絵が上手いとは、どういうことなのだろうか。
とたまに考える。
下手ではないのだけれど、演出意図を汲めていなくて結局かなり描き直しをせざる得ないという人がいて先週はだいぶ手こずった。
アニメーターに対して絵が描けていない、などという評価は仕事をしているとよく耳にしたり自分で言うこともあるのだが、これには大きなグラデーションがある。
パースのような立体・空間が描けない、キャラクターのいわゆるキャラ似せと言われるようなキャラクターの特徴を捉えるのが上手くないとか、絵コンテに書いてある演出意図が汲めていないなど相互に関係しながらも違った要素で描けないということを分けられる。
絵を描く目的としては、誰かに何かを伝えるということが主眼にあることがほとんどだと思うのだけど裏返すと伝えたいことさえ伝われば良いと言える。
さて、伝えるために必要な絵には、どういった技術が必要かということを考えるとなかなか難しい。
透視図法を完璧にマスターしていれば伝わる絵が描けると言うものでもない。
今のアニメーターというかアニメーションに求められている絵の主流は基本的に立体・空間を表現するというところにある。
キャラクターも擬似ではあっても立体を表現するような造形とその再現が主流になっている。
これはCGアニメーションが得意とするところなので、CGアニメーションの隆盛も頷ける。
むしろ手描きのアニメーションで正確な立体・空間を表現するのは非効率的と思える。
また同一のキャラクターを破綻なく物語上で描き続けるというのもCGの方が得意である。
CGではモデルを一つ作れば、それを担当アニメーターが使えるので基本的にキャラクター造形の同位置性が担保される。
同じモデルを使っても角度などによって随分キャラクターの顔の造形が変わって見えるという問題がCGにはある。
こいうものは手描きが得意である。
得意ではあるが、人によって解釈や理解、再現度が違うのでばらつきが大きい。
最近のアイドルアニメがCGによる制作が多くなってきたのはバラつきのリスクが手描きよりCGの方が小さいと見られているからだろう。
昔からではあるが、昨今制作本数の増加によって均一な力量を持ったアニメーターを集めるのはかなり難しくなっている。
キャラクターが似ていないということは、我々が作っているようなアニメーションにとってどういう意味があるのか。似ていなくてもお話を伝えることは可能だ。
話を伝えるというだけなら、絵の描けない演出家が描く絵コンテの絵でも意外と伝わるものだし、漫画家の描くネームもかなり大雑把な絵で描かれているが、それでも伝わるのであれば、それで必要十分とも言える。
しかし、絵コンテがそのまま放送されることは無いしネームも雑誌には載らない。
今はとにかく人材を育てるのだ、という方向でアニメ業界は進んでいる。
それは良いと思うのだが良い絵とは何かということについて、深く考えられてはいないし、将来粒ぞろいのアニメーターが沢山現れるということも考えにくいように思う。
工業製品のように手書きアニメのキャラクターを生産するのは難しい。
私的には今求められているようなものとは全く違う絵の表現で何か出来ないか、と考えてしまう。
タグ: 演出
-
絵が上手いとは…?【2024年05月21日】
-
随分間が空いてしまった。デジタル環境などについて思う事【2024年05月15日】
相変わらず切羽詰まっていて、ブログなんか書いてないで仕事しろよと思われそうな状況が続いている。
今月を抜ければ少しはマシになるかもしれないが。
久しぶりに演出の仕事をしている。
世間というか業界人は作品数が増え過ぎて、スタッフのレベルが下がったという人が結構いるが私自身はそれほど変わりないと感じている。
私の担当は初回だしメンバーもそれなりに気を遣っているということは言えると思うが、いい感じというわけでも悪くもなく、まあこんなもんだろうなというアベレージのスタッフクオリティだ。
もちろん下を見ればキリがないだろうし上もまた同じ。
業界をくまなく見て回っているわけでもないけれど、今仕事をしている制作会社のランクでこのくらいのスタッフということから全体を推察するに、むしろ悪くない、という程度に落ち着いている様に思う。
長い間、クオリティーの高い現場で働いていた人から見れば、多くの現場はいつでもレベルが低いだろうし、レベルの低い現場しかし知らない人にとっては、やはり現場は常にレベルが低い。
私は、あまり作画が凄くいいという現場は知らないが、それでも標準より上は見ていると思うし下もまたそれなりには知っているとい平均的なレベルのスタッフとして30年ほど働いてきたという自覚があるが、その感覚からすれば平均レベルはあまり変わらない、むしろ良くなっているのではないかと思う。
1話数の中にも凄く上手い人とすごく下手な人というのは常にいて(下手にはいろんな理由があるが、とりあえず置いておく)その感覚が上の方に傾いて差異が小さい(つまり上手い人がいて下手な人が、それほど下手ではない)ほどスタッフのレベルは高いと言えるのだが、今やっている仕事は私の感覚的には中の上くらいというレベルなので制作会社の規模を考えるとかなり健闘していると言える。
この制作会社で、このスタッフが集まるのなら業界全体のレベルは満更でもない。
これ以上、作品のクオリティやスタッフの待遇を改善していくためには、制作の効率化などの人的な問題以外の問題を潰していくしかない。
20年ほど前のデジタル環境の導入は大きなトレンドだったが、道半ばで止まり、技術的な制作環境の変革は遅々としている。
もう既にある技術でも色々な可能性があるが、日銭を稼ぐのに精一杯で新しい試みにのり出せているスタジオはわずかだ。
日銭を稼ぐのに汲々としているスタッフとそれなりの収入があっても新しい技術に前向きではない人たちが変革の足を引っ張っている。
業界で出資をしあって作画ソフトを開発するだけでも、大きく生産性は上がる可能性はある。
しかしその様なことが起こる可能性はかなり低い。
AIはもっと個人レベルで、そのような制作環境を大きく変えられる可能性があるので私はかなり期待している。
来年以降になれば映像でも仕事に使えるレベルのAIが出てきそうだ。
今もあるのかもしれないが、権利や倫理などの問題が大きく横たわっているので簡単に出せないという事は考えられる。
私はフルデジタルで仕事をする様になって10年ほどになるが、デジタル環境になってもかなり非効率な作業の仕方を強いられていると思っている。
デジタル環境の可能性の半分も享受できていないのではないか。
もっと制作効率が上がれば個人の時間も増え、より良い作品作りに資するだろうと思う。 -
なんだかバタバタ【2023年12月18日】
仕事が忙しいというわけではないのだが、歯医者へ行ったり所用で落ち着かず。
JAniCAからアニメーション制作者実態調査2023が出た。色々あってずいぶん時間がかかったが。
これを見て驚く人は驚いただろう。アニメーターの収入がずいぶん上がっているので。
社員アニメーターが調査にずいぶん参加してくれたようなので、それによって引き上げられているとは思う。それにしても随分上がった。
しかし動画は相変わらずなので若い人や仕上げなどの部署の収入の低さは相変わらずだと思う。
若い人が居着いてくれないことにはスタッフは減る一方なので底上げまだまだ底上げしないと…。
90年代半ば辺り、攻殻機動隊など作ったIGの新人動画の研修期間中の固定給は8万円だった。
東京で8万円で暮らせるわけないじゃん…。
他の会社も動画に10万以上固定で出すような会社はほとんどなかったと思う。
私がスタジオジュニオに制作兼演出助手で入った時の給料が12万くらいだったように思う。
貯金やら親の脛を齧りながらギリギリ暮らしていた。
バブルがポシャっていたとはいえ他の仕事に比べたらとてつもなく安かった。
会社に入る前にやっていた映像業界関係のバイトの方が全然収入があった。
と、昔を思い出すと憂鬱にしかならなく今自分がそれなりに余裕を持って生活できてるのが不思議でしょうがない。
安い代わりに出入り自由の緩さはあって変な人も沢山いた。私が入った頃はそれでも随分普通になっていたとは思うが。
なんにせよ食えない仕事は仕事ではない。
昔の工場労働者のように搾取されまくってるとまでは言わないが、皆んなが食うに困らないようになるといいね、と思う。
文化庁がクリエーター支援の予算を60億確保したということらしいが、うまく使って欲しいもんだ。
週末は1年ぶりに声優向けのワークショップで座学の講師。
去年やったのとほぼ内容は同じだが、少し整理したので多少は分かりやすく時間内に収まったかな。
演出家とはどういう仕事なのか…というざっくりした内容なのだが何かしら刺激になっていると良いのだが。
若い頃は自分も演出の仕事が全くわかっていなかった。
経験的に学んだことを本を読んだりしてある程度理屈にして自分は使っているけれど、若い子たちがどのように学んでいるのか全くわからない。多分ほとんど経験的に学んだことを直感で使っているだけというようには思う。
感覚だけでやっていると大体どこかで行き詰まってしまう。
分かりやすく理論とか実践的なことを教えられるといいなとは思っているのだけれど、自分の知識だと若い子が当たれる理論書とかの知識が決定的に欠けているので色々読んでみようと思いつつ全然時間が取れない。
歳も食って若い子に教えるにしてももうあまり時間がないのでやらなきゃなぁ。
ちょっとした知識とかコツを学ぶだけでも食っていくのがだいぶ楽になるし、良いものも作れるようになる。と思うのだよね。
-
滲みでる
アニメの監督をやっていると、人様の描いたコンテを沢山見る。原作ものであっても、コンテマンによって結構バラバラな作風で上がってくるもので面白い。
私は長期の作品が多かったので、割と色々な人のコンテを見ている方ではないかと思う。キャラクターの表情の作り方など、原作があればそれ程バラツキは起こりずらいかと思いきやそうでもない。
それは単に原作を読み込んでいないという場合もあれば、読み込んでいたとしても、このキャラクターが担当コンテマンにはこんな風に見えているのか…と不思議に思える様な芝居をさせている場合もある。
そもそも監督のキャラクターに対する認識が多数の理解と違っているという可能性もあるのだが、原作ありにしろ、オリジナルにしろ監督は脚本作りから関わっているので、基本的には理解度は高いと思う。そりゃそうだろ…と言うもんであるが。面白いと思うのは、人によってズレてる方向もかなり違う。良くあるのは、担当コンテマンが普段メインでやっている作品に引っ張られるパターン。
大体、演出家にも自分の得意や好みがあるので、キャリアの中でこう言う作品を沢山やってきたというものがある。私だったら日常芝居の多いものを受ける事が多かったとか。
少年漫画的な仕事が好きで沢山やってきた人が、たまたま少女漫画の仕事を受けたりすると如実に癖がでる。
少年漫画的な感性の人は、柔らかい表情みたいなものを描かなくてはいけない時、その中間的な機微をどちらか極端に振ってしまう。
逆もまた然りで、とても怒っているみたいな少年漫画にありがちな感情の表出をソフトにしてしまうという人もいる。
作り手の気質と言うのは、拭い難く滲み出てしまうのである。役者などもそうで、痩せている声優に太った役をやらせても大体上手くいかない。
背の小さい人は、可愛らしい感じが声に乗るし、大きい人もまたそれらしさが乗る。
自分の身体性や経験を良く知ることが、表現の幅を広げたり上手く使ったりの第一歩である。
恐ろしげな巨漢のキャラクターが可愛い声で話す、とか…上手く嵌ると良くあるよねー、というイメージを超えていける可能性がある。
役者のオーディションの時は、テンプレート的な選び方をなるべくしないように心がける。私も仕事が来ると何で俺に頼んできたんだろうか、と考えるのだが、大体は手近にいるから…だ。良くないね笑。
しかし、スタッフの場合はオーディションもないし手近にいない奴は大体スケジュール合わないし、なかなか難しい。
歳と共に自分に出来ることも変わってくる。
自分の身体と仕事が上手く嵌まるかは半分運だ。
私は自分のストライクゾーンに投げて貰えない球は見送るタイプ。はて、人生も残り少ないが、どんな球が飛んでくるやら…。