アバター見たことなかったので

先日、2に向けたリバイバル上映をやっていたのでアバターを3D IMAXで鑑賞。
流行りの映画は見逃しまくっている人生だが、しょうがない。
滑り込みだが見られてよかった。
サービス精神に溢れまくっていて楽しい映画だった。
アフリカンなエスニックイメージへの憧憬とエコの真っ直ぐな接続はどうなんだ?とは思うが、そんなことはどうでも良くなる程、美しくこんなものを3DCGで作っていたのかと思うと気が遠くなる。
2009年公開だから制作は十数年前なので、凄すぎる。
リバイバルに当たって手を入れたりはしているのかもしれないが、それにしても。
概ねは現実にあるものを下敷きにしているようだが、デザイン作業だけでも気が遠くなるほど膨大だったに違いない。
シダの歯が生い茂る森の中をキャラクター動き回るのだから、それだけでえーーーーっと思う難しさがある。
映画の冒頭の方は、わざと被写界深度を浅めに作って3Dの奥行き感を強く感じるように作ってあったが、そうすると却って画面が狭く感じてしまうなあ、とおもっていたら後半は、あまりやりすぎないように良い塩梅に調整されていた。
被写界深度が浅いと画面が狭く感じるというのも不思議だなと思うがIMAXで見ていても画面の端を感じてしまうのだから人間の視野がいかに広いかということの証左かもしれない。
3D映画を見た時のミニチュア感はなにが原因なのだろうと、ずっと思っていたがピントの合い方が肝なのかもという発見があった。
遠近法は鑑賞するのに適切な距離がある、という話も思い出したりして画面と鑑賞者の関係は時間が出来たら考えてみたい。
何が一番感心したかというと、シナリオだ。
セリフがすごく良いとか予想を裏切るような構造ではないけど、お客さんを楽しませるという意味で凄く丁寧につくられている。
サービス精神が旺盛なのだ。
娯楽ドラマの凄く基本的な構造として前半戦でネタを振って、後半戦で回収していくというものがある。
アバターは、それを丁寧にやっている。
ネタといっても大小で、時間をかけて明かされていくような謎などの大ネタと少し出てきた脇役のキャラクターなどの小ネタ、色々な仕掛けができる。
アバターのシナリオは前半戦で振ったネタを後半で丁寧に拾っているのと、これやったら面白いよね、と思いついたものをギリギリまで詰め込んだ感がある。
ラストのバトルにヒロイン(ネイティリ)が乗る動物とか、あ、これ拾うんだ!と感心した。
どこまで最初から計画されていたか分からないけど、前半に観客に振った視点(世界観)が後半で綺麗に逆転していくような作りにしてあって、それが上手く機能している。
しばらく前に見た羅小黒戦記(ろしゃおへいせんき)も同じ作りにしてあったな、と今思い出したが定番かもしれないが上手く作れば効果的だ。
羅小黒戦記も環境問題ネタなので比べると面白いかもしれない。
人型兵器が最後に使うのやシガニー・ウィーバーの出演はキャメロンのセルフパロディーで、ああいうのところもサービス精神の表れなのかなと思う。
振ったネタを拾うというのは簡単なようで、なかなか難しく思いついても予算や時間の関係で入れられないということは間々ある。
アバターもシガニー・ウィーバーのキャラクターのアバター(ややこしい)が部族に受け入れられるあたりは思い切りは端折っていた。あそこを描いたらあと30分か1時間伸びていただろうから仕方ないのだろう。
それでもかなり丁寧にあの世界で出来そうな面白いネタはしっかり掬い上げていた。
大ヒットした映画を十数年経ってから見て感心したも無いもんだが、すごく感心したし楽しかった。
予算のあるなしに関わらず、あのサービス精神は見習いたいものだ。
WAY OF WATERはちゃんと封切り時に見に行こう〜。

久しぶりに髪も切った

いよいよ仕事が落ち着いてきて、少しホッとしている。
猫の相手をできる時間も増やせそうだ。
しかし、仕事が落ち着く、終わるということは我々フリーランスにとっては無職になるということを意味するので、毎度どうしたもんかな〜と考えるのだが、やっぱり休みたい。
若い頃ほど金がないわけではないので、多少のモラトリアムの時間は確保できるだろう。
仕事もまあ、くれと言えばあるようなご時世なので十数年前よりは気楽な状況だ。
リーマンショックのあたりは仕事がごそっと減って肝を冷やした業界人もすくなくないのではなかろうか。
しかし、コロナ真っ只中の2021年の頭あたりは、さっぱり企画が決まらず暇を持て余していた。
あんなに暇だったことは仕事を始めてから経験したことがなく、今考えればなかなか悠雅な時間だった。
そこで暇した分、ここ一年ほど猛烈に働くことになったのだが、致し方ない。
とはいえ、クタクタになった。
昨今の企画は放映が始まる頃には全部作り終わっている、という作品が少なくない。
昔は、テレビで自分の担当している番組の予告を見ながら、やばい再来週うちの班のオンエアじゃん…とか思いながら仕事をしていたりすることはザラにあった。
デジタル化もそれほど進んでいない時代に良く間に合っていたものだな、とも思うが配信サービスなどの事情で昨今はそんなギリギリ納品はあまりない。(いや、また増えてきたという話も聞くけど…)
80年代は沢山の若い作り手がいて、それは人口の推移に伴い徐々に減っていき、いまだ80年代若者だった人たちに支えられているところは大きい。
しかし、皆んな歳を食って無理はきかなくなっているし、若い頃の無理が祟ってか早くに逝ってしまう人もいる。
そりゃ、昔のようなスケジュールではつくれないという訳だ。
良くも悪くもいい加減が通っていた80年代から90年代頭くらいまでは、作品のクオリティーの落差が激しかったかもしれないが、良いものはビックリするほど良く出来ている。
アニメに限ったことではないのだが、金があって人が沢山いた時代はこんなことが出来たのか…と驚嘆することがある。
今は極端にダメな作品は減ったように思うが、無茶苦茶すごいと思わせられるようなものも減ったかもしれない。
全体の作品量は膨大に増えたので、そこは本当に凄い。
相変わらずすごい才能の持ち主も沢山いるのだが、その人たちが一堂に会する機会はなかなか無さそうだ。
いや、一部の大きな予算を使える会社が凄腕スタッフをざーーっと集めていたりはするので、巷で話題のハイクオリティーな作品には、それなりにすごい人が集まっていると思う。
しかし、名もなき作品が突然すごいものを作ってしまうみたいなことは構造的に
出来にくい状況になったしまった。
今は潮目が大きく変わっている時なので、少し落ち着いたらまた面白いことが起こるかもしれない。
アニメは良くも悪くも(今のところは)若者文化だと思うので受け手と作り手の年齢差が近い方がいいんじゃないかと思う。
なので、才能ある若者をオジサンたちがうまく支えていくのが幸せな形なのかなと思う。昨今のリメイクブームを見ていると高齢者向けアニメもこれからバンバン作られる気はするが…。
はて、自分はどうしたものかと思うのだが、今は特に目標はない。
やりたいことが無いというわけでは無いのだが、仕事とは結びつかないかな。
若者に教えられることを教える、というのはしばらく前からやっているのだが、基本的には作品が動いている中でしか出来ない。
終わってしまえば次の仕事を求めて若者たちもバラバラに散っていくので、その間に出来ることをやる程度だ。
音楽のようにノウハウを求めてくるアマチュアがいるということはないので、私塾のような場所を作るのもなかなか難しい。
一年以上続くような長いシリーズをやっていた時は、教えていた人たちがそれなりに成果を出していた。
これからは、なかなかそういう仕事は無さそうなのでどうしようか…ということは少し考えている。
最近知り合いが50代で亡くなっていくので、私もいつまで持つかなぁ〜などと考えるが、自分のことは、とりあえずそれなりに楽しくやれればそれでいい、かな。