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滲みでる

アニメの監督をやっていると、人様の描いたコンテを沢山見る。原作ものであっても、コンテマンによって結構バラバラな作風で上がってくるもので面白い。
私は長期の作品が多かったので、割と色々な人のコンテを見ている方ではないかと思う。

キャラクターの表情の作り方など、原作があればそれ程バラツキは起こりずらいかと思いきやそうでもない。
それは単に原作を読み込んでいないという場合もあれば、読み込んでいたとしても、このキャラクターが担当コンテマンにはこんな風に見えているのか…と不思議に思える様な芝居をさせている場合もある。
そもそも監督のキャラクターに対する認識が多数の理解と違っているという可能性もあるのだが、原作ありにしろ、オリジナルにしろ監督は脚本作りから関わっているので、基本的には理解度は高いと思う。そりゃそうだろ…と言うもんであるが。

面白いと思うのは、人によってズレてる方向もかなり違う。良くあるのは、担当コンテマンが普段メインでやっている作品に引っ張られるパターン。
大体、演出家にも自分の得意や好みがあるので、キャリアの中でこう言う作品を沢山やってきたというものがある。私だったら日常芝居の多いものを受ける事が多かったとか。
少年漫画的な仕事が好きで沢山やってきた人が、たまたま少女漫画の仕事を受けたりすると如実に癖がでる。
少年漫画的な感性の人は、柔らかい表情みたいなものを描かなくてはいけない時、その中間的な機微をどちらか極端に振ってしまう。
逆もまた然りで、とても怒っているみたいな少年漫画にありがちな感情の表出をソフトにしてしまうという人もいる。
作り手の気質と言うのは、拭い難く滲み出てしまうのである。

役者などもそうで、痩せている声優に太った役をやらせても大体上手くいかない。
背の小さい人は、可愛らしい感じが声に乗るし、大きい人もまたそれらしさが乗る。
自分の身体性や経験を良く知ることが、表現の幅を広げたり上手く使ったりの第一歩である。
恐ろしげな巨漢のキャラクターが可愛い声で話す、とか…上手く嵌ると良くあるよねー、というイメージを超えていける可能性がある。
役者のオーディションの時は、テンプレート的な選び方をなるべくしないように心がける。

私も仕事が来ると何で俺に頼んできたんだろうか、と考えるのだが、大体は手近にいるから…だ。良くないね笑。

しかし、スタッフの場合はオーディションもないし手近にいない奴は大体スケジュール合わないし、なかなか難しい。

歳と共に自分に出来ることも変わってくる。
自分の身体と仕事が上手く嵌まるかは半分運だ。
私は自分のストライクゾーンに投げて貰えない球は見送るタイプ。はて、人生も残り少ないが、どんな球が飛んでくるやら…。

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