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  • 精巧さ

    精巧さ

    もうあまりハイファイとか高解像度、高品位みたいなものに興味がなくなってきたのかもしれない。歳なんだろうなぁ。何せ映画館でスタッフロールの文字も読めないし。

    綺麗に作ることだけで面白く見せ切るというようなことも可能だとは思うが、あまりに他の要素とのバランスを欠いているとつらい。あと誰に向かって語っているのか見えづらい作品も見ていられない。

    この間、仕事の資料で読んだ小説はシンプルで面白いがリアリティのあまり無いアイデアを語り口で読ませ切っていた。なかなか上手くいくものでは無いので感心した。

    一方、ある作品を見て技術はとても凄いのだが誰に向かって作っているのか分からなかった。

    それは単に私には見えなかったというだけであるかもしれないが、対象でない観客にもある程度、対象の観客が見えないと娯楽としては難しいのではなかろうか。

    小説の方は若い書き手が、自分の近い世代に向かって自分の面白いと思うものの熱量を上手く技術で昇華して作られていたのだろう。

    歳を食うと若い観客との距離は開いていく。

    アニメは主に30代くらいまでの若い観客に向かって作ることが多いので、作り手は40代を超えたあたりからの観客との距離をどう考えるのかというのは課題だ。

    別に年齢に限らず観客と自分が一致するなどということは殆ど起こらない事ではあるのだが。

    いくら精巧でも受けっ取ってくれる観客がいないと意味がない。

    精巧に作るのであれば、その土台をよく考えないと只の徒労に終わるだろうと思う。

    精巧さだけで見せ切る作品は特に長尺では難しい。

    かといって土台をどう作るのかというのも、途方に暮れる様な仕事である。

  • 育ててはみたけれど【2023年09月23日】

    育ててはみたけれど【2023年09月23日】

    ジブリが日テレの子会社になったそうで。今までは子会社じゃなかったのか…と思うほど近い関係だという印象だった。

    宮崎さんも、まだ作る意欲があるようだけど、さりとて体力は衰えていくばかりだろうと思うと大きな会社と組みつつ今後を考えるのは自然ななりゆきなのだろう。

    で、子会社になりましたよという鈴木敏夫さんの記者会見の記事を読んでいると、後継者作りに悉く失敗したというようなことを仰られていた。

    はて、そう言われると確かにジブリの看板を背負って作り続けると言えるクリエーターは居ないのかもしれない。宮崎吾朗さんは違うのかな?

    後継者は出なかったのかもしれないが、若い人を育てるのに失敗したのかというとそんなことは全くない。

    ジブリで育ってジブリを出て活躍している方は大勢いるわけで。

    後継者作りにことごとく失敗した、という鈴木さんの弁は少し大雑把なのではなかろうか。

    私もジブリが演出を育てようと始めた塾の出身。

    私が入った塾は高畑勲さんが塾長をしていた。

    入って早々、高畑さんはジブリで育とうとかはあまり考えない方が良いと思う、というような事を言っていてたと思う。

    さもありなん、ジブリの作品の予算は新人の演出家が背負える様な規模ではない。

    ジブリに限らず、会社が新人のクリエーターを育てるというのは大変でなかなか上手くいかない。

    育ったと思ったら出て行ってしまったり、リスクも大きかった。

    とはいえ、継続的に作品を作っている会社からは、それなりに人が育っていると思う。

    回遊魚みたいに色んな現場を回っていて、ひと所になかなか居付いていないと思うけど。

    京都アニメーションなんかは比較的に人を育てるのに成功しているのじゃなかろうと思うし、多分少しづつ会社に居続けてくれるようなクリエーターを作る試みは広がっていて成功しつつあるところもあるよいに思う。

    鈴木さんの記者会見ではテレビシリーズの制作も視野に入れているというような発言もあったし、上手くいけば新しい人材が育っていくのだろう。

    ブランドを維持するためには大きなチャレンジが必要なのだろうと思うけど、成功を祈りたい。

  • もののがたり最終回【2023年09月19日】

    もののがたり最終回【2023年09月19日】

    納品は随分前に済んでいたのだけれど、本日もののがたりの最終話が放映された。

    見ていただいた方には感謝。

    原作は完結しているので、あの後の物語は是非原作で読んでください。

    面白い原作だったから引き受けたので、アニメが面白かったのであれば原作はまず楽しめる筈。

    同時期に受けた原作ものの仕事のテーマに両方「家族」が関わっていたのは偶然だけれど面白かった。

    全ての物語は「家族」について書かれているという様なことを言う人もいるけれど、なるほど分からんではない。

    毎回、色々な人にお世話になりつつ作っているけれども「もののがたり」はアイカツチームが主力。

    音楽方面も見知った顔が沢山。感謝。

    ここ2、3週間は緊急のコンテのお手伝い。

    テレビシリーズをやっていると、どうしたってアクシデントは付き物で助け合いは良くあること。

    おだやかに終わる仕事はなかなかないもので…。

  • 最近の読書【09月01日】

    最近の読書【09月01日】

    辻田真佐憲「戦前の正体」「文部省の研究」

    島薗進「教養としての神道」

    石田美紀/キム・ジュニアン編著「グローバル・アニメ論」

    明治維新で新しく作られた伝統みたいなものを全然わかっていない、ということがよく解った。

    明治維新から150年くらいしか経っていないと思うと、変わらない日本人の心性みたいなものもそりゃあるよね。

    「教養としての神道」は神道の細かなディティールが少し読みづらいけど、土着の宗教としての神道がどのように生き残ってきたのかというのはとても面白い。

    明治維新以前は神仏習合であったことなど全く知らず…。

    無教養である。

    宗教関係の本も色々読んでみたいものの、沼が深いので少しづつかな。

    仏像にも興味が湧き石井亜矢子「仏像解体新書」を買ってみた。これは図版がたくさん載っていて分かりやすく仏像を解説していて面白そう。

    山本聡美「九想図をよむ」(増補カラー版)も大変おもしろそうだが、こちらはかなり労作の研究書なので真面目に読むと大分骨が折れそう。九想図というのは、死体の変化を九段階にわけてイメージして自他の肉体への執着を滅却する九想観という仏教の修行に由来する画題だそうな。こちらも図版多数。

    「グローバルアニメ論」は論文集。「持永只仁の家族アーカイブから読み解く協力者としての子供観客」ジェーソン・コーディ・ダグラスが非常に面白かった。他の論文もなかなか興味深い。一つ一つは短めの論文なので読みやすいかと思う。

    あとは久しぶりに映画館へ。「Berbie」を鑑賞。大味だが面白いと思ったものの興行はアメリカに比べると大分奮っていない様子。そもそも日本でバービーで遊んだと言う人は少ないだろうから仕方ないかもしれない。バービーの小ネタが満載(多分)だが遊んでないとピンとこないかも。日本人にはニュアンスが伝わりづらい諧謔も沢山あるような気がする。しかし新宿の東宝では女性客がかなり入っていて啜り泣く声さえ聞こえた。冒頭の2001年宇宙の旅のパロディーは面白かったがターゲットの客へ響くのか?と言う気はした。私には分からない他の映画のパロディーもあったかもしれない。

  • いつだかの流星群【2023年8月19日】

    いつだかの流星群【2023年8月19日】

    もういつの記憶だか思い出せないけど、夏になると思い出すことがある。

    果たして夏の出来事だったのかも定かでないが、寒かった記憶はない。

    荻窪の四面道のあたりにシナジージャパンという昔所属していた会社があった頃、流星群が見られるというので誰が言い出したか忘れたが仕事の手を止めてビルの屋上に登って見物したことがあった。

    そもそも本当は屋上に上がってはいけない筈だったと思うが、施錠がされていなかったのか皆で出て寝転がって見ていた様に思う。

    天気が良かったのだと思うが、結構な数の流星が空に軌跡を描くのを見ることができた。

    もういい加減、数も少なくなりそろそろ戻るかと腰を上げる者も出始めた頃、一瞬、空全体を明るくする様な大きな流星が過ぎていった。

    空想の中でしか見られない様な流星で、後にも先にもあんなに大きな流星を見たことは、それきりない。

    空想で描かれる様な風景は案外現実に起こったりするのだなと思って今でもたまに思い出す。

    夏もだんだん終わりかけてきた。

    夏は嫌いではなかったのだが年々強くなる日差しが年齢のせいかしんどくなってきたので短めに済んでくれてもまあ良いかという気になる。

    外に出るのも億劫になってしまっている。

    夏の間にやらねばならぬことは、そろそろ頑張って終わらせないと。

    夏の間しかできないこと…もあまり無い、特に最近はと思うのだが。

    かき氷だって一年中やってるし。

    雨が降ってきた。

    日差しを楽しむ時間も必要かもしれない。

  • 重なるものは重なる8月11日

    重なるものは重なる8月11日

    絶対に洗濯したいものがある、という時に限って洗濯機は壊れるは激しく雨が降るは…でなんでかなぁと思わなくはないが世界はそういうもんだよな。

    猫たちは仕事をし始めると構え構えと叫び出すが、いざ遊んでやろうと猫じゃらしを持つと寝始めたりする。

    今も横で三毛猫が鳴いている。

    梅雨があんまりなかったから雨が降るのは歓迎だ。尋常でない暑さを少々和らげてくれた。

    買っておいた葡萄を夕食のあと食べる。

    食事の後だと一房食べるのは、さすがに重く…しかし全て平らげてしまい、猛烈な眠気に襲われてしまう。

    食べるととにかく眠くなるというのは、まあ健康なのだろうか。

    胃に血流が集中して脳味噌に回している余裕がないわけだが、血液が仕事を終えると脳も活動の許しを得るわけで変な時間に目が覚めたりすることになる。

    お酒を飲んで何かを食べるとしばらくするうちに必ず眠くなるので、よく寝ているところを写真に撮られて見せられる。

    まあしかしお酒を飲んで食べるという快楽を半減させるのはしのびないので、食べてしまうし、眠くもなる。

    先日、何となく眠れなかったのビールを飲んでいて何となく映画が見たくてAmazonプライムで新藤兼人の「濹東奇譚」を見た。

    昭和初期あたりから戦後くらいの話で正面切ってはあまり出てこないが戦争の影を描いていて、今興味のあるところと重なる。

    ウクライナの戦争を見ていて何となくウクライナ関係の本を読んだり、辻田真佐憲「戦前の正体」、宮崎駿「君はどう生きるか」とかたまたま戦争について考えることが多かった、夏だからというのもある。

    中公新書の「物語 ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国」黒川祐次 著は、独立前のウクライナを知るのにとても良い。

    濹東奇譚は、戦前の価値観みたいなものが老いていく荷風に重ねられて荷風が老いを認めて女を諦めていく様がとても良い。

    濹東奇譚は売りはエロだったのだろうと思うが、大島渚の愛のコリーダと比べると愛のコリーダの方が圧倒的に華やかだ。

    しかし濹東奇譚の方が何とも言えない情感が描かれている。

    お雪の女優さん、墨田ユキがとても良い。

    老いを描いている作品は若い頃見ても全くピンとこなかったが、今は実感と共に分かる様になった。

    老いについてはともかく、戦争については、もうしばらく考えたり調べたりすると思う。

  • 8月に入ったなあ、6日。

    8月に入ったなあ、6日。

    どうにも暑い日が続く。

    先日打ち合わせに行った時に日傘を忘れてしまって(帰りは夕方だった)ますます外に出るのが億劫だ。

    とはいえ、夏はいろんなイベントがやっているので行きたいなあとも思う。

    今年の前半は見たい映画をほとんど見られなかった。

    後半は少しは見いけると良いのだが…。

    バービーはマーゴット・ロビーとグレタ・ガーウィグなので、何はともあれ見たい。

    少し前に半分仕事の資料、半分趣味で買った本、「語り芸パースペクティブ」(玉川七奈福:編著)は大変面白い。

    頭の篠田正浩監督の義経の話から、節談説教、瞽女唄、説教祭文など知らない語り芸の話や、落語でも江戸と上方の違いなど興味深い話が沢山のっている。

    実際には実演込みで話を聞くというイベントの書籍化なので実演が見られないのが残念なのだが、それでも十分読む価値がある。

    書籍にイベントのダイジェスト映像へのURLも載っているので片鱗は楽しめる。

    活動写真弁士も語り芸の一つだろうし、日本には沢山語り芸があるらしいので色々見てみたいものだ。

    仕事の方は残念ながら実現しなかったので多少集めた資料は無駄になったのだが、まあどこかで供養する日もくるだろうと期待しよう。

  • 海が見たい

    海が見たい

    暑くて暑くて買い物に出るのも躊躇してしまう。

    仕事で外に出ることが極端に減ったので助かっている。

    自分が子供の頃は、暑い日でもせいぜい30度くらいだったものなぁ。

    ほんとに温暖化してるんだな、と。

    暑くてマスクするのもしんどいので、そりゃあコロナが流行るのも仕方ない。

    庭木は元気に枝を伸ばすが日中に手入れするのはなかなかしんどい。

    しかし、果物は大変美味しく感じる。

    桃、スイカ、葡萄…。

    果物じゃないが、麺類も。夏の素麺は最高である。

    私は日傘を愛用する様になって、しばらく経つがたまに男性が日傘を差している姿も見かける様になった。荷物にはなるけどとても快適。

    コロナだったから、という訳でもなく元々出不精なので旅行もあまり行ってなかったが、これだけ暑いとすごく海が見たくなる。

    子供の頃は海のそばに住んでいて泳ぎに行かなくなっても海を見ながら歩くのは気持ちの良いものだった。

    新潟の海は夏でも雲があることが多くて、爽やかさはあまりないかもしれないが潮の匂いが流れてくるのを感じたり、砂浜で遊ぶ人を眺めたりは楽しい。

    日傘を差して海を見ながらビールを飲めたら最高だ。

    仕事の方は絵コンテをちまちまと描いているくらい。

    映像が完成するのは随分と先になると思うが。

  • 少し落ち着いた…かな

    少し落ち着いた…かな

    おととい、とある作品のコンテを終わらせて一息ついている。

    そもそもそんなに忙しくないのだけれど、色々あって精神的に疲れていたのと体力も落ちていて予定より仕事を引っ張ってしまった。

    ちょっと私へくる仕事的には変わっていて大変な内容だったので、それも時間がかかった原因ではある。

    大変といっても、ほとんどの仕事は大変な話数を振られるのでいつものことではあるのだけれど。

    私も自分が監督の時はベテランに大変な話を拾ってもらって助けてもらっているので、私のコンテで監督の仕事が少し楽になるのなら幸いである。

    ここしばらく、以前付き合いのあった若い(といっても三十半ばくらいだけど)演出家の監督作を恩返しもこめて引き受けていた。

    最近は三十半ばになれば(もっと若くても)監督のチャンスが巡ってくるようで良いことだ。

    三十代は技術もそれなりに身に着いて体力もそこそこある、のでそこで何か作れるチャンスがあれば良い作品が作れる確率も上がる。

    我々が面白い作品に出会う確率も上がるという訳だ。

    「君たちはどう生きるか」を見た。

    不思議な映画だな、と思った。

    わかりやすくもなく、わかりにくくもない。

    私は取り上げられてるモチーフとして、少し理解できたのは戦争とペリカンくらいか。

    他にも理由があってモチーフが選ばれているのだろうけど、私にはその意味するところは定かでない。

    わからないからと言って物語を理解するのに苦労する訳でもないので構わないのだが、それを選んだ理由を知りたくなる様な作品だった。宮崎駿に興味のない人は知りたくもないだろうが、子供の頃から作品に影響を受けてきた身としては気になる。

    私的なイメージをあまり説明せず繋いでいる様で、大筋の物語自体は分かりにくいと思わないのだが、分からない・分かりにくい部分が何故そうなっているのか、それが知りたくなる様な作品と感じた。

    これが最後の長編だろうと思うから、余計知りたくなったのかもしれない。

    高畑勲の遺作「かぐや姫の物語」と「君たちはどう生きるか」は対照的だ。

    かぐや姫は、とても分かりやすい。

    高畑勲という人は一貫して分かりやすい作品を作っている。

    宮崎駿は分かりにくい、ということが作品を重ねるごとに明快になっていった。

    最後(かもしれない)映画を作る時、何を作るのかというのは興味深い。

    宮崎さんは、まだ頑張りそうな気がしないでもないけど、前作からの時間を考えるとさすがに難しいかな。

    とにかく「君たちは…」が無事完成したことを寿ぎたい。

    私もこの先どんな仕事が出来るのかな…と毎日考えてしまう。

    しばらく暇というのは決定している(笑)

  • はじめは無声

    はじめは無声

    先週金曜に第3回カツベン映画祭で山崎バニラさんと片岡一郎さんの活弁を新宿武蔵野館で観てきた。

    活弁はそれほど観ているわけではなく、以前に仕事でご一緒した山崎バニラさんの公演は何度か拝見している程度。

    バニラさんの活弁はコメディー作品を扱うことが多いので誰が観ても入りやすく楽しいと思う。

    各回楽しそうで時間があれば1日見たかったけど、そうもいかなかったので、バニラさんと、ずっと観たかった片岡一郎さんの回を選んだ。

    活弁は活動写真弁士の略なので本当は動詞では無いのだろうけど、「活弁を見る」とか「活弁する」で通じるみたい。

    片岡さんは口上で「説明は片岡一郎」と名乗っていたが、弁士が映画につける語りを「説明」と言っていたらしい。

    活動写真弁士については、片岡一郎さんが書いた「活動写真弁史」に詳しい。この本がべらぼうに面白かったので片岡さんの活弁はとても見たかったのである。

    「活動写真弁史」は映画好きなら間違いなく面白いので読んでほしい。

    無声で映画を見るというのは、昔は映像を自分で作るということになれば先ず誰でも体験するようなことだった。

    だった…というのは最近はスマホなどで簡単に音付きの動画が撮れてしまうので。プロの世界じゃないと無音で映像を見る機会は少ないかもしれないと思うからだ。

    フィルムで映像を作るとき音がないのが当たり前なので初めて自分が撮った映像を見るときは無声である。学生時代、自分が撮った画が映写機がフィルムを送る音をバックに壁に映るのを見てえも言われぬ感動が湧いたのを覚えている。

    私が初めて無声映画を見たのは、たぶん高田馬場にあったACTミニシアター。

    この映画館、椅子が無くて寝そべって観る!というスタイルで無声映画やマニアックな作品をたくさん上映していた。寺山修司の短編とか、戦艦ポチョムキンとか…。

    まあ寝ます。

    ポチョムキンとか何度も見てるけど果たして通して見られた記憶がない。

    でもマキノ雅弘の「雄呂血」とか面白かったのは、ちゃんと起きて見られてたと思う。

    学生時代に無声映画はちょこちょこ見たのだが、弁士付きで見たことはない。

    私はバスターキートンの映画が好きだったので当時こぢんまりと行われていた上映会にも行ったが弁士付きで見たことはなかった。

    当時(90年代あたり)、弁士で知っていたのは澤登翠さん位で私の記憶では弁士付きで見られる機会はかなり少なかった様に思う。

    古い映画でなくとも学生の映画は音をつけるというのは、なかなかハードルが高くて、ほとんど無声の映画は多かった。無声の映画でも面白いものは面白いのだが、つまんなければ圧倒的に眠くなる。面白くても眠くなることはままある。

    音が入ると俄然血肉がつくというか実体を伴い身近に迫ってくる感じがするのは随分長く映像を作ってきたけど変わらない。

    昔の名作無声映画も、やっぱり弁士付きで見た方が圧倒的に面白い。とバニラさんたちの活弁を見て思う。

    まずなんたって解りやすい。

    そしてバニラさん片岡さんの声はグッと心を鷲掴みにする響きがある。

    もちろん良い映画ありきだと思うけど、活弁は圧倒的に映画を生き生きとさせる。

    今まで見た無声映画を弁士付きで見直したいよなー、とつくづく思う。

    また活弁聞きに行きたいなー。