夏?【2026年05月02日】

今日は天気が大変よろしかった。暑いくらい。

先日は、すーちゃんと仕事で対談。
27歳だって。
出会って14年たったわけだね。
もうすっかり大人なのだけど、どうもこっちは出会った時のイメージから更新があんまりされていない気もしていて、ときに子供扱いして失礼なことを言っているかもしれない。

14年前は震災の翌年で、関東以北は特に沈んだ気分で、もう日本は終わったんじゃないか?と、そんな風に少なくない人が考えていたと思う。

私はその数年前にビデオシリーズのアニメで初めて監督をしたものの、そのあとの監督の話はさっぱり来ず、世の厳しさを味わっていた。(食うに困っていたわけではないので、それほど大袈裟でもないが)
年下世代が煌びやかに監督デビューしているのを少し拗ねた気持ちで眺めながらテレビの各話演出やら他人の監督の助手やらをやっていた。

震災の日も今は無くなってしまったマングローブというスタジオに行く最中で乗っていた電車がたまたま駅に着いたあたりで地震が発生して、尋常でない揺れを感じて窓の外を見ると駅のホームの向こうのビルがゆっくりと揺れているのが視認できて現実から浮遊したような気分を味わった。
そこから歩いてスタジオに向かって着いた時には仲間から津波の映像を見せられた。

原子炉が煙を吹いた映像を見たのはアイドルマスターを作っていたスタジオに向かうために阿佐ヶ谷の商店街を歩いていた時だと思う。
チェルノブイリのようなことが日本で起こるのか、と正直暗澹たる気分で歩いた。
すぐ後、沢穂希選手が女子サッカーワールカップの決勝でゴールを決めたのを見たのもアイマスのスタジオで随分と気分が上がった。

アイマスの仕事のあと、夏色キセキを手伝うことになり準備に入った。
シナリオ会議とかはアイマス、その他の仕事とかぶっていたかも知れない。

多分1話のコンテをやり始めたか、終わったあたりでゼクシズ新宅くんから監督のオファーを貰った。
ホラー的な内容の作品だったか記憶が定かでないが、少し自分の趣向とは違った。
監督の仕事をフイにするか電話口で一瞬躊躇したものの、夏色キセキが始まってしまっていたので、さすがに義理的にも難しく断った。

まあ、これでまたしばらくチャンスは無いだろうと思っていた。

夏色キセキ制作の後半戦、2012に年が明けてからだったような気がするが、夏色キセキのプロデューサーで今はバンダイナムコピクチャーズの社長の佐藤さんから唐突に監督の仕事を振られた。
もともと水島さんにオファーしていたのではないかと思うが、僕のところへ来た経緯は分からない。

企画を見て話を聞けば、1年間の長期シリーズ。
サンライズで仕事をするのは夏色キセキが初めてだったし、佐藤さんも私の仕事ぶりをさして知らなかったはずだが、アイドルものということでアイマスをやっていたことは話していたから、出来るかもと思われたのかもしれない。
とはいえ何処の馬の骨とも分からん演出家によくこんな大きい企画振ってきたな、と驚いた。

アイカツ!のタイトルはその企画書からついていた。

私はとくにアイドルに詳しいわけでもなかったので、はてどうしたものかと、半分当方に暮れた。
スケジュールも聞けば秋からの放映でゲーム筐体のボイスを録るためには、すぐにでも脚本を作り始めなければいけないような状況。
とはいえ、40代になった自分の最後のチャンスだろうな、と思ったので断るという選択肢はなかった。

なんとなく憂鬱だった自分の気分も世間の気分も重なっていて、それを紛らわすような作品というのは自然な流れだったのかもしれない。
当時の少女漫画も雑誌を買ってきてもらって、ざらっと読んだのだけれど、おじさんの感性で当時の流行りに乗っかるのは危険すぎたし、自分にできる範囲で振り切れることをやるしかなかったのだが、落語のネタ井戸の茶碗のような善人すぎて揉めるような世界観は当時の空気を考えれば子供は楽しいだろうという目論見で、結果それは当たったんだと今は思う。

いままた、世界は憂鬱だ。
そんな中で秋からアイカツ!の筐体が稼働するらしい。

歌って踊る。一日中戦争について考えるよりはよほど健康的だ。

色んな色をぐるぐるかき混ぜてしまえばグレー1色になってしまう。
が、かき混ぜられる力に抵抗するのはなかなか容易ではない。

色を作り出すのはひとりひとりの体で、芸能はそれを湧き出させる触媒のような役割をすると思う。


この前のポストのアクセス数がえらい数になっていて、なんだろうと思ったが筐体が稼働するニュースがあったからかと、合点した。

楽しみましょう。