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もう一息

アイカツ!の映画の方は、だいたい完成。
グレーディングも済ませDCPを焼いて試写すれば、あとは披露するばかり。
ギリギリまで作っている作品だとDCPを手で運ぶ…なんてこともあるみたいだが、そんなことにはならずに済みそうだ。
DCPとはデジタルシネマパッケージの略である。
竹芝のイマジカは出来たばかりなので、とても綺麗で心地よい。
五反田も何度も映画の試写などで訪れて思い出深いが、再開発されるみたいだ。
東京現像所も閉じフィルムを扱うところもだいぶ少なくなったんじゃなかろうか。

作品の完成が見えるとほっとしたり、嬉しかったりという気分が湧いてくる。
同時に、少し離れて見られるようになって気づくこともある。
製作中の作品の映像は更新されれば随時チェックするのだけど、映像を眺めていて特に意図したわけでもないのに違う作品で同じモチーフを同じ構図を使っているのに気づいた。
あれ?とシナリオを読み返してみると片方はシナリオに指定してあり、片方はないので私がアドリブで入れたらしい。
別に問題ないのだが、最近まで気づかなかったのが不思議だ。

各話の演出をたくさん担当していた頃は、違う作品で似たような話を担当することがあった。
夏であれば肝試しとか、海へ行くとか冬はクリスマスとか。
同じモチーフの話だと自分の好みが出てしまいやすい。
構図やら演技やら、放映時期の同じもので同じネタを担当するということはあまりないので(発注する時期が大体被るから同時に来ても受けられない)見てる人が気になることは無いと思うが、自分では覚えていることも多いので、そういえば前も同じようなことやったなと思いつつ、さりとて自分の好みから離れて別な事をやるのは難しい。
そして、何度も同じ事をやると上手くなるので似たようであっても数を重ねるごとに面白くは出来るようになると思う。

個人の好みではないけれど、現在製作中の「もののがたり」と「おとなりに銀河」はどちらにも家族というモチーフが出てくる。
家族が描かれているから引き受けた、とかではない。
引き受けた理由は別で、たまたま同じモチーフを扱っていただけである。
同時代に描かれた作品が同じモチーフを共有するということは良くあることかもしれない。
「エヴァンゲリオン」と「もののけ姫」はどちらも主人公の少年が呪いの様なもの
を背負ってるが、二人の監督が共謀したわけではなく当時の気分を共有していたということなんだろう。

自分の絵的な好みは嫌というほどわかっているが、好みだけで構図を選んでいるのではない。理屈に従うと作品によっては使える構図はかなり限定されてくることもある。
それが好みの様にも映ることはあるだろう。
いやしかし、好みで仕事を選んでいる側面もあるわけだし、好みと論理は簡単には区別できないかもしれない。

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