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今日でほんとにラスト

1月20日から上映されてきたアイカツ!の映画も今日で上映がラストだそうで、たくさんの人に見ていただいてありがたい限りです。

10周年のお祝い楽しかった。

10年前のことって、結構忘れかけている。なかなかもう振り返る機会もないので私が関わった当時の特に立ち上げの頃の事を思い出してみよう。

といっても、ほとんどはどこかで記事になってる様な事だと思うけど。

怒られたら消すかも(笑)

アイカツ!話が私のところへ来たのは、別な作品「夏色キセキ」の作業をしている途中だった。多分2012の年明けとか結構ギリギリなタイミングだった様に思う。夏色キセキが春番だったので後半戦を作っている頃だったのでは無いだろうか。

サンライズ(当時)との付き合いも、それまで全くなかったので私に任せるの不安じゃないの?と思ったが夏色キセキも一応アイドルネタだったし向いてると思ってくれたのかな?

夏色キセキといえば寿美菜子嬢とは、その時に初めてまともに話した様に思うし芝居が非常に印象に残った。私にとっては、とても大事な役者さんとの出会いだった。

シナリオ会議が始まったのは3月か4月、途中色々あって止まったりもしていたので作業は非常に遅れていた。

夏色キセキに入っていた京極尚彦くんの監督作(ラブライブ)が動いているのを知っていたので、いつ放映?と彼に聞いてアイカツ!より先に動いてたのに放映は後だったのを羨ましく思ったのを覚えている。(アイカツ!は10月、ラブライブは翌年1月)

私と加藤陽一は初めて組む、しかもお互いそれほど上(監督・シリーズ構成)に立った経験が無い状態だったので初めはかなり手探りだったと思う。

サンライズPの若鍋さん1年目の制作チームのテレコムのP、テレビ東京の奈良さん、バンダイチームの人たちみたいな偉い人が沢山いて私がそれまで見てきた中では割と大所帯の会議だったので、色々言われたら嫌だなあ…などと思っていたがバンダイさんから難しい注文をされることは殆どなく、むしろシナリオで出てきた面白いアイデアをとにかくゲームにも反映させるぞ(時間もないのに)みたいなノリノリの雰囲気だったのでやりやすかった。

もちろん大変なことも沢山合ったのだが…まあ今となっては笑える。

とにかく止まったら落ちる(放映が)みたいな状況だったのであらゆる事が全力疾走だった。

そして結局、3年半終わるまで走りっぱなしだった。

もう今は無理だ(笑)

ゲームチームの方もアニメと状況は変わらず、待ったなし。

ドレスデザイン、カードデザイン、音楽制作、ゲームも制作は大変。

しかしアニメとゲームの進行がほとんど追っかけっこしていたおかげで、シナリオとのシンクロ率は高められたと思う。

フェブリスメーターと私が勝手に名前をつけた勝敗のポイントを表すバーが表示されるメーターやアバターのラフデザインは私が作ったのだが、時間がないけどアニメとゲームでデザインを合わせたいと言われてデザイナーもいなかったので私が起こした様に記憶している。ゲームチームはなるべくアニメのアイデアを拾おうとしてくれていたし、アニメの方でもなるべくゲームの面白い要素がフォローできる様にしてくれていた。

お互いに時間がない中でアイデアを投げ合っていたので全部とはいかなかったが、まあ良くやっていたと思う。

並走する彼らと顔を見合わせ、お互い大変だねと笑って話していた。

役者さんのオーディションと歌い手さんの選定はほぼ同時進行で動いていた様に思う。

今考えると少し時期をズラしても良かったのでは?と思うけど、春くらい?の段階で初期メインキャラ8人

全員の役者と歌い手を一気に決めた。

確か3DSのゲームで全員の声を入れたいからみたいな理由だったかもしれない(かなりうろ覚え)

いや、ミシェルとかも決めたからキャラの役者は10人近く一気に決めた気がする。

こんなに一気に決めることもなかなか無いのでは無いだろうか。

キャストの選考を決める日は私の誕生日(6月10日)だった様に記憶しているので、オーディションはその少し前にやったのではなかろうか。決めてすぐゲームボイスの収録が始まった様に思う。

当時アイカツ!あるあるであったのだが、ゲームの開発が先行しているのでシナリオにも出てきていないキャラの声をゲームに収録しなければいけない事がしばしばあった。

なのでゲーム音声の収録には私も殆ど立ち会っていた。ゲームボイスのセリフの監修も私と加藤氏が目を通していたのでなかなかハードだった。

しかし、ユリカは確か後でセリフを少々修正してボイスを録り直している筈である。

シナリオが出来てなかったので当時は吸血鬼キャラという設定がなかったのだ。(沼倉さんすいませんでした)

最初のゲームボイスの収録の時は他のキャラも大体こんな感じで見たいなざっくりしたイメージで作ってもらったと思う。

テレビのアフレコが始まったのは、多分8月くらいとかからじゃなかろうか。(だいぶうろ覚え)

音楽周りの初期は曲の発注などは私も参加したと思うが歌の収録などは水島氏と音楽チームにほとんど任せきりだった。キャラに関しては簡単なメモを書いて歌い手さんたちに渡していた程度。

アフレコもしていないので歌い手の皆んなはかなり手探りだったに違いない。

ロゴの制作などもシナリオと同時並行で進めていた。

最初はコンペでは無く幾つか案が有ったのだが、思うところがあり無理を言って知り合いのデザイナーさんに声をかけコンペにして貰った。

その中で採用されたのが内古閑さんのデザイン。

私はコンペで上がってきた候補の中からプロデューサーたちが、ある程度選別したものをどれが誰のデザインということは聞かずに決めた。

パッ見た時は誰のデザインか判らなかったけどコンセプトの昇華の仕方がとても素晴らしくシンプルにゲームの内容や作品の楽しげな雰囲気を表現してくれていたので選んだところ、内古閑さんのデザインと聞いて流石だなーと思ったのを覚えている。

キャラクターの設定も一応コンペだったのだが、人が見つからず…というのと水島氏の紹介してくれた、やぐちひろこ嬢が圧倒的に良かったのですんなり決まった。

アニメのデザイナーも当然一人では全部こなせないので、夏色キセキでメキメキと頭角を現した当時は新人原画マンだった渡部里美ちゃんとダメもとで電話したら引き受けてくれた石川佳代子嬢が参加してくれることになる。

石川さんと私、内古閑さんも初めて顔を合わせたのはガイナックスで水島氏が監督で制作した「はなまる幼稚園」という作品だった。

里美ちゃんは初期キャラクターの衣装替えのほとんど、石川さんはメイン以外の学園生徒やアイカツフォンなどプロップと呼ばれる小道具、宝石箱の様なフィッティングルームも考えてくれた。

サンライズ側にいた最初期のメインスタッフは、木村、やぐち、石川、渡部。後は設定制作をやっていた今ではプリキュアのプロデューサーである田中昂くらいであった。

メインで制作を請け負ってくれたのはテレコムアニメーションフィルムという、あの宮崎駿も在籍していた老舗スタジオである。

テレコムのスタッフだったのが、その後長くアイカツシリーズに関わることになる色彩設計の大塚眞純嬢。当時ほぼ初めての設計業務だったと思う。

そして美術監督の大貫雄司、撮影監督の宮川淳子嬢。編集の笠原義宏さんなど。

他にも沢山絵コンテを描いてくれた矢野雄一郎さん、沢山演出をやってくれた小山田桂子さんなどがテレコムのスタッフだった。

キャラクターにしても美術にしてもアイカツ!は設定の量が多かった様に思う…すいません。

毎話ごとに違う場所出てきたり変装やらドラマで衣装を変えたり。

設定に関わるの渡部さん、石川さん、大塚さん、大貫くんはとても大変だったろうと思う。

設定というのはシナリオがある程度完成しないと作り始められないのでシナリオが遅れていたアイカツ!は設定もギリギリで追いかけっこをしていた。

設定の発注はメインキャラクターは基本的に原案があったので原案に沿って発注。

色も頭部はゲームチームの作った原案に沿っていた。

原案と言えばエンディングにもクレジットされている川村歩さんが主にキャラクターのデザインをまとめていらっしゃったのだと思う。他の人のアイデアも当然入っていたと思うが主には川村さんがまとめていたと聞いていた。

立ち上げは時間がなかったこともありゲームチーム側で先行してデザイン案が描かれていたのだと思う。私が入った頃にはキャラのデザイン案はメイン8人全て存在していた。髪型は子供への調査なども受けて変更があったキャラがいたと思う。ユリカとか。

サブキャラはオリジナル、服装も制服以外はオリジナルなので自由に制作していた。

服装は私は極力意見を言わない様にしていた。渡部さんにしても石川さんにしても服は好きな人だったので、おじさんが余計な口出しはなるべくしない様に気をつけていた。

シナリオに関わる説明などがあれば伝えるくらい。

色に関しても同様で相談されれば応えるが、女の子のセンスが必要なものに関しては基本的にはお任せで通したいと思っていた。ていうか今だにそう。おじさんが口出しても碌なことがない。

基本的には私はまとめ役に徹して、女性の意見が反映される様にしていたつもり。

立ち上げの頃アイカツ!に関わっていた女性スタッフや役者さんに子供の頃見て印象に残っている女のむけアニメはあるか良く聞いていたが、ほとんどの人が佐藤順一さんの作品を上げていた。セーラームーン、おジャ魔女、ふたご姫…など。

私は一番最初のセーラームーンのノリが好きだったので、あの雰囲気を再現できないだろうかと目論んでいた。

美術もセーラームーンや小林プロダクションが女の子向けの作品で作っていた様な雰囲気を意識していた。美術監督の大貫くんは、私が参加していた「はなまる幼稚園」の雰囲気を参考にしたと話していた気がする。

美術デザインはちょっと西洋風というか少し洒落た和洋折衷のイメージでみたいなお願いをしていた様に思う。

スターライト学園のデザインは何かイメージの参考みたいなものを大貫くんが挙げてくれていた気はするが、覚えていない。なんでも弁当の辺りの街並みは横浜の元町辺りの洒落た雰囲気みたいなお願いをした気がする。

初期の頃は結構お仕事的にというか、あまりやる気なく参加してくるスタッフも少なくは無かった。あまりにスケジュールが悪かったので、それも当然と言えるのだが。そんな中、撮影監督の宮川さんにのやる気にはすごく励まされた。フェブリスアンテナ(この名称も作中では使わなかったかも…)という観客が頭につけるアンテナから出る星やシーンの変わり目に入るワイプは彼女が作ってくれた。ワイプは石川佳代子さんにタタキのアイデアを出して貰って宮川さんが起こしてくれた様に記憶している。

宮川さん、石川さんといえばカレンダーガールのレコードの回る速度はテレビ局の注文もあってかなり直しを重ねた。最初はかなり早く感じたので仕方なく数枚の絵を不採用にして決定された。

最近イベント上映の時に話したけどカレンダーガールのエンディングで回っているレコードを未来のいちごが止めて終わるというアイデアを私は考えていたのだが、絵コンテから丸々石川さんに頼むことになって、その時アイデアは不採用になった。この未来のいちごのアイデアがSTARWAYの映画に繋がっている。

CGはサムライピクチャーズさんがテレコムの紹介で担当してくれることになった。時間がないのに前向きに色々相談に乗ってくれたのを憶えている。

キャラのモデルは時間が無かったこともあり、あまり手が入れられないというような話だった気がするが結局色々あって修正されていったのはみなさんご存知かと思う。

カメラワークも最初はゲームで付けたものを軸にアレンジしていく様な方向性だったが、後にディレクターの北田さんの参加で大きく変わっていくことになる。

1話でのフィッティングルームで天井に光が映ったりするのは地味に部屋全体を3Dで組んで作って丸い天井への光の反射を作っている。

アイカツ!の頃は昼間は、ほとんど打ち合わせで夜にデスクワークだった。アニメの監督は皆んな大体あまり変わらないと思うけど絵コンテ描いたり直したりは夜中の作業になってしまうことが多い。

なので朝方とかに制作が私が描いたり直したコンテを回収にくるのだが、アイカツ!は人が少なかったこともあり、このままでは私も制作も疲弊してしまうと思い当時は出て間もなかったCLIP SUTUDIO PAINTで絵コンテの直しをやるという方法に1クール終わる頃には切り替えたんじゃないかと思う。

データでのやりとりで済むので、非常に楽になった。

1話は手描きのコンテで完成したのは6月の頭とかだった気がする。ヤバい……。

2話は矢野さんがコンテを描いてくれて以降、矢野さんのコンテには沢山助けられた。

矢野さんは宮崎駿の薫陶を受けた世代の方で姿はオジサンだが心は乙女の優しい方。絵は当然上手いが滅法手も早く2週間で1本くらいのペースで絵コンテを描かれていた様に思う。

私なぞ遅くて遅くて、結局1話のコンテを描いて以降、次にテレビのコンテを描いたのは177,178話になってしまう。

Signalize!のオープニングは夏色キセキの作画チームが担当してくれた。

あの時はCGが間に合わなくてダンスシーンも作画で作っている。原画は確か長田伸二。

いちごが着替えつつ色が変わるカットは渡部里美ちゃんが原画を描いて変わった色にして!みたいな注文で大塚さんに自由に色を決めて貰ったという記憶がある。

最初のいちごが振り向くあたりは岩崎茂希くんが担当、ジョニーのあたりは盟友の安彦英二が描いてくれた気がする。

作曲のNARASAKIさんは「はなまる幼稚園」でご一緒していて水島氏が繋いでくれて快く引き受けていただいたという流れだったと思う。

音楽といえばMONACAチーム。

私が入った時すでに何曲かはゲーム用のデモが存在していた。

ゲームに最小された順はアニメの方との兼ね合いやらラインナップのバランスやらで最初にできた順から搭載されていたわけではない。

劇伴の打ち合わせは帆足くんと石濱くんの二人で来てくれた気がする。石濱くんは大変なシャイボーイで当時はあまり話してくれなかった様に思う。沢山話す様になったのは劇場版アイカツの後あたりかなぁ。帆足くんはいつも気さく。絵コンテを簡単に編集してフィッティングシーンのガイドを作って帆足くんに曲を作って貰った様に記憶している。

音響監督の菊田さんは、やはり夏色キセキからの流れで他の候補もいたと思うが私の希望や現場のテレコムさんも懇意だったこともあり決まったように思う。

菊田さんはラブ&ベリーのゲームの収録も担当していたそうだ。

アイカツ!のキャストには新人も多かったため当時は私はよく分かってなかったが個別指導をしてくれていたり丁寧に面倒を見て貰って、私自身も沢山勉強させて貰った。

1話に色がついて完成した時、菊田さんが皆んなで見ようと言ってアフレコブースで映像を流して見た気がする。アフレコの時はいつもコンテ撮といって絵コンテを撮影して芝居が何となくわかる様な状態でしか収録できていなかったので完成形を共有するのは必要があるということだったと思う。

うーーん、新人さんが多い現場で、あの状態のアフレコは本当に申し訳なかったなと今更ながらに反省。といっても当時はどうしようもなかったのだが…。

1話も確かコンテ撮でアフレコしていると思う。

さてさて、長くなってしまった。何とか1話が出来上がって、その後3年半アイカツ!は続く事になるのだが途中に映画も作ったりで、ずっと全力で走っている様な状態で当時は振り返る余裕もなかったし止まったら死ぬみたいな勢いで、ヒットしている状況も考えると怖くなってしまうから途中からはあまり気にしない様にしていた。

とにかくドタバタと始まって、放映できたのが奇跡くらいの状態だったので、その後、形を変えて10年もプロジェクトが続くとは、流石に思いもよらなかった。

2年は続く様にしたいなあ、というのが密かな目標であったが、それも1年やって続く様なら若い人にバトンタッチしようくらいの心持ちだった。私みたいなオジサンがやるよりは若い人の方が適任だとずっと思っていた。1年、また1年と伸びて3年半。今考えればそう長い期間でもない気もするものの、当時は倒れずに走り続けるので精一杯という思いもあった。でも、なんやかんやとこうして長く関わらせて貰えたの事には感謝している。

特に今回の映画は手がけられて良かった。

最後にもう一度、見ていただいて本当にありがとう。

また気が向いたら昔話を書くかもしれない。

取り留めない話にお付き合いいただき感謝。

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