しばらく続いた雨が止んで気温も上がりそうで買い込んでいた植物が植えられそうな気候になってきた。
雨が続いては作業もままならないし、根腐れしてしまう。
地植えにしていたプリムラジュリアンはいい感じに咲いていたが地面に這うような植物なので雨の影響をもろに受けて花はダメになり切り戻してみたけど葉もだいぶ痛んでいたので、復活は難しいかもしれない。
アネモネは沢山花が上がってるので、このまま暖かくなれば楽しめそう。
ビオラは種類によって生育にえらい差があって、元気ではあるが思ったように育たない品種がある。
宿根草が結構出回り始めたので立性の背の高いものを探しに園芸店へいったが、ラベルに高さが書いていない品種が意外に多い。
最近は背の高いものより矮性種の方が多くなっているようで、立性のものがなかなか見つからない。
宿根草はとんでもなく大きくなる品種も結構あるようなので、50〜80センチくらいで収まる品種の方が使いやすいのはそうかもしれない。
環境や管理によっても大きさは随分変わるんだと思う。
幾つかは立ちの上がるものを見つけたので植えてみようと思うが、大きくなるには2、3年かかるんじゃなかろうか。
なかでもアカンサスモリスが楽しみ。
町屋良平「生きる演技」は趣味では無かったがよく出来た作品だった。
演技と言いつつ小説についての小説のようでもある。
自分の話す言葉が自分のものなのかは怪しいものだろう、いつか誰かから聞いた言葉をまるで自分の中から湧き上がってきたもののように感じたり、常識、思い込み、人間は殆どそういったもの作り上がっているんじゃないのという、そりゃそうだろうねとも思うし、自分と他人との境界が曖昧になっていく様を言葉を使ってまざまざと非常に巧みに見せてくれる。
しかし湿り切った質感は趣味ではない。
1R1分34秒のような爽快さは無かった。
カミュ「ペスト」は「アルベール・カミュ──生きることへの愛」という新書の島薗進の書評が面白かったので興味が湧いて読んでみた。
そもペストが今でも時々流行しているということは全く知らなかった。
コロナ禍を経験した我々はペストの街の気分を容易に思い浮かべることができる。
かなり実感を伴った小説として読むことができる。
医師リウーの結局のところ出来る事をやるだけだという諦めのような境地は感染症に閉じ込められた世界のみならず現世から逃げ出すことの叶わない人間の共通感覚として読める。
コロナ禍を思い出して気が重くてなかなか読み進められなかったが収束は非常に面白かった。
今週は知り合いのプロデュサーの頼みで突然ラジオに出ることになり、もう週末にはオンエアされるらしい。
文化放送には初めて入った。ニッポン放送は随分昔に行ったが両局ともテレビ局とは違う独特の小ささが昔のアニメ会社の空気感を感じられて好ましい。
私なんぞの小物がゲストで聞いてくれる人はいるんだろうか…と心配にはなるが。