東畑開人「野の医者は笑う」をザーッと読んだ。
面白い。
東畑の沖縄在住時代に沖縄の様々なヒーラーについて調べた話でとても軽い筆致で書かれているので異常に読みやすい。
そして登場する人たちが皆んな魅力的だ。
「野の医者たちは癒す機会を欲している。そのことで自分自身が癒やされるからだ」
果たして自分も半分ヒーリングのために仕事をしているように思える。
かつてアニメに癒されたように他人を癒したい、他人を癒すことそのものが自分の癒やしにつながっっていると言う訳だ。
いろんな仕事であるあるの話だと思うが、実際アニメ業界のクソ安いギャラで皆んなが作品を作り続けてきた原動力は自分自身への癒しの効果に他ならないのではないだろうか。そう思うと色々と合点がいく。
庵野秀明もエヴァは自分と皆んなの癒し(金儲けとかも含めて)のために作った、みたいなことを話していた。(だが、さらに鬱が深まったとも言っていた)
作っている最中は、いつもこんな面倒なことやってさらに金も儲からなくて何でこんなことをやっているんだと思うことは1度や2度ではない。が、出来上がった作品が案外良くできていたりするとすぐに忘れてしまう、とまでは言わないが怒りがスーッと冷めていってしまうようなことはある。
癒し効果が絶大だったからこそ、労働環境が何十年も蔑ろにされ続けてきたと言う側面もあったのではないかと思わざるを得ない。
90年代あたりまではアニメ文化は作り手も受けても若者が担っていた。
だからこそ、そのような状況で耐えられたのかもしれない。
しかし、作り手たちはどんどん歳を取り、仕事の癒しの効果も劇的に低下しているものと思われる。
アニメ業界・高齢化問題は非常にやばいと思う。
やばいからといってすぐにどうこうなるものでもなく、アニメ業界のでだけの問題でもない。
明日はJAniCAの総会。JAniCAは多少なりとも労働環境の改善に果たした役割は大きいと思うものの、時代の変化のスピードは上がるばかりで全てに対応するのはとても難しい。
本の中に出てくる野の医者たちの多くは、困難な人生を生きている。そこには何か共感するものがあり、愛おしくもなる。
タグ: 日記
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お仕事ヒーリング【2024年06月22日】
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Hard days【2024年06月17日】
先週も黙々と仕事。
とある会議で雑談中、北米で受けてるアニメが日本と違い過ぎるという話。
ファンタジー系、ジャンプ系は根強い人気で、日本ではあまり話題にならないアニメが
配信などの上位に食い込んでいるとのことでランキングを見せてもらいつつ、なるほど。
国が違うんだから、そりゃあ人気作品が違うのは分かるのだが何が受けているのか皆んな肌感で
分からない。
アニメも漫画も、かなり海外のマーケットが大きな割合を占めるようになった今、クリエーターが
感覚的にお客さんの面白がっている勘所を掴めないというのは宜しくない。
しかし、ファンとコミュニケーションを持つ機会もなかなか無い訳だしどうしたものだろう。
マーケットが拡大していけば、良くも悪くも共通言語は増えていくのだろうけど、どこまでいっても
根本的な文化は違うわけで。
ハリウッド映画のように巨大なマーケットができたとしても、今海外映画が振るわなくなっている
ような状況になることは、いつでも考えうる。
よく分からないけど受けている状況というのも、それはそれで面白くて分からないままでいた方が
面白いかもしれない。
文化は平気で国も人種も超えていく。
最近人気になった某ちょいエロアニメのグッズを中国のファンが大量買いしていくらしいが、彼らは母国の税関を通れるのだろうか。おたくのエネルギーは、どこでも変わらない。
セクシー田中さん問題についても色々話したり…。
原作とアニメ現場で概ね上手くいっているところが多いとは思うのだが、上手くいっていないところもやはりあるようで。
なにはともあれ楽しく仕事が出来るよう願うばかりだ。
仕事の話はすぐ終わった。 -
こころ【2024年06月10日】
夏目漱石の「こころ」を仕事絡みで読んだ。
恋愛のもつれで友人に自殺された男が心を釘付けされていた、という話。
心が釘付けで体が動かないというのはよくわかる。
まだ読み始めてばかりだが、伊藤亜沙の「体はゆく:できるを科学する」は心を体が超えてゆくという話。
体が超えていくというのは、歳を食って分かるようになった気がする。
意識していることしか出来なかったら新しいことは出来ない。出来るようになるというのは体がひょいと動くようになってしまうことで、それとテクノロジーの関係というのが、この本の肝らしい…まだ読み始めたばかりなので良く分かっていない。
心と体のバランスで人は進んでいく、というのはそりゃそうなのだろうけど、大体の人間はどちらかに偏っているから上手くいかない。
私は、どちらかというと頭でっかちで体が動かない派だった。
けど、歳を食って少し変わった気はする。別に運動するようになったわけではない。
絵を描くにしても体を動かして分かることが随分ある。
逆に動かしてみないと分からないことが沢山ある。
もう少し若い時に、こういうことに気づけていればね、と思うけど、そしたら違う人生だったんだろう。
今は気楽に体を動かそうと思えるので、昔よりやりたいことが増えたかもしれない。
もちろん人生はもう長くないので凄く何かが上手くなったり、することはない事は分かっているのだが年老いた体なりに楽しめることは色々あろうと思う。
夏目漱石、あまり読んでないし、とてつもなく久しぶりに読んだが、文章の読みやすさに驚きを感じた。
そして53歳になった。 -
評伝を使って世代を語る【2024年05月27日】
webちくまで富野由悠季の評伝を藤津亮太氏が書いている。
これがとても面白そうだ。
面白そうだというのは、まだ連載2回目までだからだけど2回目でやろうとしている事が大分見えている。
よくあるやり方ではあるけれど、富野由悠季を語ることによって70〜80年台のアニメの諸々の歴史を語ろうという事だと思う。
これはとても面白い試みだ。
富野さんは本人のキャラも相まってかあまりまともに語られてきた印象がない。
第二次アニメブームの頃の歴史的な流れも実は真正面に語られてきたことはあまりないように思う。
氷川さんがロボットアニメの歴史を概観するようなものや、サブカルチャーの中の文脈として語られるくらいしか知らない。
藤津さんは大分前から評論家的な態度を取ろうとしてきたと思うが、その実仕事としてはライター的な仕事が多くて読んでいると歯痒さを感じていた。
アニメ誌などライター仕事というのは提灯記事的なものにならざるを得ない。
しかし、今回の文章は何か吹っ切れたような印象もあり藤津さんの代表作になることを期待させる。
良い批評は作品の質も向上させると思う。
漫画はある程度それが叶っている。
アニメも良い批評があった方が良いと思うが、儲からないだろうなとも思う。
80年代あたりまではアニメ誌でも批評的なことは行われていて読まれていたと思う。
しかしいつしかライトな記事だけになりキャラについてしか語られなくなった。
私がインタビューなどで答えるときもキャラに関する質問が多くて、メタ的な作り手の内部に踏み込んでくるようなことはほとんど聞かれない。
聞かれてそれがあるという訳でもないけれど。
50年近く経ってやっと、あの頃のブームや何が起きていたのかという事が語られそうな予感がしてワクワクしている。アイキャッチ画像そろそろ替えるか…。
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来月辺り告知が出来る…らしい【2024年05月25日】
1週間が経つのが早い。
先週は、お久しぶりな人たちと会って、今週はお久しぶりな人から連絡が来た。
なんと無くそういう時期なのかもしれない。
たまーーーーーに、コンタクトフォームから仕事の依頼がくるのだが今日も久しぶりに来ていた。
当然知り合いではないので新鮮味がある。
今の所、来たことのあるのは各話演出の仕事だけ。
今は各話演出の仕事は、基本的にお断りしている。
いやーー、各話演出を探すのは大変だろうなというのは自分の現場を見ていれば容易に分かる。
私は長いこと各話演出の仕事をしていた。初監督の後もしばらく引き受けていたので20年くらいはやっていたと思う。
昔から良い各話演出というのは不足しがちである。
私の世代前後だと、少し能力のある若い演出はすぐに監督に引っ張り上げられてしまっていたので中間の厚みは、いつも薄かった。
不運なことに私の前後2歳くらいの人たちは、力があっても監督になるのにえらく時間がかかった人が多い印象だ。
前後5歳くらい離れた人に華やかな人が多かった、ということもあるし、景気のせいで仕事の波が自分のキャリアとうまく噛み合わなかったという側面もあるように思う。
が、各話演出の時代の経験は、かなり生かされている。
長く各話演出をやっているような人は稀で、今は特においそれとは確保できないだろう。
どんどん高齢化もしているし若くてキャリアのある各話演出は本当に探すのが難しいと思う。
昨今スケジュールが長期化していることもあり、1年で経験できる本数は少なくなっている。
なので、若いうちに沢山数をこなすのが難しい。
スケジュールがかなり長期化して人材の確保も難しくなっているのにも関わらず、私のところにきた仕事で提示されていたギャラはそれほど上がっていないことに驚く。20年前の1.5倍くらいかな。
実際には拘束費を払っている会社が殆どになってきたので、もっと上がっているとは思うのだが、それなら最初から単価で提示するのを止めればいいのにと思う。
私が仕事を始めた30年くらい前は、まだアメリカは景気が良く合作と呼ばれる日本では放映されないアメリカの制作会社の仕事(有名なのはバットマンとか…)が結構あって、その予算は当時の単価から推察するに日本の予算の2〜3倍はあったのではないだろうか。(調べれば何か文献がありそうだけど、調べてない)
またそういう時代が来るのかもしれない、もう来ているのかもしれない。全然関係ないけれどAdobeのFireflyで、ほうれん草のおひたしが付け合わせで乗っている焼き鮭の皿という画像を生成しようとしたらほうれん草が生クリームのソースとなって焼き鮭の下に敷かれている画像が出来て笑ってしまった。モデルのバイアスのせいか日本食の画像の生成は難しいらしい。
使い勝手は、まだまだだ。
来月辺り監督作の告知が出るらしい。
ちゃんと働いています。 -
実務の感想(まだ途中)【2024年5月22日】
レイアウトのアニメーターの質は、昔とそれほど変わっていないのかなと思ったけれども、作画監督、原画は少し様相が違うのかもしれない。
原画はレイアウトを描いた本人が描くという割合が少なくなっている、ようだ。と曖昧なのはまだ終わっていないので全体像がわからないからである。
しかし、なんでこれを第2原画に撒いているのか分からない、という例を見た。
それほど上手くも無いレイアウトが時間はあった筈なのに2原に撒かれているのは何故なのだろうか。
他の仕事が詰まっていて出来なくなった、とか。
良く分からないが自分で原画までやらずに上達するのは難しいだろう。
作画監督は1話数に何人も投入されていて、当然その力量は大きくばらつきがある。
上手い人は上手い。
しかし、この人は明らかに力量不足なのではという人がいる。
昔からそういう人は居たのだけれど、これだけ作画監督の数が必要とされているということは当然力量のある人が足りなくなるわけで、だからということかもしれない。
作画監督と呼ばれる役職の仕事が昔とはかなり違っているのだろうか。
久しぶりに各話演出をやってみると発見が色々ある。
嬉しい発見、は少ないのだが。 -
絵が上手いとは…?【2024年05月21日】
絵が上手いとは、どういうことなのだろうか。
とたまに考える。
下手ではないのだけれど、演出意図を汲めていなくて結局かなり描き直しをせざる得ないという人がいて先週はだいぶ手こずった。
アニメーターに対して絵が描けていない、などという評価は仕事をしているとよく耳にしたり自分で言うこともあるのだが、これには大きなグラデーションがある。
パースのような立体・空間が描けない、キャラクターのいわゆるキャラ似せと言われるようなキャラクターの特徴を捉えるのが上手くないとか、絵コンテに書いてある演出意図が汲めていないなど相互に関係しながらも違った要素で描けないということを分けられる。
絵を描く目的としては、誰かに何かを伝えるということが主眼にあることがほとんどだと思うのだけど裏返すと伝えたいことさえ伝われば良いと言える。
さて、伝えるために必要な絵には、どういった技術が必要かということを考えるとなかなか難しい。
透視図法を完璧にマスターしていれば伝わる絵が描けると言うものでもない。
今のアニメーターというかアニメーションに求められている絵の主流は基本的に立体・空間を表現するというところにある。
キャラクターも擬似ではあっても立体を表現するような造形とその再現が主流になっている。
これはCGアニメーションが得意とするところなので、CGアニメーションの隆盛も頷ける。
むしろ手描きのアニメーションで正確な立体・空間を表現するのは非効率的と思える。
また同一のキャラクターを破綻なく物語上で描き続けるというのもCGの方が得意である。
CGではモデルを一つ作れば、それを担当アニメーターが使えるので基本的にキャラクター造形の同位置性が担保される。
同じモデルを使っても角度などによって随分キャラクターの顔の造形が変わって見えるという問題がCGにはある。
こいうものは手描きが得意である。
得意ではあるが、人によって解釈や理解、再現度が違うのでばらつきが大きい。
最近のアイドルアニメがCGによる制作が多くなってきたのはバラつきのリスクが手描きよりCGの方が小さいと見られているからだろう。
昔からではあるが、昨今制作本数の増加によって均一な力量を持ったアニメーターを集めるのはかなり難しくなっている。
キャラクターが似ていないということは、我々が作っているようなアニメーションにとってどういう意味があるのか。似ていなくてもお話を伝えることは可能だ。
話を伝えるというだけなら、絵の描けない演出家が描く絵コンテの絵でも意外と伝わるものだし、漫画家の描くネームもかなり大雑把な絵で描かれているが、それでも伝わるのであれば、それで必要十分とも言える。
しかし、絵コンテがそのまま放送されることは無いしネームも雑誌には載らない。
今はとにかく人材を育てるのだ、という方向でアニメ業界は進んでいる。
それは良いと思うのだが良い絵とは何かということについて、深く考えられてはいないし、将来粒ぞろいのアニメーターが沢山現れるということも考えにくいように思う。
工業製品のように手書きアニメのキャラクターを生産するのは難しい。
私的には今求められているようなものとは全く違う絵の表現で何か出来ないか、と考えてしまう。 -
随分間が空いてしまった。デジタル環境などについて思う事【2024年05月15日】
相変わらず切羽詰まっていて、ブログなんか書いてないで仕事しろよと思われそうな状況が続いている。
今月を抜ければ少しはマシになるかもしれないが。
久しぶりに演出の仕事をしている。
世間というか業界人は作品数が増え過ぎて、スタッフのレベルが下がったという人が結構いるが私自身はそれほど変わりないと感じている。
私の担当は初回だしメンバーもそれなりに気を遣っているということは言えると思うが、いい感じというわけでも悪くもなく、まあこんなもんだろうなというアベレージのスタッフクオリティだ。
もちろん下を見ればキリがないだろうし上もまた同じ。
業界をくまなく見て回っているわけでもないけれど、今仕事をしている制作会社のランクでこのくらいのスタッフということから全体を推察するに、むしろ悪くない、という程度に落ち着いている様に思う。
長い間、クオリティーの高い現場で働いていた人から見れば、多くの現場はいつでもレベルが低いだろうし、レベルの低い現場しかし知らない人にとっては、やはり現場は常にレベルが低い。
私は、あまり作画が凄くいいという現場は知らないが、それでも標準より上は見ていると思うし下もまたそれなりには知っているとい平均的なレベルのスタッフとして30年ほど働いてきたという自覚があるが、その感覚からすれば平均レベルはあまり変わらない、むしろ良くなっているのではないかと思う。
1話数の中にも凄く上手い人とすごく下手な人というのは常にいて(下手にはいろんな理由があるが、とりあえず置いておく)その感覚が上の方に傾いて差異が小さい(つまり上手い人がいて下手な人が、それほど下手ではない)ほどスタッフのレベルは高いと言えるのだが、今やっている仕事は私の感覚的には中の上くらいというレベルなので制作会社の規模を考えるとかなり健闘していると言える。
この制作会社で、このスタッフが集まるのなら業界全体のレベルは満更でもない。
これ以上、作品のクオリティやスタッフの待遇を改善していくためには、制作の効率化などの人的な問題以外の問題を潰していくしかない。
20年ほど前のデジタル環境の導入は大きなトレンドだったが、道半ばで止まり、技術的な制作環境の変革は遅々としている。
もう既にある技術でも色々な可能性があるが、日銭を稼ぐのに精一杯で新しい試みにのり出せているスタジオはわずかだ。
日銭を稼ぐのに汲々としているスタッフとそれなりの収入があっても新しい技術に前向きではない人たちが変革の足を引っ張っている。
業界で出資をしあって作画ソフトを開発するだけでも、大きく生産性は上がる可能性はある。
しかしその様なことが起こる可能性はかなり低い。
AIはもっと個人レベルで、そのような制作環境を大きく変えられる可能性があるので私はかなり期待している。
来年以降になれば映像でも仕事に使えるレベルのAIが出てきそうだ。
今もあるのかもしれないが、権利や倫理などの問題が大きく横たわっているので簡単に出せないという事は考えられる。
私はフルデジタルで仕事をする様になって10年ほどになるが、デジタル環境になってもかなり非効率な作業の仕方を強いられていると思っている。
デジタル環境の可能性の半分も享受できていないのではないか。
もっと制作効率が上がれば個人の時間も増え、より良い作品作りに資するだろうと思う。 -
繁忙【2024年04月30日】
4月は忙しくてこれを書く暇もなく記憶が脱落している。
仕事は少し予想はしていたものの、てんやわんや。
若い頃ほど体は動かないので、出来ないものは出来ないのだが。
ある程度知っているスタッフと作品もシリアスではないので気分が重いわけではない。
そして久しぶりに演出の仕事を引き受けている。
ちょっとした、やり方やコツを忘れていたりして余計な時間がかかっているが、手を動かすうちに思いだしてきている。思い出したからといって体がついて来ているわけでもない…。
昔の様に放送に追われて落ちたら違約金か…というような状況は今はほとんどない、と思う。
(なんか改行が変…。というかSHIFTを押しながら改行すれば一段空かないということを今学んだ。)
なので、切羽詰まっているものの、なる様にしかならんだろうで済ませている。とにかく人手不足な状況は解消される見通しがないのでAIの活用は必須になるだろう。
とはいえ、映像だとまだHDの出力もハードルが高い様なので仕事で使える様になるには時間がかかるかもしれない。
遊びで触りたいけれど、いつになったらそんな時間が取れるのか分からない。
adobeのfireflyを少し試してはみた。猫の画像を作ってみたがあまりに簡単で面白い。
自分の狙った画像が出すのは難しいので、かなり工夫が必要そうだ。音楽も浸って聴く時間がないので昔の曲ばかり流している。
Youtube musicのおすすめで出てくる新しい曲は当たりの確率は低い。Youtubeで園芸チャンネルばかり流している。
アジサイが欲しいけれど買いに行く暇がない。
もうシーズンが終わってしまう。
狭い庭でも鉢などで結構色々出来そうで、映像で出てくる庭はどれも魅力的で癒される。
やりたいことが溜まっていくばかりで、どうしたものか。現代美術館でやっているホー・ツェーニンも見に行きたい。
オッペンハイマーもチケットは買ったものの、タイミングが掴めない。頭がまわらない。
まずは仕事を終わらせよう。 -
春だから【2024年04月06日】
SNSを見ていたら、春を期に事務所を退所したという人が増えていた。
業界を辞める人もいるし、移籍するだけの人もいる。
かつて一緒に作品を作った仲間で業界を去る人に対しては、いつも少しだけ申し訳なさを感じる。
自分の作品にもう少し力があれば続けられていたのか、とか制作環境がもう少しマシだったら良かったのか…とか。
色んな事情があるので、それはこちらからは知り得ないし、一個人が力になれることなど少ないのだが。
私もいつ辞めても構わない、と思っていた。しかし他に出来る事もなくズルズルと続けてきたような質である。我々の様な仕事が続くかどうかは半分くらい偶然なのかもしれない。
業界の労働環境を改善しようとみんな頑張っているが、労働環境の問題と仕事が続くかどうかは別の問題という面もある。
どんな仕事でも向き不向きはあるし、やってみて初めて向いてない事に気づくということもある。
気づいたら早めに方向転換できた方が良い。
環境が良ければ花開いたのかもしれない才能を持った人はたくさんみてきた様に思う。
しかし仕事の才能があっても、それが人生の幸せに直結しているわけでもない。
どういう選択が自分にとって良かったのか、人間には選択した後の人生しかわからないので知る由もないが、なるべく後悔がないと良いとは思う。
やらずに後悔するよりはやって後悔する方が後悔の度合いは少ない…ような気はする。
新しい道に幸あれと、若人の背中を見つめながら祈るばかりだ。