もうクリスマスだ。
急激に寒くなって全てが億劫になってしまった。
ラノベは字が小さい、と久しぶりにラノベを読んで発見した。
レーベルによって違ったりするのかもしれないが、普通の小説の単行本なんかと比べても若干小さいような気がする。(ちゃんと比べてない)
老眼のおじさんが読むような想定がされていないことに、しっかり読者層が見定められていていることがわかる。
小説でも椅子や机でも誰でも使いやすいものは誰にとっても使いにくいとイコールだろう。
使う人、見る人をどう想定するかは物にとっても娯楽にとっても大事だ。
言葉にしても相手によって伝わったり伝わらなかったりする。
若者が読んで心地よく読めるサイズの字で構成されているということは正しく若者に向けられた小説なのであるということを表現していて、意識せずとも読者にそれと伝わりそうだ。
とか、ここまで書いて文庫の小説と文字の大きさを見比べてみたらあんまり変わらない。インクが少し明るいような気がするぐらいで、ありゃ。明るいから読みづらかったのか。
それにしても使い手、読み手、観客を想定せずに何かを作ることは無い。
私の信条としては、なるべく絞って絞ってコアのお客さんを決めてそこから広げていくこと考える。
まず絞ることが肝要だと思うのだが、世間の人たちはどうしているのだろうか。
洗い物をしている時、シンクの高さについて考える。
男が使う時は少し前屈みになることが多いので長時間使っていると腰が痛くなる。
これはシンクの高さが女性の身長に合わせて調整されているからだ。油圧で高さが簡単に変えられるようなシンクがあれば売れるんじゃないだろうか。(もうあるのかも?)
駅の自動改札は右利きの人間を想定している。
使い手を想定しなければ誰にとっても中途半端で使いにくい物になるし、きちんと想定して仕舞えばそれ以外への人間への対処もはっきりわかる。(対処できないこともハッキリする)
もちろん対象の人について知る必要はある。
どのくらい他人について知ることができるのか、というのは難しいけれど。