ダグラム【2025年10月27日】

しばらく前、ダグラムを見た。
たぶん新潟では放映しておらず、いや放映していたかもしれないが見ていないと思う。

子供の頃見ていたアニメで1話から最終話まで全部きちんと見た、作品はあまりない。
うちにはビデオもなかったし。

大学に入って東京に出てレンタルやら友達に貸してもらったりで一通り見たものはある。
しかし、仕事を始めてからあらためて昔の作品を見返すという気力もなく(昔は長い作品が多い)好きだったと思っている作品も穴あきでしか見ていないものが結構あるはずだが、見ずに死んでいくものが多い気がする。

ダグラムは穴あきも何も全く見ていなかったのと、当時の戦争ロボットものとしてはガンダムに続く作品の様なイメージもあり、どんなものかと興味があったので仕事しつつ流し見したのだが非常に良くできていて驚く。

絵的にはだいぶ大味なのだが、脚本がとにかくよく出来ている。
ガンダムと同じ様な独立戦争の話だが、主人公の父親が地球の大物政治家なので周辺からでなく政治の方からも描いていて、それが大変面白い。

主人公は10代で地球の軍隊でロボットの操縦を覚えていて、敵方のゲリラに参入して最新ロボットを操るという辺りは子供にむけた作り。

しかし白眉は大人の描き方で、とにかくいろんな立場の人間を丁寧に描いた群像劇になっている。これ子供向けか?とも思うがロボットがカッコよく動いていれば男の子は見ただろうし、全体で73話もあるので玩具が売れていたに違いない。

玩具が売れれば何でもできる、というのは時代の豊かさであったと思う。

権力の駆け引きや人情、暴力と子供には少々難しい話の様に思えるがどの程度伝わっていたのだろうか。

父と息子、が子供的には身近でわかる唯一のテーマだったかもしれない。

なにせ面白かったのはラコックという主人公の父親ドナン・カシムの補佐官で、この人が数々の謀略を考え自体をかき混ぜ、ついにドナンを殺そうとまでするという大変な人物で途中からは、この人中心にドラマが展開していた。

ラストもあまり煮え切らず、独立がハッキリ叶った訳でなく主人公たちが生き延びることが希望なんだというところで終わるのが全く娯楽的ではなく、よくこんなラストが通ったなと感心する。73話もあったからこそ描き切れたということもあるだろう。

セリフもきちんと戦記物を作ろうという気概が感じられて子供向けにわざわざ手抜いている感じはない。

作り手はそれなりに若かったと思うのだが、結構勉強していないと出てこない様なテーマを扱っていて大人のシナリオという風情で驚く。

豊かな時代だったんだなと、少しため息がでた。

型【2025年10月19日】

とにかく細かなトラブルが続出で、暇ができない。

なんでやねん、と突っ込みたくなる。


アニメは自動車の様に同じ型を使ったりあなじ作業の連続で作られる様なことはない、というのはアニメ研究で聞かれる話であるけれど、これは半分当たっていて半分外れだと思う。

歩きや走り、アクションの様なものでも実は型があってその変形で作られている部分は多々ある。
歩きは最近は、どんなものでも3コマ中5だし、走りは3コマ中2。
中は中割りの略。
2枚原画を描いて5枚中割りを入れて1歩18コマの歩きが定番のスタイル。
人間の歩きは1歩1歩微妙に歩幅や体の動きが違うものだが(訓練されて、ほとんど変わらない人もいるだろう)そんな微妙をかき分けていたら完成しない。

ロトスコープは実写を下敷きにする分、動きについて考えることを省略するというスタイル。

自動車なんかに比べたら全く劣るが、生産性を上げる工夫は無いわけではない。

型だけで作っていると何か見覚えがある様なものしか出来ないので、少しの隠し味をどうつけるかが腕の見せどころ。

隠し味にしろ大きな型にしろ伝統は伝わっているものもあれば失われている様なものもあって、時代の趨勢で失われたものは仕方ないとしても良きものは記録・保存されていくと良いのだが記録する術が今のところない。

アーカイブとか一応計画はあるけれど、政治が混迷する中どうなる事やら。

原作と同じとはなにか?【2025年09月18日】

SNSでぼっち・ざ・ろっくの脚本家の講演録が炎上していた、ようだ。

脚本家が原作の一部をノイズ(記事のタイトルにも使われた)として削除した、という部分に食いつかれていた。

そのノイズというのが性的表現に関するもので、余計に火種となったのだろう。

脚本家が原作の当該部分をノイズと判断した、という受け取られをしていたが、発案が脚本家だったにせよ、原作者も含めた会議体が判断したのは本文を読めば明らか。

延焼したのは知念実希人という小説家とくりした善行という元国会議員が参戦したからだろうか。

炎上させている輩は、インタビューを読んでいないか読んでいても読めていないか、倫理が欠如しているかという、ところなのであまり興味はないのだが、くりした善行のポスト(しかも英語の)中になるべく原作通りに作ってもらいたい、という趣旨の発言があったのは引っかかった。

漫画であれ小説であれ、アニメ化ドラマ化の際に原作通りである、というのはどういうことなのだろうか。

原理主義的に言えば原作は原作そのものであって、原作通りとは原作を翻案しないということに他ならない。

メディアを移せば様々な形態の変容を余儀なくされるのが翻案だ。


アニメで言えば、テレビシリーズであれば1話20分、12か13本のフォーマットに起こすのが主流になっている。

そもそも漫画、小説は時間を持っていない。映像は時間が物理の時間が流れ、決定的な役割をする。

漫画の場合であれば、2〜3話数くらいがアニメ1話分時間を有するという場合が多い気がする(作品によって違う)

この段階で、原作と印象が変わるのは間違いない。
どこで1話が終わるのか、というのは必ず頭を悩ませられる問題で、映像の時間に換えると中途半端なところで話が終わってしまう、あるいは長すぎるということが起こる場合は少なくない。

そうすると、追加部分を作る、あるいは削除するということになる。
もうこれだけで、原作通り、など不可能。
削除、追加はメディアが変わる以上は避けて通れない。

しかし、可能な限り原作通り、という風潮は制作現場全体にある。
特に最近は。

何のためにアニメ化するのか、基本は金のため、で高邁な原作をより世間に知らしめるため、などということは殆どない。
売れている原作は、良くできている、ものが殆どなので金を追求することがつまらないものを作ることにならない場合が多く、儲かる作品を翻案することは良い作品を作ることと意外と矛盾しないことは多い。

しかし、翻案するということは原作が形を変えることなのであって、原作者が換える先の形について詳しいなどということは無い。
詳しいなら原作者がアニメ監督、映画監督になれば良い。
原作者が監督したところで原作通り、にはなり得ないのだが。


アニメ制作は翻案する意味を宙吊りにしたまま、作品をつくることが多くなってしまっていると思う。

数打ちゃ当たる、という方針だ。

それだけの数の作品に投資できる様になっているのは凄いことではあるのだが、なぜアニメ化?と疑問符が浮かぶ作品も多々あることは間違いない。
翻案の方法についてもあまり深くは考えられていない。

そして、今の様なやり方の翻案ばかりではアニメの作り手の技量が落ちていくのは間違いない。

秋は虫【2025年09月13日】

今週はひたすらデスクワーク。

そりゃ、この仕事は8割デスクワークなのだけど。

打ち合わせの類も少しあっただけ。


イスラエルは相変わらず派手に戦争している。
カタールの首都ドーハへの爆撃はなかなか衝撃。
ハマスのとの交渉をしていた場所を爆撃とかスパイ映画さながら。

ドーハといえばサッカー日本代表が最後の最後でゴールを決められ、あえなくワールドカップ行きの切符を逃した地として90年代キッズたちの記憶に刻まれているところ。

そこから日本サッカーはぐいぐい強くなって、今やワールカップ常連なのだから驚く。

キャプテン翼が週刊少年ジャンプで連載されていた頃は、日本サッカーはそれほど強くなかった。

翼くんの活躍と機を逸にする様に日本サッカーは強くなっていった、というか盛り上がっていった訳で大空翼は偉大だ。

wikiによると81年から88年の連載となっているから、私の小学校高学年から高校くらい。私ら世代は野球よりサッカーファンが多いんじゃなかろうか。

他のスポーツだと、それほど象徴的なキャラクターはいないのかもしれない。

野球は星飛雄馬が現れる以前から人気だったろうし、矢吹丈はボクシング人気を大きく引っ張り上げたというほどでもない様な気がする。

日本のアニメの視聴者の半分は海外の観客になって、上手くいけば翼くんのような影響力を世界に与えるキャラクターがまた現れるかもしれない。

違う言語で、同じ主題歌を合唱できたりするのは面白い。

コガネムシの幼虫に根っこを食い荒らされたプレクトランサスはなんとか生き延びている。
鉢から取り出した幼虫はどうもアリに襲われたらしい。
気の毒な気分。

アリッサムも虫に喰われて葉が殆どないが、一応生きているようだ。
結局一回も花が咲いたことがないので、いっそ処分するかと思っているが、一度くらい咲かせてみたく、迷って放置している。

とにかく今年は虫が大量発生。

薬を撒くしかないんだろうな。

暑さは和らぐ日も出てきたが、なかなか冷めやらない。

植物日記プレクトランサス楽しみ〜生存の危機・人を育てる【2025年09月07日】

プレクトランサス・モナラベンダー、シソ科の植物で紫色の綺麗で小さな花を沢山上げる。葉も表が濃い緑、裏側が紫で美しくリーフだけでも楽しめる。

去年の秋に買って地植えしたらそこそこ大きくなって花も沢山あげてくれた。
寒さに弱いというのでダメ元で鉢上げして極寒の時は屋内に入れたりしながら管理したら冬を越えてくれて、春には株もかなり大きくなり8号くらいの鉢に植え替えまた秋に花をあげるのを楽しみにしていた、のだが…。

苗メーカーの説明を先日目にした。花期が5月から11月とある。
え?全然咲いてないんですけど。

なるほど、短日植物で夏は日陰で管理するのが吉、ということらしい。

短日植物は日の長さが短くなると花を上げる。

なので日向に置いていれば、そりゃあ花は上がらないわけだ。

葉焼けして結構葉を落としてしまったくらいだから咲くわけがない。
日陰は日陰で日が当たらなすぎると、植物は調子を崩したりするので難しい。
今年はそれで枯らしてしまったものも随分ある。

近頃は日もだいぶ短くなってきたので、そろそろ花芽が上がってくれるかもしれない。

去年とは比べ物にならないくらい株は大きくなったので、花も沢山上がるはず。

*と思っていたら…翌日バッタリと木が倒れていて、鉢をひっくり返したらコガネムシの幼虫が何匹も出てきた。根はほとんど食べられていて根本近辺に僅かに残るのみ。
これは復活が難しいかもしれない。カイガラムシの様なものも着いていた。


人間も、もはや短日植物みたいなものだ。日が短くならないと活動の幅が大幅に制限される。
危険な暑さ、という言葉が文字通りの意味をもっていて、夏は体温と同じか、それより高い気温を頻繁に記録するようになってしまった。

冬と夏の間のグラデーションがなくなりつつある感覚。

それはそれで、人間は慣れていくものなんだろうけど、ちとしんどい。

植物ですらしんどそうだ。

Les the DJがかけていたNORIKIというフュージョンバンドが気に入った。
野力奏一と言う人のバンドらしい。

ブルーノート主催で秋にやるフュージョンサミットに行ってみたいが暇があるのか?
鳥山雄司のバンドが見たい。

KIKIというタイのポップスのバンドも日本に来るので見たいのだが月末なので無理かな。

文化庁の「総合的なアニメーション人材育成に関する実証研究事業」というのが動き始めた。
とにかく人が足らねえ、と言っているアニメ業界でどうやったら人が育てられるのか、今まで集まったことがなかった様な人が集まって、数年かけて研究しようという事業だ。

現場で学校で何を教えているのか、現場で必要な技術とは?何処にどのようなノウハウが存在しているのかなど、人材育成に関する広い調査研究と、可能ならノウハウを統合・蓄積・共有するみたいなことをやろうとしている。

今は手探り状態だが、せっかく税金を突っ込んでやるのだから、成果は出して欲しいと思う。


個人的にも来年は演出を育てることに手を貸すことになりそうだ。

今までちょこちょこと教えたことはあるものの、時間をかけて体系だって教えた経験はない。個人的に調べていたことを少し急いでやらないといけないかもしれない。

(アニメの)演出家といっても
大きくは、各話演出、監督の2種類に分かれる。

優秀な監督になる様な人材を育てたい、と言われると相当にハードルは高そうだが、そこそこ食っていける程度を目標とするならば、何とかなるだろう。

監督であっても、「そこそこ」で今は十分かもしれない。

人を育てる、なんて昔のアニメ業界はまともに考えていなかった。
それに比べれば随分マシになった。

平気でウチは即戦力が欲しいんだ、みたいなことを言う奴がいたが、アホかと思う。

仕事の告知出たり【2025年08月10日】

私もちょいコンペで参加してた作品が制作発表されていた。

なるほど…という布陣。

監督は作画出身の人でスタジオも結構作画は頑張るところだと思う。

ビジネス周りのパートナーがどんな布陣なのか?

あの作品は、制作単体で決まる訳ではない筈なので。

私たちのチームは落ちた訳だが、大変な作品制作になることは必至だと思うので、自分が決まってたら胃に穴が空いてたかもしれん。

他人の作品はともかく自分の作品も情報解禁された。

「レプリカだって、恋をする」

1年以上ぶりの告知か。

もはや自分の制作能力とは関係なく、皆が寡作になっていく。

一つの作品を作るのにものすごく時間がかかる。

作品は青春、恋愛ものだが、仕掛けが面白い。

シンプルなアイデアを使い倒しているのが素晴らしい。

アニメの方はかなりギュッと圧縮した作りなので飽きずに見られるとは思う。

王道のボーイミーツガールな描写もあるので、割と幅広く楽しんでもらえる作品になっている…はず、まだ完成していないが。

意図せずなのだが、比較的に自分の色が出ている作品になっている。

青春ものの仕事がいつまで自分のところに来るだろうか。

アニメ自体は若い人に向けた作品が多いので、ボーイミーツガールな作品の割合は減りはしないだろう。

内容によるが、歳を取れば作り手と作品の距離は開くので、ずっと作り続けるのは難しそうだ。

恋愛は年齢関係ないので、青春とかでなければ意外と大丈夫。

要は登場人物と作り手の年齢があまりに離れていると、(心情的な)背景の描写も含めて難しくなるだろうということなのだが。

中年向けアニメもこれから増えたりするのだろうか。

リメイクは中年向けではある。
最近のリメイクの多さは、中年の観客が増えたからと思えば自然だ。

登場人物が中年だからといって、中年が見る訳ではないかもしれない。

植物は、最近葉っぱが喰われまくっていた原因はバッタらしいことに気がついた。

いくつかの植物で、あり得ないくらいあっという間に大きな穴が空いてた上に特に幼虫的なものも見つからずで、はて?と思っていたのだが小さなバッタが跋扈していることに気がついた。

バッタを駆除する薬もある様だが、どうも薬を撒きまくるのも嫌だな、と放置している。

少し収まっている様なので、様子見。

梅雨はダンゴムシ、アブラムシなど、今は蟻が大発生している。

植物が沢山あると虫が増えるのは、致し方ないのだろうが、枯らされるのは勘弁してほしいので、来年はやはり事前の対策がもっと必要なのかもしれない。

ここ数日、暑さが少し落ち着いた感じがする。

鉢も水が切れていない。

少し雨も降ってくれたので、地植えの植物もしばらくは大丈夫そう。

終戦から80年ということで、テレビの特集なんかが沢山やっていて、つい見てしまう。

YouTubeには、NHKの映像の世紀でも使われていたアメリカ軍の撮ったドイツの強制収容所の映像なんかが転がっている。

酷すぎて現実とも思えない光景。

ブルトーザーで折り重なった遺体を押しやりながら移動させてる映像なんか、作り物の様に見えた。


アニメも音楽も戦争も人間に熱狂をもたらす。

人間が身体から湧き上がる何かに抵抗することは極めて難しい、ということについて最近考えている。

ストリーボード作成で学ぶ演出(のための準備)【04】「映画理論講義」

いろいろ探してみたけれど一般書で出ている映画理論の入門的な本は殆どなくて、2000年に勁草書房から出たこの本くらいしか見当たらなかった。今も新しい刷りで売り続けてるので参考に良さそう。

映画理論講義 –映像の理解と探究のために

著者:
ジャック・オーモン
アラン・ベルガラ
ミシェル・マリー
マルク・ヴェルネ

訳者:
武田 潔

目次:

序論 …………………………………………………………………………………. 3

I 映画文献の分類 ……………………………………………………………… 5
1 “一般的な”の出版物 ……………………………………………………. 6
2 映画狂のための書物 ……………………………………………………. 7
3 理論的著作 ……………………………………………………………… 8

II 映画理論の諸相 ……………………………………………………………. 10
1 “内発的”理論 …………………………………………………………. 10
2 記述的理論 …………………………………………………………….. 11
3 映画理論と文学 ……………………………………………………….. 11
4 映画理論と技術的実践 ………………………………………………… 12
5 映画理論の多様性 ……………………………………………………. 12
注 ……………………………………………………………………………… 15

第1章 視聴覚的表象としての映画 ………………………………………….. 19
I 映画的空間 ……………………………………………………………….. 21
II 奥行きの技巧 …………………………………………………………….. 32
1 遠近法 …………………………………………………………………. 32
2 被写界深度 ……………………………………………………………. 35
III ショットの概念 ……………………………………………………………. 41
IV 聴覚的表象としての映画 ………………………………………………… 48
1 経済的=技術的要因とその歴史 ……………………………………… 48
2 美的およびイデオロギー的要因 ……………………………………… 49
注 ……………………………………………………………………………. 55

第2章 モンタージュ …………………………………………………………… 61
I モンタージュの原理 ………………………………………………………. 63
1 モンタージュの対象 …………………………………………………… 67
(1) 映画作品の一部分(映画的連辞)でショットよりも
大きいもの …………………………………………………………. 67
(2) 映画作品の一部分でショットよりも小さいもの …………………. 68
(3) 映画作品の一部分でショットへの分割と(完全には)
一致しないもの …………………………………………………… 69

II モンタージュの機能 ……………………………………………………… 76
1 経験的アプローチ ……………………………………………………. 76
2 より体系的な記述 ……………………………………………………. 78
(1) 「創造的」モンタージュ ………………………………………….. 79
(2) 統辞的機能 ………………………………………………………. 80
(3) 意味的機能 ………………………………………………………. 80
(4) リズム的機能 …………………………………………………….. 82
(5) モンタージュの分類法 …………………………………………… 83

III モンタージュのイデオロギー …………………………………………… 83
1 アンドレ・バザンと「透明性」の映画 …………………………………. 84
(1) 「禁じられたモンタージュ」 ………………………………………. 85
(2) 透明性 ……………………………………………………………. 87
(3) つながりのためではないモンタージュの拒否 ………………….. 91
2 セルゲイ・エイゼンシュテインと「映画の弁証法」 …………………. 92
(1) 断片と衝突 ………………………………………………………. 97
(2) モンタージュの概念の拡張 …………………………………….. 97
(3) 観客に対する影響 ………………………………………………. 97
注 ………………………………………………………………………….. 100

第3章 映画と物語 …………………………………………………………… 105
I 物語映画 ………………………………………………………………… 107
1 映画と物語の出会い ………………………………………………… 107
2 非物語映画――境界を定めることの難しさ ………………………. 109
(1) 物語的/非物語的 …………………………………………….. 109
(2) 境界の基準 …………………………………………………….. 109
3 物語映画――研究の対象と目的 …………………………………… 111
(1) 研究の対象 …………………………………………………….. 113
(2) 研究の目的 …………………………………………………….. 113

II フィクション映画 ………………………………………………………… 115
1 あらゆる映画はフィクション映画である ……………………………. 119
2 指向対象の問題 …………………………………………………….. 119
3 物語言表、物語叙述、物語世界 …………………………………… 121

第4章 映画と言語活動 …………………………………………………….. 187
I 映画言語 ………………………………………………………………… 189
1 古くからある概念 ……………………………………………………. 190
2 初期の理論家たち ………………………………………………….. 192
3 「映画の文法」 ………………………………………………………. 197
4 映画における言語活動についての古典的理論 …………………… 201
(1) 伝統的な映画言語 …………………………………………….. 202
(2) 言語活動の消滅に向けて? …………………………………… 203
5 記号なき言語活動 ………………………………………………….. 206

II 映画――言語か言語活動か? ………………………………………… 209
1 映画的言語活動と言語 …………………………………………….. 210
(1) 言語の多様性と映画言語の一律性 …………………………… 211
(2) 言語活動、コミュニケーション、極の入れ換え ……………….. 214
(3) 映画言語の類同的なレヴェル ………………………………… 215
(4) 線状性と離散的単位の存在 ………………………………….. 216
はい、続きをお送りします:

(5) 映画における分節の問題 ………………………………………. 216
2 映画の理解可能性 ………………………………………………….. 218
(1) 知覚的類同性 ………………………………………………….. 219
(2) 「質料的希釈のコード」 ………………………………………… 221
(3) 映画特有の記述形式の形象 ………………………………….. 223

III 映画的言語活動の不均質性 ………………………………………….. 228
1 表現素材 …………………………………………………………….. 228
2 記号学におけるコードの概念 ……………………………………… 230
3 映画に固有なコード ……………………………………………….. 232
4 映画に非固有なコード …………………………………………….. 235

IV 映画作品のテクスト分析 ………………………………………………. 237
1 「言語活動と映画」における「映画作品のテクスト」という概念 …… 238
2 実例――D・W・グリフィスの『イントレランス』
におけるテクストのシステム ……………………………………… 240
3 文学の記号学におけるテクストの概念 ……………………………. 242
4 テクスト分析の抑制性と理論的射程 ………………………………. 248
(1) テクスト分析の主要な特徴 ……………………………………. 248
(2) テクスト分析における具体的な困難 …………………………… 251
注 ………………………………………………………………………….. 259

結論 ………………………………………………………………………….. 351
注 ……………………………………………………………………………. 359

参考文献(I、II)……………………………………………………………. 363
用語対照表 …………………………………………………………………. 403
索引(人名、映画題名、事項)…………………………………………….. 417
訳者あとがき ……………………………………………………………….. 453

原書は初版が1983年、改訂が94年らしいので30年くらい前にフランスで出版されたらしい。

私が学生の頃なので参考で扱ってる映画も古いがまあ仕方ない。

少し読んでみたが凄く抽象的な部分はあるけど、使えそう。

映画評論はずいぶん沢山出ているし理論的な更新みたいなものは無いのか?と思うけど無いのかもしれない。

渡邊大輔が言ってることなんかは新しいと思うけど、入門としては必要ないのか…いやそうでもないような。

YouTubeはじめ映像メディアは様々広がっているので本当は更新されて良さそうだが。

学校などでは、どういう本を教科書で使っているのだろうか?

私が見つけられないだけで、良い本があるのかもしれない。
フィルムアート社から出ている入門書的なものは実務的だけど理論が薄そう。パラパラめくってみただけなんでわからないが。

認知科学とかも随分進んでいるので、その辺りを引いたものもありそうなものなのだが。

その辺を調べ出すと無限に時間がかかりそうなので躊躇してしまうが、多少はやらないとダメそうだ。
そのあたりは良さげな本のあたりがついてるので。

私が学生の時は、ほしのあきら「フィルムメイキング」を使ってた。本人が講師だからだが。
エイゼンシュタインの理論などは、ぱらぱら読んだけど流石に嘘でしょみたいな部分も多くて今素朴には読めない。

「映画理論講義」はそのへんもざっくり整理してあるみたい。とにかくざっくりでも読まないとなぁ…。

実務的なものは他にも良さげな本があるので、参考にしようと思う。最近の学生はそういうのを読んでるのかもしれない。

映画記号論的なものはだいぶ前に死滅してしまったようで、理論書は流行らなくなったのかも。
私が教わった浅沼圭二で終わってるぽい。

映画分析的な本は色々ある。
苦手な蓮實重彦もめくってみるべきなのかもしれないが。

私のやろうとしてることも、どちらかというと実務寄りだし。

久しぶりに更新。

リメイク・流行り・今【2025年01月27日】

寒さで枯れ込んでしまった赤羽千日紅寄せ植えをバラしてアネモネとグラスで植え替え。
アネモネは霜が降りる様な寒さにもめげずに咲くので気に入っている。
ただ花首がぽっきり折れてしまうほど強い風が吹くことがあるので対策できると良いのだが、短めのピックなど売っているのだろうか。
もう一つ植え替えたい寄せ植えがあるが、花を買いに行く余裕がない。
いちじくもそろそろ植え替えないと暖かくなってきてしまう。
近所のめちゃめちゃセンスよく植物を飾ってある家にオリーブだったか(うろおぼえ)大きなシンボルツリーがあって、てっきり地植えだと思っていたのだが、よく見たらドラム缶の中に植え込んであることに気づいた。わざわざドラム缶を調達して植え込んでるわけで感嘆せざるを得ない。
捨てて置いてある様にみえる錆びたスチールの書類棚などが巧みに配置されていて、ほとんど鉢植えで飾ってあるのだけど景色が作り上がっている。
上手くやればこんなことが出来るのかと思うものの、色んな意味で相当に凝らなければ難しいことも判る。
気負っても、植物はいい感じになるまでに時間がかかるし、上手く育てられる様なるには経験が必要。センスよく飾るのは、そのまた先という具合で一足飛びにはいかない。
まずしばらく、気楽に育てたいものを育ててみる。

ジークアクスは平行宇宙というかファーストガンダムのifの世界だったいうのは、ちょっと驚いた。
そもそもテレビシリーズとして作られているものなので映画はごく触りだけだから、どうファーストの物語と関わっていくのかまだわからない。
ビギニングの部分はあれで初めてみる若者などはどの程度理解できるのだろうか?と思うが絵は流石に綺麗に出来ている。
本編?は、前提の世界観を共有出来ないと分からないということでもなさそうだが、どんな観客層を想定しているのかは聞いてみたい。
伝統が重いと新規は入りにくいわけだが、伝統を知る者にとっては考えることが減って楽。
保守に軸足を置いていると考えるとまさに今風な作品と言えるのかもしれない。

リメイクは制作側としてやりたい人とやりたくない人とハッキリ分かれる気がする。以前、私は全くやりたくない派だったのだが今はまあそうでもない。
リメイクはリメイクだけに以前のものを化粧直ししながらなぞることになるので、分かりきっていることに新鮮な気持ちで向き合う必要がある。
リメイク小説というのは、少ないと思うが映像のリメイクは、もはや伝統的に作られている。
観客は以前の作品を知らなければ新鮮に見ることが出来るかもしれないが作り手は仕事を引き受けるまで知らなかった作品だとしても前提を踏まえるために詳細に元の作品について知らなければいけない。
そして観客が新鮮な気持ちで見られる様に工夫を凝らす必要がある。
そもそも元の作品は、それが作られた時代を背景として成立しているので、リメイクされる時代との齟齬をどう埋めていくのか、とくにアニメは若者に向かって作られていた分、時代の空気をいやがおうにも色濃く反映してしまっているのでリメイクによって脱色されてしまう部分が大きいと酷くつまらない物になる。
いざ仕事でやれと言われたら難しそうだ。

若い頃は自分の好きだった作品「のようなもの」を作りたいと思うのは自然だが、実際作る立場になると自分のやりたいことと観客の求めるものとの不一致に悩むことになるのが常だと思う。
自分はどんどん年老いていく事に無自覚なまま、自分の見たい物を観客に見せても失敗する。
しかし、自分が相手にする観客について知るということは容易ではないし、相手に合わせることに腐心して自分の興味のない物を作っても仏作って魂入れずということになる。
魂が入っていなくたって面白いということもありうるかもしれないが。

原作ものをやっていると特に自分との繋がりをどうつくるか考えざるを得ない。

全修見たり【2025年1月10日】

少し前、朝に霜が降りていて(多分寒さで)枯れかけていたオキザリスはもうダメだなぁという状態。
しかしアネモネなど寒さに強いものは元気である。
寄せ植えにしていた植物で幾つか寒さで傷んでしまったものがあるので植え替えしたいが、仕事が切羽詰まっているのと、こう寒いと植え替えがちょっと危険なので悩み中。

日本海側は雪が多くて大変そうだ。
太平洋側は来月頭あたり降るのだろうか。
思っていたより、暖かめの冬なので過ごしやすい。

木の実マスターは年明けと同時に配信はしていたけれど、7日から地上波の放送が始まって、Twitterなど見ていると結構見てもらっているようで驚いている。
異世界転生ではないのだけど、ファンタジーというジャンルのファンが沢山いるのがよく分かった。
沢山見てもらえているというのは純粋に嬉しい。
比較的好意的な感想が多いのもホッとしたところではある。

SNSだけを見ていても最近は反応が分かりにくくなっている。
TwitterというかXから離れたヲタクたちも多い、とうことと今の日本のアニメのお客さんの半分くらいは海外の人たちになってしまったことが大きい気がする。
海外の反応は結構積極的に探しに行かないと出会えないので、なかなか嗅ぎ取るのは難しい。
しかし、何かファンコミュニティーの反応を探る場所があるといいと思うのだが…。


全修。というアニメの1話を見た。
全修はアニメ業界用語で上がってきた絵を全て直してしまう事だ。
やられた方にも、する方にとっても悪夢的な作業である。
作品冒頭で監督が全部修正と言っているままの意味である。
前修だけは避けたい。
なぜ全修を見たかというとキャラクターデザイナーが石川佳代子嬢だからだ。
彼女はアイカツ!の時、とても活躍してくれた大恩人。
アニメ業界には珍しく、独自のセンスを持ったまま仕事を続けている稀有な存在だ。
というわけで、気になって見たのだけれど石川節はしっかり発揮されていて面白かったのだが、それよりも企画のコンセプトが面白くてひっくり返ってしまった。
以下ネタバレを含む。


アニメSHIROBAKOとファンタジー(石川佳代子を使っているので)を掛け合わせたようなものになるのかなあと予想していた。だが、今流行りの異世界転生ものじゃないですか。
アニメーターが異世界に転生し、さらにアニメパロディーも積極的にやるというという、パッと思いついたネタを瞬間接着剤でくっつけた様な企画を超絶作画で作っていて、これは面白い。
ノリとしては銀魂みたいな作品に似ている。
パロディーの選択も1話は度メジャーな作品を取り上げていて、毎度これをやるんだったら、どんな作品を選ぶかが成否に関わりそうだ。
一見マニア向けの様な企画だが、凄いメジャー志向な作品なので行く末が楽しみだ。
パロディーは我々が子供の頃に比べると非常にやりにくくなったが、こういう軽いノリの企画が許されて、そこそこ儲かるならアニメの未来は明るいのかもしれない、と思える。
海外でどう見られるのかも気になる。
ぜひ成功して頂きたい。

暴力とアディクション【2024年10月21日】

最近読んだ本、信田さよ子「暴力とアディクション」
現代思想に書かれた短編の文章をまとめた本。大変面白い。

タイトル通り暴力とアディクション(中毒)が如何に関係しているかというテーマが主に取り上げられているが、そこには深く家族が関わっている。

信田のキャリアはアディクションから出発しているので、どちらかというとアディクションが先にあってそこに暴力がどう関わっているのか、という構図。

この本だけで沢山、物語のネタが出来そうな内容である。

アディクションの代表的なものとしてアルコールがある。
アル中への対処がアメリカで進んだのは、ベトナムからの帰還兵が沢山アル中になり、家庭の中で暴力を振るい、それが問題になったかららしい。
中毒は様々な社会問題と通底している、という具体例が様々示されている。

アルコール中毒に限らず、全ての中毒・依存症は自己治療的である、ということが随所で語られているのだが、これは普通の人間でも多かれ少なかれ思い当たることがあるだろう。

趣味でも仕事でも、のめり込んでいるもの・行為は自己治療的な側面がある。
それがなければ生存が危ういかどうかが依存症かそうで無いかの分水嶺だ。

中毒・依存症は本人にとっては治療的なので止めたくないが、周りが迷惑しているので止めさせたい、という構図が依存症治療の難しさらしい。
そりゃ大変だろう。

貧困、ジェンダー、家族、戦争、ありとあらゆるものが暴力・アディクションと関係していて、これは表立って取り上げるかどうかはともかくとしても、物語を作るとき考えるべき事象だという気はする。

仕事をしながら流し見していたNETFLIXのガンダム(CGのやつ)が面白かった。
ちゃんと戦争ドラマをやろうとしていて好感がもてる。

実際の戦争はもっとえげつないけれど、ライトにでも戦争について考える様な作品を作ろうとする姿勢はファーストガンダムと通じるものがあって好きだ。

一貫してガンダムを恐ろしいものとして描いているのだが、こういう描き方を許容できるのか、というのも少し驚いたし良いことだと思った。

引っ張っていたコンテを終わらせたが、わんこそばの様に次は控えている。
まあまあ出来は気に入っている。
作画がどれくらい頑張れるかはわからんけれど。

細々した仕事を今週は片付けなければいけない。
10月は、あと10日ある。

将棋の竜王戦も3局目が終わってしまった。
佐々木勇気が1勝あげて面白くなってきた。
毎年、竜王戦が始まるともう今年も終わりだなと思う。

来年は試練の年(別に辛いことをやるわけでは無いが)で慣れない仕事をやらねばならぬ。
なので、なるべく終わらせられることは全て今年のうちに終わらせてしまいたい。

しかし、先の仕事はさっぱり決まっておらず…まあこうやって何十年か生きてきたのだから何とかなるだろう、とこういう文章を書いているのも自己治療なんだろう。

そういえば、久しぶりに自分の仕事の告知が出たのを忘れていた。
ファンタジーをやるのは初めてだが、昔の少年漫画のようなノリの原作だし、気分的には楽しかった。
現場色々あって予想以上に大変ではあったのだが、今どき大変で無い現場ほとんどなかろう。

今アニメの制作スケジュールはとても伸びていて、12、3本のシリーズを作るのに丸々1年くらいかかるのは普通になってきている。
なので告知も全然できない。
次はいつになるのやら……。