ストリーボード作成で学ぶ演出(のための準備)【06】番外:小川哲「言語化するための小説思考」

映像技法ではないけれど、とても面白かったのと教える時に役立ちそうなのでメモ。

著者は技術書ハウツーの類の本ではないと言っているが、小説創作の過程がわかりやすく言語化されていて面白い。

1)小説刻の法律について
小説家も読者を意識する、した方が良いと言う話。
小説法に違反すると「駄作だ」「面白くない」とか言われるらしい。
SF、エンタメ、純文学、推理、などジャンルによって読者の読み方が違う。
誰に向けて書いているのか意識しないと批判されたり、伝わらない。
そもそも、自分と自分以外の小説の読み方、楽しみ方が違う。
自分が面白いと、読者が面白いのすり合わせが必要。

2)小説の勝利条件
将棋のAIによる形成判断が、小説にあったらどうか?と言う話。
小説には明確勝利条件が存在しないが、読者に面白いと思わせることと仮定して話が進む。
桃太郎を書くとしたら何処から書くか、将棋の手の選択のようにいくつかの選択肢の中から小説家がどの様な思考で選択肢を絞っていくかについて。

3)知らない世界について堂々と語る方法
世界の構造の抽象化と個別化
自分の知っている、あるいは調べた(聞いた)世界を抽象化して別の世界に置き換えて個別化すると言う話。

4)文体とは何か?
著者が文体においてもっとも重要だと考えている要素「情報の順番」の話。
「読みやすさ」とは「登場人物と読者の情報量の差を最小化する」ことではないか?

5)君はどこから来たのか、君は何者か、君はどこへ行くのか
新人賞の選考は「突然知らない人から話しかけられる」体験に近い、と言う話。
今されている話は、笑えるのか、怒っているのか…作家との文脈がないと分からない。
多くの人は行き先のわからない電車に乗っていると不安に感じるようだ。
新人作家は、作品がどこへ向かって何を与えるか(可能な限り)作品の序盤で明らかにした方が良い。

6)小説はコミュニケーションである
知人・友人との話は多くの事前情報を共有している。
読者とのコミュニケーションを円滑にするためには、適切の情報を与えなければいけない。

7)伏線は存在しない
読者はいつも展開を予想しながら読み進め、書き手は読者の予想を想像しながら展開を決めていく。
小説は伏線そのもの。
「展開を暗示すること」と「暗示されていない展開に対する違和感を減らすこと」の二つによって成立している。

8)なぜ僕の友人は小説が書けないのか
つまらないアイデアの2つのパターン。
「専門性が高すぎる」「陳腐すぎる」
「主張」や「設定」から発想しようとするのではなく「書いてみたいこと」や「考えてみたいこと」から考えてみた方が良いのでは?と言う話

9)アイデアの見つけ方
商業的に成功する人は「もともと読者(他者)の物差しを内面化している人」か「なるべく読者の物差しに合う様に、自分の物差しを調整した人」
読者の分析は非常に難しい、分析の質を上げるには「作品を発表すること」が一番近道なのではないか。
面白い小説に必要なのは「新しい情報」か「新しい視点」
アイデアは発想力やオリジナリティではなく見つけるものではないか?

10)小説ゾンビになってわかったこと
小説を探す上で最初に捨てないといけないもの=自分の価値観
価値観の相違の中に、まだみぬ小説がある…かもしれない

どれも極力具体的に語られていて、わかりやすい。

特に文体と順番の話は映像にとっても重要。

PVが出た【2025年11月16日】

今週は久しぶりにお酒を飲んで、久しぶりだからと言うわけでも無く多分料理が美味しすぎたせいで飲みすぎた。

前菜は盛り合わせだったので記憶が曖昧。

ヤマメは柔らかくて頭から尻まで食べられた。

パスタも忘れた。

肉は山羊、全くクセがなくて柔らかい。

まだ行けると、うっかり追加した白トリュフのオムレツは美味しすぎ、すっかり平らげワインを継ぎ足してもらったのがダメ押しだったかもしれない。

更にデザートを頼みデザートワインも頼んでしまった。

マスカットのワインが香りも味も好みだった。マスカットだから重い感じなのかと思いきやそんなことはなく、スッキリしつつ燻ぶした感じと果実味と酸味がいい感じに混ざって渋い。

レプリカだって、恋をするの新しいPVが出た。

どの程度ネタバレするか、というのは宣伝の考え方が分かるので面白い。

結構ネタバレしても大丈夫だと言う話をしたが、途中で見たものより少し抑え気味になってた気がする。

原作ものは、そもそも原作を見れば全てわかってしまうので、お話的なネタバレを抑えすぎてもあまり意味はない。

見たくなってもらう、ということが肝心。

原作を好きな人は大体見てくれるので、どちらかと言うとアニメで初めて触れる観客向けの塩梅になると思う。

何が作品の売りなのか、どう言う人に見てもらいたいのか。

宣伝から見えてくるので面白い。

植物日誌【2025年11月09日】

最後の音響作業に行った帰りに園芸店に寄って植物を物色できた。
忙しすぎて外にはほとんど出ていなかったので、息抜き。

時期的にはパンジー・ビオラに突入してしまっているので、宿根草はあまりないかと思っていたが、結構売っていてにっこり。

ジギタリスは沢山あったが、去年の株がまさかの夏越しして植える場所がない。
来年は違う色に植え替えるのも良いかもしれない。

去年の秋植えして盛大に咲いてくれたバーバスカムは花が終わって引っこ抜いてしまったのだが、色違いの品種がいくつかあったので、オレンジ系のものを買った。
ほんとに手間をかけず咲いてくれて良い。

今年はムシの類が大発生して対処しきれず結構枯らしたので、なるべく丈夫な品種を選びたい。

ペンステモン・ハスカーレッドを発見。
今年の春に通販で買った株を枯らしたので迷ったが、秋植えならいけるかもとしれないと小さな希望をいだいてゲット。
赤みががかった黒い茎に白い花が咲くところを見てみたい。

あとは寄せ植えのジニアが枯れかかっていたので、白とピンクの金魚草を買ってきて植え替えた。

寄せ植えの植え替えも我ながら随分手慣れてきた。

宿根草系は2年くらい経たないと本領が発揮されないものもあり、管理が難しく欲しいものはありつつも、うまく育つだろうかと躊躇することしばしば。

しかし1年に1回しか出会えない植物もあるので植えられるうちに、もう少し探しに行きたい。

経験しないと上手くならないのだ。

最近のアニメのスタッフも1年に担当できる話数は1、2本。

とにかく舐め尽くす様に体験するしかない。

寒くなった【2025年10月31日】

小説書きたいな、と思うが、いつ書くんだよとツッコミを入れてしまう。

もう暇になるはずだったがトラブルシューティングで時間が奪われた。

書いたとて読ませる宛もないが。

書きたいことはポロポロある。

いや、映画理論の本も結構読まないといけない。

そちらが先、ではあるが…。


まずは生活のリズムを整えないと。

今週は仕事をゆったり目にした、というか疲れがどっと出てならざるを得なかったというか…だが体調は調整し切れず。



急に寒くなり、植物への水やりは格段に減った。

梅雨あたりは瀕死に見えた紫のアスターが花を上げ始めた。

樹形はちょっと徒長気味の枝が多く格好が悪いので切ってしまいたいが、今切ると流石に花が咲くまで時間がかかってしまいそうなので放置している。

秋植えの宿根草を探しに行きたいが、もうパンジー・ビオラも始まってあまり売っていないかもしれない。

夏に枯らしたベロニカ、とかほしいなぁ。

西洋オダマキがうどんこ病?か何かに感染している様なので薬も買わなければ。

秋は短すぎる。

今からの花だと金魚草がほしい。
品種改良で面白いものが増えている。
寄せ植えの鉢を植え替えたい。

あとは春への準備の苗になってしまいそう。

バーバスカムは去年買った色味でないやつがあれば欲しい。

背が高い花が好きなのだが、バーバスカムは良い。

風に吹かれて花殻が飛びまくるのが難点ではあるが。

根っこをほとんどコガネムシの幼虫に食べられたプレクトランサスは花を上げている。

木の大きさの割には今の所の花上がりは寂しい。
生きてるだけでも凄いので仕方ない。


少しは休みたい。

ダグラム【2025年10月27日】

しばらく前、ダグラムを見た。
たぶん新潟では放映しておらず、いや放映していたかもしれないが見ていないと思う。

子供の頃見ていたアニメで1話から最終話まで全部きちんと見た、作品はあまりない。
うちにはビデオもなかったし。

大学に入って東京に出てレンタルやら友達に貸してもらったりで一通り見たものはある。
しかし、仕事を始めてからあらためて昔の作品を見返すという気力もなく(昔は長い作品が多い)好きだったと思っている作品も穴あきでしか見ていないものが結構あるはずだが、見ずに死んでいくものが多い気がする。

ダグラムは穴あきも何も全く見ていなかったのと、当時の戦争ロボットものとしてはガンダムに続く作品の様なイメージもあり、どんなものかと興味があったので仕事しつつ流し見したのだが非常に良くできていて驚く。

絵的にはだいぶ大味なのだが、脚本がとにかくよく出来ている。
ガンダムと同じ様な独立戦争の話だが、主人公の父親が地球の大物政治家なので周辺からでなく政治の方からも描いていて、それが大変面白い。

主人公は10代で地球の軍隊でロボットの操縦を覚えていて、敵方のゲリラに参入して最新ロボットを操るという辺りは子供にむけた作り。

しかし白眉は大人の描き方で、とにかくいろんな立場の人間を丁寧に描いた群像劇になっている。これ子供向けか?とも思うがロボットがカッコよく動いていれば男の子は見ただろうし、全体で73話もあるので玩具が売れていたに違いない。

玩具が売れれば何でもできる、というのは時代の豊かさであったと思う。

権力の駆け引きや人情、暴力と子供には少々難しい話の様に思えるがどの程度伝わっていたのだろうか。

父と息子、が子供的には身近でわかる唯一のテーマだったかもしれない。

なにせ面白かったのはラコックという主人公の父親ドナン・カシムの補佐官で、この人が数々の謀略を考え自体をかき混ぜ、ついにドナンを殺そうとまでするという大変な人物で途中からは、この人中心にドラマが展開していた。

ラストもあまり煮え切らず、独立がハッキリ叶った訳でなく主人公たちが生き延びることが希望なんだというところで終わるのが全く娯楽的ではなく、よくこんなラストが通ったなと感心する。73話もあったからこそ描き切れたということもあるだろう。

セリフもきちんと戦記物を作ろうという気概が感じられて子供向けにわざわざ手抜いている感じはない。

作り手はそれなりに若かったと思うのだが、結構勉強していないと出てこない様なテーマを扱っていて大人のシナリオという風情で驚く。

豊かな時代だったんだなと、少しため息がでた。

型【2025年10月19日】

とにかく細かなトラブルが続出で、暇ができない。

なんでやねん、と突っ込みたくなる。


アニメは自動車の様に同じ型を使ったりあなじ作業の連続で作られる様なことはない、というのはアニメ研究で聞かれる話であるけれど、これは半分当たっていて半分外れだと思う。

歩きや走り、アクションの様なものでも実は型があってその変形で作られている部分は多々ある。
歩きは最近は、どんなものでも3コマ中5だし、走りは3コマ中2。
中は中割りの略。
2枚原画を描いて5枚中割りを入れて1歩18コマの歩きが定番のスタイル。
人間の歩きは1歩1歩微妙に歩幅や体の動きが違うものだが(訓練されて、ほとんど変わらない人もいるだろう)そんな微妙をかき分けていたら完成しない。

ロトスコープは実写を下敷きにする分、動きについて考えることを省略するというスタイル。

自動車なんかに比べたら全く劣るが、生産性を上げる工夫は無いわけではない。

型だけで作っていると何か見覚えがある様なものしか出来ないので、少しの隠し味をどうつけるかが腕の見せどころ。

隠し味にしろ大きな型にしろ伝統は伝わっているものもあれば失われている様なものもあって、時代の趨勢で失われたものは仕方ないとしても良きものは記録・保存されていくと良いのだが記録する術が今のところない。

アーカイブとか一応計画はあるけれど、政治が混迷する中どうなる事やら。

ストリーボード作成で学ぶ演出(のための準備)【05】イマジナリーの説明用認知科学理論・ナラトロジー

イマジナリーラインの根拠になるような認知科学の理論は無いのかと論文探したり本を漁っている。

・変化盲
・文脈効果
・対象の永続性(発達心理の中の言葉)

この辺の研究で何と無く説明はできそう。
直接的に映像に絡めた研究は英語でもあまり無さそう。
幾つかは、映像に絡めた論文もあるのでヒントにしたい。

変化盲は、これでほとんどイマジナリーラインの効果については理解できそうだが、これだけ詳しく説明した本や論文は見つからない。基本的なことすぎるのか…?
英語論文でロンドン大学?で認知科学と映像理解を絡めた研究をしている人がいるみたいだが、他はほとんど見つけられず。
流行りでない、ということか。

金子書房の「知覚・認知心理学」を購入。
比較的最近出た本で知りたいこと近辺について書いてある。
東京大学出版会から去年出た認知科学のシリーズは一個レイヤーが上というか、もう少し大まかな話が多くて使え無さそう。面白そうだし最近の知見がまとめられていそうなので読んでは見たいが。

映画理論講義修正を読み始めた。
ざっくりは使えそう。
古臭さはある。

講談社学術文庫から出ている橋本陽介「物語論 基礎と応用」をぱらっと読んだ。
前半は物語論(ナラとロジー)のざっくりした紹介で、これは使えそう。
後半は具体例で分析をしているが急にぼんやりとした感じで発見はない。
意外と最近出た本らしくシン・ゴジラや他のアニメも取り上げられていた。

やはりこの手の構造主義から派生した研究は60〜80年代あたりで概ね止まっている印象。だが、その後もポツポツと研究はある模様。
基本的には廃れ気味というか、流行ってない。金にならないというかとかと思われる。

嚆矢とされるジュネットの「物語のディスクール」は水声社で今でも買える様なので読んでみようかと思う。元は72年だから古い研究だなあ。
物語をめぐる様々な研究はあるようなのだけれど、記号学とか認知科学とかを絡めたものは少ない。
散発的なものを集めるには流石に時間と気力が足りない…。

物語論は基本、言葉についてなので映像に応用する場合は少し工夫が必要。

でも初心者に教えるためにはとても助けになりそう。

蓮見も多分このへんの詩学・物語論を軸にしていると思われるけど、昔読んで苦手だった印象が拭いきれず読む気が起こらない。
あとは浅沼圭司くらいか?

年末暇になったら、調べたい。

山は越えた…と思いたい【2025年10月12日】

ここ2週間は演出している話数のマーキング用のレイアウトチェックとオールラッシュ、打ち合わせなど仕事が山積でへとへとに疲れた。

なんとかマーキングは終わったので、レイアウトを仮チェックのままにしているものなどを出し切れば一息つける、はずだったのだが他話数の手伝いをしなければいけなくなった。

気分的には、大変なところは過ぎたのでよし。


紙媒体のレイアウトをデジタルでチェックするのは、とても手間だ。
タイムシートを直すにしても、紙で書かれたタイムシートをスキャンした画像データでは鉛筆で書かれた絵のタイミングと何秒何コマなど表す印刷されたフレームが一緒くたに画像になってしまっているので鉛筆のデータだけ消したい場合も、フレームごとごそっと消えてしまう。

逆にデータで書かれたタイムシートを紙に印刷しなおした場合も、タイミングのデータだけ消すことはできないので直したいときは全部書き直す羽目になる。

いずれは紙は基本的に使われなくなくなるだろうが、この混交した状況はあと数年変わらないと思われるので少し気が滅入る。

もともと効率化とは程遠い様な仕事だが、すべてデジタル化してしまえば色んな部署で省力化出来ることが少し増えるはず。


voilの若いアニメーターたちは全員デジタル作画。
比較的みんな、しっかりとした絵と動きを描いていて感心した。

良い人だけを採用するというのは、なかなか難しいので社内の育成がうまくいっているのだろうと思う。

昔は、よほどのスタジオでなければ新人は結構画力の差が激しい印象だった。
もともとの粒が揃っているということもあるのだろうか。

ネットでうまい絵を見られる機会は圧倒的に増大していて、その影響があるような話は時々聞くけれど。


演出の方はどうなんだろう。

最近、ほとんどテレビアニメは見ていないので演出の技量のアベレージみたいなものが全くわからない。

自分の仕事の中で出会う人は、まあ大体普通というか年齢やキャリア相応の力量や悩みを抱えているといった印象。

制作からは演出の技量が落ちているような話はよく聞くのだが、明確に自分で実感してはいない。ベテランたちが体力的に辛くなってきているのは実感している…。

金曜はアイカツ×プリパラの初日で19時の回の上映後の舞台挨拶に呼ばれて見てきた。

女の子のファンがちゃんと来ていて楽しんでいた様子だったのが印象的。
通路を挟んだ隣に座っていた子は上映後に目元を拭っていた。

舞台挨拶の中で両方の作品見ていたかの問いかけに結構手を上げている人がいて、意外な驚きがあった。

少し裏に挨拶に行き、下地紫野嬢がいつになくテンションが高めで何だかありがたい気分を味わう。もう作品が終わって10年近く経っているのだ。

映画はステージてんこ盛りで、ファンなら誰でも楽しめるだろう。

舞台挨拶は結構な回数やる様で、監督の大川くんは毎度の様に引っ張り出されるので、これでだいぶ慣れるだろう。
初日はやはり若干緊張気味だったと思う。
自分の時のことを思い出す。

あまり自分ではわからなかったが、ずいぶん緊張していたと思う。

呑んで帰りたかったが、最近酒が残るのでそのまま帰宅した。

ロロ「まれな人」【2025年09月29日】

土曜ロロ「まれな人」観劇。渋谷ユーロライブ。
いつもの内古閑さんと。
「BGM」の様な人情噺。良かった。

直木賞作家とその編集担当が、ひょんなことから作家の中学生の頃の友達を探すことになるが、という出だし。

会いたいが会えない。

会えないまま思い出すという行為の中で、友達は鮮やかに蘇り、触れそうに近づいたところで友達は出会いを拒否して、しかし作家の中に色褪せずに残った。


出会って仕舞えば浦島太郎の様に、時間は白い煙となって吹き出して否応なく目の前に突きつけられる。
魔法が解かれることを拒否するには会わないという選択をするしかない。

私も玉手箱はあまり開けたくない方かもしれない。

日曜はJAniCAの仕事。
レプリカの仕事も立て込んでいる。
しかし二日酔いっぽくだるい。

夜中にウチのオス猫2匹が大騒ぎをしていた。

若い方が年嵩の方を追いかけ回して(本人はじゃれついてるつもりと思われる)年長猫は悲鳴をあげていたのだが、年長猫の方が明らかに体格がいいし、本気で戦えば勝てると思うのだが、どうもそうはならない。

関係性が固定化されてしまうと、そこから抜け出すのは心理的に難しいということなのか?

不思議だ。

9月も終わりかけ。

少し涼しい日が増えた。

寄せ植えにしたジニアの一つが枯れたので黄色と黄緑、2本のセロシアに植え替え。

他にもいくつか植え替えた。

春の終わりに買った宿根草は夏越しがうまく出来ずほとんど枯らしてしまったので秋にでているものを見に行きたい。

先週はレプリカの初ラッシュ。

同じ日にあったプリパラ・アイカツの初号にはいけず。

映画館で見るのを楽しみにしておこう。

夢・カイガラムシ【2025年09月24日】

久しぶりに夢を見た。保くんと呑んでいた。
夢を見るのは健康の証らしいので良きことなのだろうか。

行ったことがある、と夢の中では思っていたが多分架空のバーだか居酒屋で何か話していた。

途中トイレに行きたくなって、フラフラと店を出て知っている道のはずなのに帰りつけず目が覚めた。

夢の中でも方向音痴なのは変わらないのか。

方向音痴は方向感覚が鈍いのになぜ音痴と呼ばれるのだろう。

音痴は音が外れる、あるいはリズム感がない人のことだが、菊地成孔によると大体はリズム感を掴めば音痴は治るらしい。

方向音痴は行く先の位置がよく分かってないうちに、えいやと進行方向を定めて歩き出してしまうというパターンが多いと思う。
あるいは道を知っている気になっていて考えるのが面倒とか。
途中からは間違っている気がするけれど、それを認めるのが嫌になり結局と方もない時間がかかる。

間違いを認められない、認めたくないというのは人間誰しもあることだが、認めないと目的地には着かないということ方向音痴は学ばせてくれる。
学んだからできるというものでもないが。

夢に出る、ものは健康な時は意識の上に上らせても良いもの、ということらしい。
不健康な時は現実での思いだしたくないことなどが、そのまま夢に出る様な状態。

悪夢でも何らかの加工がされていれば、それはきっと意識に上らせてよいものということなのだろう。

なんで居酒屋で飲んでいたのか、道に迷ったのか分からないが、加工されているということは、まあ心体は悪くもない状態ということか。

双子のライオン堂の店主が文学カウンセリングの話をしていた。
文章を書く、自分のケア、セラピーになるという話らしい。
最近流行りの日記(日記ばかり売る書店がある)もその流れなのではないかという。
このブログもほぼ誰も読んでいないし、似た様なものだ。

カイガラムシの殺虫剤を買ってきて噴霧した。
効いてくれるといいが。

オルトランDXも撒かなければいけない。