小学生の姪っ子が絵で賞をとったらしい。
絵の写真を見せてもらったところ、ずいぶん上手。
もともと絵を描くのは好きだったみたいだけど、だいぶ前、4、5歳の頃だったか…絵を描きながら描くのは好きだけど自分の絵は上手くないのだ、と言っていた。
私は驚いて、そんな事ないよと返したと記憶している。
多分誰か、大人か友達かに上手くない、と評された事があるのだろう。
当時の絵は子供らしいかわいい絵だった様に思う。立体を正確に捉えてる様な写実的な絵では当然なかった。
絵が上手いとか、下手というのを決定するのはそう容易いことではない。
プロにでもなって写実的な表現を求められて出来なければ、それは下手と言われる。
しかし写実的な表現だけが絵画ではない。
写実的な表現が不得意でもプロで仕事をしている人はいるだろう。
子供の描く絵に上手いとか下手とか評定するのは、相当に難しいと思う。
思うけど、子供の絵を簡単に上手いだ下手だと評価してしまう人が沢山いるだろうことも想像に難くない。
私は子供の頃に絵を褒められた記憶ははなくて、美大受験も落ちまくったし成長してからも下手だったのだと思うが、しかしやっぱり歳を食うほど絵の上手い下手というのは単純には評価できないよねと感じる。
凄く大雑把に言うと描き手が自分の表現したいものが表現できれば技術というのは、それで必要十分なので写実的な絵を描きたいと思わない人が透視図法や立体の表現の技術を持っていなくても問題ないということは当然ある。
アニメーションのスタッフでもアニメーター(上手い人でも)が一様な技術を持っているわけではないし、役職によって求められるものも変わるし何が必要な技術なのかを判別するだけでも結構難しい。
アニメーターの場合、写実的な表現を求められる事が多いのでそれを可能にするための技術が基礎教養として求められるが、キャラクターなどデザイナーの様な役職になった時、全く違う技術が求められたりする場合もあるし技術が邪魔して感覚に寄り添えないということもありそうだ。
漫画の絵の面白さは感覚に重きを置いて描いても成立するところだと思う。
基本一人で描くものは自分の感覚が絵柄を串刺してくれるということが可能だから。
アニメの場合は沢山の人間が同じキャラクターを描かなければ行けないので感覚的な癖の様なものを旧友するのは難しい。どうしても大勢の人間が共有しやすい様な平均化の作業が必要になる。
漫画家の絵にしてもアニメーターの絵にしても必要とされる技術の差異はあっても、それは絵の上手い下手とは別だ。
芸術と呼ばれる様な分野の中で究極的に上手いとか下手とか決めるとするならば表現したいものが表現できているのか、そうでないのか…位しか判断基準は無いように最近は思う。が、表現が達成されているされていないの判断をするのも容易でないので、やはり上手い下手を決めるのは難しい。
技術の部分であれば上手い下手を決め安いとは思う。
立体をうまく捉える事ができるか、透視図法を理解しているか、とか。
技術は、基本的には共有可能なものとして作られているので比較もしやすい。
しかし、そうでない表現の本質的な部分に分け入っていくには批評の様なややこしい分析が必要になるだろう。
子供の絵にそんな面倒な批評が必要な訳でもない。
大人のアドバイスが必要な場面があるとしたら、子供がリンゴを描きたいと思っていて、しかし自分の描きたいと思っているイメージと差異がある場合とか、他人に見せた時、自分が表現したい物が伝わっていなくて傷ついた時とかだろうか。
後者は余計なお世話になる場合もあるが…。
姪っ子に私の言葉が響いたのかどうか定かでないが、自分が楽しいと思う事を楽しそうに続けているのは何よりだ。
好きこそものの上手なれとも言うし、人生の楽しみを一つでも多く持っているのは良い事だよ。