アニメイションネイチャー、映画理論集成【2026年04月19日】

山村浩二「アニメーションネイチャー」を読み終わった。

作品はそれほど見ていない。頭山、年をとった鰐、は見たはず。

誰もが認める巨匠でありつつ、教育者でもある氏の芸大での講義を元にしたアニメーション論で作品の引用も多々あり、インディペンデント系のアニメーションのガイドブックとして読んでも面白い。

新人教育の参考になるかと思って読み始めたのだが、多様なアニメーションのスタイルを扱っているので、どう昇華するかはむずかしいかも。

自分のやっている仕事がアニメーションの中でも非常に狭い領域だというのは良くわかる。

しかし、一時期の商業アニメとインディペンデント・アート系のアニメーションの溝は最近少し狭まった様にも思う。

OP/EDの様な部分にインディペンデントな作家が起用されたり、本編内にも違う様式のアニメを入れ込む例が増えてきている気がする。

80年代あたりまでは意外と曖昧で両業界の親交もあった様なイメージだったが、90年代以降は、ほぼくっきりと別れていたのではなかろうか。

モルカーの見里さんの活躍などもあるし、再び入り混じり始めたのはとても面白いと思う。


TAAFの長編作品の審査員をした時、海外の人形アニメ作家の人が人形アニメ作品を強く推していたのが印象深かった。
良い作品だったのだが、他の映画祭でも賞を色々とっていて、これ以上推す必要があるのかというような議論をしたのだが、人形アニメはやはり報われていない、という意識をその作家は持っていた様な気がする。

もっと境界なく仕事の交流もあった方が、金銭的にもインディペンデントな作家に資するんじゃなかろうか。

その作家は、これから5年くらいかけて制作する短編アニメーションのシリーズを作るという様なことを言っていて気が遠くなった。
制作スケジュールの違いも商業アニメとの交流の敷居になっているととは思う。

本に戻るとメタモルフォーゼ、パースペクティブなど章立てで抽出しているテーマが面白い。結構たくさんの要素を抜き出して考えられていて、なるほどこんな風にアニメーションの要素が分解できるのかという気づきがある。

ナラティブの章は、さすがに自分でも考えたことがある様な内容で我々ほどストーリーに重きを置いていないのが印象的。

ともあれ、商業アニメのクリエイターもインディペンドなアニメはもっと見た方が刺激になると思う。

ネットで無料で見られるものも少なくないのが、今の時代の良いところ。

マクラレンの作品なんかNFBの公式YouTubeでほとんど見られるんじゃないか?

いい時代だ。

探していた映画理論集成の古本を手に入れた。

絶版で殆どどこでもプレミアがついているのだが、Amazonで超お安い値段で出ていた。

図書館の除籍本だから安かったのだろうか?

貸出の履歴を見ると3回くらいしか借りられていない様で、最後に貸し出されたのは99年4月26日。
約27年前だと思うと感慨深い。
四半世紀ぶりくらいに読まれるというわけだ。

読みたかったミュンスターバーグの訳が冒頭にあって、流石に全訳ではなく2章ほどの抜き出しだった。
しかし、方向性が知れたので満足。
ストレートに認知科学的な分析で、映画がどう観客に受容されるのか、空間の知覚などについて論じられていた。

今の認知科学の知見でどこまで正しいのかわからないが、こういうのが読みたかったという内容で参考になる。

認知科学で映画をまとまった形で分析した日本語で読める本は皆無なので、断片を集めて少しまとめられるといいのだが。

まだパラパラめくっただけなので落ち着いたら読みたい。

エアコンが壊れていたことが判明したので買い替え、今日工事も終わった。

猫たちは4時間くらいロフトに退避、かなり大きな音もするので年寄り猫には酷だった。

夏は快適に過ごせると思うので許していただきたい。

2ショット【2026年03月30日】

JAniCAの仕事と制作の追い込みが重なり、尋常でなく忙しかった3月。

一瞬の息継ぎ。

前の投稿が3月頭だったので3週間ぶり。
数日前、某作品の打ち上げもあったり。

TAAFの授賞式の打ち上げで安彦良和さんと写真を撮ってもらったのはちょっとしたご褒美だった。サインをしたり写真を撮られたりひっきりになしに話しかけられたり安彦さんのアイドルぶりを遠巻きに見つめていたが、最後の方でちょいと話しかけるチャンスを見つけたので…つい押しかけてしまった。

3月22日は原作者・榛名丼さんとトークショーをしに静岡まで行った。
用宗をのんびり散策できた。

気候がだいぶあたたかくなり地上部が無くなっていた植物も芽吹き始めた。
いちじくの植え替えもやらないとまずい。
園芸店に春の植物が溢れているはずで物色しに行きたい。
新しいオステオスペルマムと去年枯らした紫のオダマキとか。

夏に咲くものだとエキナセア。何度かチャレンジしているが、ことごとく失敗している。
同じく失敗続きのチョコレートコスモスも。
日陰用の宿根草もほしい。
花が咲くものはなかなか無いと思うのでリーフの綺麗なものが良い。

昨今の夏は植物にとっても非常に厳しいので上手く育つかは半分運。
PWの植物は暑さに強いものが多いけど、どうも私とは相性が悪いのか今ひとつうまく育てられない。

あんまり沢山買っても置き場所はないのだが、その季節にしか手に入らないものも多いので年に一度のチャレンジの機会を逸するのは惜しい。

夏に咲くものは、ひとつヘリアンサス・レモンクイーンが芽吹いて生き残っている。
シルフィウム・モーリーもあるが、去年は咲かず。今年はどうだろう。

寄せ植えの金魚草やストックも元気なので春はそれになりに色々咲いていそう。
枯らす率は徐々に減っている気がするので園芸の腕前と、植物選びが少し上達したのだと思う。

年末に黒猫が逝ってしまって間が立たずだが、隻眼で白い長毛のアメリカンカールがやってきた。
ブリーダーが放棄した子らしい。
どうもそういう子は沢山いる様で、残酷なものである。
おととし亡くなった老猫が長毛の白いアメリカンカールだったので空目する。
新入りは最近少し慣れてきた様でくつろいでいる。
残っている目も緑内障らしく、いつまで持つのかはわからない。
毎日、緑内障用の目薬をささなければいけない。
黒猫は癌であっという間に逝ってしまったので少し不安ではある。

のんびり読んでいた東浩紀の「平和と愚かさについて」を読了。
考えすぎればストーカーのように世界が狭くなるという話なのかもしれない。
ポケモンセンターでの惨事はせつない。

アニメは自分の外の世界を信じる縁(よすが)になりえるが、全ての人間に機能するわけでない。

4月7日からもう「レプリカだって、恋をする。」の放映が始まる。
誰かの縁となりえるだろうか。

トリツカレ男を見たり【2025年12月07日】

もう終わってしまいそうだったので火曜日の朝に「トリツカレ男」を見にいった。
脚本がロロの三浦直之、ということで見ておきたかった映画。
ボーイミーツガールだったり歌だったり、三浦直之的な要素はあるが、それほどロロっぽさは感じられなかった。

原作を手堅くまとめる方向で仕事をしたということかもしれない。

お話は、かわいくて好ましい。

ビジュアルも日本のアニメっぽくなくて、地味に凝ったことをやっており良い。
キャラクターデザイン荒川真嗣、レイアウト三原三千夫
美術はPablo。

美術は写実一辺倒の昨今に挑戦するのは非常に難しい作風をしっかりやり切っていて素晴らしかった。
作画と美術を上手く溶け合わせた背景動画的なシーンも結構あって、しっかり計画された画面構成だったのだと思う。
カラースクリプトなども作られていたのかもしれない。

キャラに質感を入れていたのがすごく印象的で、自分でも挑戦してみたいと思っている技法なのだけど、取り入れるのは難しい。
キャラクター造形との相性もあると思うが、かなり上手く処理されていた様に思う。
どういう方法で作られていたのか知りたい。
べたっとした色面にならない様にという意図なのだと思うが、漫画的な造形にも応用できないだろうか。

ミュージカルとしてのつくりは、もう少し頑張って欲しかった。
アメリカ、ヨーロッパの作品と比べると前半はかなり見劣りする。
ラストは良かった。
ミュージカルを作るのは、かなり大変。
脚本をつくり、ストーリーボードの前に音楽をつくるか、後に作るかの選択。
音楽も完成した状態のものを貰って作るのはかなり難しいのでスケジュールの調整だけでもなかなか難しい。
リップシンクは日本のアニメは伝統的にかなり大雑把なので、慣れてる人もいないと思う。
リップシンクそれそのものがエンターテイメントだった、という話は細馬宏通「ミッキーマウスはなぜ口笛を吹くのか」に詳しい。
トリツカレ男はミュージカルファンを当てこんだ作品というわけでは無さそうだけど、誰か挑戦したら面白いと思う。

トリツカレ男を見たあと、今日しかないと安彦良和展に足を伸ばした。

松濤美術館なので、それほど点数はないかと思っていたけど予想より多く資料が展示されていた。
ガンダムの作監修正(修正用紙に書かれていたが直接描いた原画なのかも)やポスターの原画の類が見られたのは良かった。

キャラ表のポーズは皆何かしらキャラクター性が分かる様なポーズがつけられているものが多かった。
今は造形を伝えることを主眼とするので、あまりポーズがつけられることはない。
キャラ表は色彩設計の色指定表としても使われるので、あまり大きなポーズをつけると造形が分からず色が作れないということが起こるからだ。
昔は色数も少なかったので、多少ポーズをつけたところで問題にならなかったのだろうし、ポーズがあった方がキャラクター性がアニメーターに伝わると考えられていたのだと思う。

確かに表情集は作るけれどポーズ集までは作られない。
本当は、あった方が良いのかもしれないが現状は手が回っていない。

安彦さんの絵はシンプルで、とても上手いのだけれど今風ではないのだというのは直筆の絵を見てあらためて感じた。
今風ではないというのは批判ではない。
特に目の作り。
今は目の中だけで異常な数の塗り分けがある作品が少なくない。
安彦キャラは目だけで惹きつける様な作りではない。
立体を意識しすぎず、ディフォルメもあってまさに2.5次元。
今はとにかく3D的に考えられがちなのとは対照的だ。

漫画のカラー原稿はとても魅力的だった。
塗りがとても美しくて、絵の具の滲みが綺麗に作られていてため息が出る。

昔のポスターなどは厚塗りで普通のポスターカラーかアクリルガッシュの様なもので描いていたのだろうか。

図録をみると展示されていないものも多数あり、他の会場では出ていたのだろう。
松濤でも展示替えがある様なので、多少は見られるかもしれない。

最近、精神分析について調べている流れでR・D・レインの「好き好き大好き」を読んだ。
エヴァのネタ本の一つらしいが、確かに似ている台詞回しがあり、「精神防禦盾」などのワードも出てくる。

全体的には60年台の前衛芸術的な雰囲気で、実際影響も与えていたのだろう。

現代詩だが、脚本の様な対話が多く使われているのは著者が精神分析かだからか。

懐かしいアングラを感じた。

あとはグリーフケア関係の本をちょろちょろ読み始めていて島薗進「ともに悲嘆を生きる」は読み始めたばかりだが面白い。

ムスカリやアネモネの球根が植えられていない。

流石にそろそろ植えないとまずいが、急に寒くなって億劫だ。

仕事も地味に打ち合わせが多く、結局週末しかデスクワークは大きく進まない。

ストリーボード作成で学ぶ演出(のための準備)【06】番外:小川哲「言語化するための小説思考」

映像技法ではないけれど、とても面白かったのと教える時に役立ちそうなのでメモ。

著者は技術書ハウツーの類の本ではないと言っているが、小説創作の過程がわかりやすく言語化されていて面白い。

1)小説刻の法律について
小説家も読者を意識する、した方が良いと言う話。
小説法に違反すると「駄作だ」「面白くない」とか言われるらしい。
SF、エンタメ、純文学、推理、などジャンルによって読者の読み方が違う。
誰に向けて書いているのか意識しないと批判されたり、伝わらない。
そもそも、自分と自分以外の小説の読み方、楽しみ方が違う。
自分が面白いと、読者が面白いのすり合わせが必要。

2)小説の勝利条件
将棋のAIによる形成判断が、小説にあったらどうか?と言う話。
小説には明確勝利条件が存在しないが、読者に面白いと思わせることと仮定して話が進む。
桃太郎を書くとしたら何処から書くか、将棋の手の選択のようにいくつかの選択肢の中から小説家がどの様な思考で選択肢を絞っていくかについて。

3)知らない世界について堂々と語る方法
世界の構造の抽象化と個別化
自分の知っている、あるいは調べた(聞いた)世界を抽象化して別の世界に置き換えて個別化すると言う話。

4)文体とは何か?
著者が文体においてもっとも重要だと考えている要素「情報の順番」の話。
「読みやすさ」とは「登場人物と読者の情報量の差を最小化する」ことではないか?

5)君はどこから来たのか、君は何者か、君はどこへ行くのか
新人賞の選考は「突然知らない人から話しかけられる」体験に近い、と言う話。
今されている話は、笑えるのか、怒っているのか…作家との文脈がないと分からない。
多くの人は行き先のわからない電車に乗っていると不安に感じるようだ。
新人作家は、作品がどこへ向かって何を与えるか(可能な限り)作品の序盤で明らかにした方が良い。

6)小説はコミュニケーションである
知人・友人との話は多くの事前情報を共有している。
読者とのコミュニケーションを円滑にするためには、適切の情報を与えなければいけない。

7)伏線は存在しない
読者はいつも展開を予想しながら読み進め、書き手は読者の予想を想像しながら展開を決めていく。
小説は伏線そのもの。
「展開を暗示すること」と「暗示されていない展開に対する違和感を減らすこと」の二つによって成立している。

8)なぜ僕の友人は小説が書けないのか
つまらないアイデアの2つのパターン。
「専門性が高すぎる」「陳腐すぎる」
「主張」や「設定」から発想しようとするのではなく「書いてみたいこと」や「考えてみたいこと」から考えてみた方が良いのでは?と言う話

9)アイデアの見つけ方
商業的に成功する人は「もともと読者(他者)の物差しを内面化している人」か「なるべく読者の物差しに合う様に、自分の物差しを調整した人」
読者の分析は非常に難しい、分析の質を上げるには「作品を発表すること」が一番近道なのではないか。
面白い小説に必要なのは「新しい情報」か「新しい視点」
アイデアは発想力やオリジナリティではなく見つけるものではないか?

10)小説ゾンビになってわかったこと
小説を探す上で最初に捨てないといけないもの=自分の価値観
価値観の相違の中に、まだみぬ小説がある…かもしれない

どれも極力具体的に語られていて、わかりやすい。

特に文体と順番の話は映像にとっても重要。

PVが出た【2025年11月16日】

今週は久しぶりにお酒を飲んで、久しぶりだからと言うわけでも無く多分料理が美味しすぎたせいで飲みすぎた。

前菜は盛り合わせだったので記憶が曖昧。

ヤマメは柔らかくて頭から尻まで食べられた。

パスタも忘れた。

肉は山羊、全くクセがなくて柔らかい。

まだ行けると、うっかり追加した白トリュフのオムレツは美味しすぎ、すっかり平らげワインを継ぎ足してもらったのがダメ押しだったかもしれない。

更にデザートを頼みデザートワインも頼んでしまった。

マスカットのワインが香りも味も好みだった。マスカットだから重い感じなのかと思いきやそんなことはなく、スッキリしつつ燻ぶした感じと果実味と酸味がいい感じに混ざって渋い。

レプリカだって、恋をするの新しいPVが出た。

どの程度ネタバレするか、というのは宣伝の考え方が分かるので面白い。

結構ネタバレしても大丈夫だと言う話をしたが、途中で見たものより少し抑え気味になってた気がする。

原作ものは、そもそも原作を見れば全てわかってしまうので、お話的なネタバレを抑えすぎてもあまり意味はない。

見たくなってもらう、ということが肝心。

原作を好きな人は大体見てくれるので、どちらかと言うとアニメで初めて触れる観客向けの塩梅になると思う。

何が作品の売りなのか、どう言う人に見てもらいたいのか。

宣伝から見えてくるので面白い。

植物日誌【2025年11月09日】

最後の音響作業に行った帰りに園芸店に寄って植物を物色できた。
忙しすぎて外にはほとんど出ていなかったので、息抜き。

時期的にはパンジー・ビオラに突入してしまっているので、宿根草はあまりないかと思っていたが、結構売っていてにっこり。

ジギタリスは沢山あったが、去年の株がまさかの夏越しして植える場所がない。
来年は違う色に植え替えるのも良いかもしれない。

去年の秋植えして盛大に咲いてくれたバーバスカムは花が終わって引っこ抜いてしまったのだが、色違いの品種がいくつかあったので、オレンジ系のものを買った。
ほんとに手間をかけず咲いてくれて良い。

今年はムシの類が大発生して対処しきれず結構枯らしたので、なるべく丈夫な品種を選びたい。

ペンステモン・ハスカーレッドを発見。
今年の春に通販で買った株を枯らしたので迷ったが、秋植えならいけるかもとしれないと小さな希望をいだいてゲット。
赤みががかった黒い茎に白い花が咲くところを見てみたい。

あとは寄せ植えのジニアが枯れかかっていたので、白とピンクの金魚草を買ってきて植え替えた。

寄せ植えの植え替えも我ながら随分手慣れてきた。

宿根草系は2年くらい経たないと本領が発揮されないものもあり、管理が難しく欲しいものはありつつも、うまく育つだろうかと躊躇することしばしば。

しかし1年に1回しか出会えない植物もあるので植えられるうちに、もう少し探しに行きたい。

経験しないと上手くならないのだ。

最近のアニメのスタッフも1年に担当できる話数は1、2本。

とにかく舐め尽くす様に体験するしかない。

ダグラム【2025年10月27日】

しばらく前、ダグラムを見た。
たぶん新潟では放映しておらず、いや放映していたかもしれないが見ていないと思う。

子供の頃見ていたアニメで1話から最終話まで全部きちんと見た、作品はあまりない。
うちにはビデオもなかったし。

大学に入って東京に出てレンタルやら友達に貸してもらったりで一通り見たものはある。
しかし、仕事を始めてからあらためて昔の作品を見返すという気力もなく(昔は長い作品が多い)好きだったと思っている作品も穴あきでしか見ていないものが結構あるはずだが、見ずに死んでいくものが多い気がする。

ダグラムは穴あきも何も全く見ていなかったのと、当時の戦争ロボットものとしてはガンダムに続く作品の様なイメージもあり、どんなものかと興味があったので仕事しつつ流し見したのだが非常に良くできていて驚く。

絵的にはだいぶ大味なのだが、脚本がとにかくよく出来ている。
ガンダムと同じ様な独立戦争の話だが、主人公の父親が地球の大物政治家なので周辺からでなく政治の方からも描いていて、それが大変面白い。

主人公は10代で地球の軍隊でロボットの操縦を覚えていて、敵方のゲリラに参入して最新ロボットを操るという辺りは子供にむけた作り。

しかし白眉は大人の描き方で、とにかくいろんな立場の人間を丁寧に描いた群像劇になっている。これ子供向けか?とも思うがロボットがカッコよく動いていれば男の子は見ただろうし、全体で73話もあるので玩具が売れていたに違いない。

玩具が売れれば何でもできる、というのは時代の豊かさであったと思う。

権力の駆け引きや人情、暴力と子供には少々難しい話の様に思えるがどの程度伝わっていたのだろうか。

父と息子、が子供的には身近でわかる唯一のテーマだったかもしれない。

なにせ面白かったのはラコックという主人公の父親ドナン・カシムの補佐官で、この人が数々の謀略を考え自体をかき混ぜ、ついにドナンを殺そうとまでするという大変な人物で途中からは、この人中心にドラマが展開していた。

ラストもあまり煮え切らず、独立がハッキリ叶った訳でなく主人公たちが生き延びることが希望なんだというところで終わるのが全く娯楽的ではなく、よくこんなラストが通ったなと感心する。73話もあったからこそ描き切れたということもあるだろう。

セリフもきちんと戦記物を作ろうという気概が感じられて子供向けにわざわざ手抜いている感じはない。

作り手はそれなりに若かったと思うのだが、結構勉強していないと出てこない様なテーマを扱っていて大人のシナリオという風情で驚く。

豊かな時代だったんだなと、少しため息がでた。

型【2025年10月19日】

とにかく細かなトラブルが続出で、暇ができない。

なんでやねん、と突っ込みたくなる。


アニメは自動車の様に同じ型を使ったりあなじ作業の連続で作られる様なことはない、というのはアニメ研究で聞かれる話であるけれど、これは半分当たっていて半分外れだと思う。

歩きや走り、アクションの様なものでも実は型があってその変形で作られている部分は多々ある。
歩きは最近は、どんなものでも3コマ中5だし、走りは3コマ中2。
中は中割りの略。
2枚原画を描いて5枚中割りを入れて1歩18コマの歩きが定番のスタイル。
人間の歩きは1歩1歩微妙に歩幅や体の動きが違うものだが(訓練されて、ほとんど変わらない人もいるだろう)そんな微妙をかき分けていたら完成しない。

ロトスコープは実写を下敷きにする分、動きについて考えることを省略するというスタイル。

自動車なんかに比べたら全く劣るが、生産性を上げる工夫は無いわけではない。

型だけで作っていると何か見覚えがある様なものしか出来ないので、少しの隠し味をどうつけるかが腕の見せどころ。

隠し味にしろ大きな型にしろ伝統は伝わっているものもあれば失われている様なものもあって、時代の趨勢で失われたものは仕方ないとしても良きものは記録・保存されていくと良いのだが記録する術が今のところない。

アーカイブとか一応計画はあるけれど、政治が混迷する中どうなる事やら。

原作と同じとはなにか?【2025年09月18日】

SNSでぼっち・ざ・ろっくの脚本家の講演録が炎上していた、ようだ。

脚本家が原作の一部をノイズ(記事のタイトルにも使われた)として削除した、という部分に食いつかれていた。

そのノイズというのが性的表現に関するもので、余計に火種となったのだろう。

脚本家が原作の当該部分をノイズと判断した、という受け取られをしていたが、発案が脚本家だったにせよ、原作者も含めた会議体が判断したのは本文を読めば明らか。

延焼したのは知念実希人という小説家とくりした善行という元国会議員が参戦したからだろうか。

炎上させている輩は、インタビューを読んでいないか読んでいても読めていないか、倫理が欠如しているかという、ところなのであまり興味はないのだが、くりした善行のポスト(しかも英語の)中になるべく原作通りに作ってもらいたい、という趣旨の発言があったのは引っかかった。

漫画であれ小説であれ、アニメ化ドラマ化の際に原作通りである、というのはどういうことなのだろうか。

原理主義的に言えば原作は原作そのものであって、原作通りとは原作を翻案しないということに他ならない。

メディアを移せば様々な形態の変容を余儀なくされるのが翻案だ。


アニメで言えば、テレビシリーズであれば1話20分、12か13本のフォーマットに起こすのが主流になっている。

そもそも漫画、小説は時間を持っていない。映像は時間が物理の時間が流れ、決定的な役割をする。

漫画の場合であれば、2〜3話数くらいがアニメ1話分時間を有するという場合が多い気がする(作品によって違う)

この段階で、原作と印象が変わるのは間違いない。
どこで1話が終わるのか、というのは必ず頭を悩ませられる問題で、映像の時間に換えると中途半端なところで話が終わってしまう、あるいは長すぎるということが起こる場合は少なくない。

そうすると、追加部分を作る、あるいは削除するということになる。
もうこれだけで、原作通り、など不可能。
削除、追加はメディアが変わる以上は避けて通れない。

しかし、可能な限り原作通り、という風潮は制作現場全体にある。
特に最近は。

何のためにアニメ化するのか、基本は金のため、で高邁な原作をより世間に知らしめるため、などということは殆どない。
売れている原作は、良くできている、ものが殆どなので金を追求することがつまらないものを作ることにならない場合が多く、儲かる作品を翻案することは良い作品を作ることと意外と矛盾しないことは多い。

しかし、翻案するということは原作が形を変えることなのであって、原作者が換える先の形について詳しいなどということは無い。
詳しいなら原作者がアニメ監督、映画監督になれば良い。
原作者が監督したところで原作通り、にはなり得ないのだが。


アニメ制作は翻案する意味を宙吊りにしたまま、作品をつくることが多くなってしまっていると思う。

数打ちゃ当たる、という方針だ。

それだけの数の作品に投資できる様になっているのは凄いことではあるのだが、なぜアニメ化?と疑問符が浮かぶ作品も多々あることは間違いない。
翻案の方法についてもあまり深くは考えられていない。

そして、今の様なやり方の翻案ばかりではアニメの作り手の技量が落ちていくのは間違いない。

秋は虫【2025年09月13日】

今週はひたすらデスクワーク。

そりゃ、この仕事は8割デスクワークなのだけど。

打ち合わせの類も少しあっただけ。


イスラエルは相変わらず派手に戦争している。
カタールの首都ドーハへの爆撃はなかなか衝撃。
ハマスのとの交渉をしていた場所を爆撃とかスパイ映画さながら。

ドーハといえばサッカー日本代表が最後の最後でゴールを決められ、あえなくワールドカップ行きの切符を逃した地として90年代キッズたちの記憶に刻まれているところ。

そこから日本サッカーはぐいぐい強くなって、今やワールカップ常連なのだから驚く。

キャプテン翼が週刊少年ジャンプで連載されていた頃は、日本サッカーはそれほど強くなかった。

翼くんの活躍と機を逸にする様に日本サッカーは強くなっていった、というか盛り上がっていった訳で大空翼は偉大だ。

wikiによると81年から88年の連載となっているから、私の小学校高学年から高校くらい。私ら世代は野球よりサッカーファンが多いんじゃなかろうか。

他のスポーツだと、それほど象徴的なキャラクターはいないのかもしれない。

野球は星飛雄馬が現れる以前から人気だったろうし、矢吹丈はボクシング人気を大きく引っ張り上げたというほどでもない様な気がする。

日本のアニメの視聴者の半分は海外の観客になって、上手くいけば翼くんのような影響力を世界に与えるキャラクターがまた現れるかもしれない。

違う言語で、同じ主題歌を合唱できたりするのは面白い。

コガネムシの幼虫に根っこを食い荒らされたプレクトランサスはなんとか生き延びている。
鉢から取り出した幼虫はどうもアリに襲われたらしい。
気の毒な気分。

アリッサムも虫に喰われて葉が殆どないが、一応生きているようだ。
結局一回も花が咲いたことがないので、いっそ処分するかと思っているが、一度くらい咲かせてみたく、迷って放置している。

とにかく今年は虫が大量発生。

薬を撒くしかないんだろうな。

暑さは和らぐ日も出てきたが、なかなか冷めやらない。