ちまちまと仕事、最近読んだ本【2024年09月16日】

9月頭、多少落ち着きはしたもののチェック物が絶えずやってきたり音響作業やら会議やらで地味に落ち着かない。
合間にコンテ作業もちまちまと。
立て込んでいるようだが、先のことはまるで決まっておらずで、どうしたものやら。
いつものことではあるのだが。
連休なことに気づかなかった。
祝日だから休みという仕事ではないので気にしていなかったのだが、最近は制作スタジオが休みをとること(建前的には)が多くなり、メールなどが減るので少し落ち着いたような錯覚を起こす。

YouTubeでBLUE SEEDというI.Gが制作のアニメを無料公開しているのを目にしてタイトルは知っているが見たことがなかったので頭の方を流し見してみた。
YouTubeはいろんな作品が無料公開されていて、作品によっては全話見られるものもある。
ひと昔前は無料公開なんてとんでもない、収益の損失だ!的な業界の空気だったのだが変われば変わるものだ。
商売の規模が大きくなったからこそ、こういった無料公開も可能になったということであるのかもしれないが。

それはともかくBLUE SEED、テレビアニメとは思えないクオリティである。少なくとも1話はビデオアニメのような完成度だ。スタッフもデザイナー・作監が黄瀬和哉だったりでI.Gのメインスタッフを突っ込んでいる感がある。
予算は、それほど出ていたとは思えないが…。
放映が94年の秋番組なのでエヴァの1年ほど前になろうか。
この頃のアニメ業界の隆盛を感じさせる。
制作がI.Gと葦プロが組んでいる。プロデューサーに下地さんの名前もあり、この辺りの縁で下地さんは葦プロを辞めI.GグループとしてXEBECを作ったということなのだろうか。
テレビの後のビデオシリーズはI.GとXEBECで作っているようだ。

今では絶対にCGを使うであろうヘリコプターやら車やら手描きでがっちりと描いてある。
*追記:初回でヒロインのスカートが破けパンツ一丁で逃げ回るという仕掛けに、のどかな時代を感じさせる。(女性客を基本的に相手にしていないということだ。今でもエロはあるのだが、この作品は今だったら特に男性向けに限定されることはない気はする)
ほんとにすごい。メカカットは1カット1万円くらいは出ていたのだろうか。
当時のテレビの平均的な1カットの単価は3500円くらいだと思う。
3500円………正直、私が仕事を始めて単価を知った時は衝撃を受けた。
バブルは弾けたとはいえ、世の中にはまだまだ金はあったはずで、なんでこんなアホみたいな安い値段で作ってるんだと思ったものだが(バブル真っ最中も安い値段で作っていたんだろうし)今、どのくらい変わったのかというと、まあだいぶマシになったとは思うのだが、まだまだである。

ダンピングでたくさん売って儲ける昭和の商売みたいな状況は長らく続いていた。
今は外貨が業界を支えているので、安くはあるが随分制作費は上がった。

話が横に逸れたが、90年代あたりまで、今では金をかけたとて出来ないようなクオリティのアニメがかつてはあった。ほんとに何であんなものが作れていたのか不思議というような作品がある。
ほとんどは若さが支えていたと思う。
しかし、若さは失われた。

今もまた、すごいアニメは作られているが、昔よりは格段にしっかり金をかけて作っているように思う。
金があるだけではクオリティは上げられないのだが、制作会社によっては人材を育てたり集めたりを頑張っていてすごい作品ができている。
一方、中堅の会社は苦労している印象ではあるのだが。

明石市が作ったという、市の歴史を語るアニメ「明石と時のこどもたち」もYouTubeで見られるのだが(小黒さんが紹介していて知った)91年制作、制作会社は亜細亜堂。芝山さんが監督で柳田さんが作監でメカなどは出てこないが、びっくりするような出来だ。

時代の豊かさを感じる。
とめどなく色々書いてしまいそうなのでこの辺で。

最近読んだ本、東畑開人「雨の日の心理学」素人向けにカウンセリングの技術を噛み砕いたという本だが具体的で比較的わかりやすい。東畑の他の本に書いてある内容と被るところもあるが、まとまりとしてはこれが一番まとまっているのかもしれない。広い意味で誰かの手助けをしている、あるいは手助けを必要としている人がそばにいるような人にはお薦めだし、介護や子育てで疲れている人にも役立つという気がする。

積読が過ぎるので、何とか解消したい。
机の横に積んである本をパラパラ読むと面白いものが沢山あるのだが、放置してあるもの多数。

信田さよ子が初めて本を出したのが50過ぎてからとか、私も頑張って小説でも書こうか…。

藤井誠二「贖罪:殺人は償えるのか」藤山直樹「集中講義・精神分析㊤─精神分析とは何か フロイトの仕事」【2024年09月08日】

藤井誠二氏の本を読むのは、ものすごく久しぶり。淫行条例の本を読んで以来か。古田徹也氏との対談を見かけたので興味が湧いて読んでみた。
長期刑の殺人犯との手紙のやり取り(ほとんど殺人犯の手紙)を紹介した本だが、贖罪についても考えさせるものはあるが、犯罪者が点というよりは人間のつながりの中で現れる断面のようなものだということを強く感じる。被害者対策の薄さなど重大犯罪周辺の事情も結構紹介されている。気が重くなるが…良い本だ。

藤山直樹の方はフロイトのざっくりした伝記をよすがに精神分析の歴史について語るという本。まずはフロイトを読めというのはよく分かった。
下巻はフロイト以降の精神分析の歴史。こちらの方が知らないことが多くて面白そう。
精神医療と精神分析は基本的に違うものなのだ、というのが藤山の主張というか認識で、しかし実際は中間的ないわゆるカウンセリングという精神分析的心理療法というのは行われている。精神医療の分かりづらさの一端なのかもしれない。ちなみに藤山は精神科の医師で精神分析家は基本的には精神科医でないと資格がとれない。
フロイトの顧客は金持ちばかりで、富裕層が初期精神分析を支えていたらしい、今は精神分析を医療として行うには金げかかりすぎるということらしい。
安くなれば、精神分析が犯罪者の更生の方法論の一つとして機能したりするのかもしれない。
それはそれとして、物語作りなんかにも精神分析は面白いと思う。

加藤公太さんの解剖学の同人誌も届く。思いのほか充実の本。

東畑開人の新刊も買わなくては。

台風はやりすごせたらしい【2024年09月01日】

台風10号がとにかくゆっくりと進んで来ているようだが関東に上陸せずに新潟の方へ抜けて温帯低気圧に変わるようだ。
各所影響を被ったところも少なくはなさそうだったが、少し安心。
気温もここ1週間くらいで随分下がってきたように感じる。
涼しくなってきたので、セールで買った植物の植え替えをしたのだけれど、あまり根は張っておらずで失敗したかもしれない。旺盛な品種なので枯れることはないと思うのだが…。

今週は比較的のんびり。打ち合わせと音響作業とデスクワーク。
音響はスケジュールが伸びたおかげで久しぶりのオールカラーでダビング。
担当演出が、すごく早くてちゃんと音がついていたと喜んでいた。
そもそも出来のいい班の仕事ということもあるのだけれど、全部色がついていれば音響スタッフも安心して音がつけられるのである。
なかなか、絵作りのスタッフには伝わらないところではあるのだが。

打ち合わせは知り合いだったので、随分色々喋った。
どっちを向いても大変そうだ…とお互いの見聞きしたことを突きあわせ唸る。
仕事が減る気配がないのは唯一の救いかもしれない。

体調が上向いたせいか少し気力も上がってきた。
しばらくこの状態をキープしたいものだ。
歯医者へ検診に行ったら、ちゃんと磨けているけど奥の歯茎が腫れているとのこと。
どうも寝ている時に力がかかっているのではないかと言われる。
変わらないようならマウスピースをするという手段があるらしいが、マウスピースをしながら寝るのはなかなか難儀そうな気がする。

この先はしばらく忙しそうなので、今のうちになるべく仕事を進めてしまいたい。
慣れない仕事へのチャレンジも待っている。

どうも仕事の告知は10月以降でないと出来なさそうだ。

ソニーのアニメ制作用ソフトとか【2024年08月25日】

制作中のアニメのアフレコが終わったりで少しほっとした週末。
多少、打ち上げっぽいことも出来るようになった昨今、役者さんとも少し話ができて楽しく過ごした。

土曜はロロの「飽きてから」を内古閑さんと観劇。
いきなり別れ話から始まるようなところが、今までの三浦さんとは少し違う感じ。
食事についての会話がいきなり別れ話に接続してしまうのは面白くもあり、とてつもなくリアルな感じもして、胸がギュッとする。
時制の繋ぎ方の面白さは相変わらずでどうしてこんなことを思いつけるのかと毎度思う。
短歌をシーンの間ごとに挟むという趣向は、考える間隙が生まれるようでなかなか良かった。
鈴木ジェロニモが歌う「瞳を閉じて」も最高だった、劇中では涙を誘うまでに至らず失敗という設定なのだが笑えながらもしみじみと響く。
ジェロニモ?何でそんな名前?と思って調べたら芸人さんらしい。
Rー1で準決勝まで行ったというwiki情報を知る。
短歌が趣味らしく、それもあってのキャスティングなのだろう。
終演後、側にいた客の会話が聞こえてきて、結構有名な歌人も見にきていたことを知る。
移動のタクシーの運ちゃんが自民との総裁は誰が良いと思うかなどと問うてきた。タクシーで政治の話などしていると危ないんじゃないかと思うが余計なお世話か。大谷翔平の話も振られたが、前日たまたまテレビでニュースを見ていたので会話になった。

ソニーが開発しているというアニメ制作用のソフトは仕上げ機能も組み込んであって、どうもガチで使えるものになりそうだ。
朝日新聞の記事によると仕上げ機能から現場投入されるようで、RETASの保守が効かない事への危機感から開発されたことが窺える。
もう10年以上前にRETASの開発は打ち切られているのだが、放置され続けてきてアニメ業界の不甲斐なさを思い知らされていたが、ここにきてやっとRETASの代替になりそうなソフトが出来そうだ。
他にも仕上げのできるソフトはあるのだが、RETASとは思想が違って、同じような素材を作るための使いやすさがだいぶん違った。
RETASの素材に業界全体は特化しすぎてしまっているのもどうかとは思うが、共通フォーマットがあるからこそ現在のような物量でアニメが作れていることは間違いない。
後継ソフトは悲願というと大袈裟だが無くては立ち行かないだろう。

庭の木を切った枝にコガネムシが付いていた。
コガネムシの幼虫は花木の根を食い荒らすので害虫とされているのだが、ゴミ袋に突っ込むのも忍びないので、そっと地面に置いた。

オリンピックも終わり【2024年08月18日】

ほとんど見なかったけれど、体操の団体とかサッカーとかちょこちょこと。
体操を見ていて楽しい。昔、体操アニメがあったけどアニメは体操なんかを描くのには向いていそうだ。すごく大変ではあるが上手くやったらすごく面白そう。
二十数年前、女子の新体操を取材しに行った時、隣で男子の新体操がやっていて、これは面白いと思ったものだが、それから幾星霜、アニメ化されたわけでスポーツでも球技より体操の方がアニメには向いている気がする。
球技の難しさは「球」と「身体」の二つを同時に動かさなければいけないことで、球技はまた団体戦が多いので余計に難易度が増す。
水泳の飛びこみみたいな個人競技の方がアニメにするなら楽そうだ。
一人ずつ演技の間があるのも良い。
新競技のブレイキンは、踊っているのは一人だが舞台上は常に二人で見ている方も動いているので、結構難しいか。
動きっぱなしはとにかく大変だ。

先週は、だいぶ引っ張っていたコンテをひとまず終わらせられた。
それで楽になったというわけでもないのだが。少し肩の荷がおりた。
も8月も後半になり、いよいよ今年も終わり…という気分になってしまう。
次の仕事の現場が動き出すのも近くなってきて緊張感が高まってきている。
次は慣れない作業を担当することになってしまったので、余裕をもって臨みたいと思ってはいたもののあまりいつもと変わらぬギリギリ感が醸し出されつつある。
制作スタジオも初めてのところなので蓋を開けてみないと何が起こるか予想がつかない。
とはいえ、面白いものになりそうな気はしている。

セールで買った夏の花が、もうしばらく咲いてくれると嬉しいが少しずつ夏の終わりを感じる。

コロナが流行ってる【2024年08月12日】

世間はお盆休みだからなのか…やる気はあまり上がらず。
体調はゆるゆると上向いているので良きこと哉。
ネット将棋を飽きずに延々と指し続けてしまう。勝てる時は何でか偉く強い人にも勝ててしまうのだが負け始めるとこれまた何でこんな将棋が勝てないのかという勝ち将棋をひっくり返されたり。メンタルは将棋の調子で結構わかってしまうのだが、調子が良くても仕事の方は捗らなかったりはする。

片方の仕事はだいぶ進んできた。
色々あって長かったがやっと落ち着いてきてホッとしている。
告知は来月か再来月なのかな?近いとは思うのだが。

コロナが本当に流行っている。
スタッフが罹ったり、役者が罹ったり、マスクをしている人は少し増えた気はするが暑すぎる夏のせいもあってか、それほど多くはないように見える。
観光客もすごく増えているので感染者が増えるのもさもありなん。
私はコロナが流行り始めた頃は、マスクしたところでそう変わりはせんだろうと思っていたのだが、最近はなるべくならかかりたくないということで電車の中やら狭くて人が多いところではマスクをするようにしている。
おかげでかは分からないが今のところコロナに罹ったことはない。(無自覚な人もいるようなので確信はないが)
それでもマスクをするには、最近の夏は暑すぎてせずに済むならそうしたい。
後遺症はしんどい人は本当にしんどいようで2年以上辛い症状に悩まされている人の話も聞く。
歳はあまり関係ないようで、仕事が続けられないほどキツいこともあると聞くと他人事とは思えず用心せざるを得ない。

初めてのスタッフとの仕事はいつも探り探りで、正直慣れた人たちとやっている方が圧倒的に楽なのだが最近は少しお初の方が多い。
相手方がこちらを探っていたり警戒しているような感触を感じることもしばしばあるのだが、これはまあお互い仕方ない。
私は比較的気楽に付き合える監督だと思うのだが過酷な現場もあるだろうし、警戒したくなるのは良くわかる。
相手の緊張感が伝わるとこちらもそれを和らげるために頭を使わざるを得ないのだが、こちらの腹の中を相手に伝えるにはどうしても時間がかかる。
とあるスタッフから警戒警報をビンビン感じていたのだが、最近少し和らいだように感じた。
やはり仕事を進めてみないと相手のやり方というのはなかなか分からないもので、1本作ってお互い馬があって残ったスタッフとは次の仕事の時は圧倒的に気分が楽だ。
とにかく1本完成させるしか本当にお互いを理解する方法はない。

仕事の時は最近はFUSIONのディスクガイドを片手に良さげなものを配信で聴いている。
しかし無いものも多くて、まだまだアナログ時代の遺産はデータになっていないものも多いのかもしれない。
アニメもそうだが、見ることができない聞くことができない状態というのは作品が存在しないのと変わらないので、著作権者はとにかく作品にアクセスできる状態が維持されるようにしてくれと思う。
金があっても見られない聞けない作品はあるわけで、それは作品にとっては途轍もない不幸だと思うのだが…。配信するにも金がかかるから儲からない作品は倉庫に置いておくしか無いというのは分かるのだが作品へのアクセスを確保しておくのは公共的義務なんじゃ無いのと個人的には思う。
結局、物理もデータも永遠に維持し続けるというのは不可能なんだろうけど。
文化は結局のところ口伝みたいに人間の中で再解釈、再生産されるという形でしか残っていかないのであれば、それをなるべく制限しないシステムは必要だ。

どうにもこうにも暑い【2024年08月03日】

暑くて全てのやる気が溶けていくような気がしてしまう。
しかし、少しずつ体調は上向いてありがたい。
睡眠時間が増えているのが良いのか…原因はよく分からない。
睡眠は歳のせいもあり上手く眠れないことも多いのだが、やはり眠れると調子は良い気がする。
そして気づけば8月。

先日はアイカツ!のライブが久しぶりに行われていて、相変わらず盛り上がっていた。
私は配信で見ていたのだけれど、ドリアカのキャストが顔を合わせているのを見るのは久しぶり。
みんな元気そうで何よりだ。
もう久しく関わっていない作品について語ってくっるだけでもありがたい。
次はあかり世代括りでイベントをやるそうで、しかも結構大きな会場だから埋まるのかしらと心配しつつ、私も少し手伝うので楽しんでもらえるものになるんんじゃないかと思
昨日、仕事で若い各話演出に今回のコンテのフィードバックをくれというようなことを言われたのだが、もはやその人はここしばらくですっかり腕を上げて(いやアニメーターの経験も長いし最初から上手かったのだけれど)特に私がどうこう言うような事はない。
上手くなると何か言われる機会はどんどん減っていくので他人の意見が聞きたいというのは分かるので何かアドバイスしようとは思うけど、ある程度の力をつけた演出がステップアップするには監督業をやるしかない。

各話演出ではお話の部分に関われないので、そこに踏み込めるのは監督業である。
しかし、監督業は外からは見えづらい仕事がたくさん襲いかかってくる。
およそクリエイティブではないと思われる政治的な交渉やトラブルシューティングなど真面目な人ほど其のストレスは尋常ではないと思う。
他人の絵コンテを直すといのも各話演出にはない仕事で、良いコンテが如何にありがたいかというのが身に沁みるし自分の不出来な部分も実はよく分かったりする。
自分が描けないような絵コンテに出会うと刺激を受けつつ打ちのめされ、イメージと違う(下手なコンテというのではなく話やキャラクターの解釈違い、演出論の違いなどがある)コンテには直しの時間の無さで苦悩する。

自分というのは一人しかいないのだと思わされるのが監督業だ。
自分と同じイメージを持てるのは自分しかいない。
当然、自分の考えと同じ絵コンテなど上がってこないし、同じ演出など基本的には行われない。
上手い人は、なるべくそこを近づけてくれる。

オーソドックスな演出というものはあって、私が各話演出の時はなるべく監督が直しやすいような絵コンテを心がけていた。
演出は直しようがないので、絵コンテを与えられたスタッフでなるべく最良の形で具現化できるように心がけた。
監督が近くにいる場合は監督の手をなるべく煩わせない程度に意見を聞くなども。(若い時はてんで好き勝手をやっていたこともあったけれど…)

監督と各話の演出は同じ人間ではないのだし、最後はお互いの信頼の中でベストを尽くすしかない。

しかし、オーソドックスな演出というのは特に教科書みたいなものがあるわけではないので、共有されていないところには全く共有されていないものなのだというのは最近になって感じるようになった。

オーソドックスというものは良くも悪くも色がない状態なので作品によってアレンジが必要だとは思うのだが、分かっていれば作品や監督の趣向がよく分からない場合でもアレンジしやすいような形で素材を提供可能になるのではないかと思う。

監督をコンスタントにやっているような人の絵コンテは、大体これが出来ているように思う。

しかし明らかにオーソドックスなスタイルを知らない(あるいはわざと避ける)人というのはいて、それは時に結構困ったりする。
よく話題に上がるイマジナリーラインに対する考え方などが違うと、もう大変な直しになったりするので、オーソドックスな考え方は共有されていた方が良いと思う。

作品によるスタイルの違いなどを超えて一般的な方法論というのはいろんな仕事をするタイプの人は特に知っていると楽だと思う。

メモ的にここで少しづつまとめてみようか。

「体はゆく」「言語の本質」【2024年07月31日】

暑すぎる。
日傘を差す男性も最近はだいぶ増えた。ただ歩いてるだけでも頭が痛くなってくる気候では必須アイテムになりそう。特に中年以降には。熱中症になるより傘を持ち歩く面倒くささの方がマシだと思う。

最近読んだ本。伊藤亜紗「体はゆく」、秋田喜美・今井むつみ「言語の本質」

「体がゆくは」どのように人間の体が出来るようになるかをテーマにテクノロジー系の研究者を取り上げて対談形式で研究を語っている。
ピアノ練習を補助する装置として指に機械を装着して教師や自分のベストな演奏を指先に再現する技術というのが出てきて自分の体にベストな動きを再現することで体で理解することができる、という話が面白かった。
けん玉などもバーチャルで練習すると意外に皆出来るようになるとか。

絵でも上手い人が絵を描く動きを体に再現させることで上達するかもしれない。
絵を描くという行為もかなり身体的なので体で覚えるというのは必要、とにかく描けというやつである。
しかし盲滅法に体を動かしても当たる確率は低めなので体を動かす装置があったら大分効率は良さそうである。
スポーツ選手がビデオで自分がベストの時の映像を見るというのもその類のようで、上手い人が絵を描くのを後ろか見ると同じような効果があるのかもしれない。

体が頭というか意識に上らないところで動いていて、それを使って意識や体に変容をもたらすことが出来るというのは面白い。
頭と体の関係は一筋縄ではない…というか頭も体の一部なので分けて考えるということで見失ってるものがあるのかもしれない。

「言語の本質」もなかなか面白かった。
オノマトペというのは言語の原初的な形で、そこから言語がどのように作られていったのか、という仮説を組み立てている。
前半はオノマトペが言語の中でどういう立ち位置なのかという検証(実験などを紹介しつつ)なのでちょっとまどろっこしくて飽きてしまうかもしれないが、ざっくりとばして後半の面白いところだけ読むのでもいいかもしれない。
オノマトペがアイコン性の高い言葉(ビジュアル的なアイコンと似たような)で音の具象をもしたところから始まっている、なので幼児と会話する時にオノマトペが用いられることが多い、ということだけ押さえれば後半は問題なく読めると思う。
記号接地の問題について論じたかったというようなことを著者の一人である今井むつみが話していたので読んだのだが、オノマトペは記号接地のキーワードということらしい。
なるほど、ではある。
あ、記号接地の話に興味がある場合は前半も面白いかもしれない。

先週末は、ものすごく久しぶりに大橋彩香のライブに行った。
もうすっかり貫禄のついたステージで、年月を感じる。
日本のポップカルチャー最前線はマンガ・アニメ文化の周辺にあると思わされた。

少し仕事の待ち時間があったので噂の「ルックバック」も昨日見られた。
なるほど、丁寧に作っている。
短いのでちょっとした隙間に見られるし、この形態が成功したらアニメ興行の新しいスタイルになるかもしれない。

話の筋は概ね原作通りなのだろうか。原作は未見。
監督が思い入れて作っているのは、この話の主人公に自分を重ねているからなんだろう。
思い入れて作っていなければ自分でほとんどの原画を書いたりはできない。
私も主人公の気分は分かりすぎるほどによく分かる。
が、感動したかと言われると、ピンと来なかった。
周りでは若者が啜り泣いていて、帰りのエレベーターでも感動を口にして語らっていた。
私はというと淡々と見られてしまった…それは何故なのか考えてみると面白そうだと思う。

ちょいネタバレあり。

劇中でのテーマそのものだが、素描力があるということと伝わる絵が描けるというのはニアイコールで同じではない。
これは、そのまま当の映画に批評的に向けられてしまう視線でもありうる。

年齢によっても感じ方は違うかもしれない。
私などはそりゃそうだろう、と思うラストなのだが、若者なら強いカタルシスを得られるかもしれない。

短尺の漫画道みたいな話なので、短尺ゆえの話の作りの難しさもありそうだ。

主人公と観客の距離感の取り方は少し遠めに作ってあるのではないか、といのは私の印象で、それは感動ポルノみたいな印象を上手く避けている一方、主人公を分かりにくくさせているのかもしれない。
スラムダンク前半のクールさを彷彿とさせる。

大学での凶行イメージはドラマ的には不要だったように思うが、原作ものでもあるし主人公の漫画とも絡むネタではあるからカットは難しいにしても、もっと淡白にした方が分かりやすかったかもしれない。

クリエーターあるあるみたいな作りの主人公の話なのと、ビジュアルの力が非常にあって、色々考えてみたくなる作品であった。

しばらくぶりの連絡【2024年07月21日】

しばらく会っていなかった人たちから連絡をもらい、ご飯を食べたりということが最近つづく。
たまたまなのだろうが不思議なものだ。

別に一緒に仕事をということでなくても、お互い元気にやっているのが確認できると安堵する。
歳の近い人は会わずに後悔することもあるやもしれんと思うと、少し無理してでも出かけようという気になる。
わざわざ私なんかに連絡をくれる人というのも少ないし。

仕事を一緒にしていないと会う機会は、なかなか無い。連絡する機会が減るから。
よほど仲が良くても歳を食うほどに会う機会は減っていく。
家の事情、仕事の事情、体力など様々な理由で会えないことはよくある。

会えば時間はあっという間に巻き戻る。が、ずっと止まったままとも言える。
その間に何があったのか分かり得なかったり聞くのも憚られることもあるけれど、それはそれでいいような気がする。
何かあればまた会えばいい。


少し仕事が落ち着いた。
休み休みでないとなかなか前に進めない、歳には逆らえない。

とはいえ、のんびりと休むという暇があるわけでもなく。

友人の笑った顔に少し元気をもらったので頑張りましょう。

今週読んだ本とか【2024年7月14日】

自分ごとでも嫌なことでも無いのだが、とある事があって今週はずっと憂鬱な気分だった。
しばらくは引きずってしまいそう。

久しぶりにアニメ関係の本を買った。
「TOROYCAアニメ撮影テクニック」「井上俊之の作画遊蕩」「アニメーション動きのガイドブック」

TOROYCAの本は最近のアニメ撮影の雰囲気を知るのに良い。
メインの著者TOROYCAの取締役でもある加藤くんは私の初監督作の撮影監督でもあり、今や数々の作品の撮影を担当している。もう一人、一番担当記事が多い津田くんは最近の新海誠作品の撮影監督でもある。

基本的にかなり作り込むタイプの撮影。
もう少しぱっと見は分からないような処理を重ねるタイプの撮影もいる。

売れ筋の作品は撮影で作りこんでいるものが多い印象なので主流と言えるんじゃなかろうか。

本には細かなプラグインなども記載してあるので本業の人が見ても参考になりそう。
私はよく分からないので雰囲気だけ味わった。

井上さんの本は、遊蕩というには極めて真面目にアニメのレイアウトについて語っているのだけど、井上さんの語り口が熱っぽくてとても良い。
井上さんのようなベテランが今だに熱量高く仕事に対峙しているというのは胸が熱くなる。

本の中で提唱されているレイアウトキーポーズ制度。
昔のレイアウトはシートにはラフなタイミングしかないかタイミングは書かれておらず、原画のように細かな演技は描かれておらず背景の発注に必要なキーになるポーズだけ描かれているだけだった。
現在はラフ原画がレイアウトの時に描かれるのは当たり前になっていて、しかしそれらを作画監督が修正するのは難しいし不可能なのでキーポーズだけにしてレイアウトを描き、作画監督が修正したものを原画マンに戻した方が効率的、大雑把にいうとこんな事だ。

昔は、その通りのシステムだったのだが、幾つかの理由からこのやり方は現在は使われていない。
一つ大きな問題は音響スケジュールとの関係性。
全て絵が完成してからアフレコ以降の音響作業が行われるようなスケジュールなら、上記のレイアウトキーポーズシステムは十全に機能する。
しかし、絵のスケジュールの遅れから絵が完成しないまま音響作業に突入せざるを得ない現場は昔から沢山あった。
特にテレビアニメーションであれば放送日に間に合わせるために絵と並行で音響作業を進めなくては行けないという事がよく起こった。
これが90年代後半に深夜アニメが増え始めてから、スタッフが足りなくなっていきスケジュールは劇的に悪くなっていく。
せめて、原画作業まで終わっていれば音響作業は何とかならなくも無いのだが、それも出来なくなっていき、レイアウト撮と言われる状態で編集から音響作業をしなければならなくなっていく。
そこで問題になるのがキーポーズしかないレイアウトで、キーポーズは原画ではないから大雑把な動きしかわからない。さらにタイムシートも付いていなかったりする。
初めは原画にならなかった残りのレイアウトのキーポーズは原画マンに戻してラフ原画(!)にしてもらったり演出や作画監督が絵を足して編集に対応する事で、ギリギリ何とかなっていた。
しかし、それも量が多くなると対応しきれなくなり、であれば最初からラフ原画を描いてもらった方が良いじゃないか、というような流れで急速にレイアウト・ラフ原制度に変わっていった。

その他にキーポーズだけに作画監督が修正を入れるケースでは、まともな原画マンであれば良いのだが作画監督の修正があるところだけしか形が描けない、あるいは第2原画に出されて、やはり修正のあるところしか拾えない、あるいは修正のあるところすら拾えないみたいな事態も起こるようになっていったのも一つの要因という気がする。
他にも理由はあると思うが、大まかにはこんなところか。

みんな現行の体制に慣れきってしまっているので、修正は難しい問題が横たわっていると思うが効率良い制作体制は考えないと辛いばかりというのはそうだろう。


アニメーションの動きのガイドブック、は動画協会でやっているアニメーションブートキャンプというワークショップの内容をまとめたものだ。まだちゃんと読んでないが…。
単純な作画の技法書というよりは、劇団なんかがやっている役者へのワークショップに近いものがある、と思うし実際参考にしているようだ。
作画以前の演技とか人に伝えるとは?みたいなことを扱っていて文章多めで技法書っぽくないのであるが、これは意外と面白い。
スタジオで新人に何か教えるような事がある人は読んでおくと参考になると思う。
作画だけでなく色んな職種の人が読むといい。

デジタル環境が整えば商業アニメも、もう少し表現の幅が広がると思うのだが、そこまでいくにはまだだいぶ時間がかかりそうだ。
遊びで試行錯誤する時間があるといいのだけど…。