はじまった【2026年07月12日】

ついに新人演出育成がプロジェクトが始まった。

相手は演出志望の若い制作3人。

初回は何をやろうとしているかの説明と、ざっくり演出家の歴史や仕事内容の説明をする。

学生時代は映像の勉強をしてきたわけでは無いようなので、基本的なことはなるべく教える必要がありそうだ。

基本的なことってなんだ?
それを絞るのも結構難しい。

実践はコンテを作って、それを利用しながらやれることが色々ありそうかなと思っている。

初回はそこそこ楽しそうに聞いてくれたんではなかろうか。

しかし隔週でもネタを調べたり、考えたり準備をするのはなかなか骨が折れそうだ。
世の中の教師たちを尊敬する。

最初は特にゆったり進めないとこちらの準備が間に合わない。

週末は来週の準備。

そして急激に暑くなって、体調崩しそう。

最終回【2026年07月02日】

プリプロ(脚本造りなど、実際の映像制作に入る準備段階)から数えると2年半くらいレプリカに関わっていたわけで、頭の方は他の仕事も被っていたと思うけど、ほぼみっちりレプリカを作っていたせいか、終わったという実感が実は無い。

あと半年くらいは余韻が抜けない気がする。
単に疲れが抜けてないだけ…かもしれない。

意図せずなのだが自分らしさが出た作品になった。

絵コンテは4話分担当、演出もラスト2本を担当(12話は引き継ぎだったのだが)音響監督も兼任ということで、若干ふらふらになりながらも何とか走り切れてホッとしている。

スタジオはまだ若く、安定していないがやる気に満ちていて、おじさんが付いていくには少々きつかったけど、刺激と清々しさがあった。

とくに9話の飯田悠一郎くんは、私などとても真似できない恐るべき勤勉さを発揮していて、まだこういう人がいるのかという感動を覚えた。


作品への自分の興味としてはグリーフ(悲嘆)の部分にあった。
青春の嬉し恥ずかしや可愛い部分については、自分では判断つかずなるべく原作の描写に沿ったつもりだったのだが、上手くいっただろうか。

素直の物語をもう少し描ければ良かったなと思いはするが物語で使える時間は限られているので致し方ない。

諸星すみれちゃん(ちゃんと呼ぶのが憚られる立派な大人だけれど、もう一生すーちゃんと呼んでしまうと思う)と仕事が出来たのも大変感慨深かい。

音響監督の仕事はいい経験になった。
果たして私の演出はどうだったのか、諸星、高田の両氏に聞いてみたが分かりやすかったですよーと優しい言葉をいただいた。
社交辞令であってもホッとしている。

もちろん2人は新人音響監督の安心の要であった。

鈴木崚汰くんも素晴らしく、私の説明を真摯に聞いて考えてくれた。


音楽ラインを自分で引けたのが凄く楽しかった。
かなり長めに音楽は使ったので、本編で聴けない部分は比較的少ないと思う。

発注の時の想定も初めてにしては、及第点だろうか。
はらさんの音楽が良かったのでなるべく編集せずに使いたいと思っていたものの映像の尺が上手く合わせられなかった箇所もある。
逆にぴったりはまったところも。

テレビシリーズは駆け足になりがちなので塩梅は難しい。

もう一回くらいは音響監督をやってみたいかな。


さて、これでしばらく監督業は休憩になりそう。

ゆっくり出来るかは微妙なのだが…。

多少の時間はあるはず。

久しぶりの園芸店【2026年06月21日】

やっと少し仕事が落ち着く。

が、本格的に新人の演出を育てるという計画が動き出すようなので準備をしないとまずい。
多少時間が必要なので、しばらくはゆるゆると出来ることをやるしかない。
あとで整理しないと。

久しぶりに園芸店に行ってエキナセアを幾つか買ってきて植えてみた。
とにかく水をやりすぎないように気を付ける。
丈夫な筈なのに、ことごとく枯らしてきたので。

スカビオサ、ガザニアは暑さに耐えられず枯れた模様。

ヘリアンサス・レモンクイーンは植え替え時期を完全に逃して鉢から抜き取れなかったので新しい陶器鉢は鉢カバーにした。
風で倒れなければ良いので用は足りるのだが、根がパンパンに張っているので調子が悪くならないことを祈る。

アガパンサスはファイヤーワークスは沢山花芽をつけた。去年の倍くらい?
ブラックマジックの方は今年も咲かない。
主軸を間違って切ってしまったのが痛かったのかも。

モッコウバラの下のセージは全然大きくならず。
日陰だからだと思われる。
ホスタなら育つはずだが、他のものも探ってみたいところ。


ワールドカップが始まる。
地上波ではあまり放映がないので、日本戦以外はあまり見られない。

初戦の対オランダは先行されては追いつく展開で少ないチャンスをものにしていた。
随分日本のサッカーも強くなったもので、歴史を感じる。
アニメ業界もちまちまと改善していくしかない、と同じ日に受けた新聞取材の受けながら試合を思い起こした。

新聞の記者は結構なオタクらしく、退職前に好きなことを取材したいと申請したら通ったというようなことを言っていた。

はて、私はどうしたものか。
若い演出を育てるのは少し楽しみ。
演出としては何が出来るのやら。

鏡リュウジ・東畑開人「昼間のスターゲイザー」読了。
占いは現実の複雑さを縮減させるための道具だと言われるとなるほど納得。
ホロスコープも複雑な宇宙を整理したイメージなのだと。

娯楽としての占いは面白そうだなと、最近関心がある。
占い師の話は作ってみたい。
占いは当たっても当たらなくても何か心を動かされて一喜一憂しそうで苦手だったのだが、もっと気楽に楽しむ心持がありそうな気はする。

占い師は占いをファクトにして権威化してはいけないという話は自分のような演出家にも当てはまりそう。
細木数子は、権威化したパターンの一つかもしれない。
権威化すると大体持たないという。

ユングと占星術は互いにかなり影響し合っていたというのは知らなかった。

占い面白い。

しかし、しばらくは演出教えるための勉強に専念しないといけない。

結構寒い【2026年06月07日】

急に暑くなったと思ったら、また肌寒い日がやってきた。
寒暖の振り幅が大きいと体調を崩しがちなので勘弁してほしいが、何事も極端な世界になりつつあるのか。

昨日はyakusyuでのダニーさんの還暦祝いに少し顔をだした。
私も来週55なので5つ違いなのだなと。
特撮、アニメ、音楽と幅広く知っていて、いつも感心。
自分の知見のなさを知る。
そして元気でやってるのが、何より。


どうも本当に新人演出を育てる機会を得られるようだ。
全然準備ができていないので、今月後半は頑張って勉強しないといけない。

割と時間もゆるりと考えているようなので、色んなことが教えられるかもしれない。

理論と実践(OJT的な)の両輪で。
実践はコンテを描きながら演出について学ぶ、というのを主にするつもり。
これは今までの経験的にも手応えがある。

楽しみ。

京都大学学術出版会から珍しく映画の理論書の新刊が出ていたので購入。
「ダイナミック・フレーム」元は2019年刊行らしい。
アメリカの研究者の著書。
題材は割と古いオーソドックスな映画が多いようなので判りやすそう。

寒暖差が激しい【2026年05月25日】

前回が9日の投稿だから2週間ちょっとぶり。

もう何をしたのか忘れそう。

ほぼ仕事しかしていないから忘れることもないか。

先週末はロロの新作「ウルトラソウルメイト」を観劇。

友達の死は、なんとも不思議な感触で残っていて、しばらく会っていなかった友達などは特に実感も乏しく、しかし便りがこなくなったりすることでふんわり実感していく、のはみんなそんなものなのかもしれない。

近かった人は少し疼くような傷として残っている。

亡くした友達は今となっては自分よりみんな若く、日に日に歳の差は開いていく。
どうすれば生きていられたのか、考えても詮なきことであるし、生きてりゃ幸せというわけでも無かったかもしれない。

が、彼らが見られなかったものを自分が見ていたり出来たりしているのは幸福だと思っている。あの世への土産話としても積もろう。

帰りに内古閑さんと少し呑んだ。

夜はフクタケさんのお誕生日会へ。

80年代のアニメソングをたくさん浴びる。
祝いに来ているのか、こちらが祝われているのか分からない。

80年代には産まれてもいない若い人も楽しんでいて、それは楽しい。

久しぶりの酒で、いい気分になった。

Bar OPKは江口寿史も来るとか。

次の日は引っ張りまくっていた他人の作品の絵コンテをアップした。
さすがに自分でもどうかと思うほど、引っ張ったが、どうも体が重くて何をやるにも時間がかかる。

仕事はまだ山積み。
デジタルでの効率化を真剣に考えないと無駄に時間がかかっている気がする。
ひとりで、どうか出来るものでもないのだが。

とくにタイムシートの処理を効率化できれば大幅に時間短縮できる気はしている。

どこかのアニメーター?がタイムシートの作成ソフトを作っていて良さそうな感じだが、まだ触る時間がない。
調べるとOpen toonsもクリスタフォーマットのタイムシートソフトを作っていた。

今はクリスタで画像データとして扱っていて原画番号などは手で書いているんだからデジタルといってもデータの送受信、管理の部分だけで作成は超アナログ。

口パクの合わせは最近細かい合わせを求められるが、シートの書き直しが非常に面倒で何とか楽にしたい。

手持ちの仕事をさっさと終わらせて、来月でも少し触れると良いのだが。

黙々と【2026年05月09日】

ゴールデンウィーク終わり。
この時期に休んで遊びに行くわけでも無いのだが、普通に街の中は人が多いので日常が戻ってくるのはありがたい。

晴れた日は、もう夏の気配がするような気温。
植物の水切れも早い。

今週はオケカツとオンライン編集で出かけたくらいで、ほとんど篭って仕事。

今週カンパけた話の演出はアニメーター上がりで、まだ20代の若人。
今回が初めての20分尺の演出とのこと。
コンテは私。
とはいえアニメーターとしての腕前はなかなかなもので、彼のおかげで随分作画は持ち上がっていると思う。
かなり身を削って仕事をしていたので、やや心配だったが、出来は初演出としては十分だろう。
ベテラン演出の腕の衰えを感じる中、やはり若さは偉大だなという気にさせられた。
彼は作画オタクで、どこからか手にれた原画や線撮りを見せてくれるのだが、それに反応していると結構作オタなんですね、SNSなんかでそういう話をしていないから意外、というようなことを言われた。
確かに。
作オタというほどアニメーターを知っているわけでは無いけれども、世代的にアニメ雑誌などでアニメーターがアイドル的に扱われていた時代を過ごしてきたし、絵は好きなので、仕事上必要でもあり、ある程度の情報は知っている。
しかし、今の自分の仕事の嗜好は緻密な作画に興味は無くなっていている。
だからと言って、酷い作画がでも気にならないというわけでも無いのだが…状況は芳しく無い。

部屋に住み着いている三毛猫が、最近やたらと膝の上にのりたがるというか、側にいたがる。
以前からご飯を食べるときに私を呼んで、床に座り込んで横にいないと安心して食べてくれなかったのだが、特にご飯が食べたいときでなくとも呼ばれることが多くなった。
床に座ると膝の上にのってそのまま寝てしまう。
もう老猫なので、あまり無碍にするのも気の毒でしばらく動けない。
仕方ないので本を読んだり、スマホを眺めて時間をつぶす。
私も老いると人恋しくなるのだろうか。
もともと野良の子猫で家に引き入れてからでも半野良みたいに長いこと人に懐かなかったのだが、ここ数年で私には随分慣れてくれて病院にも連れて行けるようになった。慣れてからは寧ろ、人がいないと寂しいらしく激しく呼ばれる。
仕事が捗らず、うるさく感じることもあるが、快適な老後にはしてやりたいものだ。

アリが家の中に侵入してきていた。
どうも壁の隙間から出入りしているらしい。
仕方ないので、アリを退治する薬剤を庭に仕込んでいると、裏の家から「おかあさん!」「うるさい」「おかあさん!」「うるさい」「(泣く)」という母娘の会話が聞こえてきた。
文脈もわからないし聞いている感じ虐待ではないのだが、子供が気の毒には思えた。
昭和であれば日常風景なような気もする会話だが、京都で子供が殺されたりするご時世、景気が悪くなったり世の中余裕がなくなると弱いものに、ストレス発散の圧力が加わるのは世の常。
自分の老猫への扱いを思い出しつつ、これからまた子供が災難を被る時代が来るかと思うと、少し憂鬱になった。
多少なりとも世の憂さを晴らす道具としての娯楽は求められているかもしれない。

アニメイションネイチャー、映画理論集成【2026年04月19日】

山村浩二「アニメーションネイチャー」を読み終わった。

作品はそれほど見ていない。頭山、年をとった鰐、は見たはず。

誰もが認める巨匠でありつつ、教育者でもある氏の芸大での講義を元にしたアニメーション論で作品の引用も多々あり、インディペンデント系のアニメーションのガイドブックとして読んでも面白い。

新人教育の参考になるかと思って読み始めたのだが、多様なアニメーションのスタイルを扱っているので、どう昇華するかはむずかしいかも。

自分のやっている仕事がアニメーションの中でも非常に狭い領域だというのは良くわかる。

しかし、一時期の商業アニメとインディペンデント・アート系のアニメーションの溝は最近少し狭まった様にも思う。

OP/EDの様な部分にインディペンデントな作家が起用されたり、本編内にも違う様式のアニメを入れ込む例が増えてきている気がする。

80年代あたりまでは意外と曖昧で両業界の親交もあった様なイメージだったが、90年代以降は、ほぼくっきりと別れていたのではなかろうか。

モルカーの見里さんの活躍などもあるし、再び入り混じり始めたのはとても面白いと思う。


TAAFの長編作品の審査員をした時、海外の人形アニメ作家の人が人形アニメ作品を強く推していたのが印象深かった。
良い作品だったのだが、他の映画祭でも賞を色々とっていて、これ以上推す必要があるのかというような議論をしたのだが、人形アニメはやはり報われていない、という意識をその作家は持っていた様な気がする。

もっと境界なく仕事の交流もあった方が、金銭的にもインディペンデントな作家に資するんじゃなかろうか。

その作家は、これから5年くらいかけて制作する短編アニメーションのシリーズを作るという様なことを言っていて気が遠くなった。
制作スケジュールの違いも商業アニメとの交流の敷居になっているととは思う。

本に戻るとメタモルフォーゼ、パースペクティブなど章立てで抽出しているテーマが面白い。結構たくさんの要素を抜き出して考えられていて、なるほどこんな風にアニメーションの要素が分解できるのかという気づきがある。

ナラティブの章は、さすがに自分でも考えたことがある様な内容で我々ほどストーリーに重きを置いていないのが印象的。

ともあれ、商業アニメのクリエイターもインディペンドなアニメはもっと見た方が刺激になると思う。

ネットで無料で見られるものも少なくないのが、今の時代の良いところ。

マクラレンの作品なんかNFBの公式YouTubeでほとんど見られるんじゃないか?

いい時代だ。

探していた映画理論集成の古本を手に入れた。

絶版で殆どどこでもプレミアがついているのだが、Amazonで超お安い値段で出ていた。

図書館の除籍本だから安かったのだろうか?

貸出の履歴を見ると3回くらいしか借りられていない様で、最後に貸し出されたのは99年4月26日。
約27年前だと思うと感慨深い。
四半世紀ぶりくらいに読まれるというわけだ。

読みたかったミュンスターバーグの訳が冒頭にあって、流石に全訳ではなく2章ほどの抜き出しだった。
しかし、方向性が知れたので満足。
ストレートに認知科学的な分析で、映画がどう観客に受容されるのか、空間の知覚などについて論じられていた。

今の認知科学の知見でどこまで正しいのかわからないが、こういうのが読みたかったという内容で参考になる。

認知科学で映画をまとまった形で分析した日本語で読める本は皆無なので、断片を集めて少しまとめられるといいのだが。

まだパラパラめくっただけなので落ち着いたら読みたい。

エアコンが壊れていたことが判明したので買い替え、今日工事も終わった。

猫たちは4時間くらいロフトに退避、かなり大きな音もするので年寄り猫には酷だった。

夏は快適に過ごせると思うので許していただきたい。

ストリーボード作成で学ぶ演出(のための準備)【08】ステラ・アドラー「魂の演技レッスン」

役者向けのワークショップを本にしたもの。

ステラ・アドラーはスタニスラフスキーに指導を受けたというので読んでみたが、メソッド演技に凄く影響を受けたというわけではないらしく、割と普通な考え方で指導していたと思われる。メソッド演技に影響は受けているのだろうが直接的には触れられていなかった。

・脚本の読み方

・見えないものも想像する。
脚本に書かれていないディティール(ものがどこにあるとか、ものの重さ固さなど)をしっかり想像することで肉体が自然に動く。

・役の(脚本に書かれていない)歴史を掘り下げて想像する

とか、脚本に書かれていないことをしっかり想像すれば肉体は動く様になる。というのがざっくり全体を貫かれている考え方。


脚本に現れないディティールをどう作るかは、やはり演出家にとってももちろん大事なので参考になった。

終わらん【2026年02月15日】

仕事が終わらん。

久しぶりに原画チェックをしている。
顔が崩れている…からちょこちょこと直しの指示を入れたりは仕方ないと思えるのだが、第2原画を請け負う人たちは多分コンテも読まず、レイアウトに入っている演出指示も読まずに作業しているモンだから指示(簡単な事も)対応が抜けていたり、誰が誰を見ているかなどを理解せずに描いている。
第2原画どころか、作画監督も演出指示読んでないんじゃないかと思う。

連続したカットでも違う人に発注したりしているし、引き絵のカットは描き手が見つからないという理由でアップだけ先に上がってくるので、繋がりを確認できない。

レイアウトで合わせてあっても、つながりで作業者が違うと作業者自身が他の素材を見られないので前後の繋がりの確認ができない。

恐ろしく効率が悪い。

これは今の仕事に限ったことではなく、数年前から中規模作品は全てこんな感じ。

賽の河原で石を積んでいる気分。

少しづつ暖かくなってきた。

ラナンキュラス・ラックスの苗を買ってあったので大きめの鉢に植えた。

去年コガネムシの幼虫に根を食われたプレクトランサスが寒さで完全にやられて枯れたので代わりに植えた。

ラックスは強いので楽しみ。
花の期間はそう長くはないのかもしれないが。

金魚草はよく咲いている。

ストックとプリムラも。ネメシアが花芽がついているが何故か咲かず。

ビオラ。パンジーはこれから大きくなると思うが鉢が小さいかも…。

この間降った雪のせいか、スーパーアリッサムの調子が悪い、というか多分枯れている。
寒さは強いはずなのだけれど。

花が咲かなかったサルビアも枯れた。

映画館へ行きたいが全く余裕がない。
ライブなども行きたいがチケットを取る気力が湧かない。
うーん、なんか行くか。

本だけ地味に読んでいる。

雪の日【2026年02月08日】

土曜の朝はあまり雪は降らず、軒下に避難した植物たちを元に戻そうかとおもっていたけれど、面倒なのでそのままにしていたら今朝はしっかり積もっていた。

結局、軒下の鉢にも結構積もってしまったが大丈夫だろうか。
本当に寒さに弱いものは避けていたはず。

期日前投票など行く暇はないので、雪の中を歩いて投票所に行ったが、あれだけ積もっていると老人歩くのはしんどいだろう。

最近の制作はとにかく監督に確認を取りたがる(そう教育されているのだと思う)
監督に確認をいちいち確認とっていたら制作が停滞する。

昔は好き勝手にやりたいという人も多かったし、わりに各話のスタッフに自由が許されていたので、さすがにしくじると怒られそうな案件以外はなるべく監督を通さないという現場も多かった。

最近は作品の作りが全体に几帳面になってしまったのと、12、3本の短いシリーズが多くなってしまったため各話のスタッフが作風や全体像を把握しきれず監督に聞かないと怖くて進められないというのもわかる。
原作などクライアントの意向を監督を通して確認するようなことも多い。

それにしても、同じ様なことを何度も聞かれたりするのはいかがなものかとは思う。

監督なんて居なきゃいないで進んでいきそうなものだが、監督業は必ず設置される。

紅茶にしますか?コーヒーにしますか?と問われて、んーーじゃあコーヒーでとうのが監督の仕事だ。自分で飲むものを決めるのは別にどうということもないが、100人の客に出すコーヒーを決めるとなれば悩むこともある。

どの豆使いますか?ブラジル?コスタリカ?浅煎り?深煎り?とどんどん細分化していけばコーヒー出すにも幾つもの決断が必要になってくる。


フレーミングすること、切断することを担う役割というわけ。


昔の舞台芸術は劇作家が演出家を兼ねていた。

その役割が分業化されたのは19世紀後半らしい。意外と最近。

電気が出来たり、舞台表現が複雑化したのが理由ではないかと言われている。


決断を担う人間は色んなところに存在している。

どんな人間だろうと皆がそいつに決断を任せるとなったら、そいつは色んなことを決断していくわけだが、何にせよ決断する人間は必要とされているのは面白い。

人間の個人の決断だって、恋愛を他人(親とか)が決めていた時代は長かった。

いまだって他人の決断に身を委ねていることは山ほどある。


監督だって他人の決断に身を委ねたい時もある。
どっちでもいいよ、と私なんかはまあ放り投げてしまうこともしばしばだが、あとで文句言われたらやだななどど思われているかもしれない。
小さな決断も沢山あれば時間がかかるもので、監督が決めなくても良いのでは?というものまで判断しているといくら時間がっても足らない。

生きるか死ぬかがかかった決断をするとなったら、そりゃあ決断にも勇気が必要であろう。
アニメ作っている人が死ぬ、ということも滅多にない。
過労とかでスタッフが倒れないようには気をつけねばならないけど。

政治家は生き死にがかかった様な決断を迫られる場面もあるわけで、それはしんどいだろう。
しんどさに鈍感か、余程の使命感に駆られた人間だけが、その決断をになえるのかもしれない。

そんな決断をする人間を選ぶ決断をして投票箱に紙を滑り込ませる。