映像技法ではないけれど、とても面白かったのと教える時に役立ちそうなのでメモ。
著者は技術書ハウツーの類の本ではないと言っているが、小説創作の過程がわかりやすく言語化されていて面白い。
1)小説刻の法律について
小説家も読者を意識する、した方が良いと言う話。
小説法に違反すると「駄作だ」「面白くない」とか言われるらしい。
SF、エンタメ、純文学、推理、などジャンルによって読者の読み方が違う。
誰に向けて書いているのか意識しないと批判されたり、伝わらない。
そもそも、自分と自分以外の小説の読み方、楽しみ方が違う。
自分が面白いと、読者が面白いのすり合わせが必要。
2)小説の勝利条件
将棋のAIによる形成判断が、小説にあったらどうか?と言う話。
小説には明確勝利条件が存在しないが、読者に面白いと思わせることと仮定して話が進む。
桃太郎を書くとしたら何処から書くか、将棋の手の選択のようにいくつかの選択肢の中から小説家がどの様な思考で選択肢を絞っていくかについて。
3)知らない世界について堂々と語る方法
世界の構造の抽象化と個別化
自分の知っている、あるいは調べた(聞いた)世界を抽象化して別の世界に置き換えて個別化すると言う話。
4)文体とは何か?
著者が文体においてもっとも重要だと考えている要素「情報の順番」の話。
「読みやすさ」とは「登場人物と読者の情報量の差を最小化する」ことではないか?
5)君はどこから来たのか、君は何者か、君はどこへ行くのか
新人賞の選考は「突然知らない人から話しかけられる」体験に近い、と言う話。
今されている話は、笑えるのか、怒っているのか…作家との文脈がないと分からない。
多くの人は行き先のわからない電車に乗っていると不安に感じるようだ。
新人作家は、作品がどこへ向かって何を与えるか(可能な限り)作品の序盤で明らかにした方が良い。
6)小説はコミュニケーションである
知人・友人との話は多くの事前情報を共有している。
読者とのコミュニケーションを円滑にするためには、適切の情報を与えなければいけない。
7)伏線は存在しない
読者はいつも展開を予想しながら読み進め、書き手は読者の予想を想像しながら展開を決めていく。
小説は伏線そのもの。
「展開を暗示すること」と「暗示されていない展開に対する違和感を減らすこと」の二つによって成立している。
8)なぜ僕の友人は小説が書けないのか
つまらないアイデアの2つのパターン。
「専門性が高すぎる」「陳腐すぎる」
「主張」や「設定」から発想しようとするのではなく「書いてみたいこと」や「考えてみたいこと」から考えてみた方が良いのでは?と言う話
9)アイデアの見つけ方
商業的に成功する人は「もともと読者(他者)の物差しを内面化している人」か「なるべく読者の物差しに合う様に、自分の物差しを調整した人」
読者の分析は非常に難しい、分析の質を上げるには「作品を発表すること」が一番近道なのではないか。
面白い小説に必要なのは「新しい情報」か「新しい視点」
アイデアは発想力やオリジナリティではなく見つけるものではないか?
10)小説ゾンビになってわかったこと
小説を探す上で最初に捨てないといけないもの=自分の価値観
価値観の相違の中に、まだみぬ小説がある…かもしれない
どれも極力具体的に語られていて、わかりやすい。
特に文体と順番の話は映像にとっても重要。
タグ: 演出
ダグラム【2025年10月27日】
しばらく前、ダグラムを見た。
たぶん新潟では放映しておらず、いや放映していたかもしれないが見ていないと思う。
子供の頃見ていたアニメで1話から最終話まで全部きちんと見た、作品はあまりない。
うちにはビデオもなかったし。
大学に入って東京に出てレンタルやら友達に貸してもらったりで一通り見たものはある。
しかし、仕事を始めてからあらためて昔の作品を見返すという気力もなく(昔は長い作品が多い)好きだったと思っている作品も穴あきでしか見ていないものが結構あるはずだが、見ずに死んでいくものが多い気がする。
ダグラムは穴あきも何も全く見ていなかったのと、当時の戦争ロボットものとしてはガンダムに続く作品の様なイメージもあり、どんなものかと興味があったので仕事しつつ流し見したのだが非常に良くできていて驚く。
絵的にはだいぶ大味なのだが、脚本がとにかくよく出来ている。
ガンダムと同じ様な独立戦争の話だが、主人公の父親が地球の大物政治家なので周辺からでなく政治の方からも描いていて、それが大変面白い。
主人公は10代で地球の軍隊でロボットの操縦を覚えていて、敵方のゲリラに参入して最新ロボットを操るという辺りは子供にむけた作り。
しかし白眉は大人の描き方で、とにかくいろんな立場の人間を丁寧に描いた群像劇になっている。これ子供向けか?とも思うがロボットがカッコよく動いていれば男の子は見ただろうし、全体で73話もあるので玩具が売れていたに違いない。
玩具が売れれば何でもできる、というのは時代の豊かさであったと思う。
権力の駆け引きや人情、暴力と子供には少々難しい話の様に思えるがどの程度伝わっていたのだろうか。
父と息子、が子供的には身近でわかる唯一のテーマだったかもしれない。
なにせ面白かったのはラコックという主人公の父親ドナン・カシムの補佐官で、この人が数々の謀略を考え自体をかき混ぜ、ついにドナンを殺そうとまでするという大変な人物で途中からは、この人中心にドラマが展開していた。
ラストもあまり煮え切らず、独立がハッキリ叶った訳でなく主人公たちが生き延びることが希望なんだというところで終わるのが全く娯楽的ではなく、よくこんなラストが通ったなと感心する。73話もあったからこそ描き切れたということもあるだろう。
セリフもきちんと戦記物を作ろうという気概が感じられて子供向けにわざわざ手抜いている感じはない。
作り手はそれなりに若かったと思うのだが、結構勉強していないと出てこない様なテーマを扱っていて大人のシナリオという風情で驚く。
豊かな時代だったんだなと、少しため息がでた。
型【2025年10月19日】
とにかく細かなトラブルが続出で、暇ができない。
なんでやねん、と突っ込みたくなる。
アニメは自動車の様に同じ型を使ったりあなじ作業の連続で作られる様なことはない、というのはアニメ研究で聞かれる話であるけれど、これは半分当たっていて半分外れだと思う。
歩きや走り、アクションの様なものでも実は型があってその変形で作られている部分は多々ある。
歩きは最近は、どんなものでも3コマ中5だし、走りは3コマ中2。
中は中割りの略。
2枚原画を描いて5枚中割りを入れて1歩18コマの歩きが定番のスタイル。
人間の歩きは1歩1歩微妙に歩幅や体の動きが違うものだが(訓練されて、ほとんど変わらない人もいるだろう)そんな微妙をかき分けていたら完成しない。
ロトスコープは実写を下敷きにする分、動きについて考えることを省略するというスタイル。
自動車なんかに比べたら全く劣るが、生産性を上げる工夫は無いわけではない。
型だけで作っていると何か見覚えがある様なものしか出来ないので、少しの隠し味をどうつけるかが腕の見せどころ。
隠し味にしろ大きな型にしろ伝統は伝わっているものもあれば失われている様なものもあって、時代の趨勢で失われたものは仕方ないとしても良きものは記録・保存されていくと良いのだが記録する術が今のところない。
アーカイブとか一応計画はあるけれど、政治が混迷する中どうなる事やら。
ストリーボード作成で学ぶ演出(のための準備)【05】イマジナリーの説明用認知科学理論・ナラトロジー
イマジナリーラインの根拠になるような認知科学の理論は無いのかと論文探したり本を漁っている。
・変化盲
・文脈効果
・対象の永続性(発達心理の中の言葉)
この辺の研究で何と無く説明はできそう。
直接的に映像に絡めた研究は英語でもあまり無さそう。
幾つかは、映像に絡めた論文もあるのでヒントにしたい。
変化盲は、これでほとんどイマジナリーラインの効果については理解できそうだが、これだけ詳しく説明した本や論文は見つからない。基本的なことすぎるのか…?
英語論文でロンドン大学?で認知科学と映像理解を絡めた研究をしている人がいるみたいだが、他はほとんど見つけられず。
流行りでない、ということか。
金子書房の「知覚・認知心理学」を購入。
比較的最近出た本で知りたいこと近辺について書いてある。
東京大学出版会から去年出た認知科学のシリーズは一個レイヤーが上というか、もう少し大まかな話が多くて使え無さそう。面白そうだし最近の知見がまとめられていそうなので読んでは見たいが。
映画理論講義修正を読み始めた。
ざっくりは使えそう。
古臭さはある。
講談社学術文庫から出ている橋本陽介「物語論 基礎と応用」をぱらっと読んだ。
前半は物語論(ナラとロジー)のざっくりした紹介で、これは使えそう。
後半は具体例で分析をしているが急にぼんやりとした感じで発見はない。
意外と最近出た本らしくシン・ゴジラや他のアニメも取り上げられていた。
やはりこの手の構造主義から派生した研究は60〜80年代あたりで概ね止まっている印象。だが、その後もポツポツと研究はある模様。
基本的には廃れ気味というか、流行ってない。金にならないというかとかと思われる。
嚆矢とされるジュネットの「物語のディスクール」は水声社で今でも買える様なので読んでみようかと思う。元は72年だから古い研究だなあ。
物語をめぐる様々な研究はあるようなのだけれど、記号学とか認知科学とかを絡めたものは少ない。
散発的なものを集めるには流石に時間と気力が足りない…。
物語論は基本、言葉についてなので映像に応用する場合は少し工夫が必要。
でも初心者に教えるためにはとても助けになりそう。
蓮見も多分このへんの詩学・物語論を軸にしていると思われるけど、昔読んで苦手だった印象が拭いきれず読む気が起こらない。
あとは浅沼圭司くらいか?
年末暇になったら、調べたい。
山は越えた…と思いたい【2025年10月12日】
ここ2週間は演出している話数のマーキング用のレイアウトチェックとオールラッシュ、打ち合わせなど仕事が山積でへとへとに疲れた。
なんとかマーキングは終わったので、レイアウトを仮チェックのままにしているものなどを出し切れば一息つける、はずだったのだが他話数の手伝いをしなければいけなくなった。
気分的には、大変なところは過ぎたのでよし。
紙媒体のレイアウトをデジタルでチェックするのは、とても手間だ。
タイムシートを直すにしても、紙で書かれたタイムシートをスキャンした画像データでは鉛筆で書かれた絵のタイミングと何秒何コマなど表す印刷されたフレームが一緒くたに画像になってしまっているので鉛筆のデータだけ消したい場合も、フレームごとごそっと消えてしまう。
逆にデータで書かれたタイムシートを紙に印刷しなおした場合も、タイミングのデータだけ消すことはできないので直したいときは全部書き直す羽目になる。
いずれは紙は基本的に使われなくなくなるだろうが、この混交した状況はあと数年変わらないと思われるので少し気が滅入る。
もともと効率化とは程遠い様な仕事だが、すべてデジタル化してしまえば色んな部署で省力化出来ることが少し増えるはず。
voilの若いアニメーターたちは全員デジタル作画。
比較的みんな、しっかりとした絵と動きを描いていて感心した。
良い人だけを採用するというのは、なかなか難しいので社内の育成がうまくいっているのだろうと思う。
昔は、よほどのスタジオでなければ新人は結構画力の差が激しい印象だった。
もともとの粒が揃っているということもあるのだろうか。
ネットでうまい絵を見られる機会は圧倒的に増大していて、その影響があるような話は時々聞くけれど。
演出の方はどうなんだろう。
最近、ほとんどテレビアニメは見ていないので演出の技量のアベレージみたいなものが全くわからない。
自分の仕事の中で出会う人は、まあ大体普通というか年齢やキャリア相応の力量や悩みを抱えているといった印象。
制作からは演出の技量が落ちているような話はよく聞くのだが、明確に自分で実感してはいない。ベテランたちが体力的に辛くなってきているのは実感している…。
金曜はアイカツ×プリパラの初日で19時の回の上映後の舞台挨拶に呼ばれて見てきた。
女の子のファンがちゃんと来ていて楽しんでいた様子だったのが印象的。
通路を挟んだ隣に座っていた子は上映後に目元を拭っていた。
舞台挨拶の中で両方の作品見ていたかの問いかけに結構手を上げている人がいて、意外な驚きがあった。
少し裏に挨拶に行き、下地紫野嬢がいつになくテンションが高めで何だかありがたい気分を味わう。もう作品が終わって10年近く経っているのだ。
映画はステージてんこ盛りで、ファンなら誰でも楽しめるだろう。
舞台挨拶は結構な回数やる様で、監督の大川くんは毎度の様に引っ張り出されるので、これでだいぶ慣れるだろう。
初日はやはり若干緊張気味だったと思う。
自分の時のことを思い出す。
あまり自分ではわからなかったが、ずいぶん緊張していたと思う。
呑んで帰りたかったが、最近酒が残るのでそのまま帰宅した。
原作と同じとはなにか?【2025年09月18日】
SNSでぼっち・ざ・ろっくの脚本家の講演録が炎上していた、ようだ。
脚本家が原作の一部をノイズ(記事のタイトルにも使われた)として削除した、という部分に食いつかれていた。
そのノイズというのが性的表現に関するもので、余計に火種となったのだろう。
脚本家が原作の当該部分をノイズと判断した、という受け取られをしていたが、発案が脚本家だったにせよ、原作者も含めた会議体が判断したのは本文を読めば明らか。
延焼したのは知念実希人という小説家とくりした善行という元国会議員が参戦したからだろうか。
炎上させている輩は、インタビューを読んでいないか読んでいても読めていないか、倫理が欠如しているかという、ところなのであまり興味はないのだが、くりした善行のポスト(しかも英語の)中になるべく原作通りに作ってもらいたい、という趣旨の発言があったのは引っかかった。
漫画であれ小説であれ、アニメ化ドラマ化の際に原作通りである、というのはどういうことなのだろうか。
原理主義的に言えば原作は原作そのものであって、原作通りとは原作を翻案しないということに他ならない。
メディアを移せば様々な形態の変容を余儀なくされるのが翻案だ。
アニメで言えば、テレビシリーズであれば1話20分、12か13本のフォーマットに起こすのが主流になっている。
そもそも漫画、小説は時間を持っていない。映像は時間が物理の時間が流れ、決定的な役割をする。
漫画の場合であれば、2〜3話数くらいがアニメ1話分時間を有するという場合が多い気がする(作品によって違う)
この段階で、原作と印象が変わるのは間違いない。
どこで1話が終わるのか、というのは必ず頭を悩ませられる問題で、映像の時間に換えると中途半端なところで話が終わってしまう、あるいは長すぎるということが起こる場合は少なくない。
そうすると、追加部分を作る、あるいは削除するということになる。
もうこれだけで、原作通り、など不可能。
削除、追加はメディアが変わる以上は避けて通れない。
しかし、可能な限り原作通り、という風潮は制作現場全体にある。
特に最近は。
何のためにアニメ化するのか、基本は金のため、で高邁な原作をより世間に知らしめるため、などということは殆どない。
売れている原作は、良くできている、ものが殆どなので金を追求することがつまらないものを作ることにならない場合が多く、儲かる作品を翻案することは良い作品を作ることと意外と矛盾しないことは多い。
しかし、翻案するということは原作が形を変えることなのであって、原作者が換える先の形について詳しいなどということは無い。
詳しいなら原作者がアニメ監督、映画監督になれば良い。
原作者が監督したところで原作通り、にはなり得ないのだが。
アニメ制作は翻案する意味を宙吊りにしたまま、作品をつくることが多くなってしまっていると思う。
数打ちゃ当たる、という方針だ。
それだけの数の作品に投資できる様になっているのは凄いことではあるのだが、なぜアニメ化?と疑問符が浮かぶ作品も多々あることは間違いない。
翻案の方法についてもあまり深くは考えられていない。
そして、今の様なやり方の翻案ばかりではアニメの作り手の技量が落ちていくのは間違いない。
植物日記プレクトランサス楽しみ〜生存の危機・人を育てる【2025年09月07日】
プレクトランサス・モナラベンダー、シソ科の植物で紫色の綺麗で小さな花を沢山上げる。葉も表が濃い緑、裏側が紫で美しくリーフだけでも楽しめる。
去年の秋に買って地植えしたらそこそこ大きくなって花も沢山あげてくれた。
寒さに弱いというのでダメ元で鉢上げして極寒の時は屋内に入れたりしながら管理したら冬を越えてくれて、春には株もかなり大きくなり8号くらいの鉢に植え替えまた秋に花をあげるのを楽しみにしていた、のだが…。
苗メーカーの説明を先日目にした。花期が5月から11月とある。
え?全然咲いてないんですけど。
なるほど、短日植物で夏は日陰で管理するのが吉、ということらしい。
短日植物は日の長さが短くなると花を上げる。
なので日向に置いていれば、そりゃあ花は上がらないわけだ。
葉焼けして結構葉を落としてしまったくらいだから咲くわけがない。
日陰は日陰で日が当たらなすぎると、植物は調子を崩したりするので難しい。
今年はそれで枯らしてしまったものも随分ある。
近頃は日もだいぶ短くなってきたので、そろそろ花芽が上がってくれるかもしれない。
去年とは比べ物にならないくらい株は大きくなったので、花も沢山上がるはず。
*と思っていたら…翌日バッタリと木が倒れていて、鉢をひっくり返したらコガネムシの幼虫が何匹も出てきた。根はほとんど食べられていて根本近辺に僅かに残るのみ。
これは復活が難しいかもしれない。カイガラムシの様なものも着いていた。
人間も、もはや短日植物みたいなものだ。日が短くならないと活動の幅が大幅に制限される。
危険な暑さ、という言葉が文字通りの意味をもっていて、夏は体温と同じか、それより高い気温を頻繁に記録するようになってしまった。
冬と夏の間のグラデーションがなくなりつつある感覚。
それはそれで、人間は慣れていくものなんだろうけど、ちとしんどい。
植物ですらしんどそうだ。
Les the DJがかけていたNORIKIというフュージョンバンドが気に入った。
野力奏一と言う人のバンドらしい。
ブルーノート主催で秋にやるフュージョンサミットに行ってみたいが暇があるのか?
鳥山雄司のバンドが見たい。
KIKIというタイのポップスのバンドも日本に来るので見たいのだが月末なので無理かな。
文化庁の「総合的なアニメーション人材育成に関する実証研究事業」というのが動き始めた。
とにかく人が足らねえ、と言っているアニメ業界でどうやったら人が育てられるのか、今まで集まったことがなかった様な人が集まって、数年かけて研究しようという事業だ。
現場で学校で何を教えているのか、現場で必要な技術とは?何処にどのようなノウハウが存在しているのかなど、人材育成に関する広い調査研究と、可能ならノウハウを統合・蓄積・共有するみたいなことをやろうとしている。
今は手探り状態だが、せっかく税金を突っ込んでやるのだから、成果は出して欲しいと思う。
個人的にも来年は演出を育てることに手を貸すことになりそうだ。
今までちょこちょこと教えたことはあるものの、時間をかけて体系だって教えた経験はない。個人的に調べていたことを少し急いでやらないといけないかもしれない。
(アニメの)演出家といっても
大きくは、各話演出、監督の2種類に分かれる。
優秀な監督になる様な人材を育てたい、と言われると相当にハードルは高そうだが、そこそこ食っていける程度を目標とするならば、何とかなるだろう。
監督であっても、「そこそこ」で今は十分かもしれない。
人を育てる、なんて昔のアニメ業界はまともに考えていなかった。
それに比べれば随分マシになった。
平気でウチは即戦力が欲しいんだ、みたいなことを言う奴がいたが、アホかと思う。
少しは本を読む時間ができそう【2025年07月28日】
1日だけ水をあげられなかったキク科の植物がカラカラに干からびていて、これはやっちまったなと思いながら祈る気持ちで水を与えたら、昼にはしっかり復活していてホッと胸を撫で下ろした。
暑さ寒さに強いという種類ではあったものの、しょぼしょぼに縮んで鉢に這う様にしなだれていた葉があっという間に復活したのは驚く。
流石に新芽などは痛んでいて、本格的に復活するには時間がかかりそうだけど。
どうもここのところ沢山枯らしてしまったので、諦めていたのだが強い種類は本当に強い。
特にキク科の花は強いものが多い印象で、結構いろんな種類を買い込んだ。
エキナセアもキク科。
菊と言えば和風のお供えに使うようなもののイメージしかなかったが、園芸種は色んなものがあって本当に楽しい。
ローダンセマム、オステオスペルマム、エキナセア、アスター、etc
たぶんキク科の植物が一番多く生き残っている。
暑さに強くても葉焼けして葉の一部が干からびてしまっているものも多い。
これはどうにも避け難いような気はするが、何かいい方法があれば知りたい。
少しだけ時間ができそうなので、映画理論系の本を読み始めた。
古い本なのだが、基本は今も変わらなく参考になる。
しかし、改めて理論系の本は難しすぎるところへ突っ込んでいってる感がある。
物語表現の技法を簡素に教えるようなものはないのかも。
シド・フィールドの脚本の書き方を教える有名な本も1冊読んだ。
何冊かあるのだが、大体内容は察した。
具体的な脚本の作り方ではあるのだが、いきなりハリウッド映画のようなものを書きたい脚本家の卵を向けた本なので、初心者が読んでもかえって分かりずらい。
しかも何か書きたいことがある人、を想定していて、そんな人は殆どいないだろう…と私は思う。
書きたいものとかなくても、そもそも人間は物語形式で何かを理解したり伝えたりするので、もっと素朴な教え方が可能なのではないだろうか。
実際仕事にしてしまったら、シド・フィールドの本のように見せ方について考えたりもせざるを得ないと思うが、初めからそれを教えても混乱を招く。
どこかの若い演出家が現場で使える辞書的な演出の本をクラファンを募って出そうとしているようだ。
なるほど、確かにそいう本はないのだが、どこまで本で伝えられるものなのだろうか。
私のやろうとしていることも似たような事ではあるのだが、細かな用語などは現場によっても違うし、あまりディティールに突っ込むのは難しいと思っている。
最近はオン・ザ・ジョブ・トレーニング、OJTで教えてもらえる機会も減っていると思うので、そいった本の需要が有りそうだという事なんだろうが。
結局最後は、表現の技術なんかよりもっと面倒で難しいことが演出家を待ち受けている。
それこそ「何を」描くかなのだが、原作もの全盛の中、そんなことを考えることもアニメの演出家には求められていないようにも見える。
しかし、そこから目をそらすのも不可能だ。
山場は抜けたか?【2025年07月05日】
梅雨はほとんど雨が降らないままあっという間に終わってしまって、のしかかるような暑さがやってきた。
日差しは殺人的な強さなので日傘なしに移動するのは危険だ。
植物も幾つか調子を崩しているが暑さが原因と思われる。
家の庭は全体に日陰なので暑さにそれほど強くないものは、そちらで育てているのだが、それでも枯れ込んでいるものがあって、暑さのほかに原因が思い当たらない。
よりによって、気に入っている苗が調子悪い。
ペンステモンだったか?はもうダメになってしまった。
特に花の大和で買った宿根草は長野の涼しい農場で育苗しているので、買ったタイミングが暑さが厳しくなる直前で失敗だったかもしれない。
一応、植物に付いてくるタグ?に説明があって暑さ寒さに対する強さや他にも特性が記載されているのだが、環境によってかなり違うので、育てて見ないと本来のパフォーマンスを発揮してくれるかは分からないものが多い。
強い植物もそれはそれで扱いが難しかったりするわけで、地植えすると大きくなりすぎたり、他の植物を駆逐したり。
エキナセアなどは冬に地上部が枯れるのでスカスカになってしまいつまらないので、鉢管理しようと思っているのだが、去年買ったものは多分水のやり過ぎで根腐れしてしまい芽吹かなかったので、上手くいくか心配。
3種類くらい買ったエキナセアは今のところは元気。
しかし花が咲いてるのは一つだけで、他のものは来年かなぁ。
秋に鉢増し出来るといいけど、大きくなってくれるか?
アガパンサスはファイヤーワークスだけ花をつけている。
紫と白のグレデーションでとても美しい。
アガパンサスの花は小さな花が球状に沢山集まって出来ているのだが一気に咲くわけではなく、下から順番に咲いている。
蕾も綺麗なので見た目は華やかだが、下の方は先終わって散り始めているので、全部咲いたところは見られないのかもしれない。
花持ちは比較的良いと思うのだけど、蕾が出来てから開花まで結構時間を要している。
少し時間が出来そうなので夏用の植物を植え込みたい。
しかし暑すぎるので上手く育つかは怪しい。
先週の日曜はJAniCAの総会で相変わらず委任状の集まりが悪かったものの、滑り込みで成立。
会員が多くなると議決権を有する人も必然的に増えて、しかし皆んな入ったきり議決権とか忘れてしまいがち。
町内会とかも委任状集めるのは結構大変だと思う。
一般社団法人は法律で社員総会が成立するための条件が決まっていたりするので人数の多い組織の委任状集めはどこも苦労しているのではなかろうか。
総会後、珍しく理事で飲み会。
私が参加してから初めて。
私が理事になった時はまだコロナ禍だったし、理事会ですらオンラインなので雑談をする機会もほとんど無かった。
多少なりとも、話をする機会が増えることは良いことだ。
皆んな忙しいので、集まれる機会はそうないが。
仕事はひと段落。
ついにコンテを抜けた。
うーん、時間かかりすぎ。
いろいろな作業しながら描くので、まあ仕方ないところはあるが。
どうも描画ソフトの挙動が遅く、その原因も分からないというのも時間がかかる大きな要因になってしまっている。
液晶タブレットが、ずいぶん古くなったのでそれのせいか…とも思ったけれど、お絵描きソフト以外では特に遅延は感じない。
パソコンはこれでオーバースペックといって良いはずなので、問題ないと思うのだが。
やはりタブレットかなぁ。
若い子が作業しているのを見てみたい。
ソフトの設定とかの問題もあるので他の人の環境を知りたい。
藤津亮太「富野由悠季論」を読み終わった。
想像していたのとは少し趣が違う。
演出技法などの解題が中心になっていて、一般的な評論ではない。
どちらかというと技術書のようなイメージ。
とはいえ、富野さんとその作品について私の知らない情報が沢山あって、そこは面白かった。
技術解説的なところは殆ど分かっているようなことの確認だったので、結構読み飛ばしてしまった。
もう少し、なぜそれをしたのか。
ある演出について、どうしてその時そういう選択をしたのかを時代性とともに藤津さんの見立てで推察しているようなものが読みたかった。
娯楽作家は、時代と無関係で何かを作るということはないし、富野氏も本文中でそのようなことを語っていることには言及されていて、その関係性の方が重要だと個人的には思う。
演出技法やキャラクター造形などは無限に選択肢がある中からそれを選んで使うわけだけれども、「選ぶ」というところに創作のかなり重要な部分がある。
私が興味のあったのは、富野由悠季の「選択」にまつわるエトセトラだったのだが、それについては今回の本は少なめ。
とはいえ、面白い部分も多々あった。
富野由悠季はモノを売るための作品を多く作ってきた珍しい監督なので、特に時代との関係性で何を選択してきたのか、分析すると面白いのではないかと思う。
私もモノを売るための作品を作った監督のはしくれだが、その面白さは独特のものがあると思う。
モダンチョキチョキズの配信が開始されたのでつい聴いてしまう。
学生時代を思い出す。
コミックソングの雄。
来週は久しぶりに遊びの予定が入っている。
植物日記・論文漁り【2025年04月21日】
植え替えていなかった植物をスリット鉢に植え替え。
結構新しい鉢を買ってきたはずなのに足りず、いくつか放置のままま。
ひとつはオージープランツでリン酸の高い土は使えないのでどうしたものか。わざわざ専用の土を買ってくるのも面倒。
ジギタリス、バーバスカムはまだ花芽は上がっていないがモリモリ大きくなっている。
宿根草系も植え替えで調子が良さそう。
モッコウバラは盛大に黄色の花を咲かせ始めた。
仕事は切羽詰まってきている。
自分的には今月来月が山場か。
これだけ色々手を出した仕事はずいぶん久しぶりかも。
パンクしないように気をつけないといけない、とはいえスケジュール的に動かし難くなって来ているので、やりきるしかないのだが。
肩やら手首は悲鳴をあげているけど。
認知科学、認知心理系の論文を漁ってイマジナリーラインの説明に使えそうなものはないか探しているが、ジャストフィットなものは日本語では無さそう。
英語論文で映像と絡めたものが有るようだけれど、読むのに時間がかかる。
とりあえずAIに訳させてざっくり読んでみるつもり。
対象の永続性、は発達心理で詳しく扱われているようだけど、イマジナリーラインのような映像の認知にも関係していると思う。
しかし、認知科学系の本で取り上げているものが見当たらない。
ここら辺の棲み分けというか、研究の重なりが無いのが不思議。
日本語で熊野雅仁という人が映像文法についての考察を10年以上前に龍谷大学の雑誌に書いていて、これの一部を読んだのだけれど面白くて全部読みたいが、国会図書館などに行くか取り寄せないと読めない。
しかし、映像と絡めた研究は日本語だととにかく少ないという印象。
探し方が下手のかもしれないが。
