土曜の朝はあまり雪は降らず、軒下に避難した植物たちを元に戻そうかとおもっていたけれど、面倒なのでそのままにしていたら今朝はしっかり積もっていた。
結局、軒下の鉢にも結構積もってしまったが大丈夫だろうか。
本当に寒さに弱いものは避けていたはず。
期日前投票など行く暇はないので、雪の中を歩いて投票所に行ったが、あれだけ積もっていると老人歩くのはしんどいだろう。
最近の制作はとにかく監督に確認を取りたがる(そう教育されているのだと思う)
監督に確認をいちいち確認とっていたら制作が停滞する。
昔は好き勝手にやりたいという人も多かったし、わりに各話のスタッフに自由が許されていたので、さすがにしくじると怒られそうな案件以外はなるべく監督を通さないという現場も多かった。
最近は作品の作りが全体に几帳面になってしまったのと、12、3本の短いシリーズが多くなってしまったため各話のスタッフが作風や全体像を把握しきれず監督に聞かないと怖くて進められないというのもわかる。
原作などクライアントの意向を監督を通して確認するようなことも多い。
それにしても、同じ様なことを何度も聞かれたりするのはいかがなものかとは思う。
監督なんて居なきゃいないで進んでいきそうなものだが、監督業は必ず設置される。
紅茶にしますか?コーヒーにしますか?と問われて、んーーじゃあコーヒーでとうのが監督の仕事だ。自分で飲むものを決めるのは別にどうということもないが、100人の客に出すコーヒーを決めるとなれば悩むこともある。
どの豆使いますか?ブラジル?コスタリカ?浅煎り?深煎り?とどんどん細分化していけばコーヒー出すにも幾つもの決断が必要になってくる。
フレーミングすること、切断することを担う役割というわけ。
昔の舞台芸術は劇作家が演出家を兼ねていた。
その役割が分業化されたのは19世紀後半らしい。意外と最近。
電気が出来たり、舞台表現が複雑化したのが理由ではないかと言われている。
決断を担う人間は色んなところに存在している。
どんな人間だろうと皆がそいつに決断を任せるとなったら、そいつは色んなことを決断していくわけだが、何にせよ決断する人間は必要とされているのは面白い。
人間の個人の決断だって、恋愛を他人(親とか)が決めていた時代は長かった。
いまだって他人の決断に身を委ねていることは山ほどある。
監督だって他人の決断に身を委ねたい時もある。
どっちでもいいよ、と私なんかはまあ放り投げてしまうこともしばしばだが、あとで文句言われたらやだななどど思われているかもしれない。
小さな決断も沢山あれば時間がかかるもので、監督が決めなくても良いのでは?というものまで判断しているといくら時間がっても足らない。
生きるか死ぬかがかかった決断をするとなったら、そりゃあ決断にも勇気が必要であろう。
アニメ作っている人が死ぬ、ということも滅多にない。
過労とかでスタッフが倒れないようには気をつけねばならないけど。
政治家は生き死にがかかった様な決断を迫られる場面もあるわけで、それはしんどいだろう。
しんどさに鈍感か、余程の使命感に駆られた人間だけが、その決断をになえるのかもしれない。
そんな決断をする人間を選ぶ決断をして投票箱に紙を滑り込ませる。
カテゴリー: diary
映画館へいきたい【2026年02月02日】
月末は1月二度目の行政がらみの会議。
会議といっても1時間半しかないので、各所報告とごく簡単な質疑応答のみで終わり。
久しぶりの知り合いに出会い、おーっと歓声を上げる。
寒さが戻って、外に出るのも面倒ではあるのだが面倒以前に仕事が終わらず家に篭りきり。
映画も一体いつから観ていないのやら。
近所の映画館にいくのすら憚られる。
春までは黙々と仕事をするしかないか。
ハサウェイは映画館で見ないと絶対見ない気がする。
暗いから。
SNSでは皆ハサウェイについて語っている。
しかも演出など技術的なことについて。
画がすごいのは、そうなのだろうけど。
とにかく映画館へは行きたい。
昔、渋谷にあったパンテオンで映画の上映前にラッパーのIce-Tが挨拶したいといって突然スクリーンの前に登場するという出来事に遭遇したのだが、いったい何の映画だったのかタイトルが思い出せずにいた。
ほんとにIce-Tだったのか?も怪しい記憶になりつつあったが、キアヌリーブス主演の「JM」を観に行った時に違いないと先ほど分かった。
彼が確かに出演しているし、パンテオンで見た記憶がある。
戸田奈津子が通訳で付き添っていた。
しかし、その時来ていた客はあの広いパンテオンに数人か、せいぜい十数人だった。
たぶんIce-Tのことを知っていた人もほとんどおらず、突然のアナウンスにも鈍い反応だったと記憶している。
詳しくは覚えていないが丁寧に感謝を述べ、さらっと去っていった。
なんだか申し訳ない様ないたたまれない気分になった。
客入りの悪さは映画の出来を考えれば致し方ないと思う。
マトリックス以外はパッとしなかったキアヌもあの頃の微妙な扱いに比べたら随分と人気が定着したし、おたく的な文化もキワモノではなくなった。
おたくは表に出られるようになった代わりに、オタク文化のアジールとしての機能は縮小している気はする。
日に当たりすぎるのも気をつけないと逃げ場を失う。
寒さは和らいで欲しい。
ラナンキュラス・ラックスの苗を買ったが寒さが落ち着くまでは植えるのを待つ。
雨が降らない【2026年01月24日】
年初からなんだかバタバタ。
2日にむぎを火葬して、行政絡みの会議やらもあり、レプリカは追い込み中。
動画協会の新年会では久しぶりの人に会えた。
年明けから約束していた人の作品のコンテに手をつける。
人の作品は気楽で楽しい。
なんかよくわからないけど仕事へのモチベーションは少し上がった。
植物もほったらかしだったが、枯れたセンニチコウとPWのユーフォルビアダイアモンドフロストを引っこ抜いてサントリーのウィンティーとローダンセマム・リルピンクを植えた。
黒っぽい花の咲くセージも。
しばらく雨が降っていないので2週間くらい?ジギタリスがぐったりしていて水をやる。
まさか夏越しした株なので春が楽しみ。
巨大になったアマリリスの球根の鉢が歪んでいるので春に咲く前に植え替えないとダメかもしれない。
いまいち育たない植物も他のものに入れ替えたい。
加藤一二三が亡くなった。
解散総選挙、だとか世界はもバタバタしてるがまあのんびりやろう。
アイキャッチ画像変えようと思って忘れていた。
見送った【2025年12月31日】
むぎは土曜に病院に行って、1、2日持たないだろうと思っていたが驚異的な生命力で4日も生き延びた。
食事は病院に行く前の晩から何も食べておらず、ここ2日くらいは水もほとんど飲んでいなかった。
たまに注射器で入れてやった水を飲み下すくらいのものだった。
家に来た時は6歳くらいの推定年齢とのことだっが、先ほど保護主からの連絡で昔のカルテがでてきたらしい。
それによると2015年の生まれ、で10歳くらいだったようだ。
6歳にしてはしては少し鈍臭いと思っていたが納得した。
1本しかない歯はキュートだったが、多頭飼育していた老人の扱いの酷さが窺える。
家に来た当初は子猫の様におもちゃで遊んでいて、子供返りしていたようだ。
異様に人懐こく、老人が最後まで手放さなかったのも納得できる気がする。
むぎは老人の家を脱走し、飼い主を探し当てたところ多頭飼育崩壊の現場だったということらしい。
今日の昼間は比較的穏やかな顔をしていて、人の動きに顔を上げて見つめたりもしていた。なにせ人懐こい猫だったので、そこにいろ、ということだったのだろう。
逝ってしまう直前までは、なんだかこのままずっと居るのではないかと思ってしまうほどだった。
こちらの気持ちも少しは落ち着いて、いつものように接してみとってやれた様な気はする。
家の中は1年前にタイムスリップした様だが、むぎの爪痕はしっかり残っている。
前にも世話になった葬儀屋に大晦日の18時過ぎという時間帯に連絡してみたところ、1月2日から対応してくれるとのことで、助かった。
今はあまり実感も湧かないが、しばらくしたら喪失感がどっと押し寄せてきそうだ。
やろうと思っていた仕事はあまり進んでいないので、正月は年末に片付ける予定だったものを片付けねばならない。
ベテラン演出家が担当していたものを引き継いでいたものだが、基本的なことができていなくて唖然とする。
編集の時に気づけよという話なのだが、ベテランだし後で何とかするつもりなのかとタカを括っていた処もあり、非常に反省した。
とはいえベテランを叱責したりするのも嫌なものがあり、憂鬱。
むぎの病気を知る前日、voilの忘年会があり大高くんに参加せよと言われたので顔を出した。
久しぶりに若者とたくさん話して、というか社長大高くんに送り込まれて私のところへ来ていたのだが、皆なかなかのキラキラで前向きな若者たちで少し心が洗われた。
結構いい会社だな、voil。
年を越した感覚はない。
2026は仕事も心も空っぽ。
何かで満たせるだろうか。
イブはオールラッシュだった【2025年12月25日】
菊地成孔がSNSで書いてた文章が面白かった。
”音楽は、社会派であるとかないとか、理論理解があるとかないとかいう蒙昧な二元論のリージョンとは無関係に、そもそも全てが社会的な現象であり、理論的な現象であり、同時に、純粋な非社会性、超論理性を備えた存在ですので、好きな時に海から塩が採れるように、自由に社会問題や理論構築と結びつき、姿を変えることができる。”
全体は長文なのだが「自由に〜姿を変えることができる」について、はて、振り返って我が仕事のアニメはどうかと考えてみた。
そもそも映像は音楽ほど抽象化されていないので音楽と相対的に比べれば自由に姿を変えることは出来ないだろう。
もちろん抽象的な映像も存在するのだが、物語を扱う様なものは基本的に具象の世界だから。菊地の言っていることは、もっと幅広い意味を指しているのだろうけど。
アニメからも色んなことが汲み取ることができると思うが、今のところは掬い上げられているものは限定的に感じる。
作ってる方はもっぱら動物的なので、何が掬い出されているのか気に留めている気配はない。
掬い出されるか分からないそっと忍ばせるための旨味の様なものは、いつも考える。上手くやれていれば観客の嗅覚味覚を刺激してくれる。
アニメから何が掬い出されるのか、別に何も掬い出されなくても構わないが作り手としては受け手の中での変容をある程度見通せないと行き詰まるだろう。動物的な直感と世界の波に身を任せつつ。
アニメ業界のおじさんたちの体力は限界を迎えている様に見える。
自分を含めて。
幻想を形に落とし込むまでの体力がなくなってきている。
例外はもちろん沢山いると思うが。
若者がおじさんの尻拭いに忙殺されないように準備しないといけない。
いつもの授業【2025年12月22日】
週末は、毎年恒例になったDA-academy(声優向けのワークショップ)の授業。
いつも時間オーバーで駆け足になるので、抽象的な部分を少し省略して臨んだ。
結果的には、もう少し見直した方が良いか…と喋りながら考えた。
リアリティの話を演技に具体的に紐づけたのは、まとまって分かりやすくなっのだが、物語・フィクションの必要性や無意識の話をバサっと落としたので、若干膨らみを欠いてしまったかもしれない。
1時間で演出について話す、というのがそもそも難しいのだが重複する様な部分もあるので整理すればもう少し内容は詰め込めるかもしれない。
とくに無意識の話はあった方が良いかもしれない。
演技には凄く関係するから。
おまけのオーディションについての話が、一番反応がヴィヴィットだった。
それはそうだろうという気もするが、演出家がオーディションにおいて絶大な権限を持っている時代でも無いので、どの程度参考になったのかは分からない。
長い間そこそこ稼げるようになるといいのだが。
日曜は久しぶりに植物を買いに出かける。
ケイトウの寄せ植えがダメになったので、かわりを見繕う。
ストック、プリムラジュリアン、ネメシア、初雪カズラ、ワイヤープランツ、で作るつもり。
パンジー・ビオラも綺麗なものがたくさんあったのでつい幾つか買う。
植える鉢がないのだが。
あとはアネモネ極。
他にもアネモネは欲しかったが持って帰れないので断念。
ローダンセマム・サファリアイズがあったが、これも断念。
ほかにも幾つか欲しいものがあってキリがない。
とりあえず鉢を買わないと。
植物日記【2025年12月18日】
去年掘り上げた球根を植え付けていなかったので12月も過ぎてしまって、時期的には遅いけれど、しばらく前に植えた。
ムスカリは瓶の中で芽が伸びてしまっていて、取り出すにも一苦労だったが日があたってない芽が白いままで鉢に植えたあと更に赤みがでて、これはダメかもなと覚悟したがだんだん緑になってきて復活の兆し。
ムスカリは本当に強いんだなぁ。
アネモネは芽が出るまで、しばらく時間がかかると思うのでまだ分からない。
ヒヤシンスも瓶の中で芽が出ていたので、まあ大丈夫でしょう。
寄せ植えのケイトウが寒さで枯れかけなので、代わりを買いに行きたいが、いつ行けるのか…。
パンジー・ビオラかストックを植えるつもり。
春用の植物も良さげなのがあれば欲しい。
植える場所は後で考える。
トリツカレ男を見たり【2025年12月07日】
もう終わってしまいそうだったので火曜日の朝に「トリツカレ男」を見にいった。
脚本がロロの三浦直之、ということで見ておきたかった映画。
ボーイミーツガールだったり歌だったり、三浦直之的な要素はあるが、それほどロロっぽさは感じられなかった。
原作を手堅くまとめる方向で仕事をしたということかもしれない。
お話は、かわいくて好ましい。
ビジュアルも日本のアニメっぽくなくて、地味に凝ったことをやっており良い。
キャラクターデザイン荒川真嗣、レイアウト三原三千夫
美術はPablo。
美術は写実一辺倒の昨今に挑戦するのは非常に難しい作風をしっかりやり切っていて素晴らしかった。
作画と美術を上手く溶け合わせた背景動画的なシーンも結構あって、しっかり計画された画面構成だったのだと思う。
カラースクリプトなども作られていたのかもしれない。
キャラに質感を入れていたのがすごく印象的で、自分でも挑戦してみたいと思っている技法なのだけど、取り入れるのは難しい。
キャラクター造形との相性もあると思うが、かなり上手く処理されていた様に思う。
どういう方法で作られていたのか知りたい。
べたっとした色面にならない様にという意図なのだと思うが、漫画的な造形にも応用できないだろうか。
ミュージカルとしてのつくりは、もう少し頑張って欲しかった。
アメリカ、ヨーロッパの作品と比べると前半はかなり見劣りする。
ラストは良かった。
ミュージカルを作るのは、かなり大変。
脚本をつくり、ストーリーボードの前に音楽をつくるか、後に作るかの選択。
音楽も完成した状態のものを貰って作るのはかなり難しいのでスケジュールの調整だけでもなかなか難しい。
リップシンクは日本のアニメは伝統的にかなり大雑把なので、慣れてる人もいないと思う。
リップシンクそれそのものがエンターテイメントだった、という話は細馬宏通「ミッキーマウスはなぜ口笛を吹くのか」に詳しい。
トリツカレ男はミュージカルファンを当てこんだ作品というわけでは無さそうだけど、誰か挑戦したら面白いと思う。
トリツカレ男を見たあと、今日しかないと安彦良和展に足を伸ばした。
松濤美術館なので、それほど点数はないかと思っていたけど予想より多く資料が展示されていた。
ガンダムの作監修正(修正用紙に書かれていたが直接描いた原画なのかも)やポスターの原画の類が見られたのは良かった。
キャラ表のポーズは皆何かしらキャラクター性が分かる様なポーズがつけられているものが多かった。
今は造形を伝えることを主眼とするので、あまりポーズがつけられることはない。
キャラ表は色彩設計の色指定表としても使われるので、あまり大きなポーズをつけると造形が分からず色が作れないということが起こるからだ。
昔は色数も少なかったので、多少ポーズをつけたところで問題にならなかったのだろうし、ポーズがあった方がキャラクター性がアニメーターに伝わると考えられていたのだと思う。
確かに表情集は作るけれどポーズ集までは作られない。
本当は、あった方が良いのかもしれないが現状は手が回っていない。
安彦さんの絵はシンプルで、とても上手いのだけれど今風ではないのだというのは直筆の絵を見てあらためて感じた。
今風ではないというのは批判ではない。
特に目の作り。
今は目の中だけで異常な数の塗り分けがある作品が少なくない。
安彦キャラは目だけで惹きつける様な作りではない。
立体を意識しすぎず、ディフォルメもあってまさに2.5次元。
今はとにかく3D的に考えられがちなのとは対照的だ。
漫画のカラー原稿はとても魅力的だった。
塗りがとても美しくて、絵の具の滲みが綺麗に作られていてため息が出る。
昔のポスターなどは厚塗りで普通のポスターカラーかアクリルガッシュの様なもので描いていたのだろうか。
図録をみると展示されていないものも多数あり、他の会場では出ていたのだろう。
松濤でも展示替えがある様なので、多少は見られるかもしれない。
最近、精神分析について調べている流れでR・D・レインの「好き好き大好き」を読んだ。
エヴァのネタ本の一つらしいが、確かに似ている台詞回しがあり、「精神防禦盾」などのワードも出てくる。
全体的には60年台の前衛芸術的な雰囲気で、実際影響も与えていたのだろう。
現代詩だが、脚本の様な対話が多く使われているのは著者が精神分析かだからか。
懐かしいアングラを感じた。
あとはグリーフケア関係の本をちょろちょろ読み始めていて島薗進「ともに悲嘆を生きる」は読み始めたばかりだが面白い。
ムスカリやアネモネの球根が植えられていない。
流石にそろそろ植えないとまずいが、急に寒くなって億劫だ。
仕事も地味に打ち合わせが多く、結局週末しかデスクワークは大きく進まない。
PVが出た【2025年11月16日】
今週は久しぶりにお酒を飲んで、久しぶりだからと言うわけでも無く多分料理が美味しすぎたせいで飲みすぎた。
前菜は盛り合わせだったので記憶が曖昧。
ヤマメは柔らかくて頭から尻まで食べられた。
パスタも忘れた。
肉は山羊、全くクセがなくて柔らかい。
まだ行けると、うっかり追加した白トリュフのオムレツは美味しすぎ、すっかり平らげワインを継ぎ足してもらったのがダメ押しだったかもしれない。
更にデザートを頼みデザートワインも頼んでしまった。
マスカットのワインが香りも味も好みだった。マスカットだから重い感じなのかと思いきやそんなことはなく、スッキリしつつ燻ぶした感じと果実味と酸味がいい感じに混ざって渋い。
レプリカだって、恋をするの新しいPVが出た。
どの程度ネタバレするか、というのは宣伝の考え方が分かるので面白い。
結構ネタバレしても大丈夫だと言う話をしたが、途中で見たものより少し抑え気味になってた気がする。
原作ものは、そもそも原作を見れば全てわかってしまうので、お話的なネタバレを抑えすぎてもあまり意味はない。
見たくなってもらう、ということが肝心。
原作を好きな人は大体見てくれるので、どちらかと言うとアニメで初めて触れる観客向けの塩梅になると思う。
何が作品の売りなのか、どう言う人に見てもらいたいのか。
宣伝から見えてくるので面白い。
植物日誌【2025年11月09日】
最後の音響作業に行った帰りに園芸店に寄って植物を物色できた。
忙しすぎて外にはほとんど出ていなかったので、息抜き。
時期的にはパンジー・ビオラに突入してしまっているので、宿根草はあまりないかと思っていたが、結構売っていてにっこり。
ジギタリスは沢山あったが、去年の株がまさかの夏越しして植える場所がない。
来年は違う色に植え替えるのも良いかもしれない。
去年の秋植えして盛大に咲いてくれたバーバスカムは花が終わって引っこ抜いてしまったのだが、色違いの品種がいくつかあったので、オレンジ系のものを買った。
ほんとに手間をかけず咲いてくれて良い。
今年はムシの類が大発生して対処しきれず結構枯らしたので、なるべく丈夫な品種を選びたい。
ペンステモン・ハスカーレッドを発見。
今年の春に通販で買った株を枯らしたので迷ったが、秋植えならいけるかもとしれないと小さな希望をいだいてゲット。
赤みががかった黒い茎に白い花が咲くところを見てみたい。
あとは寄せ植えのジニアが枯れかかっていたので、白とピンクの金魚草を買ってきて植え替えた。
寄せ植えの植え替えも我ながら随分手慣れてきた。
宿根草系は2年くらい経たないと本領が発揮されないものもあり、管理が難しく欲しいものはありつつも、うまく育つだろうかと躊躇することしばしば。
しかし1年に1回しか出会えない植物もあるので植えられるうちに、もう少し探しに行きたい。
経験しないと上手くならないのだ。
最近のアニメのスタッフも1年に担当できる話数は1、2本。
とにかく舐め尽くす様に体験するしかない。
