山は越えた…と思いたい【2025年10月12日】

ここ2週間は演出している話数のマーキング用のレイアウトチェックとオールラッシュ、打ち合わせなど仕事が山積でへとへとに疲れた。

なんとかマーキングは終わったので、レイアウトを仮チェックのままにしているものなどを出し切れば一息つける、はずだったのだが他話数の手伝いをしなければいけなくなった。

気分的には、大変なところは過ぎたのでよし。


紙媒体のレイアウトをデジタルでチェックするのは、とても手間だ。
タイムシートを直すにしても、紙で書かれたタイムシートをスキャンした画像データでは鉛筆で書かれた絵のタイミングと何秒何コマなど表す印刷されたフレームが一緒くたに画像になってしまっているので鉛筆のデータだけ消したい場合も、フレームごとごそっと消えてしまう。

逆にデータで書かれたタイムシートを紙に印刷しなおした場合も、タイミングのデータだけ消すことはできないので直したいときは全部書き直す羽目になる。

いずれは紙は基本的に使われなくなくなるだろうが、この混交した状況はあと数年変わらないと思われるので少し気が滅入る。

もともと効率化とは程遠い様な仕事だが、すべてデジタル化してしまえば色んな部署で省力化出来ることが少し増えるはず。


voilの若いアニメーターたちは全員デジタル作画。
比較的みんな、しっかりとした絵と動きを描いていて感心した。

良い人だけを採用するというのは、なかなか難しいので社内の育成がうまくいっているのだろうと思う。

昔は、よほどのスタジオでなければ新人は結構画力の差が激しい印象だった。
もともとの粒が揃っているということもあるのだろうか。

ネットでうまい絵を見られる機会は圧倒的に増大していて、その影響があるような話は時々聞くけれど。


演出の方はどうなんだろう。

最近、ほとんどテレビアニメは見ていないので演出の技量のアベレージみたいなものが全くわからない。

自分の仕事の中で出会う人は、まあ大体普通というか年齢やキャリア相応の力量や悩みを抱えているといった印象。

制作からは演出の技量が落ちているような話はよく聞くのだが、明確に自分で実感してはいない。ベテランたちが体力的に辛くなってきているのは実感している…。

金曜はアイカツ×プリパラの初日で19時の回の上映後の舞台挨拶に呼ばれて見てきた。

女の子のファンがちゃんと来ていて楽しんでいた様子だったのが印象的。
通路を挟んだ隣に座っていた子は上映後に目元を拭っていた。

舞台挨拶の中で両方の作品見ていたかの問いかけに結構手を上げている人がいて、意外な驚きがあった。

少し裏に挨拶に行き、下地紫野嬢がいつになくテンションが高めで何だかありがたい気分を味わう。もう作品が終わって10年近く経っているのだ。

映画はステージてんこ盛りで、ファンなら誰でも楽しめるだろう。

舞台挨拶は結構な回数やる様で、監督の大川くんは毎度の様に引っ張り出されるので、これでだいぶ慣れるだろう。
初日はやはり若干緊張気味だったと思う。
自分の時のことを思い出す。

あまり自分ではわからなかったが、ずいぶん緊張していたと思う。

呑んで帰りたかったが、最近酒が残るのでそのまま帰宅した。

ロロ「まれな人」【2025年09月29日】

土曜ロロ「まれな人」観劇。渋谷ユーロライブ。
いつもの内古閑さんと。
「BGM」の様な人情噺。良かった。

直木賞作家とその編集担当が、ひょんなことから作家の中学生の頃の友達を探すことになるが、という出だし。

会いたいが会えない。

会えないまま思い出すという行為の中で、友達は鮮やかに蘇り、触れそうに近づいたところで友達は出会いを拒否して、しかし作家の中に色褪せずに残った。


出会って仕舞えば浦島太郎の様に、時間は白い煙となって吹き出して否応なく目の前に突きつけられる。
魔法が解かれることを拒否するには会わないという選択をするしかない。

私も玉手箱はあまり開けたくない方かもしれない。

日曜はJAniCAの仕事。
レプリカの仕事も立て込んでいる。
しかし二日酔いっぽくだるい。

夜中にウチのオス猫2匹が大騒ぎをしていた。

若い方が年嵩の方を追いかけ回して(本人はじゃれついてるつもりと思われる)年長猫は悲鳴をあげていたのだが、年長猫の方が明らかに体格がいいし、本気で戦えば勝てると思うのだが、どうもそうはならない。

関係性が固定化されてしまうと、そこから抜け出すのは心理的に難しいということなのか?

不思議だ。

9月も終わりかけ。

少し涼しい日が増えた。

寄せ植えにしたジニアの一つが枯れたので黄色と黄緑、2本のセロシアに植え替え。

他にもいくつか植え替えた。

春の終わりに買った宿根草は夏越しがうまく出来ずほとんど枯らしてしまったので秋にでているものを見に行きたい。

先週はレプリカの初ラッシュ。

同じ日にあったプリパラ・アイカツの初号にはいけず。

映画館で見るのを楽しみにしておこう。

夢・カイガラムシ【2025年09月24日】

久しぶりに夢を見た。保くんと呑んでいた。
夢を見るのは健康の証らしいので良きことなのだろうか。

行ったことがある、と夢の中では思っていたが多分架空のバーだか居酒屋で何か話していた。

途中トイレに行きたくなって、フラフラと店を出て知っている道のはずなのに帰りつけず目が覚めた。

夢の中でも方向音痴なのは変わらないのか。

方向音痴は方向感覚が鈍いのになぜ音痴と呼ばれるのだろう。

音痴は音が外れる、あるいはリズム感がない人のことだが、菊地成孔によると大体はリズム感を掴めば音痴は治るらしい。

方向音痴は行く先の位置がよく分かってないうちに、えいやと進行方向を定めて歩き出してしまうというパターンが多いと思う。
あるいは道を知っている気になっていて考えるのが面倒とか。
途中からは間違っている気がするけれど、それを認めるのが嫌になり結局と方もない時間がかかる。

間違いを認められない、認めたくないというのは人間誰しもあることだが、認めないと目的地には着かないということ方向音痴は学ばせてくれる。
学んだからできるというものでもないが。

夢に出る、ものは健康な時は意識の上に上らせても良いもの、ということらしい。
不健康な時は現実での思いだしたくないことなどが、そのまま夢に出る様な状態。

悪夢でも何らかの加工がされていれば、それはきっと意識に上らせてよいものということなのだろう。

なんで居酒屋で飲んでいたのか、道に迷ったのか分からないが、加工されているということは、まあ心体は悪くもない状態ということか。

双子のライオン堂の店主が文学カウンセリングの話をしていた。
文章を書く、自分のケア、セラピーになるという話らしい。
最近流行りの日記(日記ばかり売る書店がある)もその流れなのではないかという。
このブログもほぼ誰も読んでいないし、似た様なものだ。

カイガラムシの殺虫剤を買ってきて噴霧した。
効いてくれるといいが。

オルトランDXも撒かなければいけない。

原作と同じとはなにか?【2025年09月18日】

SNSでぼっち・ざ・ろっくの脚本家の講演録が炎上していた、ようだ。

脚本家が原作の一部をノイズ(記事のタイトルにも使われた)として削除した、という部分に食いつかれていた。

そのノイズというのが性的表現に関するもので、余計に火種となったのだろう。

脚本家が原作の当該部分をノイズと判断した、という受け取られをしていたが、発案が脚本家だったにせよ、原作者も含めた会議体が判断したのは本文を読めば明らか。

延焼したのは知念実希人という小説家とくりした善行という元国会議員が参戦したからだろうか。

炎上させている輩は、インタビューを読んでいないか読んでいても読めていないか、倫理が欠如しているかという、ところなのであまり興味はないのだが、くりした善行のポスト(しかも英語の)中になるべく原作通りに作ってもらいたい、という趣旨の発言があったのは引っかかった。

漫画であれ小説であれ、アニメ化ドラマ化の際に原作通りである、というのはどういうことなのだろうか。

原理主義的に言えば原作は原作そのものであって、原作通りとは原作を翻案しないということに他ならない。

メディアを移せば様々な形態の変容を余儀なくされるのが翻案だ。


アニメで言えば、テレビシリーズであれば1話20分、12か13本のフォーマットに起こすのが主流になっている。

そもそも漫画、小説は時間を持っていない。映像は時間が物理の時間が流れ、決定的な役割をする。

漫画の場合であれば、2〜3話数くらいがアニメ1話分時間を有するという場合が多い気がする(作品によって違う)

この段階で、原作と印象が変わるのは間違いない。
どこで1話が終わるのか、というのは必ず頭を悩ませられる問題で、映像の時間に換えると中途半端なところで話が終わってしまう、あるいは長すぎるということが起こる場合は少なくない。

そうすると、追加部分を作る、あるいは削除するということになる。
もうこれだけで、原作通り、など不可能。
削除、追加はメディアが変わる以上は避けて通れない。

しかし、可能な限り原作通り、という風潮は制作現場全体にある。
特に最近は。

何のためにアニメ化するのか、基本は金のため、で高邁な原作をより世間に知らしめるため、などということは殆どない。
売れている原作は、良くできている、ものが殆どなので金を追求することがつまらないものを作ることにならない場合が多く、儲かる作品を翻案することは良い作品を作ることと意外と矛盾しないことは多い。

しかし、翻案するということは原作が形を変えることなのであって、原作者が換える先の形について詳しいなどということは無い。
詳しいなら原作者がアニメ監督、映画監督になれば良い。
原作者が監督したところで原作通り、にはなり得ないのだが。


アニメ制作は翻案する意味を宙吊りにしたまま、作品をつくることが多くなってしまっていると思う。

数打ちゃ当たる、という方針だ。

それだけの数の作品に投資できる様になっているのは凄いことではあるのだが、なぜアニメ化?と疑問符が浮かぶ作品も多々あることは間違いない。
翻案の方法についてもあまり深くは考えられていない。

そして、今の様なやり方の翻案ばかりではアニメの作り手の技量が落ちていくのは間違いない。

秋は虫【2025年09月13日】

今週はひたすらデスクワーク。

そりゃ、この仕事は8割デスクワークなのだけど。

打ち合わせの類も少しあっただけ。


イスラエルは相変わらず派手に戦争している。
カタールの首都ドーハへの爆撃はなかなか衝撃。
ハマスのとの交渉をしていた場所を爆撃とかスパイ映画さながら。

ドーハといえばサッカー日本代表が最後の最後でゴールを決められ、あえなくワールドカップ行きの切符を逃した地として90年代キッズたちの記憶に刻まれているところ。

そこから日本サッカーはぐいぐい強くなって、今やワールカップ常連なのだから驚く。

キャプテン翼が週刊少年ジャンプで連載されていた頃は、日本サッカーはそれほど強くなかった。

翼くんの活躍と機を逸にする様に日本サッカーは強くなっていった、というか盛り上がっていった訳で大空翼は偉大だ。

wikiによると81年から88年の連載となっているから、私の小学校高学年から高校くらい。私ら世代は野球よりサッカーファンが多いんじゃなかろうか。

他のスポーツだと、それほど象徴的なキャラクターはいないのかもしれない。

野球は星飛雄馬が現れる以前から人気だったろうし、矢吹丈はボクシング人気を大きく引っ張り上げたというほどでもない様な気がする。

日本のアニメの視聴者の半分は海外の観客になって、上手くいけば翼くんのような影響力を世界に与えるキャラクターがまた現れるかもしれない。

違う言語で、同じ主題歌を合唱できたりするのは面白い。

コガネムシの幼虫に根っこを食い荒らされたプレクトランサスはなんとか生き延びている。
鉢から取り出した幼虫はどうもアリに襲われたらしい。
気の毒な気分。

アリッサムも虫に喰われて葉が殆どないが、一応生きているようだ。
結局一回も花が咲いたことがないので、いっそ処分するかと思っているが、一度くらい咲かせてみたく、迷って放置している。

とにかく今年は虫が大量発生。

薬を撒くしかないんだろうな。

暑さは和らぐ日も出てきたが、なかなか冷めやらない。

植物日記プレクトランサス楽しみ〜生存の危機・人を育てる【2025年09月07日】

プレクトランサス・モナラベンダー、シソ科の植物で紫色の綺麗で小さな花を沢山上げる。葉も表が濃い緑、裏側が紫で美しくリーフだけでも楽しめる。

去年の秋に買って地植えしたらそこそこ大きくなって花も沢山あげてくれた。
寒さに弱いというのでダメ元で鉢上げして極寒の時は屋内に入れたりしながら管理したら冬を越えてくれて、春には株もかなり大きくなり8号くらいの鉢に植え替えまた秋に花をあげるのを楽しみにしていた、のだが…。

苗メーカーの説明を先日目にした。花期が5月から11月とある。
え?全然咲いてないんですけど。

なるほど、短日植物で夏は日陰で管理するのが吉、ということらしい。

短日植物は日の長さが短くなると花を上げる。

なので日向に置いていれば、そりゃあ花は上がらないわけだ。

葉焼けして結構葉を落としてしまったくらいだから咲くわけがない。
日陰は日陰で日が当たらなすぎると、植物は調子を崩したりするので難しい。
今年はそれで枯らしてしまったものも随分ある。

近頃は日もだいぶ短くなってきたので、そろそろ花芽が上がってくれるかもしれない。

去年とは比べ物にならないくらい株は大きくなったので、花も沢山上がるはず。

*と思っていたら…翌日バッタリと木が倒れていて、鉢をひっくり返したらコガネムシの幼虫が何匹も出てきた。根はほとんど食べられていて根本近辺に僅かに残るのみ。
これは復活が難しいかもしれない。カイガラムシの様なものも着いていた。


人間も、もはや短日植物みたいなものだ。日が短くならないと活動の幅が大幅に制限される。
危険な暑さ、という言葉が文字通りの意味をもっていて、夏は体温と同じか、それより高い気温を頻繁に記録するようになってしまった。

冬と夏の間のグラデーションがなくなりつつある感覚。

それはそれで、人間は慣れていくものなんだろうけど、ちとしんどい。

植物ですらしんどそうだ。

Les the DJがかけていたNORIKIというフュージョンバンドが気に入った。
野力奏一と言う人のバンドらしい。

ブルーノート主催で秋にやるフュージョンサミットに行ってみたいが暇があるのか?
鳥山雄司のバンドが見たい。

KIKIというタイのポップスのバンドも日本に来るので見たいのだが月末なので無理かな。

文化庁の「総合的なアニメーション人材育成に関する実証研究事業」というのが動き始めた。
とにかく人が足らねえ、と言っているアニメ業界でどうやったら人が育てられるのか、今まで集まったことがなかった様な人が集まって、数年かけて研究しようという事業だ。

現場で学校で何を教えているのか、現場で必要な技術とは?何処にどのようなノウハウが存在しているのかなど、人材育成に関する広い調査研究と、可能ならノウハウを統合・蓄積・共有するみたいなことをやろうとしている。

今は手探り状態だが、せっかく税金を突っ込んでやるのだから、成果は出して欲しいと思う。


個人的にも来年は演出を育てることに手を貸すことになりそうだ。

今までちょこちょこと教えたことはあるものの、時間をかけて体系だって教えた経験はない。個人的に調べていたことを少し急いでやらないといけないかもしれない。

(アニメの)演出家といっても
大きくは、各話演出、監督の2種類に分かれる。

優秀な監督になる様な人材を育てたい、と言われると相当にハードルは高そうだが、そこそこ食っていける程度を目標とするならば、何とかなるだろう。

監督であっても、「そこそこ」で今は十分かもしれない。

人を育てる、なんて昔のアニメ業界はまともに考えていなかった。
それに比べれば随分マシになった。

平気でウチは即戦力が欲しいんだ、みたいなことを言う奴がいたが、アホかと思う。

暑【2025年08月30日】

久しぶりの更新になってしまった。

ここしばらく肩こりなど酷すぎて仕事するにもしんどかったのだが、朝も涼しくなったので散歩へ。
5時だと少し前までは前日の暑さが引けきらず生暖かい空気だったが、だいぶ涼しくなった。
1時間くらい、いつものルートを歩く。
仕事帰りなんかで、なるべく歩く様にしていたものの荷物を持たず腕を振って歩くのが、やはり良いらしい。
肩こりがマシになった。
しかし続いてはいない。なぜか早めに寝ても目覚めず、睡眠時間はやたらと長くなって、それはそれで悪いことでもないのだけれど午前中でも暑くなってしまうと散歩にでるのは憚られる。


散歩途中でウェストリンギアの1メートルくらいある植え込みを見つける。
葉も随分大きいのだが、斑入りの葉が綺麗な印象は変わらない。
うちにあるのはまだ15センチくらい。
1メートルまでは地植えにしないと難しいのだろうし、何年かかるのか。
しかし、そのうちに鉢増ししたい。

カラスがカマキリを狩っていて、私が近づいたのに警戒して足を離したがカマキリはだいぶダメージを受けていたので難を逃れた訳ではないだろう。
カラスは何となく目線を逸らして素知らぬふりをしていた。

ジニアが、あちこちの家で咲いている。
どこも花上がりが良くて、背が高い種類もシュッとしている。
うちのは徒長気味で、日当たりが極端に悪い訳でもないと思うが、ジニアはがっつり日が当たっていないとダメなのだろうか。
しかし夏は葉焼けしてしまっていたし、どうしたものか。
切り戻せば良いのか?

サルビア・白くまが、なんだかしょんぼり。
新芽は出ている。
古い葉を切ってやったら少し勢いがも立ってきた様子。
どうも、夏に花が咲くらしいのだが、うちのはまだ株が小さいからか咲かなかった。

アリッサムの葉が盛大に喰われていた。
犯人発見、なんの幼虫だかは分からない。
いや、調べて判明した葉巻虫というものらしい。
二度目の薬を撒いた。
少しづつ復活はしてきている。
今度こそオルトラン(殺菌・殺虫剤)を撒かなければいけなさそう。

アスターの新芽が増えて完全復活の兆し。

チューベローズ、咲いている。
香りは思ったほどではない。
時間帯が悪いのか?

プレクトランサスは夏に傷んだ葉が多く見た目は悪いが、元気そう。

ヘリアンサス・レモンクイーンは風でバンバン倒れるが元気。
ヘリオプシスは茎に支えを入れた。花つきが良い。

ところが、ヘリオプシスが突然枯れ始めた。
病気なのか?白っぽいうどんこ病とも違う様な粉が少しついているが、本当に突然。
もう少し様子は見るが、ひと目は難しそう。
花が結構咲いていただけに悲しい。
根腐れしている可能性もありそう。

いちじくも風で倒れたりしなければ幾つか実が取れそう。
ひとつ完熟していたものがあったので食す。
めちゃくちゃ甘くて美味しい。

仕事はすごく切羽詰まった状況ではなくなったものの、落ち着かず。

STORYBOARD PROを最新バージョン25に変えたら結構軽くなった気がする。

やはり軽さは差御意の速さに大きく影響するので助かる。

増えた機能は、それほど面白いものはなさそう。
縦書きの文字に対応して欲しいのだが。

最近読んだ本は辻田真佐憲『「あの戦争」は何だったのか』、難波優輝「物語化批判の哲学」。

「物語化批判…」の方はとっちらかっていて深掘りできていない感じ。テーマは面白そうだったので読んだのだが。
結局、物語化批判のパートは全体の半分くらい。
前提としている物語についての整理くらいはして欲しかった。
面接などで語る自分の語りの罠、みたいな良い切り口はあった、精神分析に対する批判みたいなもの。

辻田真佐憲の本も実は物語についての本なのだが、こちらはとても整理されて分かりやすくテーマも興味深くて面白かった。

こちらは物語化批判に対する批判みたいな話で、結局物語を作るしかないのだったら、マシな物語を作るしかないじゃん、じゃあどうすればいいの?みたいな話。

「物語化批判…」の方にも歴史の話は取り上げられていたが、ただ取り上げただけみたいな印象だった。

夏が終わらない。

仕事の告知出たり【2025年08月10日】

私もちょいコンペで参加してた作品が制作発表されていた。

なるほど…という布陣。

監督は作画出身の人でスタジオも結構作画は頑張るところだと思う。

ビジネス周りのパートナーがどんな布陣なのか?

あの作品は、制作単体で決まる訳ではない筈なので。

私たちのチームは落ちた訳だが、大変な作品制作になることは必至だと思うので、自分が決まってたら胃に穴が空いてたかもしれん。

他人の作品はともかく自分の作品も情報解禁された。

「レプリカだって、恋をする」

1年以上ぶりの告知か。

もはや自分の制作能力とは関係なく、皆が寡作になっていく。

一つの作品を作るのにものすごく時間がかかる。

作品は青春、恋愛ものだが、仕掛けが面白い。

シンプルなアイデアを使い倒しているのが素晴らしい。

アニメの方はかなりギュッと圧縮した作りなので飽きずに見られるとは思う。

王道のボーイミーツガールな描写もあるので、割と幅広く楽しんでもらえる作品になっている…はず、まだ完成していないが。

意図せずなのだが、比較的に自分の色が出ている作品になっている。

青春ものの仕事がいつまで自分のところに来るだろうか。

アニメ自体は若い人に向けた作品が多いので、ボーイミーツガールな作品の割合は減りはしないだろう。

内容によるが、歳を取れば作り手と作品の距離は開くので、ずっと作り続けるのは難しそうだ。

恋愛は年齢関係ないので、青春とかでなければ意外と大丈夫。

要は登場人物と作り手の年齢があまりに離れていると、(心情的な)背景の描写も含めて難しくなるだろうということなのだが。

中年向けアニメもこれから増えたりするのだろうか。

リメイクは中年向けではある。
最近のリメイクの多さは、中年の観客が増えたからと思えば自然だ。

登場人物が中年だからといって、中年が見る訳ではないかもしれない。

植物は、最近葉っぱが喰われまくっていた原因はバッタらしいことに気がついた。

いくつかの植物で、あり得ないくらいあっという間に大きな穴が空いてた上に特に幼虫的なものも見つからずで、はて?と思っていたのだが小さなバッタが跋扈していることに気がついた。

バッタを駆除する薬もある様だが、どうも薬を撒きまくるのも嫌だな、と放置している。

少し収まっている様なので、様子見。

梅雨はダンゴムシ、アブラムシなど、今は蟻が大発生している。

植物が沢山あると虫が増えるのは、致し方ないのだろうが、枯らされるのは勘弁してほしいので、来年はやはり事前の対策がもっと必要なのかもしれない。

ここ数日、暑さが少し落ち着いた感じがする。

鉢も水が切れていない。

少し雨も降ってくれたので、地植えの植物もしばらくは大丈夫そう。

終戦から80年ということで、テレビの特集なんかが沢山やっていて、つい見てしまう。

YouTubeには、NHKの映像の世紀でも使われていたアメリカ軍の撮ったドイツの強制収容所の映像なんかが転がっている。

酷すぎて現実とも思えない光景。

ブルトーザーで折り重なった遺体を押しやりながら移動させてる映像なんか、作り物の様に見えた。


アニメも音楽も戦争も人間に熱狂をもたらす。

人間が身体から湧き上がる何かに抵抗することは極めて難しい、ということについて最近考えている。

30年前の高畑勲【2025年08月04日】

ETV特集で高畑勲が火垂るの墓を作っていた時のノートが見つかったという番組をやっていた。
内容は大したことはなく関わった人間の感想的インタビューが主で、肝心のノートは脚本の準備稿らしいが詳しく中身に言及されている訳でもなかった。
空襲にあった体験を岡山で講演している映像があって、それを長く見せてくれた方がよっぽど良かったと思う。


しかし、あらためて火垂るの墓を制作していた時の高畑の歳を知り今の自分とほぼ同じ年齢ということと、私が出会った時、彼はちょうど還暦くらいだったので制作から10年も経っていなかったことに驚きを覚えた。

その間に、おもいでぽろぽろ、ぽんぽこ、と2本の映画を制作しているので2年に1本の大作長編映画を作っていたことになる。

それはすごく働いていたということだ。
今の自分の体力を思うと、かなり過酷に思える。
30年前の高畑は確かに元気だった。

それとは別に現状の人手不足の状況では、そのペースでまともな映画を作るのは不可能だろう。

若い作り手が沢山いてすごい時期だった、ということだ。

火垂るの墓が上映された頃は高校生で友達と見に行ったが、比較的封切り直後に見に行っているはずなので、節子を火葬するあたりは動撮だったのだと思う、が記憶にはない。

リアルであれば、おばさんの家を出るなどということはあり得なかった筈で心中物と思って作ったという様なことを高畑は話していて納得した記憶がある。

30年前、高畑が先生をやっていた塾の最終日、就職したやつはいるかと聞かれ私ともうひとりふたり手を挙げた奴がいた気がするが、どこに就職したのかなどしつこく聞かれて、決まらなかったらジブリで拾ってくれたんかな?と思ったりもしたが、ジブリに行ったとて演出家には成れなかっただろう。

ということで、番組内容はともかく懐かしさを感じた。

昨日は中野でロロの30分ほどの短編芝居をいつもの内古閑さんと観た。

短編の割にはロロっぽくとても良かった。

全然違う時間軸の会話が噛み合い舞台上で重なるのは三浦節で舞台ならではの面白さがある、と毎度思う。

歌も入って、ハンサムな大吾を思い出した。

もう板橋駿也がいないのが残念ではあるが。

終わった後は少し2人でご飯。

楽しかった。
少し元気が出た。