昨日でアイカツ!10thSTORYの再上映も終わり観てくれた方には深く感謝。
ゆるゆるとアイカツ!界隈は何か続いていきそうなので、のんびり待っていただきたい。
わざわざ、コンタクトフォームからファンレターをくれたお嬢さん(JKと書いてあったのでお嬢さんであろう)、ありがとう。
10年もたった作品に対して愛情を示して貰えるのは制作者冥利に尽きるというものだ。
あの映画については前に色々書いてしまったので、もうとくに言うこともない。
繋がった映画の形態で見られるのは映画館か配信なので、たまに映画館でやってくれると良いのだが。
つい先日、ジャネット・ジャクソンとTLCが共演するという神ライブをやっていたが、知り合いのオールドファンたちは大満足だったようだ。
若い頃に見たもの聞いたものは、やはり強烈に体の中に残っていて、いつまで経っても力を与えてくれる。
不思議だなとも思うけど、創作の仕事に関わってるような人も子供の頃や若い頃に得た初期衝動の勢いだけで歳をとっても動いてることは多いと思う。
アイカツ!も初期衝動についての物語だ。
アイカツ!に限らず沢山の作品で繰り返されている永遠不変のテーマだと思う。
私もいまだに子供の頃の初期衝動だけが力の源泉だけれど、職業選択は半分偶然で続けられているのも半分偶然だし、他の選択をしていたとしても何らか若い頃の経験が初期衝動として機能していたんだろう。
良くも悪くも若い頃のかけられた呪文は強力で、そこから逃れるのは容易ではない。
解いてしまった方が良い呪文も沢山あって、それにはプリンセスのキスのような強烈な体験が必要だとは思う。
そうでなければ解けないか、解くまでにえらく時間がかかることはあると思う。
老いると、いろんな魔法がその効力を失っていく。
そうして気づくことも沢山あって、それは楽しいことだ。
自分には出来ないと思っていたことが出来るようになってしまったりすることもある。
解けてしまわないでほしい魔法は、自分で望まなければそうそう解けないものだ。
魔法、呪文は良い面も悪い面も持っていることが常だろう。
ある時期までは自分を守ってくれていたものが、気づいたら唯の重荷になっているということもある。
芸術(高尚な意味ではなく広い意味での)作品もそれが見た人に何らかの力を与えているうちは良いが、何かの足枷や頸木になってしまうことはある。
だから私は、ひとしきり楽しんだら忘れてしまった方が良いと思う。
必要になったら体の中に刻まれた何かが思い出させてくれるんじゃなかろうか。
体の中で昇華されて残っているものが重要だ。
時を経て作品を見返すと新たな発見をすることが多い。
しかしかつてのような魔法は立ち現れず色褪せて見えることがほとんどだ。
それでもかつて魔法の呪文をかけてくれた作品は何か輝きを残している。かつては見えなかった魅力が立ち現れてくることも尋常にある。
I can cast a spell of secrets you can tell
というI’m Every Womanの歌詞のようでありたいと一人の演出家としては思う。