神経質な時代なのかも【2024年11月02日】

今週はへとへと。
仕事で気力も体力も失って本も読めない。
のだが、また細かい仕事が増えたりして果たして終わるのだろうか…。

今週は連休なのだなと、さきほど気づいた。
昔は連休も土日も関係なく仕事の連絡が来ていたりしたものだけれど、最近は大分少なくなって健全になったものだと思う。
急ぎの仕事の返信もまだ来ていないもの。

仕事でちょい驚いたことがあり、それにまつわることをメモ的に記す。

最近のアニメ制作は、ほとんどが原作ありきの仕事である。
最近でなくとも原作ものの仕事はずっとあったわけだけど揉め事などの話もよく聞いた。
しかし、お互いに歩み寄りやら色々あって、ここ10年くらいで作り方は非常に落ち着いてきているというのが個人的な印象。

もちろん今だに揉め事の話も聞いたりはする。アニメの話ではないけれど、ついこのあいだ原作者が亡くなってしまった事件まであったわけで。
しかし、トラブルシューティングなどは出版社など権利を持っている側と制作サイドともに随分とノウハウは蓄積されていて、穏やかに仕事が進んでいるところが多いのではなかろうか。
派手に揉めている話は随分聞かなくなった気がする。
あるいは揉めてもなんとかなる段階で手を打てているというべきか。

なんとかなる段階、それはプリプロ。
絵的には設定画などの確認。
お話は脚本の段階で、なるべくしっかり合意して揉めないようにしましょう、ということ。

特に脚本の擦り合わせは昨今非常に重要度を増している。

さて、過去アニメ業界ではシナリオを軽視する演出家も少なくなかった。
その理由は色々あると思われる。
ひとつはアニメに限らず映像化の際に原作を大幅に改変する場合があった。
もうひとつは、アニメオリジナルの作品が多かった。

映像化の際に原作を大幅に改変していた理由は色々あるのだろうけど、昔は改変がそれほど悪とされてはいなかった。
映像は別物としてあまり気にしない原作者も多かったと聞く。

もうひとつアニメにオリジナル作品が多かった頃は、演出家の裁量でお話をアレンジしてもそれほど問題にならなかった場合も多かったと思われ、そういう文化の中で育った人は、とくに悪気なくシナリオを軽視するということがあったのではないかという気がする。

実際、私もオリジナルの仕事の時は脚本に沿うことに凄く気を使うということはない。
といっても、シナリオを軽視しているわけではなく、映像化の際に必要なアレンジや、ノリでこの方が面白いかなといったアイデアを入れるときに凄く気を使はなくて済む、という程度である。
そもそも面白いお話を作るために脚本会議をやっているわけで、シナリオを無視して作るというのは、その時間を捨てるということなのだから馬鹿げている。
最近でもオリジナルの仕事で監督が勝手に話を変えて脚本家と揉める、という話も聞くことはあるのだが何故なのか…。

しかし昨今の原作もののシナリオは、少し繊細である。
シナリオ会議に原作者が参加する場合も少なくないので、意外に細かなところまで原作者の手が入っている場合がある。
脚本は原作サイドとの契約書にも似た機能を果たすようになっている。
なので、監督といえども簡単に改変はできない。
改変したければシナリオ会議の段階でアイデアを提案するのが筋なのである。

実際私も大きめの改変を提案することがあるが、それは会議の場で議論される。

各話のコンテマン、演出家はシナリオ会議での議論を知らないのでシナリオの改変は難しくなる。絵コンテなどは良くも悪くも極力シナリオに沿って描かれる。
とはいえ、脚本通りに映像を作るというのは無理なので映像化するために多少のアレンジはどうしても必要だ。

私が原作ものの各話の絵コンテを担当する場合も極力シナリオ通りに作って、明らかに変えた方が良さそうなところがある場合は、なるべく発注の段階で確認する。
描きながら分かったことは断り書きを入れて直すか、放置して監督に判断を任せるというのがもっぱらだ。

ノリで作って、それを面白がれた時代もあったのだと思うが、今は良くも悪くも難しい。

漫画にせよ小説にせよ原作もののお話は一人の人間が描いていることが多いので、どうしてもその人にしか分からない理屈のようなものでつながっている部分がある。
ブラックボックスのような、その人の頭の中だけにある理屈は創作の魅力にもなりうるものなのだけれど、映像のように大勢の人間が関わって作る創作物の場合は他人と共有できないと理屈そのものが抜け落ちてしまうこともある。
ブラックボックスはなるべく少ない方が良いし、しかしそれが無くなることも原理的にないと思う。
すくなくとも監督と共有できていれば作品が大きくずれたものになることはない。

しかし末端のスタッフの創作性や実務的な問題とどう両立させていくか、というのは悩ましい。

池田繁美さんが亡くなった。
夏色キセキの時に一緒に仕事をした。
ガッチリした分かりやすい設定が印象的だった。
昔気質の厳しい人であったのだと思うが、私は意外と気安く話してもらっていた気がする。
昭和の職人たちが亡くなっていくのは仕方ないことだが残念だ。

外れスキル<木の実マスター>【2024年10月26日】

1月から放送の「外れスキル木の実マスター」は「おとなりに銀河」の流れで大体同じようなチームで制作。
ファンタジーは各話の演出でも、ほとんど担当した記憶がない。外れスキルものが沢山あることも知らなかった。
お話は私世代なんかは懐かしくなるような王道の冒険ファンタジーで、とっつきやすく楽しく作れた。

原作チームも鷹揚でありがたかった。

制作の旭プロダクションは宮城の白石にスタジオがあって、そこのチームがとても優秀だ。

「魔法少女にあこがれて」の監督も務めた鈴木理人くん、演出の森あおいさん、おとなりに銀河のキャラクターデザイン大滝那佳さん、は白石のチーム出身で皆んな優秀。他の作画チームも優秀でびっくりする。

今回も参加してもらって、感心するばかりだった。これからどんどん活躍するに違いない。

メインキャラはアイカツ!でもう長い付き合いの宮谷里沙。忙しいところを無理に頼んで引き受けてもらった。

アニメ制作本数はスタッフの数に比べるとかなり多いので、どこのスタジオも苦労が多い昨今だが、若い優秀な人たちの仕事を間近で見る機会は楽しい。

若くなければ出来ない仕事はある。アニメ作りは意外と体力勝負なので、なるべく若いうちに良い仕事をする機会に恵まれると良いなと思う。

仕事の愚痴を書こうと思っていたけど、やめた。

2028年あたりの仕事まで決まっているとかいう話も聞くが、隔世の感がある。

果たしてこの先どんな作品がつくられるのだろうか。

暴力とアディクション【2024年10月21日】

最近読んだ本、信田さよ子「暴力とアディクション」
現代思想に書かれた短編の文章をまとめた本。大変面白い。

タイトル通り暴力とアディクション(中毒)が如何に関係しているかというテーマが主に取り上げられているが、そこには深く家族が関わっている。

信田のキャリアはアディクションから出発しているので、どちらかというとアディクションが先にあってそこに暴力がどう関わっているのか、という構図。

この本だけで沢山、物語のネタが出来そうな内容である。

アディクションの代表的なものとしてアルコールがある。
アル中への対処がアメリカで進んだのは、ベトナムからの帰還兵が沢山アル中になり、家庭の中で暴力を振るい、それが問題になったかららしい。
中毒は様々な社会問題と通底している、という具体例が様々示されている。

アルコール中毒に限らず、全ての中毒・依存症は自己治療的である、ということが随所で語られているのだが、これは普通の人間でも多かれ少なかれ思い当たることがあるだろう。

趣味でも仕事でも、のめり込んでいるもの・行為は自己治療的な側面がある。
それがなければ生存が危ういかどうかが依存症かそうで無いかの分水嶺だ。

中毒・依存症は本人にとっては治療的なので止めたくないが、周りが迷惑しているので止めさせたい、という構図が依存症治療の難しさらしい。
そりゃ大変だろう。

貧困、ジェンダー、家族、戦争、ありとあらゆるものが暴力・アディクションと関係していて、これは表立って取り上げるかどうかはともかくとしても、物語を作るとき考えるべき事象だという気はする。

仕事をしながら流し見していたNETFLIXのガンダム(CGのやつ)が面白かった。
ちゃんと戦争ドラマをやろうとしていて好感がもてる。

実際の戦争はもっとえげつないけれど、ライトにでも戦争について考える様な作品を作ろうとする姿勢はファーストガンダムと通じるものがあって好きだ。

一貫してガンダムを恐ろしいものとして描いているのだが、こういう描き方を許容できるのか、というのも少し驚いたし良いことだと思った。

引っ張っていたコンテを終わらせたが、わんこそばの様に次は控えている。
まあまあ出来は気に入っている。
作画がどれくらい頑張れるかはわからんけれど。

細々した仕事を今週は片付けなければいけない。
10月は、あと10日ある。

将棋の竜王戦も3局目が終わってしまった。
佐々木勇気が1勝あげて面白くなってきた。
毎年、竜王戦が始まるともう今年も終わりだなと思う。

来年は試練の年(別に辛いことをやるわけでは無いが)で慣れない仕事をやらねばならぬ。
なので、なるべく終わらせられることは全て今年のうちに終わらせてしまいたい。

しかし、先の仕事はさっぱり決まっておらず…まあこうやって何十年か生きてきたのだから何とかなるだろう、とこういう文章を書いているのも自己治療なんだろう。

そういえば、久しぶりに自分の仕事の告知が出たのを忘れていた。
ファンタジーをやるのは初めてだが、昔の少年漫画のようなノリの原作だし、気分的には楽しかった。
現場色々あって予想以上に大変ではあったのだが、今どき大変で無い現場ほとんどなかろう。

今アニメの制作スケジュールはとても伸びていて、12、3本のシリーズを作るのに丸々1年くらいかかるのは普通になってきている。
なので告知も全然できない。
次はいつになるのやら……。

ストリーボード作成で学ぶ演出(のための準備)【03】・基本的な目的

順番に内容を整理
GPTの整理では、
1. ストーリーボードの基本的な目的を理解する

  • 目的の説明: ストーリーボードは、映像のシーン構成やカメラワーク、キャラクターの動きを視覚的に整理するためのツール。シナリオから映像化の第一歩であり、アニメーターや制作スタッフとの共通言語となるものだと説明します。
  • 具体例の紹介: 完成したアニメーション作品のストーリーボードと映像を比較しながら、どのようにストーリーボードが映像に変わるかを実例で見せます。

アニメーションというか我々が作っている商業アニメーション(この様式に対する明確なネーミングはないのは問題だ)を制作する上でストーリーボードがどの様な役割を担っているのか整理する

  • 実際に制作する映像を視覚的にわかる様に計画する
  • 物語全体の時間の想定または算出。全体の時間をどの様に分割するか、しないかを計画する。
    分割単位は大きくシーンとカットがあるが、シーンはシナリオで既に想定されているので、基本的にはカットの単位で分割を考える
  • 映像内で起こる事象の提示(場所、演技、その他主要な映像に写すことが必要な事象)
  • 事象をどの様に映し出すかの提示(フレーミング、カメラワークの提案)
  • 部分、全体の作業負荷の想定、見通しを立てる
  • 音響についても大まかに想定する場合がある

演技をストーリーボードで想定するのは、日本のアニメの多きな特徴。
実写だったら俳優の演技があるので、演出家が事前に想定する部分は限定的だ。
日本のアニメは作業負荷の想定やキャラクターの統一などの理由から、かなり踏み込んだ部分まで演技が描かれる場合がある。
作業者の負担になる部分でもあり、面白いところでもある。

大まかな項目としたらこんなところか?
ストーリーボード作成の目的自体は初心者にも比較的容易に理解可能だろう。
ただ実際のストーリーボードは、作品や監督などによって「どこまで踏み込んで考えるか」や「重要な要素」が大きく違う。

しかし演技、撮影効果、音響など、何をどこまで想定するのがストーリーボードの役割なのか、初心者にはある程度明確にしておくべきだろう。

あくまで商業アニメ制作に絞って、その役割をもう少し整理してみる

時間の算出
演出家を仕事としている身としては、このことが非常に重要だ。
何故なら、尺が足らなくてもオーバーでも商品としては成立しない。

映画であれば厳密なフォーマットは存在しないものの、90分と120分では、製作費が変わってくるし上映可能回数も変わってくる訳で、適切な尺に収めるのは管理職としての演出家に常に求められる。

しかし、超初心者に教える場合や、演出の概念やストーリーボードの仕組みを教えるだけであれば、あまり教える必要はない。
実際、学生の時はこんなことを言われたことはなかった。
プロになってからは、尺が上手くコントロールできなくて冷や汗をかいたことが何度となくあるのだが…。

とりあえず各項目ごとに、これは初心者に必要か?ということを整理していくしか無いかも。

・演技の想定
これは結構、初心者でなくても難しい項目。
初心者にストーリーボードを教える場合、実は「演技については考えさせない」方がストーリーボードの仕組みはわかりやすいかもしれない。

映像のつながりを想定するだけであれば詳細な演技は必要ない。
ただ画面内のキャラクター(人物)の位置が想定されていれば良いだけである。
実写の様にカメラが移動して構図が変わる場合でも、見かけ上のキャラクターの位置が分かれば繋がるかどうかは判断がつく。
キャラクターが移動する場合でも、同じく画面内の見かけ上のキャラクターの位置が分かれば良い。
芝居を一緒に考えると混乱したり、映像の繋がりについて忘れたりしがちだ。

しかし実際のアニメの現場では、演技の想定が演出家というかストーリーボードを描く人間に強く求められている。
理由としては、
・全体の作業量の想定
・キャラクターの統一
・アニメーターが演技を考えてくれない、あるいはその時間がない
などがある。

これは初心者がストーリーボードを学ぶ際に結構足かかせになっている気がする。

初心者に教える場合は、ストーリーボードで求められる演技について整理しておく必要があるやに思う。

抽象的にも具体的にもなりすぎない様に、ストーリーボード作成の目的を整理しなくてはいけない。

そしてそもそも、誰に教えると想定するのかハッキリさせる必要がある……のだが、超初心、初心、中級者でだいぶ内容が変わってしまう。

今回はここまで。


植物いじり【2024年10月05日】

植物いじりが唯一の楽しみになりつつある今日この頃。
秋は園芸シーズンで花苗などがたくさん出回るのだけれど、植物によっては寒さが苦手なものもあり鑑賞期間がそれほど長くないものもある。
0℃を下回ったとき枯れないかどうかが分水嶺なのか、マイナス何度かまで耐えられるものなら冬越しできるみたいだ。1年草として、枯れるまで鑑賞するという花が沢山あるのだということを最近知った。
とはいえ、1月くらいまでは、そう寒くならないので大体の花は鑑賞できそう。
寒さに強い植物は、逆に暑さに弱くて夏に枯れてしまうものが多いらしい。
特に最近の夏の暑さ(今年はやばかったようだ)は暑さに強いものですら枯れてしまうこともあるという。

大体の花苗は大して高くなくて、無限に買ってしまいそうになるのだが、鉢が意外とお金がかかる。
焼き物などだと大きさにもよるが、そう気やすく買える値段でもない。
しかし全てを地植えできるほど広い庭があるわけでもないので、やはり鉢がメインになってしまう。

そもそも庭木を剪定するのに時期やらなんやら調べているうちに、園芸種の花に綺麗なものが沢山あることを知り、狭い庭でも工夫次第で意外と綺麗に育てたり飾ったりしている人がいることを知り、道を歩いているときに他人様の玄関先の植栽が目に入る様になり、上手な人は本当にオシャレに飾っているのが分かると真似をしたくなって園芸店に行ってみると楽しすぎて完全にハマってしまった。

園芸店はちょっと離れたところにあることが多くて車のない私は徒歩で運ぶしかなく一度にたくさん買えないのが残念なのだが、それでも毎日でも行きたくなってしまってグッと堪えている。
通販でも結構買えるのだが、やはりものを見て選ぶ楽しさは代え難い。

玄関先に死ぬほど鉢が置いてある(が管理しきれていない)家が結構あることに最近気づいたのだけれど、気持ちが非常に良く分かる。

大きな園芸店は大概郊外にあって車が無いととても行けないところが多い。しかし実は都心にも有名な園芸店の支店があったり、探すと意外に自宅の近くにもあったりして驚いた。
暇なら延々と巡りたい。

なんでこんなにハマっているのかよく分からないけれど、とにかく土を触っているだけでも楽しい。割とズボラでもそれなりに育ってくれる植物も沢山あって初心者でも意外にとっつきやすい。

最近気に入ったものはチョコレートコスモスでチョコレートの様な香りを発する。普通の品種は寒さに弱くて冬越ししないらしいが、改良されて頑張れば冬越しできる品種とのこと。冬を越えれば四季咲きとして楽しめるそうな。

冬は屋内に入れておけば大丈夫なのだけれど、寒さに弱い植物を全部中に入れていたらキリがないので、苦渋の選択を迫られるかもしれない…。

三人吉三、とエビデンスとか【2024年09月28日】

もう9月も残り2日。
今週はちまちま仕事とJAniCAの理事会があったり。
そういえば、いま「マンガ、アニメ、特撮、ゲーム等の国際的な振興拠点及びメディア芸術連携基盤等整備推進に関する検討会議」というのをやっている。申し込めば会議の様子をYouTubeを通じて動画で見られる。
博物館的なものを作ろうという計画があってその会議。
石破茂が自民党の総裁に決まったが、石破さんはオタクなので、もしかしたら本当に箱物が出来るのかもしれない。
緊縮であっさり無くなる可能性もあると思うが、実際できたとして他の分野はともかくアニメ・特撮は報いることができるのだろうか。
アニメは一応外貨を稼げそうな雰囲気はあるけれど、ほとんどの現場には今だに余裕のある予算は無いので疲弊して倒れるのとどっちが先かのチキンレースだ。
あ、週の頭はOTOの周年に行ったのだった。お祭り感があって久しぶりに楽しかった。

今日は木ノ下歌舞伎「三人吉三廓初買(さんにんきちさ くるわのはつがい)」を観劇。
間に休憩が25分、20分とあるけれど三幕5時間20分ほどの長丁場。
面白かったので、あっという間ではあったけれど、さすがに膝が少し痛い。
木ノ下歌舞伎は歌舞伎を現代語訳&現代的演出で見せるので素人でもとっつきやすい。
歌舞伎通の客も結構いるのだろうが。
最後はスタンディングオベーション、カーテンコール4回もやってくれたらそりゃ皆んな立つよね。

筋立ては、親の因果が子に報い、あらゆる登場人物が縁を結んでいることが徐々にわかり、それぞれ破滅を迎えていく。濃厚な親子の関係がモチーフになっていて重たいが重すぎて現実味がないというようにも思える話。
若い頃だったら嘘くさい様な気もしていたかもしれないが、今見るとシリアスでゾッとする。

家族というのは病の温床だが、さりとておかげで生きていけることもあるという厄介なものだという様なことをとある精神科医が話していたのを思い出したりもした。
鹿島茂は小説は結局、家族の話だけだというようなことを言っていた。

科学の発展で自然からはある程度距離を置いて生きることができる様になったものの、人間同士が距離を置くのは容易ではないよなー。
しかし、そんな重い話を外連味たっぷりに見せているからこそ、今でも人気の戯曲なのだろう。

ラストにかかる挿入歌はTaku Takahasi、ラップのリリックをロロの板橋駿谷がやっているのも面白い。

大脇幸志郎「なぜEBMは神格化されたのか・誰も教えなかったエビデンスに基づく医学の歴史」が面白そう。
本の紹介によると

エビデンスに基づく医学(EBM)という言葉が、あたかも医学が事実の裏付けのない空理空論からすでに脱却したかのような含みで語り交わされている。しかし、実際には医学における重要な判断にエビデンスが必須どころか努力目標としてすら求められていないという事実がある。

本書は、公衆衛生の発達、臨床医学の飽和、薬害事件による臨床試験の制度化などを背景として医学が統計技術を取り込んだ歴史や、EBMという言葉を考案した人物たちの来歴を紹介する。さらに、エビデンスについての誤解や拡大解釈から発展していくイメージとの相互作用に注目することで、医学が生産的に実証性を維持するための課題を探る。巻末に索引、用語解説、年表、主な登場人物一覧、医学雑誌歴代編集長一覧などを付する。

ということらしい。
エビデンス…と言われると弱いね。

大脇氏とシラスで対談していた松本俊彦氏の本も読んでみたいのだが…。
積読をもう少し解消してからか。

今週の積読消化。
だいぶ前に買っていた渡辺大輔「明るい映画、暗い映画」、藤山直樹「集中講義・精神分析(下)」
渡邊大輔氏の本は結構面白かった。
しかし、前半の批評は映画のための批評という感じで外側にあまり開かれていく感じがしなくて、そこは苦手。
後半の普通の映画評の方が面白い。
とくに鬼滅の刃については全く同意。

藤山直樹氏の方はフロイト以後の精神分析の歴史。本当にざっとさらっていく感じなので、興味のあるところは参考文献に上がっている本を読まないとよく分からない。
精神分析は実践がないと本を読んだだけでは何も分からない、と藤山直樹は言っているが。
精神分析には暇とお金がかかるので、無理じゃん?

精神医療は最近やっと少し理解できた気がするが、結構勉強しないとよく分からないし、イメージが掴みずらい。
いま?NHKで統合失調症に関するドラマがやっているけれど、精神科や心療内科は、外科・内科みたいなわかりやすさや親しみがない。
子供の頃から通い慣れてれば何となくイメージもつくのだが、そんなことはないので。
情報は探せば結構あるのだが、パッと感覚的に鷲掴みにすることは難しいし、1冊2冊、本を読んでも分からない気がする。なんとかならんもんか?

訃報・仕方ないのだが【2024年09月21日】

同世代の知人の訃報を聞く。
次の仕事で関わっていたので、そのうち会えるだろうと思っていたのだが突然の知らせに驚くほかない。
しばらく闘病していたとのことだった。

出会ったのはもう20年くらい前でお互いに新人だったが、彼は各所で活躍して気付けば立派な経営者になっていた。たまに仕事場が重なった時ににこやかに挨拶してくれたのを思い出す。
彼の会社が次の仕事に関わっていたので久しぶりに名前を聞いて会えるのを楽しみにしていたのだが。

50も過ぎれば人間いつ死んでも仕方ないよな、と思ったりはするのだが、残念だ。

今週はデスクワークと打ち合わせ幾つか。
STORYBOARD PROの新しいのをスタジオ用に導入したものの、WINDOWSに慣れていないなどありセッティングに時間がかかりそう。

生育旺盛で初心者でも育てやすいはずの植物を少し涼しくなったからと思って植え替えしたら、どうもそれが悪かったらしく急速に元気がなくなり枯れそう。
苗を見つけたらまた挑戦。

ちまちまと仕事、最近読んだ本【2024年09月16日】

9月頭、多少落ち着きはしたもののチェック物が絶えずやってきたり音響作業やら会議やらで地味に落ち着かない。
合間にコンテ作業もちまちまと。
立て込んでいるようだが、先のことはまるで決まっておらずで、どうしたものやら。
いつものことではあるのだが。
連休なことに気づかなかった。
祝日だから休みという仕事ではないので気にしていなかったのだが、最近は制作スタジオが休みをとること(建前的には)が多くなり、メールなどが減るので少し落ち着いたような錯覚を起こす。

YouTubeでBLUE SEEDというI.Gが制作のアニメを無料公開しているのを目にしてタイトルは知っているが見たことがなかったので頭の方を流し見してみた。
YouTubeはいろんな作品が無料公開されていて、作品によっては全話見られるものもある。
ひと昔前は無料公開なんてとんでもない、収益の損失だ!的な業界の空気だったのだが変われば変わるものだ。
商売の規模が大きくなったからこそ、こういった無料公開も可能になったということであるのかもしれないが。

それはともかくBLUE SEED、テレビアニメとは思えないクオリティである。少なくとも1話はビデオアニメのような完成度だ。スタッフもデザイナー・作監が黄瀬和哉だったりでI.Gのメインスタッフを突っ込んでいる感がある。
予算は、それほど出ていたとは思えないが…。
放映が94年の秋番組なのでエヴァの1年ほど前になろうか。
この頃のアニメ業界の隆盛を感じさせる。
制作がI.Gと葦プロが組んでいる。プロデューサーに下地さんの名前もあり、この辺りの縁で下地さんは葦プロを辞めI.GグループとしてXEBECを作ったということなのだろうか。
テレビの後のビデオシリーズはI.GとXEBECで作っているようだ。

今では絶対にCGを使うであろうヘリコプターやら車やら手描きでがっちりと描いてある。
*追記:初回でヒロインのスカートが破けパンツ一丁で逃げ回るという仕掛けに、のどかな時代を感じさせる。(女性客を基本的に相手にしていないということだ。今でもエロはあるのだが、この作品は今だったら特に男性向けに限定されることはない気はする)
ほんとにすごい。メカカットは1カット1万円くらいは出ていたのだろうか。
当時のテレビの平均的な1カットの単価は3500円くらいだと思う。
3500円………正直、私が仕事を始めて単価を知った時は衝撃を受けた。
バブルは弾けたとはいえ、世の中にはまだまだ金はあったはずで、なんでこんなアホみたいな安い値段で作ってるんだと思ったものだが(バブル真っ最中も安い値段で作っていたんだろうし)今、どのくらい変わったのかというと、まあだいぶマシになったとは思うのだが、まだまだである。

ダンピングでたくさん売って儲ける昭和の商売みたいな状況は長らく続いていた。
今は外貨が業界を支えているので、安くはあるが随分制作費は上がった。

話が横に逸れたが、90年代あたりまで、今では金をかけたとて出来ないようなクオリティのアニメがかつてはあった。ほんとに何であんなものが作れていたのか不思議というような作品がある。
ほとんどは若さが支えていたと思う。
しかし、若さは失われた。

今もまた、すごいアニメは作られているが、昔よりは格段にしっかり金をかけて作っているように思う。
金があるだけではクオリティは上げられないのだが、制作会社によっては人材を育てたり集めたりを頑張っていてすごい作品ができている。
一方、中堅の会社は苦労している印象ではあるのだが。

明石市が作ったという、市の歴史を語るアニメ「明石と時のこどもたち」もYouTubeで見られるのだが(小黒さんが紹介していて知った)91年制作、制作会社は亜細亜堂。芝山さんが監督で柳田さんが作監でメカなどは出てこないが、びっくりするような出来だ。

時代の豊かさを感じる。
とめどなく色々書いてしまいそうなのでこの辺で。

最近読んだ本、東畑開人「雨の日の心理学」素人向けにカウンセリングの技術を噛み砕いたという本だが具体的で比較的わかりやすい。東畑の他の本に書いてある内容と被るところもあるが、まとまりとしてはこれが一番まとまっているのかもしれない。広い意味で誰かの手助けをしている、あるいは手助けを必要としている人がそばにいるような人にはお薦めだし、介護や子育てで疲れている人にも役立つという気がする。

積読が過ぎるので、何とか解消したい。
机の横に積んである本をパラパラ読むと面白いものが沢山あるのだが、放置してあるもの多数。

信田さよ子が初めて本を出したのが50過ぎてからとか、私も頑張って小説でも書こうか…。

ストリーボード作成で学ぶ演出(のための準備)【02】

chatGPTが出してきたストーリーボードを新人に教えるための項目

  1. 目的の理解
  2. シナリオの解釈とシーンの分解
  3. カメラワークの基本
  4. 構図とレイアウト
  5. キャラクターの動きと表情
  6. シーンの繋がりとテンポ
  7. 映像言語の使い方
  8. ライティングと影の活用
  9. 音響や音楽の考慮
  10. フィードバックの受け入れ方

これはこれで的を得ていると思いつつ私が普段教える時は、以下のような要素を意識している。

  1. カメラの高さについて
  2. サイズの選択について
  3. 写す対象について
  4. イマジナリーラインの理解
  5. 二人の会話
  6. 三人(多人数)以上の会話

これだけ。これだけというか、2人の会話も3人の会話もイマジナリーラインのサブ項目なので、大体4項目。
普段は描いたコンテとシナリオをもらって添削のような形で教えることが多いのだけど、やはりあまり難しいことを言っても伝わらない。ので、なるべくシンプルに教えようと心がけてはいる。
シナリオの解釈は頭の1、2、3に関わるのだが、ここはとても難しい。

アニメの絵コンテでは、実写では別の役職が担っている仕事を一手に引き受けているため、新人さんは混乱してしまうことが多いという気がする。
・映像のつながりを決める
・キャラクターの演技を作る
このうち演技の方は、実写では主に役者が担っているのだけれど、アニメの場合演出家(の描いた絵コンテ)でかなりの部分を想定することを要求される。
この演技を考える部分が、かなり難しくて教えるのにも困難がある。私もあまりまともに教えられる気がしない。
しかし、映像のつながりを決める部分に限定するとそれほど難しくは無いのではないかと思っている。
まずは、この2つを分けて考えることがストーリボードの理解の助けになるのではないか。
その場合、シナリオの解釈はどこまで必要なのか?
シナリオの読み方をそもそも先に教えた方が良いのではないか?
という気もしてくるが、それはそれで大変なことなので、なるべくシンプルに同時に教える方向で考えてみたい。

シナリオの解釈を教える場合、「誰が、どこで、何を、どうした」5W1Hの理解と表現が基礎。
あとはキャラクターの感情とそのつながりの理解。

演技はそれ単体で非常に奥深い技術が蓄積されていると思うが、私は詳しくないので調べる必要あり。
演技メソッド的な本はたくさん出ているのである程度漁ればざっくり把握は可能かと思われる。
アニメの演技は表現の幅など人間のそれとは違う。
またアニメ的キャラクター独特の表現の難しさ(視線の問題など)があるので、そこは教えられると良いかもしれない。

絵的な表現についても私はあまり詳しくないので、ざっくりと調べる必要あり。
パース、構図の一般的な技術など。

・対象の選択
超初心者向けに教える内容と中級者以上向けに教えるのでは内容が大幅に違ってくる。
まずは超初心者向けの内容について考えてみるか。

やはり重たいが、まあ進めてみよう。

藤井誠二「贖罪:殺人は償えるのか」藤山直樹「集中講義・精神分析㊤─精神分析とは何か フロイトの仕事」【2024年09月08日】

藤井誠二氏の本を読むのは、ものすごく久しぶり。淫行条例の本を読んで以来か。古田徹也氏との対談を見かけたので興味が湧いて読んでみた。
長期刑の殺人犯との手紙のやり取り(ほとんど殺人犯の手紙)を紹介した本だが、贖罪についても考えさせるものはあるが、犯罪者が点というよりは人間のつながりの中で現れる断面のようなものだということを強く感じる。被害者対策の薄さなど重大犯罪周辺の事情も結構紹介されている。気が重くなるが…良い本だ。

藤山直樹の方はフロイトのざっくりした伝記をよすがに精神分析の歴史について語るという本。まずはフロイトを読めというのはよく分かった。
下巻はフロイト以降の精神分析の歴史。こちらの方が知らないことが多くて面白そう。
精神医療と精神分析は基本的に違うものなのだ、というのが藤山の主張というか認識で、しかし実際は中間的ないわゆるカウンセリングという精神分析的心理療法というのは行われている。精神医療の分かりづらさの一端なのかもしれない。ちなみに藤山は精神科の医師で精神分析家は基本的には精神科医でないと資格がとれない。
フロイトの顧客は金持ちばかりで、富裕層が初期精神分析を支えていたらしい、今は精神分析を医療として行うには金げかかりすぎるということらしい。
安くなれば、精神分析が犯罪者の更生の方法論の一つとして機能したりするのかもしれない。
それはそれとして、物語作りなんかにも精神分析は面白いと思う。

加藤公太さんの解剖学の同人誌も届く。思いのほか充実の本。

東畑開人の新刊も買わなくては。