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絵が上手いとは…?【2024年05月21日】

絵が上手いとは、どういうことなのだろうか。
とたまに考える。

下手ではないのだけれど、演出意図を汲めていなくて結局かなり描き直しをせざる得ないという人がいて先週はだいぶ手こずった。
アニメーターに対して絵が描けていない、などという評価は仕事をしているとよく耳にしたり自分で言うこともあるのだが、これには大きなグラデーションがある。
パースのような立体・空間が描けない、キャラクターのいわゆるキャラ似せと言われるようなキャラクターの特徴を捉えるのが上手くないとか、絵コンテに書いてある演出意図が汲めていないなど相互に関係しながらも違った要素で描けないということを分けられる。

絵を描く目的としては、誰かに何かを伝えるということが主眼にあることがほとんどだと思うのだけど裏返すと伝えたいことさえ伝われば良いと言える。
さて、伝えるために必要な絵には、どういった技術が必要かということを考えるとなかなか難しい。
透視図法を完璧にマスターしていれば伝わる絵が描けると言うものでもない。

今のアニメーターというかアニメーションに求められている絵の主流は基本的に立体・空間を表現するというところにある。
キャラクターも擬似ではあっても立体を表現するような造形とその再現が主流になっている。
これはCGアニメーションが得意とするところなので、CGアニメーションの隆盛も頷ける。

むしろ手描きのアニメーションで正確な立体・空間を表現するのは非効率的と思える。

また同一のキャラクターを破綻なく物語上で描き続けるというのもCGの方が得意である。
CGではモデルを一つ作れば、それを担当アニメーターが使えるので基本的にキャラクター造形の同位置性が担保される。

同じモデルを使っても角度などによって随分キャラクターの顔の造形が変わって見えるという問題がCGにはある。
こいうものは手描きが得意である。
得意ではあるが、人によって解釈や理解、再現度が違うのでばらつきが大きい。
最近のアイドルアニメがCGによる制作が多くなってきたのはバラつきのリスクが手描きよりCGの方が小さいと見られているからだろう。

昔からではあるが、昨今制作本数の増加によって均一な力量を持ったアニメーターを集めるのはかなり難しくなっている。

キャラクターが似ていないということは、我々が作っているようなアニメーションにとってどういう意味があるのか。似ていなくてもお話を伝えることは可能だ。
話を伝えるというだけなら、絵の描けない演出家が描く絵コンテの絵でも意外と伝わるものだし、漫画家の描くネームもかなり大雑把な絵で描かれているが、それでも伝わるのであれば、それで必要十分とも言える。
しかし、絵コンテがそのまま放送されることは無いしネームも雑誌には載らない。

今はとにかく人材を育てるのだ、という方向でアニメ業界は進んでいる。
それは良いと思うのだが良い絵とは何かということについて、深く考えられてはいないし、将来粒ぞろいのアニメーターが沢山現れるということも考えにくいように思う。

工業製品のように手書きアニメのキャラクターを生産するのは難しい。

私的には今求められているようなものとは全く違う絵の表現で何か出来ないか、と考えてしまう。

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