ストリーボード作成で学ぶ演出(のための準備)【01】

たまーに若い子に絵コンテを教える機会もあり、なかなかオーソドックスな絵コンテのスタイルや描き方は教えられていないのだなと思うことがしばしばあった。
なので、絵コンテに興味がある人向けに教育的メソッドを作ってみようと思い、しかし一から作るの手が掛かるのでどうしたものかと思っていたが、電車の中で半分暇つぶしに、絵コンテ制作を新人演出に教えるアイデアを提案せよとChatGPTに投げてみたところ、意外とまともなアイデアが返ってきて大変驚いた、と共にこれを叩き台にして作れば、あまり時間をかけずに出来るかもしれないと思ったので早速始めてみることとする。
以下はchatGPTの提案である。

ChatGPT
新人の演出家にストーリーボードの描き方を教える場合、基本的な技術から応用まで段階的に教えることが効果的です。以下の順番で教えると、理解が深まりやすいです。

1. ストーリーボードの基本的な目的を理解する

  • 目的の説明: ストーリーボードは、シナリオを視覚的に整理し、映像の流れを決定するツールであることを説明します。キャラクターの動きやカメラの視点、シーンの構図などを計画し、チーム全体に作品のビジョンを共有するために使われることを強調します。

2. シナリオの分解と解釈

  • シナリオの分析方法: まず、シナリオをシーンごとに分け、必要な演出要素(アクション、対話、感情表現など)を把握する方法を教えます。
  • 重要シーンの特定: ストーリー全体の中で特に重要なシーンやクライマックスを特定し、その部分を重点的に描く技術を学ばせます。

3. カメラワークの基本

  • 視点とアングルの基礎: 視点(主観/客観)やカメラのアングル(高い視点、低い視点、横からなど)の違いが映像に与える効果を説明します。
  • カメラの動き: パンやズーム、トラックなどのカメラの動きをストーリーボードでどう表現するか、動きに合わせてシーンをどう切り替えるかを教えます。

4. 構図とレイアウトの基礎

  • 三分割法や視線誘導: 三分割法などの基本的な構図のルールや、観客の視線をどこに誘導するかを学びます。
  • 空間の使い方: キャラクターやオブジェクトの配置が、シーンの緊張感や動きにどのような影響を与えるかを説明します。

5. キャラクターの動きと表情の描写

  • アクションの分解: キャラクターの動き(歩く、話す、戦うなど)をどのようにコマ割りで描くか、動きの流れやスムーズさを意識したストーリーボードの作り方を教えます。
  • 表情の変化: キャラクターの感情を伝えるための表情の変化をどのように描き、シーンに反映させるかも重要です。

6. シーン間の繋がりとテンポ

  • シーンの切り替えと繋がり: シーンのスムーズな切り替えや、ショット間のテンポの取り方を説明します。カット間のリズムやテンポ感が、視覚的な効果や感情の高まりをどう変えるかを学ばせます。
  • テンポとリズムの重要性: アクションシーンと静かなシーンの対比や、リズムを意識した編集の仕方を教えます。

7. 効果的な映像言語の使い方

  • 象徴やメタファーの導入: ビジュアルに意味を持たせる方法や、観客に暗示的に伝える演出手法を紹介します。たとえば、特定の色や形がシーンにどのように意味を加えるかを学びます。
  • サブテキストの表現: キャラクターが話している内容以外の、裏の感情や状況を視覚的にどう表現するかを教えます。

8. ライティングと影の活用

  • 照明効果の理解: 光の当たり方や影の使い方が、キャラクターやシーンの感情にどのような影響を与えるかを説明します。
  • 時間帯や天候の表現: ストーリーボードで時間の流れや天候の変化をどのように描写するかを学ばせます。

9. 音響と音楽の考慮

  • サウンドキューの入れ方: ストーリーボードには音響や音楽の指示も含める場合が多いため、どのタイミングで音が入るか、シーンに合わせた音響演出の指示を追加する技術も教えます。

10. フィードバックの重要性

  • フィードバックを受け入れる姿勢: ストーリーボードはチームで共有するものであり、他者からのフィードバックを受けることが重要です。建設的な意見をどのように反映させ、より良いストーリーボードにするかを教えます。

教える順番のまとめ

  1. 目的の理解
  2. シナリオの解釈とシーンの分解
  3. カメラワークの基本
  4. 構図とレイアウト
  5. キャラクターの動きと表情
  6. シーンの繋がりとテンポ
  7. 映像言語の使い方
  8. ライティングと影の活用
  9. 音響や音楽の考慮
  10. フィードバックの受け入れ方

新人には、まず基本的な要素を学ばせ、徐々に複雑な技術やクリエイティブな要素に移ることで、全体的な理解を深められるようにすると良いです。

とのことだった。
かなりそれっぽい。
イマジナリーラインについて触れられていなかったので、

あなた:イマジナリーラインについて教える場合、上記の項目の中の何処に追加するのが良いですか?
と質問すると以下の答え。

ChatGPT:
「イマジナリーライン(180度ルール)」は、カメラワークの基本シーン間の繋がりとテンポに密接に関連しているため、これらの項目の間に追加するのが良いです。
具体的には、以下の位置に追加することを提案します:

3.5. イマジナリーラインの理解

  • 180度ルールの説明: イマジナリーラインとは、シーンにおけるキャラクターやオブジェクトの位置関係を保つために、仮想的に引かれる線のことです。カメラがこのラインを越えて位置を変えると、観客がキャラクターの位置関係や動きを混乱する可能性があるため、基本的にはラインを超えないようにします。
  • シーンの連続性: イマジナリーラインを守ることで、視覚的な連続性が保たれ、観客が自然にシーンを理解できることを教えます。
  • ルールの活用と破り方: ルールを意図的に破って感情の変化や混乱を演出する方法もあるため、その使いどころについても説明します。

このように、カメラワークの基本に関連した要素として教えるのが最も自然で効果的です。カメラアングルや視点と密接に結びついているため、このタイミングでイマジナリーラインの概念を導入すると、より理解が深まります。

なるほど…と感心。
これをさらに詳細にしたアイデア出しもしてもらったのだが、一般的に教えていそうな項目を多数並べてくれた。
が、詳細になるほど抽象的になっている印象。
しかし、根本的なことには何も触れられないまま、理屈めいた映画の理論が教えられていることは今も普通に起こっていそうな気がする。

そもそもの話ではあるのだけれど、映像文法は数学のようなものではない。
音楽のメソッドなどに近い。
短調は長調に比べると暗く聞こえる、と言われているが、それは数学の法則のように理由が説明されているわけではない。(認知心理みたいなもので説明を試みられてはいるのかもしれないが)
ポップスのコード理論なんかも、こういうフワッとした経験知的なものをベースに作られていると思うのだが、映像文法も似たようなものだと思う。
ほとんどの事は経験的な感覚を下敷きにして作られているので、時代によって変わることもあるだろう。
歴史、積み上げてきたものが大事なのだ。

理論は割とフワッとしたまま、感覚だけで作品を作っている演出家も少なくはないと思う。
私も大学で多少教育は受けたもののかなりフワッとしたまま、言語化しないまま仕事をしている部分も多い。
しかし、経験に頼りすぎるのは若い人が演出を学ぶ時、人によってはえらく時間がかかってしまう原因になりやすいように思うし、全く出来ないまま終わるということにもなりかねない。
映像文法は今まで人間が「映像から物語を理解する」にはどうしたら良いかという経験知の集積なので、そういう意味で有用だと思う。
私は映像文法の基本部分は極めて簡単だと思っていて、骨格だけ覚えたら、あとは経験値で膨らませ応用を考えていく他にないように考えている。

GPTが挙げていることは重要だが、「物語を映像で表現する」ための方法という映像全般の技術の中の限定的な分野の事でしかないので、全部を理解している必要はないし重要度も項目によってかなり違う。
4の構図とレイアウトについてなどは私の場合はかなりいい加減に考えている。

色々整理しながら、初学者が分かりやすいようにと、形式主義に陥らないように演出の基本をストーリーボード(絵コンテ)作りから学べるような方法を考えてみようと思う。

まずははここまで。

コロナが流行ってる【2024年08月12日】

世間はお盆休みだからなのか…やる気はあまり上がらず。
体調はゆるゆると上向いているので良きこと哉。
ネット将棋を飽きずに延々と指し続けてしまう。勝てる時は何でか偉く強い人にも勝ててしまうのだが負け始めるとこれまた何でこんな将棋が勝てないのかという勝ち将棋をひっくり返されたり。メンタルは将棋の調子で結構わかってしまうのだが、調子が良くても仕事の方は捗らなかったりはする。

片方の仕事はだいぶ進んできた。
色々あって長かったがやっと落ち着いてきてホッとしている。
告知は来月か再来月なのかな?近いとは思うのだが。

コロナが本当に流行っている。
スタッフが罹ったり、役者が罹ったり、マスクをしている人は少し増えた気はするが暑すぎる夏のせいもあってか、それほど多くはないように見える。
観光客もすごく増えているので感染者が増えるのもさもありなん。
私はコロナが流行り始めた頃は、マスクしたところでそう変わりはせんだろうと思っていたのだが、最近はなるべくならかかりたくないということで電車の中やら狭くて人が多いところではマスクをするようにしている。
おかげでかは分からないが今のところコロナに罹ったことはない。(無自覚な人もいるようなので確信はないが)
それでもマスクをするには、最近の夏は暑すぎてせずに済むならそうしたい。
後遺症はしんどい人は本当にしんどいようで2年以上辛い症状に悩まされている人の話も聞く。
歳はあまり関係ないようで、仕事が続けられないほどキツいこともあると聞くと他人事とは思えず用心せざるを得ない。

初めてのスタッフとの仕事はいつも探り探りで、正直慣れた人たちとやっている方が圧倒的に楽なのだが最近は少しお初の方が多い。
相手方がこちらを探っていたり警戒しているような感触を感じることもしばしばあるのだが、これはまあお互い仕方ない。
私は比較的気楽に付き合える監督だと思うのだが過酷な現場もあるだろうし、警戒したくなるのは良くわかる。
相手の緊張感が伝わるとこちらもそれを和らげるために頭を使わざるを得ないのだが、こちらの腹の中を相手に伝えるにはどうしても時間がかかる。
とあるスタッフから警戒警報をビンビン感じていたのだが、最近少し和らいだように感じた。
やはり仕事を進めてみないと相手のやり方というのはなかなか分からないもので、1本作ってお互い馬があって残ったスタッフとは次の仕事の時は圧倒的に気分が楽だ。
とにかく1本完成させるしか本当にお互いを理解する方法はない。

仕事の時は最近はFUSIONのディスクガイドを片手に良さげなものを配信で聴いている。
しかし無いものも多くて、まだまだアナログ時代の遺産はデータになっていないものも多いのかもしれない。
アニメもそうだが、見ることができない聞くことができない状態というのは作品が存在しないのと変わらないので、著作権者はとにかく作品にアクセスできる状態が維持されるようにしてくれと思う。
金があっても見られない聞けない作品はあるわけで、それは作品にとっては途轍もない不幸だと思うのだが…。配信するにも金がかかるから儲からない作品は倉庫に置いておくしか無いというのは分かるのだが作品へのアクセスを確保しておくのは公共的義務なんじゃ無いのと個人的には思う。
結局、物理もデータも永遠に維持し続けるというのは不可能なんだろうけど。
文化は結局のところ口伝みたいに人間の中で再解釈、再生産されるという形でしか残っていかないのであれば、それをなるべく制限しないシステムは必要だ。

どうにもこうにも暑い【2024年08月03日】

暑くて全てのやる気が溶けていくような気がしてしまう。
しかし、少しずつ体調は上向いてありがたい。
睡眠時間が増えているのが良いのか…原因はよく分からない。
睡眠は歳のせいもあり上手く眠れないことも多いのだが、やはり眠れると調子は良い気がする。
そして気づけば8月。

先日はアイカツ!のライブが久しぶりに行われていて、相変わらず盛り上がっていた。
私は配信で見ていたのだけれど、ドリアカのキャストが顔を合わせているのを見るのは久しぶり。
みんな元気そうで何よりだ。
もう久しく関わっていない作品について語ってくっるだけでもありがたい。
次はあかり世代括りでイベントをやるそうで、しかも結構大きな会場だから埋まるのかしらと心配しつつ、私も少し手伝うので楽しんでもらえるものになるんんじゃないかと思
昨日、仕事で若い各話演出に今回のコンテのフィードバックをくれというようなことを言われたのだが、もはやその人はここしばらくですっかり腕を上げて(いやアニメーターの経験も長いし最初から上手かったのだけれど)特に私がどうこう言うような事はない。
上手くなると何か言われる機会はどんどん減っていくので他人の意見が聞きたいというのは分かるので何かアドバイスしようとは思うけど、ある程度の力をつけた演出がステップアップするには監督業をやるしかない。

各話演出ではお話の部分に関われないので、そこに踏み込めるのは監督業である。
しかし、監督業は外からは見えづらい仕事がたくさん襲いかかってくる。
およそクリエイティブではないと思われる政治的な交渉やトラブルシューティングなど真面目な人ほど其のストレスは尋常ではないと思う。
他人の絵コンテを直すといのも各話演出にはない仕事で、良いコンテが如何にありがたいかというのが身に沁みるし自分の不出来な部分も実はよく分かったりする。
自分が描けないような絵コンテに出会うと刺激を受けつつ打ちのめされ、イメージと違う(下手なコンテというのではなく話やキャラクターの解釈違い、演出論の違いなどがある)コンテには直しの時間の無さで苦悩する。

自分というのは一人しかいないのだと思わされるのが監督業だ。
自分と同じイメージを持てるのは自分しかいない。
当然、自分の考えと同じ絵コンテなど上がってこないし、同じ演出など基本的には行われない。
上手い人は、なるべくそこを近づけてくれる。

オーソドックスな演出というものはあって、私が各話演出の時はなるべく監督が直しやすいような絵コンテを心がけていた。
演出は直しようがないので、絵コンテを与えられたスタッフでなるべく最良の形で具現化できるように心がけた。
監督が近くにいる場合は監督の手をなるべく煩わせない程度に意見を聞くなども。(若い時はてんで好き勝手をやっていたこともあったけれど…)

監督と各話の演出は同じ人間ではないのだし、最後はお互いの信頼の中でベストを尽くすしかない。

しかし、オーソドックスな演出というのは特に教科書みたいなものがあるわけではないので、共有されていないところには全く共有されていないものなのだというのは最近になって感じるようになった。

オーソドックスというものは良くも悪くも色がない状態なので作品によってアレンジが必要だとは思うのだが、分かっていれば作品や監督の趣向がよく分からない場合でもアレンジしやすいような形で素材を提供可能になるのではないかと思う。

監督をコンスタントにやっているような人の絵コンテは、大体これが出来ているように思う。

しかし明らかにオーソドックスなスタイルを知らない(あるいはわざと避ける)人というのはいて、それは時に結構困ったりする。
よく話題に上がるイマジナリーラインに対する考え方などが違うと、もう大変な直しになったりするので、オーソドックスな考え方は共有されていた方が良いと思う。

作品によるスタイルの違いなどを超えて一般的な方法論というのはいろんな仕事をするタイプの人は特に知っていると楽だと思う。

メモ的にここで少しづつまとめてみようか。

来月辺り告知が出来る…らしい【2024年05月25日】

1週間が経つのが早い。
先週は、お久しぶりな人たちと会って、今週はお久しぶりな人から連絡が来た。

なんと無くそういう時期なのかもしれない。
たまーーーーーに、コンタクトフォームから仕事の依頼がくるのだが今日も久しぶりに来ていた。
当然知り合いではないので新鮮味がある。
今の所、来たことのあるのは各話演出の仕事だけ。

今は各話演出の仕事は、基本的にお断りしている。
いやーー、各話演出を探すのは大変だろうなというのは自分の現場を見ていれば容易に分かる。

私は長いこと各話演出の仕事をしていた。初監督の後もしばらく引き受けていたので20年くらいはやっていたと思う。
昔から良い各話演出というのは不足しがちである。
私の世代前後だと、少し能力のある若い演出はすぐに監督に引っ張り上げられてしまっていたので中間の厚みは、いつも薄かった。
不運なことに私の前後2歳くらいの人たちは、力があっても監督になるのにえらく時間がかかった人が多い印象だ。
前後5歳くらい離れた人に華やかな人が多かった、ということもあるし、景気のせいで仕事の波が自分のキャリアとうまく噛み合わなかったという側面もあるように思う。
が、各話演出の時代の経験は、かなり生かされている。

長く各話演出をやっているような人は稀で、今は特においそれとは確保できないだろう。
どんどん高齢化もしているし若くてキャリアのある各話演出は本当に探すのが難しいと思う。

昨今スケジュールが長期化していることもあり、1年で経験できる本数は少なくなっている。
なので、若いうちに沢山数をこなすのが難しい。

スケジュールがかなり長期化して人材の確保も難しくなっているのにも関わらず、私のところにきた仕事で提示されていたギャラはそれほど上がっていないことに驚く。20年前の1.5倍くらいかな。
実際には拘束費を払っている会社が殆どになってきたので、もっと上がっているとは思うのだが、それなら最初から単価で提示するのを止めればいいのにと思う。

私が仕事を始めた30年くらい前は、まだアメリカは景気が良く合作と呼ばれる日本では放映されないアメリカの制作会社の仕事(有名なのはバットマンとか…)が結構あって、その予算は当時の単価から推察するに日本の予算の2〜3倍はあったのではないだろうか。(調べれば何か文献がありそうだけど、調べてない)

またそういう時代が来るのかもしれない、もう来ているのかもしれない。

全然関係ないけれどAdobeのFireflyで、ほうれん草のおひたしが付け合わせで乗っている焼き鮭の皿という画像を生成しようとしたらほうれん草が生クリームのソースとなって焼き鮭の下に敷かれている画像が出来て笑ってしまった。モデルのバイアスのせいか日本食の画像の生成は難しいらしい。
使い勝手は、まだまだだ。

来月辺り監督作の告知が出るらしい。
ちゃんと働いています。

実務の感想(まだ途中)【2024年5月22日】

レイアウトのアニメーターの質は、昔とそれほど変わっていないのかなと思ったけれども、作画監督、原画は少し様相が違うのかもしれない。

原画はレイアウトを描いた本人が描くという割合が少なくなっている、ようだ。と曖昧なのはまだ終わっていないので全体像がわからないからである。
しかし、なんでこれを第2原画に撒いているのか分からない、という例を見た。
それほど上手くも無いレイアウトが時間はあった筈なのに2原に撒かれているのは何故なのだろうか。
他の仕事が詰まっていて出来なくなった、とか。
良く分からないが自分で原画までやらずに上達するのは難しいだろう。

作画監督は1話数に何人も投入されていて、当然その力量は大きくばらつきがある。
上手い人は上手い。
しかし、この人は明らかに力量不足なのではという人がいる。
昔からそういう人は居たのだけれど、これだけ作画監督の数が必要とされているということは当然力量のある人が足りなくなるわけで、だからということかもしれない。
作画監督と呼ばれる役職の仕事が昔とはかなり違っているのだろうか。

久しぶりに各話演出をやってみると発見が色々ある。

嬉しい発見、は少ないのだが。

絵が上手いとは…?【2024年05月21日】

絵が上手いとは、どういうことなのだろうか。
とたまに考える。

下手ではないのだけれど、演出意図を汲めていなくて結局かなり描き直しをせざる得ないという人がいて先週はだいぶ手こずった。
アニメーターに対して絵が描けていない、などという評価は仕事をしているとよく耳にしたり自分で言うこともあるのだが、これには大きなグラデーションがある。
パースのような立体・空間が描けない、キャラクターのいわゆるキャラ似せと言われるようなキャラクターの特徴を捉えるのが上手くないとか、絵コンテに書いてある演出意図が汲めていないなど相互に関係しながらも違った要素で描けないということを分けられる。

絵を描く目的としては、誰かに何かを伝えるということが主眼にあることがほとんどだと思うのだけど裏返すと伝えたいことさえ伝われば良いと言える。
さて、伝えるために必要な絵には、どういった技術が必要かということを考えるとなかなか難しい。
透視図法を完璧にマスターしていれば伝わる絵が描けると言うものでもない。

今のアニメーターというかアニメーションに求められている絵の主流は基本的に立体・空間を表現するというところにある。
キャラクターも擬似ではあっても立体を表現するような造形とその再現が主流になっている。
これはCGアニメーションが得意とするところなので、CGアニメーションの隆盛も頷ける。

むしろ手描きのアニメーションで正確な立体・空間を表現するのは非効率的と思える。

また同一のキャラクターを破綻なく物語上で描き続けるというのもCGの方が得意である。
CGではモデルを一つ作れば、それを担当アニメーターが使えるので基本的にキャラクター造形の同位置性が担保される。

同じモデルを使っても角度などによって随分キャラクターの顔の造形が変わって見えるという問題がCGにはある。
こいうものは手描きが得意である。
得意ではあるが、人によって解釈や理解、再現度が違うのでばらつきが大きい。
最近のアイドルアニメがCGによる制作が多くなってきたのはバラつきのリスクが手描きよりCGの方が小さいと見られているからだろう。

昔からではあるが、昨今制作本数の増加によって均一な力量を持ったアニメーターを集めるのはかなり難しくなっている。

キャラクターが似ていないということは、我々が作っているようなアニメーションにとってどういう意味があるのか。似ていなくてもお話を伝えることは可能だ。
話を伝えるというだけなら、絵の描けない演出家が描く絵コンテの絵でも意外と伝わるものだし、漫画家の描くネームもかなり大雑把な絵で描かれているが、それでも伝わるのであれば、それで必要十分とも言える。
しかし、絵コンテがそのまま放送されることは無いしネームも雑誌には載らない。

今はとにかく人材を育てるのだ、という方向でアニメ業界は進んでいる。
それは良いと思うのだが良い絵とは何かということについて、深く考えられてはいないし、将来粒ぞろいのアニメーターが沢山現れるということも考えにくいように思う。

工業製品のように手書きアニメのキャラクターを生産するのは難しい。

私的には今求められているようなものとは全く違う絵の表現で何か出来ないか、と考えてしまう。

随分間が空いてしまった。デジタル環境などについて思う事【2024年05月15日】

相変わらず切羽詰まっていて、ブログなんか書いてないで仕事しろよと思われそうな状況が続いている。
今月を抜ければ少しはマシになるかもしれないが。

久しぶりに演出の仕事をしている。
世間というか業界人は作品数が増え過ぎて、スタッフのレベルが下がったという人が結構いるが私自身はそれほど変わりないと感じている。
私の担当は初回だしメンバーもそれなりに気を遣っているということは言えると思うが、いい感じというわけでも悪くもなく、まあこんなもんだろうなというアベレージのスタッフクオリティだ。
もちろん下を見ればキリがないだろうし上もまた同じ。
業界をくまなく見て回っているわけでもないけれど、今仕事をしている制作会社のランクでこのくらいのスタッフということから全体を推察するに、むしろ悪くない、という程度に落ち着いている様に思う。

長い間、クオリティーの高い現場で働いていた人から見れば、多くの現場はいつでもレベルが低いだろうし、レベルの低い現場しかし知らない人にとっては、やはり現場は常にレベルが低い。
私は、あまり作画が凄くいいという現場は知らないが、それでも標準より上は見ていると思うし下もまたそれなりには知っているとい平均的なレベルのスタッフとして30年ほど働いてきたという自覚があるが、その感覚からすれば平均レベルはあまり変わらない、むしろ良くなっているのではないかと思う。

1話数の中にも凄く上手い人とすごく下手な人というのは常にいて(下手にはいろんな理由があるが、とりあえず置いておく)その感覚が上の方に傾いて差異が小さい(つまり上手い人がいて下手な人が、それほど下手ではない)ほどスタッフのレベルは高いと言えるのだが、今やっている仕事は私の感覚的には中の上くらいというレベルなので制作会社の規模を考えるとかなり健闘していると言える。
この制作会社で、このスタッフが集まるのなら業界全体のレベルは満更でもない。

これ以上、作品のクオリティやスタッフの待遇を改善していくためには、制作の効率化などの人的な問題以外の問題を潰していくしかない。
20年ほど前のデジタル環境の導入は大きなトレンドだったが、道半ばで止まり、技術的な制作環境の変革は遅々としている。
もう既にある技術でも色々な可能性があるが、日銭を稼ぐのに精一杯で新しい試みにのり出せているスタジオはわずかだ。
日銭を稼ぐのに汲々としているスタッフとそれなりの収入があっても新しい技術に前向きではない人たちが変革の足を引っ張っている。

業界で出資をしあって作画ソフトを開発するだけでも、大きく生産性は上がる可能性はある。
しかしその様なことが起こる可能性はかなり低い。

AIはもっと個人レベルで、そのような制作環境を大きく変えられる可能性があるので私はかなり期待している。
来年以降になれば映像でも仕事に使えるレベルのAIが出てきそうだ。
今もあるのかもしれないが、権利や倫理などの問題が大きく横たわっているので簡単に出せないという事は考えられる。

私はフルデジタルで仕事をする様になって10年ほどになるが、デジタル環境になってもかなり非効率な作業の仕方を強いられていると思っている。
デジタル環境の可能性の半分も享受できていないのではないか。
もっと制作効率が上がれば個人の時間も増え、より良い作品作りに資するだろうと思う。

なんだかバタバタ【2023年12月18日】

仕事が忙しいというわけではないのだが、歯医者へ行ったり所用で落ち着かず。

JAniCAからアニメーション制作者実態調査2023が出た。色々あってずいぶん時間がかかったが。

これを見て驚く人は驚いただろう。アニメーターの収入がずいぶん上がっているので。

社員アニメーターが調査にずいぶん参加してくれたようなので、それによって引き上げられているとは思う。それにしても随分上がった。

しかし動画は相変わらずなので若い人や仕上げなどの部署の収入の低さは相変わらずだと思う。

若い人が居着いてくれないことにはスタッフは減る一方なので底上げまだまだ底上げしないと…。

90年代半ば辺り、攻殻機動隊など作ったIGの新人動画の研修期間中の固定給は8万円だった。

東京で8万円で暮らせるわけないじゃん…。

他の会社も動画に10万以上固定で出すような会社はほとんどなかったと思う。

私がスタジオジュニオに制作兼演出助手で入った時の給料が12万くらいだったように思う。

貯金やら親の脛を齧りながらギリギリ暮らしていた。

バブルがポシャっていたとはいえ他の仕事に比べたらとてつもなく安かった。

会社に入る前にやっていた映像業界関係のバイトの方が全然収入があった。

と、昔を思い出すと憂鬱にしかならなく今自分がそれなりに余裕を持って生活できてるのが不思議でしょうがない。

安い代わりに出入り自由の緩さはあって変な人も沢山いた。私が入った頃はそれでも随分普通になっていたとは思うが。

なんにせよ食えない仕事は仕事ではない。

昔の工場労働者のように搾取されまくってるとまでは言わないが、皆んなが食うに困らないようになるといいね、と思う。

文化庁がクリエーター支援の予算を60億確保したということらしいが、うまく使って欲しいもんだ。

週末は1年ぶりに声優向けのワークショップで座学の講師。

去年やったのとほぼ内容は同じだが、少し整理したので多少は分かりやすく時間内に収まったかな。

演出家とはどういう仕事なのか…というざっくりした内容なのだが何かしら刺激になっていると良いのだが。

若い頃は自分も演出の仕事が全くわかっていなかった。

経験的に学んだことを本を読んだりしてある程度理屈にして自分は使っているけれど、若い子たちがどのように学んでいるのか全くわからない。多分ほとんど経験的に学んだことを直感で使っているだけというようには思う。

感覚だけでやっていると大体どこかで行き詰まってしまう。

分かりやすく理論とか実践的なことを教えられるといいなとは思っているのだけれど、自分の知識だと若い子が当たれる理論書とかの知識が決定的に欠けているので色々読んでみようと思いつつ全然時間が取れない。

歳も食って若い子に教えるにしてももうあまり時間がないのでやらなきゃなぁ。

ちょっとした知識とかコツを学ぶだけでも食っていくのがだいぶ楽になるし、良いものも作れるようになる。と思うのだよね。

滲みでる

アニメの監督をやっていると、人様の描いたコンテを沢山見る。原作ものであっても、コンテマンによって結構バラバラな作風で上がってくるもので面白い。
私は長期の作品が多かったので、割と色々な人のコンテを見ている方ではないかと思う。

キャラクターの表情の作り方など、原作があればそれ程バラツキは起こりずらいかと思いきやそうでもない。
それは単に原作を読み込んでいないという場合もあれば、読み込んでいたとしても、このキャラクターが担当コンテマンにはこんな風に見えているのか…と不思議に思える様な芝居をさせている場合もある。
そもそも監督のキャラクターに対する認識が多数の理解と違っているという可能性もあるのだが、原作ありにしろ、オリジナルにしろ監督は脚本作りから関わっているので、基本的には理解度は高いと思う。そりゃそうだろ…と言うもんであるが。

面白いと思うのは、人によってズレてる方向もかなり違う。良くあるのは、担当コンテマンが普段メインでやっている作品に引っ張られるパターン。
大体、演出家にも自分の得意や好みがあるので、キャリアの中でこう言う作品を沢山やってきたというものがある。私だったら日常芝居の多いものを受ける事が多かったとか。
少年漫画的な仕事が好きで沢山やってきた人が、たまたま少女漫画の仕事を受けたりすると如実に癖がでる。
少年漫画的な感性の人は、柔らかい表情みたいなものを描かなくてはいけない時、その中間的な機微をどちらか極端に振ってしまう。
逆もまた然りで、とても怒っているみたいな少年漫画にありがちな感情の表出をソフトにしてしまうという人もいる。
作り手の気質と言うのは、拭い難く滲み出てしまうのである。

役者などもそうで、痩せている声優に太った役をやらせても大体上手くいかない。
背の小さい人は、可愛らしい感じが声に乗るし、大きい人もまたそれらしさが乗る。
自分の身体性や経験を良く知ることが、表現の幅を広げたり上手く使ったりの第一歩である。
恐ろしげな巨漢のキャラクターが可愛い声で話す、とか…上手く嵌ると良くあるよねー、というイメージを超えていける可能性がある。
役者のオーディションの時は、テンプレート的な選び方をなるべくしないように心がける。

私も仕事が来ると何で俺に頼んできたんだろうか、と考えるのだが、大体は手近にいるから…だ。良くないね笑。

しかし、スタッフの場合はオーディションもないし手近にいない奴は大体スケジュール合わないし、なかなか難しい。

歳と共に自分に出来ることも変わってくる。
自分の身体と仕事が上手く嵌まるかは半分運だ。
私は自分のストライクゾーンに投げて貰えない球は見送るタイプ。はて、人生も残り少ないが、どんな球が飛んでくるやら…。