放送開始【2026年04月12日】

レプリカだって、恋をする。の放送が始まった。

2025年の1月に木の実マスターが放送だったので1年ぶりくらいに担当作品が放送になったのだが、もっと間が空いてる様な感覚になってるのは何故だろう。
制作はプリプロから丸2年かかってるから、そのせいなのか。

基本原作通りに作ってあるが、少しキャラ解釈のアレンジが入っている。

シンプルな仕掛けながら、存在不安、喪失、ジェンダーなどのテーマをひっかけて描いているのが面白かったので引き受けた。

町屋良平の生きる演技は世界自体を舞台(演技の場所)に見立てて人生が侵食し合い果ては殺人にまで発展する。赤の他人の人生が乗り移ってくる描写はレプリカと似たものを感じる。
レプ恋はストレートに自分が2人に分裂し、レプリカはいつ消されるかわからない存在不安を抱え、人間は生き続けなければならないことに苦悩するという対比が面白い。

自分がラノベ的な小説で一番読んだ小説家は夢枕獏だろうか。

田中芳樹、栗本薫、平井和正、SFっぽいものが多かった。

火浦功、藤井青銅、氷室冴子…と読んで覚えてるのはこのくらいか。

谷甲州とかもラノベ的レーベルで書いてた。
筒井康隆なども当時はラノベ的な括りで捉えられていたのかも。

今はラノベも売り上げは苦労しているみたいだ。

文字で読む物語は、自分で勝手に妄想できて良い。
長い話も小説でないとなかなか創作は難しい。

アニメが売り上げに貢献できると良いのだが…。


今回は成り行きで音響監督も引き受けた。
役者は諸星すみれをはじめ、上手な人ばかりだったので助けられた。

音楽を自分で貼れたのは非常に楽しかったし、学ぶことがあった。

思いの外、自分の色が出た作品になったと思う。

私のコンテで担当の若い演出が頑張った9話が出色の出来なので、そこまで追っかけてくれると嬉しい。

そこまで見たら最後まで見たくなると思うし。

アイカツ!の小さなファンの方へ【2026年04月05日】

お便りありがとう。
この記事を読んでくれていることを祈ります。

「ねらわれた魔法のアイカツカード」を見てくれたそうですね。
楽しんでくれたようで嬉しいです。


アイカツのテレビシリーズではseason1〜2は星宮いちご、3〜4は大空あかりが主人公です。

魔法のアイカツカードはseason4の後に公開されているのであかりが主人公です。


2016年の夏に公開の映画だから、もう10年も前ですね。

懐かしい。

短い映画ですが、面白いことを詰め込めたので今でも気に入っています。

2ショット【2026年03月30日】

JAniCAの仕事と制作の追い込みが重なり、尋常でなく忙しかった3月。

一瞬の息継ぎ。

前の投稿が3月頭だったので3週間ぶり。
数日前、某作品の打ち上げもあったり。

TAAFの授賞式の打ち上げで安彦良和さんと写真を撮ってもらったのはちょっとしたご褒美だった。サインをしたり写真を撮られたりひっきりになしに話しかけられたり安彦さんのアイドルぶりを遠巻きに見つめていたが、最後の方でちょいと話しかけるチャンスを見つけたので…つい押しかけてしまった。

3月22日は原作者・榛名丼さんとトークショーをしに静岡まで行った。
用宗をのんびり散策できた。

気候がだいぶあたたかくなり地上部が無くなっていた植物も芽吹き始めた。
いちじくの植え替えもやらないとまずい。
園芸店に春の植物が溢れているはずで物色しに行きたい。
新しいオステオスペルマムと去年枯らした紫のオダマキとか。

夏に咲くものだとエキナセア。何度かチャレンジしているが、ことごとく失敗している。
同じく失敗続きのチョコレートコスモスも。
日陰用の宿根草もほしい。
花が咲くものはなかなか無いと思うのでリーフの綺麗なものが良い。

昨今の夏は植物にとっても非常に厳しいので上手く育つかは半分運。
PWの植物は暑さに強いものが多いけど、どうも私とは相性が悪いのか今ひとつうまく育てられない。

あんまり沢山買っても置き場所はないのだが、その季節にしか手に入らないものも多いので年に一度のチャレンジの機会を逸するのは惜しい。

夏に咲くものは、ひとつヘリアンサス・レモンクイーンが芽吹いて生き残っている。
シルフィウム・モーリーもあるが、去年は咲かず。今年はどうだろう。

寄せ植えの金魚草やストックも元気なので春はそれになりに色々咲いていそう。
枯らす率は徐々に減っている気がするので園芸の腕前と、植物選びが少し上達したのだと思う。

年末に黒猫が逝ってしまって間が立たずだが、隻眼で白い長毛のアメリカンカールがやってきた。
ブリーダーが放棄した子らしい。
どうもそういう子は沢山いる様で、残酷なものである。
おととし亡くなった老猫が長毛の白いアメリカンカールだったので空目する。
新入りは最近少し慣れてきた様でくつろいでいる。
残っている目も緑内障らしく、いつまで持つのかはわからない。
毎日、緑内障用の目薬をささなければいけない。
黒猫は癌であっという間に逝ってしまったので少し不安ではある。

のんびり読んでいた東浩紀の「平和と愚かさについて」を読了。
考えすぎればストーカーのように世界が狭くなるという話なのかもしれない。
ポケモンセンターでの惨事はせつない。

アニメは自分の外の世界を信じる縁(よすが)になりえるが、全ての人間に機能するわけでない。

4月7日からもう「レプリカだって、恋をする。」の放映が始まる。
誰かの縁となりえるだろうか。

銅メダル・値付け【2026年03月08日】

冬のオリンピックは、ほとんど見なかったのだけれどフィギュア女子のフリーだけ、仕事終わって気が向いたので見た。

そもそもあんな機会と場所で滑るということはとんでもなく緊張すると思うのだが上位選手は尋常でないメンタルを持っているのだと思う。

金メダルを取ったアリサ・リュウでとんでもなく湧いた会場の空気に呑まれず演技した(様に見えた)坂本花織を見ていて凄いという言葉しか出てこなかった。

銅メダル17歳の中井亜美嬢はアイカツ!が好きらしく携帯に美月とソレイユのステッカーを貼ってくれている。
17歳だとリアルタイムに見ていたのであれば幼稚園くらいの歳。
あんな、すごいお嬢さんがアイカツ!を好きだというのは嬉しい。

前回書いたアイカツプラネットのライブを見た記事がえらく沢山読まれていて驚く。

普段は植物の話とかだから、ほとんど読まれていないのだが(笑)




福尾匠×小川哲の対談をYouTubeで見ていて小川哲が値付けの問題を話していた。

他のたくさんの人間にとってはつまらない作品でも、たった一人の心に響いてその人間の人生を変えてしまうことはありうる。
しかし、それを2000円で売っても商売にならない、それをどう乗り越えるか考える必要がある。という話をしていた。

それは私もよく考える。

アイカツ!の様な子供向け作品にとっての商売は観客と商売相手に齟齬がある。
子供向けは基本的に子供がお金を直接作品周りに払うことはない。
ほとんどが親を通して参画する。

じゃあ親が考える子供に見て欲しい作品にすれば上手くいくのかというと、そう簡単ではない、と思う。
子供が面白いと思わなければ、商品が売れたりはしない。

単純に考えれば子供が面白がって、(消極的にでも)親が見せてもいい作品が正解、ということになる。

この2番手の視聴者(読者)をどう扱うかが商売的には結構肝だ。

例えば明らかにジャンル的に強いお客さんがいる場合、メインに考える観客をそこに置かない、ということができる。
それはジャンルの強みを利用させてもらいつつジャンルそのものを拡張する試みにもなる。

ニッチな観客にそうでないジャンルの力を使って届かせるということも出来なくもないんじゃないか(簡単ではないが)と思う。

いまアニメはそこそこ商売になれば作品が作れるという状況であると思うけど、オリジナルは「そこそこ」に届かないことが多い。

原作ありが多いのは他にも理由はあると思うけど、「そこそこ」なら上手くやればいけそうな気がする、んだが。
お金集め問題なんかもあったりするので、一筋縄ではないのは分かる。

マンガ・ワン騒動は人ごとではない。
社会復帰=元の職業に就く、とするのは単純には難しいだろう。少なくとも表現界隈の仕事は。

5年【2026年02月23日】

週末はアイカツプラネットの5周年記念のライブに参加。

プラネットは実写+アニメという変わった趣向で作られた。
何度も色んなところで言ったり書いたりしているが、私に話が来た時は何で?無理でしょと即答で断った。何せ実写に関しては素人なのだから。
それが何やかやと巻き込まれ、しかし終わった時には非常に面白い経験をさせてもらったと思った。

当時はコロナ禍真っ只中で、ライブなどとてもできる状態ではなく、せっかく顔出しの仕事をしている演者で作っているのにその真価を活かせる機会は少なく、こちらも申し訳ない様な気持ちだった。
不遇な作品であったと思う。

5年経って小規模とはいえ当時のメンバー(2人欠けてはいたが)が集まってくれたのは非常に嬉しい。
皆んな元気そうだったのも何よりだ。

ライブ中当時の映像が流れていたが、自分が本当に関わっていたのだろうか?という不思議な思いがした。実際、実写パートの撮影には付き合っていたが特に役に立つこともできなかったので半分お客さんの様な気分があるのかもしれない。

音楽も懐かしく夢見心地に聞いていた。

急に暖かくなってきた。

3月後半までは、また寒くなることもあるだろうが春を感じられて嬉しい。

芽が出ないかと思っていたアネモネ・ラナンキュラスも芽吹きそうだ。

寒さで枯れてしまった植物もあるので、少し足したい。

先週見た9話のラッシュは非常に良かった。

演出の頑張りが出ている。

終わらん【2026年02月15日】

仕事が終わらん。

久しぶりに原画チェックをしている。
顔が崩れている…からちょこちょこと直しの指示を入れたりは仕方ないと思えるのだが、第2原画を請け負う人たちは多分コンテも読まず、レイアウトに入っている演出指示も読まずに作業しているモンだから指示(簡単な事も)対応が抜けていたり、誰が誰を見ているかなどを理解せずに描いている。
第2原画どころか、作画監督も演出指示読んでないんじゃないかと思う。

連続したカットでも違う人に発注したりしているし、引き絵のカットは描き手が見つからないという理由でアップだけ先に上がってくるので、繋がりを確認できない。

レイアウトで合わせてあっても、つながりで作業者が違うと作業者自身が他の素材を見られないので前後の繋がりの確認ができない。

恐ろしく効率が悪い。

これは今の仕事に限ったことではなく、数年前から中規模作品は全てこんな感じ。

賽の河原で石を積んでいる気分。

少しづつ暖かくなってきた。

ラナンキュラス・ラックスの苗を買ってあったので大きめの鉢に植えた。

去年コガネムシの幼虫に根を食われたプレクトランサスが寒さで完全にやられて枯れたので代わりに植えた。

ラックスは強いので楽しみ。
花の期間はそう長くはないのかもしれないが。

金魚草はよく咲いている。

ストックとプリムラも。ネメシアが花芽がついているが何故か咲かず。

ビオラ。パンジーはこれから大きくなると思うが鉢が小さいかも…。

この間降った雪のせいか、スーパーアリッサムの調子が悪い、というか多分枯れている。
寒さは強いはずなのだけれど。

花が咲かなかったサルビアも枯れた。

映画館へ行きたいが全く余裕がない。
ライブなども行きたいがチケットを取る気力が湧かない。
うーん、なんか行くか。

本だけ地味に読んでいる。

雪の日【2026年02月08日】

土曜の朝はあまり雪は降らず、軒下に避難した植物たちを元に戻そうかとおもっていたけれど、面倒なのでそのままにしていたら今朝はしっかり積もっていた。

結局、軒下の鉢にも結構積もってしまったが大丈夫だろうか。
本当に寒さに弱いものは避けていたはず。

期日前投票など行く暇はないので、雪の中を歩いて投票所に行ったが、あれだけ積もっていると老人歩くのはしんどいだろう。

最近の制作はとにかく監督に確認を取りたがる(そう教育されているのだと思う)
監督に確認をいちいち確認とっていたら制作が停滞する。

昔は好き勝手にやりたいという人も多かったし、わりに各話のスタッフに自由が許されていたので、さすがにしくじると怒られそうな案件以外はなるべく監督を通さないという現場も多かった。

最近は作品の作りが全体に几帳面になってしまったのと、12、3本の短いシリーズが多くなってしまったため各話のスタッフが作風や全体像を把握しきれず監督に聞かないと怖くて進められないというのもわかる。
原作などクライアントの意向を監督を通して確認するようなことも多い。

それにしても、同じ様なことを何度も聞かれたりするのはいかがなものかとは思う。

監督なんて居なきゃいないで進んでいきそうなものだが、監督業は必ず設置される。

紅茶にしますか?コーヒーにしますか?と問われて、んーーじゃあコーヒーでとうのが監督の仕事だ。自分で飲むものを決めるのは別にどうということもないが、100人の客に出すコーヒーを決めるとなれば悩むこともある。

どの豆使いますか?ブラジル?コスタリカ?浅煎り?深煎り?とどんどん細分化していけばコーヒー出すにも幾つもの決断が必要になってくる。


フレーミングすること、切断することを担う役割というわけ。


昔の舞台芸術は劇作家が演出家を兼ねていた。

その役割が分業化されたのは19世紀後半らしい。意外と最近。

電気が出来たり、舞台表現が複雑化したのが理由ではないかと言われている。


決断を担う人間は色んなところに存在している。

どんな人間だろうと皆がそいつに決断を任せるとなったら、そいつは色んなことを決断していくわけだが、何にせよ決断する人間は必要とされているのは面白い。

人間の個人の決断だって、恋愛を他人(親とか)が決めていた時代は長かった。

いまだって他人の決断に身を委ねていることは山ほどある。


監督だって他人の決断に身を委ねたい時もある。
どっちでもいいよ、と私なんかはまあ放り投げてしまうこともしばしばだが、あとで文句言われたらやだななどど思われているかもしれない。
小さな決断も沢山あれば時間がかかるもので、監督が決めなくても良いのでは?というものまで判断しているといくら時間がっても足らない。

生きるか死ぬかがかかった決断をするとなったら、そりゃあ決断にも勇気が必要であろう。
アニメ作っている人が死ぬ、ということも滅多にない。
過労とかでスタッフが倒れないようには気をつけねばならないけど。

政治家は生き死にがかかった様な決断を迫られる場面もあるわけで、それはしんどいだろう。
しんどさに鈍感か、余程の使命感に駆られた人間だけが、その決断をになえるのかもしれない。

そんな決断をする人間を選ぶ決断をして投票箱に紙を滑り込ませる。

映画館へいきたい【2026年02月02日】

月末は1月二度目の行政がらみの会議。

会議といっても1時間半しかないので、各所報告とごく簡単な質疑応答のみで終わり。

久しぶりの知り合いに出会い、おーっと歓声を上げる。


寒さが戻って、外に出るのも面倒ではあるのだが面倒以前に仕事が終わらず家に篭りきり。
映画も一体いつから観ていないのやら。
近所の映画館にいくのすら憚られる。
春までは黙々と仕事をするしかないか。

ハサウェイは映画館で見ないと絶対見ない気がする。
暗いから。

SNSでは皆ハサウェイについて語っている。
しかも演出など技術的なことについて。
画がすごいのは、そうなのだろうけど。

とにかく映画館へは行きたい。

昔、渋谷にあったパンテオンで映画の上映前にラッパーのIce-Tが挨拶したいといって突然スクリーンの前に登場するという出来事に遭遇したのだが、いったい何の映画だったのかタイトルが思い出せずにいた。

ほんとにIce-Tだったのか?も怪しい記憶になりつつあったが、キアヌリーブス主演の「JM」を観に行った時に違いないと先ほど分かった。

彼が確かに出演しているし、パンテオンで見た記憶がある。

戸田奈津子が通訳で付き添っていた。

しかし、その時来ていた客はあの広いパンテオンに数人か、せいぜい十数人だった。

たぶんIce-Tのことを知っていた人もほとんどおらず、突然のアナウンスにも鈍い反応だったと記憶している。

詳しくは覚えていないが丁寧に感謝を述べ、さらっと去っていった。
なんだか申し訳ない様ないたたまれない気分になった。
客入りの悪さは映画の出来を考えれば致し方ないと思う。

マトリックス以外はパッとしなかったキアヌもあの頃の微妙な扱いに比べたら随分と人気が定着したし、おたく的な文化もキワモノではなくなった。

おたくは表に出られるようになった代わりに、オタク文化のアジールとしての機能は縮小している気はする。

日に当たりすぎるのも気をつけないと逃げ場を失う。

寒さは和らいで欲しい。
ラナンキュラス・ラックスの苗を買ったが寒さが落ち着くまでは植えるのを待つ。

雨が降らない【2026年01月24日】

年初からなんだかバタバタ。

2日にむぎを火葬して、行政絡みの会議やらもあり、レプリカは追い込み中。

動画協会の新年会では久しぶりの人に会えた。

年明けから約束していた人の作品のコンテに手をつける。
人の作品は気楽で楽しい。

なんかよくわからないけど仕事へのモチベーションは少し上がった。

植物もほったらかしだったが、枯れたセンニチコウとPWのユーフォルビアダイアモンドフロストを引っこ抜いてサントリーのウィンティーとローダンセマム・リルピンクを植えた。
黒っぽい花の咲くセージも。
しばらく雨が降っていないので2週間くらい?ジギタリスがぐったりしていて水をやる。
まさか夏越しした株なので春が楽しみ。

巨大になったアマリリスの球根の鉢が歪んでいるので春に咲く前に植え替えないとダメかもしれない。

いまいち育たない植物も他のものに入れ替えたい。

加藤一二三が亡くなった。

解散総選挙、だとか世界はもバタバタしてるがまあのんびりやろう。

アイキャッチ画像変えようと思って忘れていた。

見送った【2025年12月31日】

むぎは土曜に病院に行って、1、2日持たないだろうと思っていたが驚異的な生命力で4日も生き延びた。

食事は病院に行く前の晩から何も食べておらず、ここ2日くらいは水もほとんど飲んでいなかった。
たまに注射器で入れてやった水を飲み下すくらいのものだった。

家に来た時は6歳くらいの推定年齢とのことだっが、先ほど保護主からの連絡で昔のカルテがでてきたらしい。
それによると2015年の生まれ、で10歳くらいだったようだ。
6歳にしてはしては少し鈍臭いと思っていたが納得した。

1本しかない歯はキュートだったが、多頭飼育していた老人の扱いの酷さが窺える。
家に来た当初は子猫の様におもちゃで遊んでいて、子供返りしていたようだ。
異様に人懐こく、老人が最後まで手放さなかったのも納得できる気がする。

むぎは老人の家を脱走し、飼い主を探し当てたところ多頭飼育崩壊の現場だったということらしい。

今日の昼間は比較的穏やかな顔をしていて、人の動きに顔を上げて見つめたりもしていた。なにせ人懐こい猫だったので、そこにいろ、ということだったのだろう。

逝ってしまう直前までは、なんだかこのままずっと居るのではないかと思ってしまうほどだった。

こちらの気持ちも少しは落ち着いて、いつものように接してみとってやれた様な気はする。
家の中は1年前にタイムスリップした様だが、むぎの爪痕はしっかり残っている。

前にも世話になった葬儀屋に大晦日の18時過ぎという時間帯に連絡してみたところ、1月2日から対応してくれるとのことで、助かった。

今はあまり実感も湧かないが、しばらくしたら喪失感がどっと押し寄せてきそうだ。


やろうと思っていた仕事はあまり進んでいないので、正月は年末に片付ける予定だったものを片付けねばならない。

ベテラン演出家が担当していたものを引き継いでいたものだが、基本的なことができていなくて唖然とする。
編集の時に気づけよという話なのだが、ベテランだし後で何とかするつもりなのかとタカを括っていた処もあり、非常に反省した。

とはいえベテランを叱責したりするのも嫌なものがあり、憂鬱。


むぎの病気を知る前日、voilの忘年会があり大高くんに参加せよと言われたので顔を出した。
久しぶりに若者とたくさん話して、というか社長大高くんに送り込まれて私のところへ来ていたのだが、皆なかなかのキラキラで前向きな若者たちで少し心が洗われた。

結構いい会社だな、voil。


年を越した感覚はない。

2026は仕事も心も空っぽ。

何かで満たせるだろうか。