しばらくはゆるりと

ゆるりと仕事再開。

しばらくは絵コンテマンとして活動することになりそう。

全く知らない監督の仕事はあまり来ないものではあるのだが、自分ではない人にコンテを提供するときはどういうスタイルがいいのかなという探りを入れたりしてなるべく監督のスタイルに合う様に考える。

とはいえ、他人と同じものは絶対に描けない。

絵コンテだけの仕事を請け負う様になってずいぶん経つけれど、真似しずらい理解しずらい微妙な表現はオーソドックスに作る様にしている。

絵コンテにオーソドックスも何もあるのか、と言う向きもあるかもしれないが有る。

キャラクターの捉え方(人物造形)お話の捉え方が極端に間違っていなければ、あとは基本的な映像文法を守ったあげるだけで監督は絵コンテの修正が圧倒的に楽になる、と経験的には思う。

キャラクターとかお話の理解を除くと、技術的な違いが大きく出る部分は3つある。

一つはイマジナリーラインの作り方。

一つはカメラの高さ。

一つは話題の対象を写すかどうか。

一番面白いなあと思うのは、話題の対象を写すかどうか、のところだと思う。

話題の対象とは何かというと、例えば何か会話をしている人物が二人いたとして、そのうちのしゃべっている人を写すかどうかみたいな事だ。

そんなの普通しゃべっている人がいたら、その人を写すでしょと思うかもしれないが意外とそうでもない。

しゃべっている人の話を聞いている相手はどんな顔をして聞いているのか、という事が重要な場合はその表情を写すということがあるが、この場合は一般的な話題の対象を写しているという認識で良いと思う。

例えば、長いしゃべりの時に窓を写すみたいな演出はアニメでは非常に良くあるのだが、私はこれは話題の対象を写さない演出に分類する。

これが悪いというわけではないのだが、外す必要がないのに外している場合や、外してはいけないのに外してくる人もいて、さて何故だろうかと考える事が時々ある。

話し手の表情を想像させる、セリフに集中させる、それぞれに色々理由があってやっていることだろうと思うのだけれど憧れた作品からの影響というのも強くあるのじゃないか。

エヴァ以降といって良いかと思うのだけれど、深夜アニメなどで対象との向き合いが少し変わっている様な変わった演出が流行っていたと思う。

その影響を強く受けている人は結構いて、その事に自覚的ではない人もおり、自覚的でないと作品によっては全然合わない場合がある。

最近の主流は割とオーソドックスなスタイルに戻っているという印象を私は持っていてオーソドックスはやはり出来た方が良いと思う。

オーソドックスなものは見飽きてつまらないみたいな時代は終わってしまってオーソドックスなものしか見られないような時代になってしまった気もして、それはそれでどうなのよと思うけど伝統の中で育まれた王道なスタイル、方法論はやっぱり重要。

大作映画も基本的にはオーソドックなスタイルに則って造られている様に見受けられる。

まあしかしオーソドックスが体系的に教えられている場所、というのが今はハッキリと存在していないと思うので伝統が教えられる場所があるといいね。

ハッキリ教えられてないのに、やっぱり存在する伝統問いのも凄いもんだと思うが。

4月の近況

4月1日は「おとなりに銀河」の1、2話先行試写会があり、覗きに行った。

一般の方向けの試写だったので当然お客さんの反応が見たくて行ったのだが席は最前列だったので、あんまり分からず。しかし上映後は拍手をいただいたので、まあ概ね好評価であったと解釈させていただきました。

私の隣には原作者の雨隠ギドさんと旭プロダクションの河内山P。ギドさんとは最終話のアフレコ以来の再会かと思う。

もののがたり、おとなりに銀河と原作ものを監督として担当するのは初めてだったが、快適に仕事をさせてもらった。おとなりに銀河は実写ドラマも同時期の放映となり、比べて見ていると技法の違いや尺のフォーマットの違いで原作のアレンジの仕方が違っているのがとても面白い。

アイカツプラネット!で実写の現場を見せてもらったので違いが分かりやすく感じられて楽しい。

偶然だけれど実写の方にアイカツプラネットでディレクターとして入ってくれていた國領くんが参加していて、そこも楽しみなのです。

まさか同じ原作で仕事しているとはね…とお互いびっくり。

あちらは15分枠で帯なのでアニメの方がゆっくり展開することになる。

最近読んだ本

「会話の科学 あなたはなぜ「え?」と言ってしまうのか」ニック・エンフィールド

これは思っていたより面白かった。

会話は言語だけで成立しているのでは無いうような研究を一般向けに解説したもの。言語学だとあまり大きく扱われてこなかったような分野の研究が最近進んできたらしい。我々は虚構の会話をたくさん作るのだが虚構をそれらしく聞こえるようにするという技術は経験的な感覚に頼ることが多い。

こういう研究を読むと自分達の感覚は、ある程度間違ってなかったという確信が得られるし、創作にある程度客観的な根拠を持って迷わず作れる。

基本的には英語の会話ついての研究が軸なのだが、会話は言語関係ない構造があるという辺りが面白い。

とはいえ、まだまだ研究は始まったばかりという雰囲気なのでこれからに期待したいのと、参考文献をもう少し読んでみたいという気になった。

「語り芸パースペクティブ」玉川奈々福 編著

これはしばらく前に出た本なのだけれど、とても面白かった。

日本には様々な語り芸が有るのだけれど、その分野の重鎮たちを呼んで実演とその芸について語ってもらった講演記録。

講談だ落語だ文楽だ歌舞伎だと私もほとんどまともに見ていないのだが、自分のやっていることも語り芸の一種と言える気がするし日本の伝統の影響は無意識の中に必ずあると思う。

自分のやっていることのルーツを探りたいというような事で伝統芸能、特に語り芸には今大変興味がある。

この本は芸能のつながりの一端を垣間見せてくれてとても良い。

今更だが古典を勉強してみようと思わされる一冊だった。