少し前、朝に霜が降りていて(多分寒さで)枯れかけていたオキザリスはもうダメだなぁという状態。
しかしアネモネなど寒さに強いものは元気である。
寄せ植えにしていた植物で幾つか寒さで傷んでしまったものがあるので植え替えしたいが、仕事が切羽詰まっているのと、こう寒いと植え替えがちょっと危険なので悩み中。
日本海側は雪が多くて大変そうだ。
太平洋側は来月頭あたり降るのだろうか。
思っていたより、暖かめの冬なので過ごしやすい。
木の実マスターは年明けと同時に配信はしていたけれど、7日から地上波の放送が始まって、Twitterなど見ていると結構見てもらっているようで驚いている。
異世界転生ではないのだけど、ファンタジーというジャンルのファンが沢山いるのがよく分かった。
沢山見てもらえているというのは純粋に嬉しい。
比較的好意的な感想が多いのもホッとしたところではある。
SNSだけを見ていても最近は反応が分かりにくくなっている。
TwitterというかXから離れたヲタクたちも多い、とうことと今の日本のアニメのお客さんの半分くらいは海外の人たちになってしまったことが大きい気がする。
海外の反応は結構積極的に探しに行かないと出会えないので、なかなか嗅ぎ取るのは難しい。
しかし、何かファンコミュニティーの反応を探る場所があるといいと思うのだが…。
全修。というアニメの1話を見た。
全修はアニメ業界用語で上がってきた絵を全て直してしまう事だ。
やられた方にも、する方にとっても悪夢的な作業である。
作品冒頭で監督が全部修正と言っているままの意味である。
前修だけは避けたい。
なぜ全修を見たかというとキャラクターデザイナーが石川佳代子嬢だからだ。
彼女はアイカツ!の時、とても活躍してくれた大恩人。
アニメ業界には珍しく、独自のセンスを持ったまま仕事を続けている稀有な存在だ。
というわけで、気になって見たのだけれど石川節はしっかり発揮されていて面白かったのだが、それよりも企画のコンセプトが面白くてひっくり返ってしまった。
以下ネタバレを含む。
アニメSHIROBAKOとファンタジー(石川佳代子を使っているので)を掛け合わせたようなものになるのかなあと予想していた。だが、今流行りの異世界転生ものじゃないですか。
アニメーターが異世界に転生し、さらにアニメパロディーも積極的にやるというという、パッと思いついたネタを瞬間接着剤でくっつけた様な企画を超絶作画で作っていて、これは面白い。
ノリとしては銀魂みたいな作品に似ている。
パロディーの選択も1話は度メジャーな作品を取り上げていて、毎度これをやるんだったら、どんな作品を選ぶかが成否に関わりそうだ。
一見マニア向けの様な企画だが、凄いメジャー志向な作品なので行く末が楽しみだ。
パロディーは我々が子供の頃に比べると非常にやりにくくなったが、こういう軽いノリの企画が許されて、そこそこ儲かるならアニメの未来は明るいのかもしれない、と思える。
海外でどう見られるのかも気になる。
ぜひ成功して頂きたい。
タグ: アニメ
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全修見たり【2025年1月10日】
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暴力とアディクション【2024年10月21日】
最近読んだ本、信田さよ子「暴力とアディクション」
現代思想に書かれた短編の文章をまとめた本。大変面白い。
タイトル通り暴力とアディクション(中毒)が如何に関係しているかというテーマが主に取り上げられているが、そこには深く家族が関わっている。
信田のキャリアはアディクションから出発しているので、どちらかというとアディクションが先にあってそこに暴力がどう関わっているのか、という構図。
この本だけで沢山、物語のネタが出来そうな内容である。
アディクションの代表的なものとしてアルコールがある。
アル中への対処がアメリカで進んだのは、ベトナムからの帰還兵が沢山アル中になり、家庭の中で暴力を振るい、それが問題になったかららしい。
中毒は様々な社会問題と通底している、という具体例が様々示されている。
アルコール中毒に限らず、全ての中毒・依存症は自己治療的である、ということが随所で語られているのだが、これは普通の人間でも多かれ少なかれ思い当たることがあるだろう。
趣味でも仕事でも、のめり込んでいるもの・行為は自己治療的な側面がある。
それがなければ生存が危ういかどうかが依存症かそうで無いかの分水嶺だ。
中毒・依存症は本人にとっては治療的なので止めたくないが、周りが迷惑しているので止めさせたい、という構図が依存症治療の難しさらしい。
そりゃ大変だろう。
貧困、ジェンダー、家族、戦争、ありとあらゆるものが暴力・アディクションと関係していて、これは表立って取り上げるかどうかはともかくとしても、物語を作るとき考えるべき事象だという気はする。仕事をしながら流し見していたNETFLIXのガンダム(CGのやつ)が面白かった。
ちゃんと戦争ドラマをやろうとしていて好感がもてる。
実際の戦争はもっとえげつないけれど、ライトにでも戦争について考える様な作品を作ろうとする姿勢はファーストガンダムと通じるものがあって好きだ。
一貫してガンダムを恐ろしいものとして描いているのだが、こういう描き方を許容できるのか、というのも少し驚いたし良いことだと思った。引っ張っていたコンテを終わらせたが、わんこそばの様に次は控えている。
まあまあ出来は気に入っている。
作画がどれくらい頑張れるかはわからんけれど。
細々した仕事を今週は片付けなければいけない。
10月は、あと10日ある。
将棋の竜王戦も3局目が終わってしまった。
佐々木勇気が1勝あげて面白くなってきた。
毎年、竜王戦が始まるともう今年も終わりだなと思う。
来年は試練の年(別に辛いことをやるわけでは無いが)で慣れない仕事をやらねばならぬ。
なので、なるべく終わらせられることは全て今年のうちに終わらせてしまいたい。
しかし、先の仕事はさっぱり決まっておらず…まあこうやって何十年か生きてきたのだから何とかなるだろう、とこういう文章を書いているのも自己治療なんだろう。そういえば、久しぶりに自分の仕事の告知が出たのを忘れていた。
ファンタジーをやるのは初めてだが、昔の少年漫画のようなノリの原作だし、気分的には楽しかった。
現場色々あって予想以上に大変ではあったのだが、今どき大変で無い現場ほとんどなかろう。
今アニメの制作スケジュールはとても伸びていて、12、3本のシリーズを作るのに丸々1年くらいかかるのは普通になってきている。
なので告知も全然できない。
次はいつになるのやら……。 -
ストリーボード作成で学ぶ演出(のための準備)【02】
chatGPTが出してきたストーリーボードを新人に教えるための項目
- 目的の理解
- シナリオの解釈とシーンの分解
- カメラワークの基本
- 構図とレイアウト
- キャラクターの動きと表情
- シーンの繋がりとテンポ
- 映像言語の使い方
- ライティングと影の活用
- 音響や音楽の考慮
- フィードバックの受け入れ方
これはこれで的を得ていると思いつつ私が普段教える時は、以下のような要素を意識している。
- カメラの高さについて
- サイズの選択について
- 写す対象について
- イマジナリーラインの理解
- 二人の会話
- 三人(多人数)以上の会話
これだけ。これだけというか、2人の会話も3人の会話もイマジナリーラインのサブ項目なので、大体4項目。
普段は描いたコンテとシナリオをもらって添削のような形で教えることが多いのだけど、やはりあまり難しいことを言っても伝わらない。ので、なるべくシンプルに教えようと心がけてはいる。
シナリオの解釈は頭の1、2、3に関わるのだが、ここはとても難しい。アニメの絵コンテでは、実写では別の役職が担っている仕事を一手に引き受けているため、新人さんは混乱してしまうことが多いという気がする。
・映像のつながりを決める
・キャラクターの演技を作る
このうち演技の方は、実写では主に役者が担っているのだけれど、アニメの場合演出家(の描いた絵コンテ)でかなりの部分を想定することを要求される。
この演技を考える部分が、かなり難しくて教えるのにも困難がある。私もあまりまともに教えられる気がしない。
しかし、映像のつながりを決める部分に限定するとそれほど難しくは無いのではないかと思っている。
まずは、この2つを分けて考えることがストーリボードの理解の助けになるのではないか。
その場合、シナリオの解釈はどこまで必要なのか?
シナリオの読み方をそもそも先に教えた方が良いのではないか?
という気もしてくるが、それはそれで大変なことなので、なるべくシンプルに同時に教える方向で考えてみたい。
シナリオの解釈を教える場合、「誰が、どこで、何を、どうした」5W1Hの理解と表現が基礎。
あとはキャラクターの感情とそのつながりの理解。演技はそれ単体で非常に奥深い技術が蓄積されていると思うが、私は詳しくないので調べる必要あり。
演技メソッド的な本はたくさん出ているのである程度漁ればざっくり把握は可能かと思われる。
アニメの演技は表現の幅など人間のそれとは違う。
またアニメ的キャラクター独特の表現の難しさ(視線の問題など)があるので、そこは教えられると良いかもしれない。絵的な表現についても私はあまり詳しくないので、ざっくりと調べる必要あり。
パース、構図の一般的な技術など。・対象の選択
超初心者向けに教える内容と中級者以上向けに教えるのでは内容が大幅に違ってくる。
まずは超初心者向けの内容について考えてみるか。やはり重たいが、まあ進めてみよう。
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ストリーボード作成で学ぶ演出(のための準備)【01】
たまーに若い子に絵コンテを教える機会もあり、なかなかオーソドックスな絵コンテのスタイルや描き方は教えられていないのだなと思うことがしばしばあった。
なので、絵コンテに興味がある人向けに教育的メソッドを作ってみようと思い、しかし一から作るの手が掛かるのでどうしたものかと思っていたが、電車の中で半分暇つぶしに、絵コンテ制作を新人演出に教えるアイデアを提案せよとChatGPTに投げてみたところ、意外とまともなアイデアが返ってきて大変驚いた、と共にこれを叩き台にして作れば、あまり時間をかけずに出来るかもしれないと思ったので早速始めてみることとする。
以下はchatGPTの提案である。ChatGPT
新人の演出家にストーリーボードの描き方を教える場合、基本的な技術から応用まで段階的に教えることが効果的です。以下の順番で教えると、理解が深まりやすいです。1. ストーリーボードの基本的な目的を理解する
- 目的の説明: ストーリーボードは、シナリオを視覚的に整理し、映像の流れを決定するツールであることを説明します。キャラクターの動きやカメラの視点、シーンの構図などを計画し、チーム全体に作品のビジョンを共有するために使われることを強調します。
2. シナリオの分解と解釈
- シナリオの分析方法: まず、シナリオをシーンごとに分け、必要な演出要素(アクション、対話、感情表現など)を把握する方法を教えます。
- 重要シーンの特定: ストーリー全体の中で特に重要なシーンやクライマックスを特定し、その部分を重点的に描く技術を学ばせます。
3. カメラワークの基本
- 視点とアングルの基礎: 視点(主観/客観)やカメラのアングル(高い視点、低い視点、横からなど)の違いが映像に与える効果を説明します。
- カメラの動き: パンやズーム、トラックなどのカメラの動きをストーリーボードでどう表現するか、動きに合わせてシーンをどう切り替えるかを教えます。
4. 構図とレイアウトの基礎
- 三分割法や視線誘導: 三分割法などの基本的な構図のルールや、観客の視線をどこに誘導するかを学びます。
- 空間の使い方: キャラクターやオブジェクトの配置が、シーンの緊張感や動きにどのような影響を与えるかを説明します。
5. キャラクターの動きと表情の描写
- アクションの分解: キャラクターの動き(歩く、話す、戦うなど)をどのようにコマ割りで描くか、動きの流れやスムーズさを意識したストーリーボードの作り方を教えます。
- 表情の変化: キャラクターの感情を伝えるための表情の変化をどのように描き、シーンに反映させるかも重要です。
6. シーン間の繋がりとテンポ
- シーンの切り替えと繋がり: シーンのスムーズな切り替えや、ショット間のテンポの取り方を説明します。カット間のリズムやテンポ感が、視覚的な効果や感情の高まりをどう変えるかを学ばせます。
- テンポとリズムの重要性: アクションシーンと静かなシーンの対比や、リズムを意識した編集の仕方を教えます。
7. 効果的な映像言語の使い方
- 象徴やメタファーの導入: ビジュアルに意味を持たせる方法や、観客に暗示的に伝える演出手法を紹介します。たとえば、特定の色や形がシーンにどのように意味を加えるかを学びます。
- サブテキストの表現: キャラクターが話している内容以外の、裏の感情や状況を視覚的にどう表現するかを教えます。
8. ライティングと影の活用
- 照明効果の理解: 光の当たり方や影の使い方が、キャラクターやシーンの感情にどのような影響を与えるかを説明します。
- 時間帯や天候の表現: ストーリーボードで時間の流れや天候の変化をどのように描写するかを学ばせます。
9. 音響と音楽の考慮
- サウンドキューの入れ方: ストーリーボードには音響や音楽の指示も含める場合が多いため、どのタイミングで音が入るか、シーンに合わせた音響演出の指示を追加する技術も教えます。
10. フィードバックの重要性
- フィードバックを受け入れる姿勢: ストーリーボードはチームで共有するものであり、他者からのフィードバックを受けることが重要です。建設的な意見をどのように反映させ、より良いストーリーボードにするかを教えます。
教える順番のまとめ
- 目的の理解
- シナリオの解釈とシーンの分解
- カメラワークの基本
- 構図とレイアウト
- キャラクターの動きと表情
- シーンの繋がりとテンポ
- 映像言語の使い方
- ライティングと影の活用
- 音響や音楽の考慮
- フィードバックの受け入れ方
新人には、まず基本的な要素を学ばせ、徐々に複雑な技術やクリエイティブな要素に移ることで、全体的な理解を深められるようにすると良いです。
とのことだった。
かなりそれっぽい。
イマジナリーラインについて触れられていなかったので、
あなた:イマジナリーラインについて教える場合、上記の項目の中の何処に追加するのが良いですか?
と質問すると以下の答え。ChatGPT:
「イマジナリーライン(180度ルール)」は、カメラワークの基本やシーン間の繋がりとテンポに密接に関連しているため、これらの項目の間に追加するのが良いです。
具体的には、以下の位置に追加することを提案します:3.5. イマジナリーラインの理解
- 180度ルールの説明: イマジナリーラインとは、シーンにおけるキャラクターやオブジェクトの位置関係を保つために、仮想的に引かれる線のことです。カメラがこのラインを越えて位置を変えると、観客がキャラクターの位置関係や動きを混乱する可能性があるため、基本的にはラインを超えないようにします。
- シーンの連続性: イマジナリーラインを守ることで、視覚的な連続性が保たれ、観客が自然にシーンを理解できることを教えます。
- ルールの活用と破り方: ルールを意図的に破って感情の変化や混乱を演出する方法もあるため、その使いどころについても説明します。
このように、カメラワークの基本に関連した要素として教えるのが最も自然で効果的です。カメラアングルや視点と密接に結びついているため、このタイミングでイマジナリーラインの概念を導入すると、より理解が深まります。
なるほど…と感心。
これをさらに詳細にしたアイデア出しもしてもらったのだが、一般的に教えていそうな項目を多数並べてくれた。
が、詳細になるほど抽象的になっている印象。
しかし、根本的なことには何も触れられないまま、理屈めいた映画の理論が教えられていることは今も普通に起こっていそうな気がする。
そもそもの話ではあるのだけれど、映像文法は数学のようなものではない。
音楽のメソッドなどに近い。
短調は長調に比べると暗く聞こえる、と言われているが、それは数学の法則のように理由が説明されているわけではない。(認知心理みたいなもので説明を試みられてはいるのかもしれないが)
ポップスのコード理論なんかも、こういうフワッとした経験知的なものをベースに作られていると思うのだが、映像文法も似たようなものだと思う。
ほとんどの事は経験的な感覚を下敷きにして作られているので、時代によって変わることもあるだろう。
歴史、積み上げてきたものが大事なのだ。
理論は割とフワッとしたまま、感覚だけで作品を作っている演出家も少なくはないと思う。
私も大学で多少教育は受けたもののかなりフワッとしたまま、言語化しないまま仕事をしている部分も多い。
しかし、経験に頼りすぎるのは若い人が演出を学ぶ時、人によってはえらく時間がかかってしまう原因になりやすいように思うし、全く出来ないまま終わるということにもなりかねない。
映像文法は今まで人間が「映像から物語を理解する」にはどうしたら良いかという経験知の集積なので、そういう意味で有用だと思う。
私は映像文法の基本部分は極めて簡単だと思っていて、骨格だけ覚えたら、あとは経験値で膨らませ応用を考えていく他にないように考えている。
GPTが挙げていることは重要だが、「物語を映像で表現する」ための方法という映像全般の技術の中の限定的な分野の事でしかないので、全部を理解している必要はないし重要度も項目によってかなり違う。
4の構図とレイアウトについてなどは私の場合はかなりいい加減に考えている。
色々整理しながら、初学者が分かりやすいようにと、形式主義に陥らないように演出の基本をストーリーボード(絵コンテ)作りから学べるような方法を考えてみようと思う。
まずははここまで。 -
ソニーのアニメ制作用ソフトとか【2024年08月25日】
制作中のアニメのアフレコが終わったりで少しほっとした週末。
多少、打ち上げっぽいことも出来るようになった昨今、役者さんとも少し話ができて楽しく過ごした。
土曜はロロの「飽きてから」を内古閑さんと観劇。
いきなり別れ話から始まるようなところが、今までの三浦さんとは少し違う感じ。
食事についての会話がいきなり別れ話に接続してしまうのは面白くもあり、とてつもなくリアルな感じもして、胸がギュッとする。
時制の繋ぎ方の面白さは相変わらずでどうしてこんなことを思いつけるのかと毎度思う。
短歌をシーンの間ごとに挟むという趣向は、考える間隙が生まれるようでなかなか良かった。
鈴木ジェロニモが歌う「瞳を閉じて」も最高だった、劇中では涙を誘うまでに至らず失敗という設定なのだが笑えながらもしみじみと響く。
ジェロニモ?何でそんな名前?と思って調べたら芸人さんらしい。
Rー1で準決勝まで行ったというwiki情報を知る。
短歌が趣味らしく、それもあってのキャスティングなのだろう。
終演後、側にいた客の会話が聞こえてきて、結構有名な歌人も見にきていたことを知る。
移動のタクシーの運ちゃんが自民との総裁は誰が良いと思うかなどと問うてきた。タクシーで政治の話などしていると危ないんじゃないかと思うが余計なお世話か。大谷翔平の話も振られたが、前日たまたまテレビでニュースを見ていたので会話になった。
ソニーが開発しているというアニメ制作用のソフトは仕上げ機能も組み込んであって、どうもガチで使えるものになりそうだ。
朝日新聞の記事によると仕上げ機能から現場投入されるようで、RETASの保守が効かない事への危機感から開発されたことが窺える。
もう10年以上前にRETASの開発は打ち切られているのだが、放置され続けてきてアニメ業界の不甲斐なさを思い知らされていたが、ここにきてやっとRETASの代替になりそうなソフトが出来そうだ。
他にも仕上げのできるソフトはあるのだが、RETASとは思想が違って、同じような素材を作るための使いやすさがだいぶん違った。
RETASの素材に業界全体は特化しすぎてしまっているのもどうかとは思うが、共通フォーマットがあるからこそ現在のような物量でアニメが作れていることは間違いない。
後継ソフトは悲願というと大袈裟だが無くては立ち行かないだろう。庭の木を切った枝にコガネムシが付いていた。
コガネムシの幼虫は花木の根を食い荒らすので害虫とされているのだが、ゴミ袋に突っ込むのも忍びないので、そっと地面に置いた。 -
「体はゆく」「言語の本質」【2024年07月31日】
暑すぎる。
日傘を差す男性も最近はだいぶ増えた。ただ歩いてるだけでも頭が痛くなってくる気候では必須アイテムになりそう。特に中年以降には。熱中症になるより傘を持ち歩く面倒くささの方がマシだと思う。最近読んだ本。伊藤亜紗「体はゆく」、秋田喜美・今井むつみ「言語の本質」
「体がゆくは」どのように人間の体が出来るようになるかをテーマにテクノロジー系の研究者を取り上げて対談形式で研究を語っている。
ピアノ練習を補助する装置として指に機械を装着して教師や自分のベストな演奏を指先に再現する技術というのが出てきて自分の体にベストな動きを再現することで体で理解することができる、という話が面白かった。
けん玉などもバーチャルで練習すると意外に皆出来るようになるとか。
絵でも上手い人が絵を描く動きを体に再現させることで上達するかもしれない。
絵を描くという行為もかなり身体的なので体で覚えるというのは必要、とにかく描けというやつである。
しかし盲滅法に体を動かしても当たる確率は低めなので体を動かす装置があったら大分効率は良さそうである。
スポーツ選手がビデオで自分がベストの時の映像を見るというのもその類のようで、上手い人が絵を描くのを後ろか見ると同じような効果があるのかもしれない。
体が頭というか意識に上らないところで動いていて、それを使って意識や体に変容をもたらすことが出来るというのは面白い。
頭と体の関係は一筋縄ではない…というか頭も体の一部なので分けて考えるということで見失ってるものがあるのかもしれない。「言語の本質」もなかなか面白かった。
オノマトペというのは言語の原初的な形で、そこから言語がどのように作られていったのか、という仮説を組み立てている。
前半はオノマトペが言語の中でどういう立ち位置なのかという検証(実験などを紹介しつつ)なのでちょっとまどろっこしくて飽きてしまうかもしれないが、ざっくりとばして後半の面白いところだけ読むのでもいいかもしれない。
オノマトペがアイコン性の高い言葉(ビジュアル的なアイコンと似たような)で音の具象をもしたところから始まっている、なので幼児と会話する時にオノマトペが用いられることが多い、ということだけ押さえれば後半は問題なく読めると思う。
記号接地の問題について論じたかったというようなことを著者の一人である今井むつみが話していたので読んだのだが、オノマトペは記号接地のキーワードということらしい。
なるほど、ではある。
あ、記号接地の話に興味がある場合は前半も面白いかもしれない。先週末は、ものすごく久しぶりに大橋彩香のライブに行った。
もうすっかり貫禄のついたステージで、年月を感じる。
日本のポップカルチャー最前線はマンガ・アニメ文化の周辺にあると思わされた。少し仕事の待ち時間があったので噂の「ルックバック」も昨日見られた。
なるほど、丁寧に作っている。
短いのでちょっとした隙間に見られるし、この形態が成功したらアニメ興行の新しいスタイルになるかもしれない。
話の筋は概ね原作通りなのだろうか。原作は未見。
監督が思い入れて作っているのは、この話の主人公に自分を重ねているからなんだろう。
思い入れて作っていなければ自分でほとんどの原画を書いたりはできない。
私も主人公の気分は分かりすぎるほどによく分かる。
が、感動したかと言われると、ピンと来なかった。
周りでは若者が啜り泣いていて、帰りのエレベーターでも感動を口にして語らっていた。
私はというと淡々と見られてしまった…それは何故なのか考えてみると面白そうだと思う。
ちょいネタバレあり。
劇中でのテーマそのものだが、素描力があるということと伝わる絵が描けるというのはニアイコールで同じではない。
これは、そのまま当の映画に批評的に向けられてしまう視線でもありうる。
年齢によっても感じ方は違うかもしれない。
私などはそりゃそうだろう、と思うラストなのだが、若者なら強いカタルシスを得られるかもしれない。
短尺の漫画道みたいな話なので、短尺ゆえの話の作りの難しさもありそうだ。
主人公と観客の距離感の取り方は少し遠めに作ってあるのではないか、といのは私の印象で、それは感動ポルノみたいな印象を上手く避けている一方、主人公を分かりにくくさせているのかもしれない。
スラムダンク前半のクールさを彷彿とさせる。
大学での凶行イメージはドラマ的には不要だったように思うが、原作ものでもあるし主人公の漫画とも絡むネタではあるからカットは難しいにしても、もっと淡白にした方が分かりやすかったかもしれない。
クリエーターあるあるみたいな作りの主人公の話なのと、ビジュアルの力が非常にあって、色々考えてみたくなる作品であった。 -
今週読んだ本とか【2024年7月14日】
自分ごとでも嫌なことでも無いのだが、とある事があって今週はずっと憂鬱な気分だった。
しばらくは引きずってしまいそう。
久しぶりにアニメ関係の本を買った。
「TOROYCAアニメ撮影テクニック」「井上俊之の作画遊蕩」「アニメーション動きのガイドブック」
TOROYCAの本は最近のアニメ撮影の雰囲気を知るのに良い。
メインの著者TOROYCAの取締役でもある加藤くんは私の初監督作の撮影監督でもあり、今や数々の作品の撮影を担当している。もう一人、一番担当記事が多い津田くんは最近の新海誠作品の撮影監督でもある。
基本的にかなり作り込むタイプの撮影。
もう少しぱっと見は分からないような処理を重ねるタイプの撮影もいる。
売れ筋の作品は撮影で作りこんでいるものが多い印象なので主流と言えるんじゃなかろうか。
本には細かなプラグインなども記載してあるので本業の人が見ても参考になりそう。
私はよく分からないので雰囲気だけ味わった。
井上さんの本は、遊蕩というには極めて真面目にアニメのレイアウトについて語っているのだけど、井上さんの語り口が熱っぽくてとても良い。
井上さんのようなベテランが今だに熱量高く仕事に対峙しているというのは胸が熱くなる。
本の中で提唱されているレイアウトキーポーズ制度。
昔のレイアウトはシートにはラフなタイミングしかないかタイミングは書かれておらず、原画のように細かな演技は描かれておらず背景の発注に必要なキーになるポーズだけ描かれているだけだった。
現在はラフ原画がレイアウトの時に描かれるのは当たり前になっていて、しかしそれらを作画監督が修正するのは難しいし不可能なのでキーポーズだけにしてレイアウトを描き、作画監督が修正したものを原画マンに戻した方が効率的、大雑把にいうとこんな事だ。
昔は、その通りのシステムだったのだが、幾つかの理由からこのやり方は現在は使われていない。
一つ大きな問題は音響スケジュールとの関係性。
全て絵が完成してからアフレコ以降の音響作業が行われるようなスケジュールなら、上記のレイアウトキーポーズシステムは十全に機能する。
しかし、絵のスケジュールの遅れから絵が完成しないまま音響作業に突入せざるを得ない現場は昔から沢山あった。
特にテレビアニメーションであれば放送日に間に合わせるために絵と並行で音響作業を進めなくては行けないという事がよく起こった。
これが90年代後半に深夜アニメが増え始めてから、スタッフが足りなくなっていきスケジュールは劇的に悪くなっていく。
せめて、原画作業まで終わっていれば音響作業は何とかならなくも無いのだが、それも出来なくなっていき、レイアウト撮と言われる状態で編集から音響作業をしなければならなくなっていく。
そこで問題になるのがキーポーズしかないレイアウトで、キーポーズは原画ではないから大雑把な動きしかわからない。さらにタイムシートも付いていなかったりする。
初めは原画にならなかった残りのレイアウトのキーポーズは原画マンに戻してラフ原画(!)にしてもらったり演出や作画監督が絵を足して編集に対応する事で、ギリギリ何とかなっていた。
しかし、それも量が多くなると対応しきれなくなり、であれば最初からラフ原画を描いてもらった方が良いじゃないか、というような流れで急速にレイアウト・ラフ原制度に変わっていった。
その他にキーポーズだけに作画監督が修正を入れるケースでは、まともな原画マンであれば良いのだが作画監督の修正があるところだけしか形が描けない、あるいは第2原画に出されて、やはり修正のあるところしか拾えない、あるいは修正のあるところすら拾えないみたいな事態も起こるようになっていったのも一つの要因という気がする。
他にも理由はあると思うが、大まかにはこんなところか。
みんな現行の体制に慣れきってしまっているので、修正は難しい問題が横たわっていると思うが効率良い制作体制は考えないと辛いばかりというのはそうだろう。
アニメーションの動きのガイドブック、は動画協会でやっているアニメーションブートキャンプというワークショップの内容をまとめたものだ。まだちゃんと読んでないが…。
単純な作画の技法書というよりは、劇団なんかがやっている役者へのワークショップに近いものがある、と思うし実際参考にしているようだ。
作画以前の演技とか人に伝えるとは?みたいなことを扱っていて文章多めで技法書っぽくないのであるが、これは意外と面白い。
スタジオで新人に何か教えるような事がある人は読んでおくと参考になると思う。
作画だけでなく色んな職種の人が読むといい。
デジタル環境が整えば商業アニメも、もう少し表現の幅が広がると思うのだが、そこまでいくにはまだだいぶ時間がかかりそうだ。
遊びで試行錯誤する時間があるといいのだけど…。 -
随分間が空いてしまった。デジタル環境などについて思う事【2024年05月15日】
相変わらず切羽詰まっていて、ブログなんか書いてないで仕事しろよと思われそうな状況が続いている。
今月を抜ければ少しはマシになるかもしれないが。
久しぶりに演出の仕事をしている。
世間というか業界人は作品数が増え過ぎて、スタッフのレベルが下がったという人が結構いるが私自身はそれほど変わりないと感じている。
私の担当は初回だしメンバーもそれなりに気を遣っているということは言えると思うが、いい感じというわけでも悪くもなく、まあこんなもんだろうなというアベレージのスタッフクオリティだ。
もちろん下を見ればキリがないだろうし上もまた同じ。
業界をくまなく見て回っているわけでもないけれど、今仕事をしている制作会社のランクでこのくらいのスタッフということから全体を推察するに、むしろ悪くない、という程度に落ち着いている様に思う。
長い間、クオリティーの高い現場で働いていた人から見れば、多くの現場はいつでもレベルが低いだろうし、レベルの低い現場しかし知らない人にとっては、やはり現場は常にレベルが低い。
私は、あまり作画が凄くいいという現場は知らないが、それでも標準より上は見ていると思うし下もまたそれなりには知っているとい平均的なレベルのスタッフとして30年ほど働いてきたという自覚があるが、その感覚からすれば平均レベルはあまり変わらない、むしろ良くなっているのではないかと思う。
1話数の中にも凄く上手い人とすごく下手な人というのは常にいて(下手にはいろんな理由があるが、とりあえず置いておく)その感覚が上の方に傾いて差異が小さい(つまり上手い人がいて下手な人が、それほど下手ではない)ほどスタッフのレベルは高いと言えるのだが、今やっている仕事は私の感覚的には中の上くらいというレベルなので制作会社の規模を考えるとかなり健闘していると言える。
この制作会社で、このスタッフが集まるのなら業界全体のレベルは満更でもない。
これ以上、作品のクオリティやスタッフの待遇を改善していくためには、制作の効率化などの人的な問題以外の問題を潰していくしかない。
20年ほど前のデジタル環境の導入は大きなトレンドだったが、道半ばで止まり、技術的な制作環境の変革は遅々としている。
もう既にある技術でも色々な可能性があるが、日銭を稼ぐのに精一杯で新しい試みにのり出せているスタジオはわずかだ。
日銭を稼ぐのに汲々としているスタッフとそれなりの収入があっても新しい技術に前向きではない人たちが変革の足を引っ張っている。
業界で出資をしあって作画ソフトを開発するだけでも、大きく生産性は上がる可能性はある。
しかしその様なことが起こる可能性はかなり低い。
AIはもっと個人レベルで、そのような制作環境を大きく変えられる可能性があるので私はかなり期待している。
来年以降になれば映像でも仕事に使えるレベルのAIが出てきそうだ。
今もあるのかもしれないが、権利や倫理などの問題が大きく横たわっているので簡単に出せないという事は考えられる。
私はフルデジタルで仕事をする様になって10年ほどになるが、デジタル環境になってもかなり非効率な作業の仕方を強いられていると思っている。
デジタル環境の可能性の半分も享受できていないのではないか。
もっと制作効率が上がれば個人の時間も増え、より良い作品作りに資するだろうと思う。