そういえば、劇場版アイカツ!が今週末から再上映される。
もう劇場版初上映から10年だそうで、早いものだなぁと感慨に耽ってしまう。
土曜日には池袋のグランドシネマサンシャインで諸星すみれちゃんと舞台挨拶がある。
劇場版は結構たくさんイベントをやっていろんなことを喋ったので何を話そうかと考えている。
運営からの質問アイデアはあるものの何か話してないような思い出があったかな…と。
10年で随分いろんなことを忘れているので(何を話したかも忘れつつある)繰言のようなつまらない話にならないようにしたいものだが。
すみれちゃんが一緒にいるので、殆どの人は彼女を見るだけでも来た価値はあろうと思うのが救いである。
アイカツ!は定期的に昔を思い出す機会が訪れるので比較的に思い出せることは多いと思う。
当時、プロモーションで結構駆り出されて色んな事をさせられた記憶がある。
今も監督はプロモーションに寄与出来ているのだろうか…と甚だ疑問なことはあるのだが、体験としては面白かった。
今思えば、最初の頃は舞台挨拶も緊張していた。
初めての舞台挨拶は豊洲の劇場だったように思うが、控室では全く緊張を感じていなかったのだけれど、客前に出て急激に緊張したのを覚えている。
そりゃあ、結構大きなスクリーンだったし新人監督としては仕方ないだろう。
笑いの一つも取ってやろうと思っていたのだが、ジョニー役の保村さんがクルリと回って(控室では絶対パフォーマンスはやらないとか言っていた気がするが)華麗に笑いを取ったのを横目に見て感心するばかりだった。
大阪でも舞台挨拶とテレビ用のショートのインタビューとか。
告知を噛まずに言うのがいかに難しいか思い知った思い出がある。
コメンタリーなどのトークショーも凄くたくさんやった気がする。
殆ど私が司会進行のような形で90分のコメンタリー上映をやった時は流石に少し喋りが上手くなったような気分になれた。(大したこたぁないのだが)
何かの(アフレコだったか?)イベント終わりで予定していなかったスタッフが沢山参加してくれて助かった。
ただ喋るだけでも90分は非常に喉が疲れて大変なのだ。
そもそも、喋る内容などをある程度は考えておけば少しは上手く話せるのに、打ち上げの挨拶などですらその場の思いつきで喋ってしまう。
最近は良くも悪くも場慣れして緊張することもあまり無くなって上手くはないがリラックスして話せるので(トチっても気にしない)聞いてる方も楽しく聞いてもらえてると思っている。
一人でカメラに向かって話すようなコメント撮り的なものはいまだに苦手で、客前で話す方が気楽だ。
確か、バルト9でやった舞台挨拶の後、近くの交差点でファンの男の子が待っていてサインを求められた。
サインなど求められたことが無かったので普通に名前を書いただけだった。
アイカツ!に勇気づけられました、ありがとうございました的な事を言ってくれたのだが、ありがとうはこちらのセリフである。
この仕事をしていて、まさか誰かに感謝の言葉を貰う時が来ようなどとは思いもしていなかった。
子供向けであるし、素朴に面白ければ良いというつもりで作っていた作品なので、自分の想像を超えた反応に戸惑いというか申し訳ないような気分になったこともあるのだが、(何度も書いた気がするが)貴重なありがたい経験をさせてもらった。
劇場版は自分で絵コンテを描いているわけでもないし、演出もやっていないし、本当に周りのいろんな人の力で出来た作品だった。
自分の仕事のほとんどは、加藤さんとの脚本作りの中に集約されている。
当時の自分に出来ることや思いは全て投じて作った作品ではあるので、それが今だに多少なりとも人の心に残っているというのは嬉しい限りである。
久しぶりの劇場での上映なので、お時間のある方は是非見てほしい。
会える方は、土曜日に劇場で会いましょう。
月: 2024年11月
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アイカツ!劇場版再映【2024年11月26日】
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猫・掃除・植物【2024年11月24日】
一番上の雄猫が旅立ってしまったので、我が家は女性上位時代に突入した。
メス猫2匹にオス猫1匹である。
長老メス猫は食欲も旺盛で動きも軽やか。下2匹との仲は、良いとは言えないのだが。
しばらくは元気でいてくれそうだ。別に仕事が落ち着いたわけでもないけれど、一つミッションが終わったので突然部屋を片付けたくなって始めてしまった。
手っ取り早い掃除は「捨てる」だけれど捨てることすら忘れているものが結構あるので掘り出すところから始めることになる。(コンマリに拝礼)しかしどんどんエントロピーが増大するだけで途中差しのまま仕事に戻るに違いない。
年末なので家の中をひとしきり掃除したいけれども、果たしてどこまで出来るやら。
今週のオンライン編集は、えらく待ち時間が長くなってしまった。若い人と長々と話す機会も最近はそう多くないので、仕事は進まないがこういう時間は面白い。
元は現場にいた(私の現場にいたこともある)若いPがいて逆の立場になって悩むこともある、というようなことを言っていたのでそれは良いことで現場にいた経験が色々生きるんじゃない、と答えたのだが、まあ分かる気がするな思って聞いていた。
元現場にいて出版社やクライアント側に転職した人たちも最近は増えているようで、そういう人は現場との架け橋に実際なっていたり、なりそう。
出版社側から制作側に来る人は今は給与が違いすぎて、無さそうだが…。
逆が起こるようになったら面白いんだろうな。
しかし、KADOKAWAを SONYが買収する話も出ていることだし、そもそもSONYもKADOKAWAも制作現場を持っているし、ぐるぐると掻き混ぜられて後数年の間に大きく様変わりするのは間違いなさそう。
作られる作品は、どんなものになっていくのだろうか。使いやすいクラウドサービスを探している。
スタジオと家で同じデータを触れるようにしたいのだが、今使っているicloudは同期が不安定で使いずらい。容量と値段はとってもお手頃なのだけど。
上手い同期の方法があればそれに越したことは無いのだが、調べても良い対処法は出てこない。
スタジオが大きなサーバーを用意してくれれば良いのだが…いや結局DROPBOXなどの方が手軽で使いやすいんだろうけど。
誰かお勧めを教えてほしい。植物を色々買ったまま植え付けを出来ないでいる。
土も買って来なくてはいけないし、雨が降ったり寒かったりで放ってあったのだが、少しまた暖かくなったことだし今のうちに植え替えないと春まで放置しそうだ。
暖かい日があるうちに植え替えないと根が張ってくれないので今週あたりがラストチャンスかもしれない。
寒さに弱い植物も植え替えて冬越しさせるか悩ましい。
屋内に取り込めば冬越しできるのだけれど、玄関に置くにしてもまあまあ場所を取るので全部は難しそう。
しかし買ってきてから咲いている時間が短いものも結構あって、冬越しさせれば春からまた花が見られるものは越させて見たい。
プレクトランサスは、とても良く咲いたし掘り上げて鉢植えにして取り込むか。
五色唐辛子は元気ではあるけれど、あまり大きくなってないので、これも掘り上げるしかないのかも。
冬に強いものは、だいたい夏に弱い。
最近の凄い暑さを越えるのはかなり難しい。(とプロもYouTubeで話していた)
YouTubeには園芸関連のチャンネルが結構たくさんあって重宝する。
夏越しさせる方が冬越しより大変そう。
なるべく強そうな植物(=手がかからない)を選んで買っているのだが、しかし育てて見ないと分からないことはたくさんある。
PWのチョコレートコスモスは耐病性も上がった強健な種類ということで、しばらくは花上がりも良かったのだが、肥料を上げすぎたらしくうどんこ病に罹って一気に弱ってしまった。
肥料を上げた方が普通の花は花つきが良くなるのだが、肥料を上げるとうどんこ病に罹りやすくなるらしく(と、薔薇の育種家が話していて知った)またチョコレートコスモスはうどんこ病に罹りやすいようで、しくじった……というわけ。
手をかけない方が良いこともあるという学びを得た。
PWのアリッサムはセールで買った苗を夏に一回枯したのだが、秋に買った苗は順調に大きくなって植え替えた。
花芽も結構上がってきていて春には沢山咲いてくれそうな予感。
PW(Proven Winners)の植物は初心者が育てやすいものが多いのでつい欲しくなる。
巨大になるものもあって、どこに植えるのかは悩ましい。
次は何を買おうか? -
ペットロス【2024年11月18日】
猫との別れは何度経験しても慣れないもので…。
具合が悪そうだな、と気付いてからあっという間に逝ってしまった。
4ヶ月ほど前の検査では、まずまずだったのだが、先週末ご飯を食べなくなって病院へ連れて行ったのだが。
膀胱の脇に腫瘍が出来ていたらしく、それが静脈を圧迫して歩行も難しくなっていた。
歩きづらそうだな、と思っていたが猫は痛みを我慢するので、そこまでクリティカルな原因があるとも思わずにいた。
腎臓の数値も悪くなっていて、しかしまだ何とかという所だったようなのだが腫瘍との相乗効果か急速に体調は悪化したようだ。
ここ最近の急な寒さで激変したのかもしれない。
まあまあ歳だったので仕方ないないと思うのだが、もう少し上手く対処してやれば楽に逝けたのかななどと詮無いことを考える。
しかし言葉の通じない猫の変化を素人が察知するというのは、なかなか難しい。経験を積めば重要な変化に気づけると思うのだけれど。
人間というか、自分自身のことですらままならないのだから。
ペット界隈の医療は二極化しているそうで、街のホームドクターと大学など専門機関。高度な医療を施すところは、とても高い医療費を取るらしい。
専門の機関だと検査で20〜30万、手術で40〜50万、合わせて100万くらいしてしまうとか。
確かに、前の猫で検査してもらった時は結構取られた記憶がある。
老齢の犬猫に高い手術をしたとて、そう長く寿命が伸びるわけでも無い事が殆どだろう。苦痛は取り除いてやりたいが、さすがに何処まで手をかけるか悩ましい。
もうしばらくはペットロスから抜けられなさそうだ。もう11月も半ばを過ぎてしまった。
来年は頭からバタバタしそうだし、なんだか余裕がない。
とある原作者の人に、コンテの絵が綺麗で驚いた、というようなことを言われた。漫画のネームのようなものかと思っていたと。
まあ確かに漫画のネームよりはアニメの絵コンテは詳しく絵が描かれている事が多いかもしれない。
これは良し悪しがあって、そもそも絵コンテだって漫画のネームのようなかなりラフな絵でも問題がないはずだ。
ラフな絵ですめば、そちらの方が圧倒的に早く描ける。
漫画と違ってアニメは大勢の人間が関わるので下書きも他人が分かる絵である必要性が少し高い。
しかし、必要な情報が分かればそれほど丁寧に描く必要もないわけで、現状の絵コンテの几帳面さはアフレコが絵コンテを撮影した映像で行われるという場合があることへの対処という側面が強いように思う。
もちろん他にも(絵的に)詳細な絵コンテが描かれる理由はあるのだが、スピード重視で描かれる事があまりないのは、殆ど上記の理由ではないだろうか。
世の中には凄い人がいて頼んで10日もあれば詳細な絵が入った絵コンテが上がってくることもある。
しかし、それは稀で普通の人だと一本の絵コンテを上げるのに3週間から6週間くらいが平均だろう。(もちろん他の仕事もしながらのスケジュールなのだが)
ただ、ラフだけだったら2日3日で出来てしまうという人は少なくないのではなかろうか。
ラフだけ演出家が描いて、清書をアニメーターに任せるようなやり方も有りそうだが実際は殆ど例がないと思う。
絵コンテについては、もう少し効率的な方法が色々な形で模索できそうなのだが、なかなかそうはなっていない。
絵が綺麗だと褒められるのは嬉しいのだが、問題の多い工程でもある。泣きつかれて急ぎの絵コンテをこなしたりアイカツ!のイベント用の仕事があったりと10月末から忙しくてしんどいが、あと半年くらいはこんなこんな感じなのかもしれない。
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神経質な時代なのかも【2024年11月02日】
今週はへとへと。
仕事で気力も体力も失って本も読めない。
のだが、また細かい仕事が増えたりして果たして終わるのだろうか…。
今週は連休なのだなと、さきほど気づいた。
昔は連休も土日も関係なく仕事の連絡が来ていたりしたものだけれど、最近は大分少なくなって健全になったものだと思う。
急ぎの仕事の返信もまだ来ていないもの。
仕事でちょい驚いたことがあり、それにまつわることをメモ的に記す。
最近のアニメ制作は、ほとんどが原作ありきの仕事である。
最近でなくとも原作ものの仕事はずっとあったわけだけど揉め事などの話もよく聞いた。
しかし、お互いに歩み寄りやら色々あって、ここ10年くらいで作り方は非常に落ち着いてきているというのが個人的な印象。
もちろん今だに揉め事の話も聞いたりはする。アニメの話ではないけれど、ついこのあいだ原作者が亡くなってしまった事件まであったわけで。
しかし、トラブルシューティングなどは出版社など権利を持っている側と制作サイドともに随分とノウハウは蓄積されていて、穏やかに仕事が進んでいるところが多いのではなかろうか。
派手に揉めている話は随分聞かなくなった気がする。
あるいは揉めてもなんとかなる段階で手を打てているというべきか。
なんとかなる段階、それはプリプロ。
絵的には設定画などの確認。
お話は脚本の段階で、なるべくしっかり合意して揉めないようにしましょう、ということ。
特に脚本の擦り合わせは昨今非常に重要度を増している。
さて、過去アニメ業界ではシナリオを軽視する演出家も少なくなかった。
その理由は色々あると思われる。
ひとつはアニメに限らず映像化の際に原作を大幅に改変する場合があった。
もうひとつは、アニメオリジナルの作品が多かった。
映像化の際に原作を大幅に改変していた理由は色々あるのだろうけど、昔は改変がそれほど悪とされてはいなかった。
映像は別物としてあまり気にしない原作者も多かったと聞く。
もうひとつアニメにオリジナル作品が多かった頃は、演出家の裁量でお話をアレンジしてもそれほど問題にならなかった場合も多かったと思われ、そういう文化の中で育った人は、とくに悪気なくシナリオを軽視するということがあったのではないかという気がする。
実際、私もオリジナルの仕事の時は脚本に沿うことに凄く気を使うということはない。
といっても、シナリオを軽視しているわけではなく、映像化の際に必要なアレンジや、ノリでこの方が面白いかなといったアイデアを入れるときに凄く気を使はなくて済む、という程度である。
そもそも面白いお話を作るために脚本会議をやっているわけで、シナリオを無視して作るというのは、その時間を捨てるということなのだから馬鹿げている。
最近でもオリジナルの仕事で監督が勝手に話を変えて脚本家と揉める、という話も聞くことはあるのだが何故なのか…。
しかし昨今の原作もののシナリオは、少し繊細である。
シナリオ会議に原作者が参加する場合も少なくないので、意外に細かなところまで原作者の手が入っている場合がある。
脚本は原作サイドとの契約書にも似た機能を果たすようになっている。
なので、監督といえども簡単に改変はできない。
改変したければシナリオ会議の段階でアイデアを提案するのが筋なのである。
実際私も大きめの改変を提案することがあるが、それは会議の場で議論される。
各話のコンテマン、演出家はシナリオ会議での議論を知らないのでシナリオの改変は難しくなる。絵コンテなどは良くも悪くも極力シナリオに沿って描かれる。
とはいえ、脚本通りに映像を作るというのは無理なので映像化するために多少のアレンジはどうしても必要だ。
私が原作ものの各話の絵コンテを担当する場合も極力シナリオ通りに作って、明らかに変えた方が良さそうなところがある場合は、なるべく発注の段階で確認する。
描きながら分かったことは断り書きを入れて直すか、放置して監督に判断を任せるというのがもっぱらだ。
ノリで作って、それを面白がれた時代もあったのだと思うが、今は良くも悪くも難しい。
漫画にせよ小説にせよ原作もののお話は一人の人間が描いていることが多いので、どうしてもその人にしか分からない理屈のようなものでつながっている部分がある。
ブラックボックスのような、その人の頭の中だけにある理屈は創作の魅力にもなりうるものなのだけれど、映像のように大勢の人間が関わって作る創作物の場合は他人と共有できないと理屈そのものが抜け落ちてしまうこともある。
ブラックボックスはなるべく少ない方が良いし、しかしそれが無くなることも原理的にないと思う。
すくなくとも監督と共有できていれば作品が大きくずれたものになることはない。
しかし末端のスタッフの創作性や実務的な問題とどう両立させていくか、というのは悩ましい。池田繁美さんが亡くなった。
夏色キセキの時に一緒に仕事をした。
ガッチリした分かりやすい設定が印象的だった。
昔気質の厳しい人であったのだと思うが、私は意外と気安く話してもらっていた気がする。
昭和の職人たちが亡くなっていくのは仕方ないことだが残念だ。