子の新体操がやっていて、これは面白いと思ったものだが、それから幾星霜、アニメ化されたわけでスポーツでも球技より体操の方がアニメには向いている気がする。
    球技の難しさは「球」と「身体」の二つを同時に動かさなければいけないことで、球技はまた団体戦が多いので余計に難易度が増す。
    水泳の飛びこみみたいな個人競技の方がアニメにするなら楽そうだ。
    一人ずつ演技の間があるのも良い。
    新競技のブレイキンは、踊っているのは一人だが舞台上は常に二人で見ている方も動いているので、結構難しいか。
    動きっぱなしはとにかく大変だ。

    先週は、だいぶ引っ張っていたコンテをひとまず終わらせられた。
    それで楽になったというわけでもないのだが。少し肩の荷がおりた。
    も8月も後半になり、いよいよ今年も終わり…という気分になってしまう。
    次の仕事の現場が動き出すのも近くなってきて緊張感が高まってきている。
    次は慣れない作業を担当することになってしまったので、余裕をもって臨みたいと思ってはいたもののあまりいつもと変わらぬギリギリ感が醸し出されつつある。
    制作スタジオも初めてのところなので蓋を開けてみないと何が起こるか予想がつかない。
    とはいえ、面白いものになりそうな気はしている。

    セールで買った夏の花が、もうしばらく咲いてくれると嬉しいが少しずつ夏の終わりを感じる。

  • コロナが流行ってる【2024年08月12日】

    コロナが流行ってる【2024年08月12日】

    世間はお盆休みだからなのか…やる気はあまり上がらず。
    体調はゆるゆると上向いているので良きこと哉。
    ネット将棋を飽きずに延々と指し続けてしまう。勝てる時は何でか偉く強い人にも勝ててしまうのだが負け始めるとこれまた何でこんな将棋が勝てないのかという勝ち将棋をひっくり返されたり。メンタルは将棋の調子で結構わかってしまうのだが、調子が良くても仕事の方は捗らなかったりはする。

    片方の仕事はだいぶ進んできた。
    色々あって長かったがやっと落ち着いてきてホッとしている。
    告知は来月か再来月なのかな?近いとは思うのだが。

    コロナが本当に流行っている。
    スタッフが罹ったり、役者が罹ったり、マスクをしている人は少し増えた気はするが暑すぎる夏のせいもあってか、それほど多くはないように見える。
    観光客もすごく増えているので感染者が増えるのもさもありなん。
    私はコロナが流行り始めた頃は、マスクしたところでそう変わりはせんだろうと思っていたのだが、最近はなるべくならかかりたくないということで電車の中やら狭くて人が多いところではマスクをするようにしている。
    おかげでかは分からないが今のところコロナに罹ったことはない。(無自覚な人もいるようなので確信はないが)
    それでもマスクをするには、最近の夏は暑すぎてせずに済むならそうしたい。
    後遺症はしんどい人は本当にしんどいようで2年以上辛い症状に悩まされている人の話も聞く。
    歳はあまり関係ないようで、仕事が続けられないほどキツいこともあると聞くと他人事とは思えず用心せざるを得ない。

    初めてのスタッフとの仕事はいつも探り探りで、正直慣れた人たちとやっている方が圧倒的に楽なのだが最近は少しお初の方が多い。
    相手方がこちらを探っていたり警戒しているような感触を感じることもしばしばあるのだが、これはまあお互い仕方ない。
    私は比較的気楽に付き合える監督だと思うのだが過酷な現場もあるだろうし、警戒したくなるのは良くわかる。
    相手の緊張感が伝わるとこちらもそれを和らげるために頭を使わざるを得ないのだが、こちらの腹の中を相手に伝えるにはどうしても時間がかかる。
    とあるスタッフから警戒警報をビンビン感じていたのだが、最近少し和らいだように感じた。
    やはり仕事を進めてみないと相手のやり方というのはなかなか分からないもので、1本作ってお互い馬があって残ったスタッフとは次の仕事の時は圧倒的に気分が楽だ。
    とにかく1本完成させるしか本当にお互いを理解する方法はない。

    仕事の時は最近はFUSIONのディスクガイドを片手に良さげなものを配信で聴いている。
    しかし無いものも多くて、まだまだアナログ時代の遺産はデータになっていないものも多いのかもしれない。
    アニメもそうだが、見ることができない聞くことができない状態というのは作品が存在しないのと変わらないので、著作権者はとにかく作品にアクセスできる状態が維持されるようにしてくれと思う。
    金があっても見られない聞けない作品はあるわけで、それは作品にとっては途轍もない不幸だと思うのだが…。配信するにも金がかかるから儲からない作品は倉庫に置いておくしか無いというのは分かるのだが作品へのアクセスを確保しておくのは公共的義務なんじゃ無いのと個人的には思う。
    結局、物理もデータも永遠に維持し続けるというのは不可能なんだろうけど。
    文化は結局のところ口伝みたいに人間の中で再解釈、再生産されるという形でしか残っていかないのであれば、それをなるべく制限しないシステムは必要だ。

  • どうにもこうにも暑い【2024年08月03日】

    どうにもこうにも暑い【2024年08月03日】

    暑くて全てのやる気が溶けていくような気がしてしまう。
    しかし、少しずつ体調は上向いてありがたい。
    睡眠時間が増えているのが良いのか…原因はよく分からない。
    睡眠は歳のせいもあり上手く眠れないことも多いのだが、やはり眠れると調子は良い気がする。
    そして気づけば8月。

    先日はアイカツ!のライブが久しぶりに行われていて、相変わらず盛り上がっていた。
    私は配信で見ていたのだけれど、ドリアカのキャストが顔を合わせているのを見るのは久しぶり。
    みんな元気そうで何よりだ。
    もう久しく関わっていない作品について語ってくっるだけでもありがたい。
    次はあかり世代括りでイベントをやるそうで、しかも結構大きな会場だから埋まるのかしらと心配しつつ、私も少し手伝うので楽しんでもらえるものになるんんじゃないかと思
    昨日、仕事で若い各話演出に今回のコンテのフィードバックをくれというようなことを言われたのだが、もはやその人はここしばらくですっかり腕を上げて(いやアニメーターの経験も長いし最初から上手かったのだけれど)特に私がどうこう言うような事はない。
    上手くなると何か言われる機会はどんどん減っていくので他人の意見が聞きたいというのは分かるので何かアドバイスしようとは思うけど、ある程度の力をつけた演出がステップアップするには監督業をやるしかない。

    各話演出ではお話の部分に関われないので、そこに踏み込めるのは監督業である。
    しかし、監督業は外からは見えづらい仕事がたくさん襲いかかってくる。
    およそクリエイティブではないと思われる政治的な交渉やトラブルシューティングなど真面目な人ほど其のストレスは尋常ではないと思う。
    他人の絵コンテを直すといのも各話演出にはない仕事で、良いコンテが如何にありがたいかというのが身に沁みるし自分の不出来な部分も実はよく分かったりする。
    自分が描けないような絵コンテに出会うと刺激を受けつつ打ちのめされ、イメージと違う(下手なコンテというのではなく話やキャラクターの解釈違い、演出論の違いなどがある)コンテには直しの時間の無さで苦悩する。

    自分というのは一人しかいないのだと思わされるのが監督業だ。
    自分と同じイメージを持てるのは自分しかいない。
    当然、自分の考えと同じ絵コンテなど上がってこないし、同じ演出など基本的には行われない。
    上手い人は、なるべくそこを近づけてくれる。

    オーソドックスな演出というものはあって、私が各話演出の時はなるべく監督が直しやすいような絵コンテを心がけていた。
    演出は直しようがないので、絵コンテを与えられたスタッフでなるべく最良の形で具現化できるように心がけた。
    監督が近くにいる場合は監督の手をなるべく煩わせない程度に意見を聞くなども。(若い時はてんで好き勝手をやっていたこともあったけれど…)

    監督と各話の演出は同じ人間ではないのだし、最後はお互いの信頼の中でベストを尽くすしかない。

    しかし、オーソドックスな演出というのは特に教科書みたいなものがあるわけではないので、共有されていないところには全く共有されていないものなのだというのは最近になって感じるようになった。

    オーソドックスというものは良くも悪くも色がない状態なので作品によってアレンジが必要だとは思うのだが、分かっていれば作品や監督の趣向がよく分からない場合でもアレンジしやすいような形で素材を提供可能になるのではないかと思う。

    監督をコンスタントにやっているような人の絵コンテは、大体これが出来ているように思う。

    しかし明らかにオーソドックスなスタイルを知らない(あるいはわざと避ける)人というのはいて、それは時に結構困ったりする。
    よく話題に上がるイマジナリーラインに対する考え方などが違うと、もう大変な直しになったりするので、オーソドックスな考え方は共有されていた方が良いと思う。

    作品によるスタイルの違いなどを超えて一般的な方法論というのはいろんな仕事をするタイプの人は特に知っていると楽だと思う。

    メモ的にここで少しづつまとめてみようか。