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  • もののがたり第2章

    もののがたり第2章

    今日は令和5年7月03日、今日の深夜から「もののがたり」の第二章がスタート。

    作り終えてからは少し時間が経ったので、やっとという思い。

    後半戦は戦闘のシーンが多かったのでスタッフたちは大変だったかと思う。感謝しかない。

    二章から登場の爪弾は土井美加さんが演じてくれている。

    土井さんの演技は素晴らしく迫力があり、聞いていて楽しかった。

    参加してくれていた同世代の演出家は土井さんのファンだったらしくテンション上がっていて面白かったのだが、それもそのはず、我々世代であれば超時空要塞マクロスの早瀬美沙というキャラクターでお馴染みだからだ。

    私も当然、心の中ではわくわく。表には出さなかったけど。

    他の役者さんたちの芝居も当然素晴らしく音響作業はいつも楽しかった。

    お客さんにも楽んでもらえることを願う。

    最近は作り終えてから放映という作品も増えたのだが、知り合いの監督が作り終わったら早く見せたい、と言っていてその気分は分かる。

    作るのには放映期間の何倍かの時間がかかっているので放映を見ていると、あっという間だなぁと感じてしまうのはアニメ制作者共通の感慨だろう。

    花火のように一瞬で消えてしまうのが昔のテレビアニメの醍醐味だったのだが、いつの間にかビデオなどで何度も再生されるようになり、最近は配信などでさらに再生の機会は増えている。

    苦労して作った作品の見られる機会が増えることはありがたい。

    とはいえ、配信も常にやっているというわけでもないので見られる時に見ていただきたい。

  • はじめは無声

    はじめは無声

    先週金曜に第3回カツベン映画祭で山崎バニラさんと片岡一郎さんの活弁を新宿武蔵野館で観てきた。

    活弁はそれほど観ているわけではなく、以前に仕事でご一緒した山崎バニラさんの公演は何度か拝見している程度。

    バニラさんの活弁はコメディー作品を扱うことが多いので誰が観ても入りやすく楽しいと思う。

    各回楽しそうで時間があれば1日見たかったけど、そうもいかなかったので、バニラさんと、ずっと観たかった片岡一郎さんの回を選んだ。

    活弁は活動写真弁士の略なので本当は動詞では無いのだろうけど、「活弁を見る」とか「活弁する」で通じるみたい。

    片岡さんは口上で「説明は片岡一郎」と名乗っていたが、弁士が映画につける語りを「説明」と言っていたらしい。

    活動写真弁士については、片岡一郎さんが書いた「活動写真弁史」に詳しい。この本がべらぼうに面白かったので片岡さんの活弁はとても見たかったのである。

    「活動写真弁史」は映画好きなら間違いなく面白いので読んでほしい。

    無声で映画を見るというのは、昔は映像を自分で作るということになれば先ず誰でも体験するようなことだった。

    だった…というのは最近はスマホなどで簡単に音付きの動画が撮れてしまうので。プロの世界じゃないと無音で映像を見る機会は少ないかもしれないと思うからだ。

    フィルムで映像を作るとき音がないのが当たり前なので初めて自分が撮った映像を見るときは無声である。学生時代、自分が撮った画が映写機がフィルムを送る音をバックに壁に映るのを見てえも言われぬ感動が湧いたのを覚えている。

    私が初めて無声映画を見たのは、たぶん高田馬場にあったACTミニシアター。

    この映画館、椅子が無くて寝そべって観る!というスタイルで無声映画やマニアックな作品をたくさん上映していた。寺山修司の短編とか、戦艦ポチョムキンとか…。

    まあ寝ます。

    ポチョムキンとか何度も見てるけど果たして通して見られた記憶がない。

    でもマキノ雅弘の「雄呂血」とか面白かったのは、ちゃんと起きて見られてたと思う。

    学生時代に無声映画はちょこちょこ見たのだが、弁士付きで見たことはない。

    私はバスターキートンの映画が好きだったので当時こぢんまりと行われていた上映会にも行ったが弁士付きで見たことはなかった。

    当時(90年代あたり)、弁士で知っていたのは澤登翠さん位で私の記憶では弁士付きで見られる機会はかなり少なかった様に思う。

    古い映画でなくとも学生の映画は音をつけるというのは、なかなかハードルが高くて、ほとんど無声の映画は多かった。無声の映画でも面白いものは面白いのだが、つまんなければ圧倒的に眠くなる。面白くても眠くなることはままある。

    音が入ると俄然血肉がつくというか実体を伴い身近に迫ってくる感じがするのは随分長く映像を作ってきたけど変わらない。

    昔の名作無声映画も、やっぱり弁士付きで見た方が圧倒的に面白い。とバニラさんたちの活弁を見て思う。

    まずなんたって解りやすい。

    そしてバニラさん片岡さんの声はグッと心を鷲掴みにする響きがある。

    もちろん良い映画ありきだと思うけど、活弁は圧倒的に映画を生き生きとさせる。

    今まで見た無声映画を弁士付きで見直したいよなー、とつくづく思う。

    また活弁聞きに行きたいなー。

  • 実写とアニメと

    実写とアニメと

    おとなりに銀河は実写版とアニメ版と同時期の放送となったわけだが、実写版は一足早く終了。

    まだ全部見られていないものの、自分の関わったアニメ版とのアレンジの違いなんかも楽しめてとても面白かった。

    少し前にアイカツプラネット!で実写の現場を見せてもらったので、手がかかっているところとかアレンジの理由なんかもある程度分かって、作り手目線でも楽しめた。

    装飾という部署の仕事ぶりがとても素晴らしかったのが個人的なツボ。

    私も仕事で関わるまではよく分かっていなかったのだが、美術と呼ばれる部署は基本的にはセットなんかの設計だけ。実際に作るのは大道具さんで、部屋の中に置いてあるものとか役者が手荷物以外の全てのものは装飾と呼ばれる仕事をする人たちが作る。

    作ると言っても1から10まで手作りというわけではなくて既製品と作り物を組み合わせて作品の世界を作っていく。

    夜ドラのおとなりに銀河の場合だったら、キッチンの作り込みが素晴らしいなと思った。映る回数が多いので手をかけたということではあると思うけど、生活感の溢れる感じで物が置かれていて、あの感じをアニメで作るのは相当に難しい。

    アニメの場合は、ありとあらゆるものを描かなければいけないので、ごちゃっと物がたくさんある空間はとてもカロリーが高い。実写でも、その手間は実は同じではあるのだけど、アニメの方が仕事のカロリー的には高くなってしまう気がする。

    なので、ああいう空間作りを見ると羨ましいなと思う。

    アニメの得意なのは、既製品にないものを作れること。

    実写版では、やはり漫画の中のキッチンとは大分違う形の部屋になっていたが、アニメはほぼそのまま再現している。

    実写ドラマで同じことをやろうとすると、まず部屋のセットを作って漫画に合わせて調度品を全部作って……こうなると仕事のカロリーが一気に跳ね上がり、予算と時間がないとちょっと無理みたいな話になる。

    アニメは、そういうフルスクラッチな作業は比較的得意だ。

    でも、実写もアニメも作業の物量が多くなれば大変なのは同じで重なる部分も多い。

    実写もアニメも得意なところ不得意なところがあって、制作陣は最大限自分たちの使う表現方法の良さを活かして作っていくので、そんなことを気にしながら見るとまた違った楽しみ方ができるかもしれない。

    「おとなりに銀河」アニメは1話が無料公開中なのでお時間ある方は是非。

  • 向いてるとか向いてないとか

    向いてるとか向いてないとか

    小学生の姪っ子が絵で賞をとったらしい。

    絵の写真を見せてもらったところ、ずいぶん上手。

    もともと絵を描くのは好きだったみたいだけど、だいぶ前、4、5歳の頃だったか…絵を描きながら描くのは好きだけど自分の絵は上手くないのだ、と言っていた。

    私は驚いて、そんな事ないよと返したと記憶している。

    多分誰か、大人か友達かに上手くない、と評された事があるのだろう。

    当時の絵は子供らしいかわいい絵だった様に思う。立体を正確に捉えてる様な写実的な絵では当然なかった。

    絵が上手いとか、下手というのを決定するのはそう容易いことではない。

    プロにでもなって写実的な表現を求められて出来なければ、それは下手と言われる。

    しかし写実的な表現だけが絵画ではない。

    写実的な表現が不得意でもプロで仕事をしている人はいるだろう。

    子供の描く絵に上手いとか下手とか評定するのは、相当に難しいと思う。

    思うけど、子供の絵を簡単に上手いだ下手だと評価してしまう人が沢山いるだろうことも想像に難くない。

    私は子供の頃に絵を褒められた記憶ははなくて、美大受験も落ちまくったし成長してからも下手だったのだと思うが、しかしやっぱり歳を食うほど絵の上手い下手というのは単純には評価できないよねと感じる。

    凄く大雑把に言うと描き手が自分の表現したいものが表現できれば技術というのは、それで必要十分なので写実的な絵を描きたいと思わない人が透視図法や立体の表現の技術を持っていなくても問題ないということは当然ある。

    アニメーションのスタッフでもアニメーター(上手い人でも)が一様な技術を持っているわけではないし、役職によって求められるものも変わるし何が必要な技術なのかを判別するだけでも結構難しい。

    アニメーターの場合、写実的な表現を求められる事が多いのでそれを可能にするための技術が基礎教養として求められるが、キャラクターなどデザイナーの様な役職になった時、全く違う技術が求められたりする場合もあるし技術が邪魔して感覚に寄り添えないということもありそうだ。

    漫画の絵の面白さは感覚に重きを置いて描いても成立するところだと思う。

    基本一人で描くものは自分の感覚が絵柄を串刺してくれるということが可能だから。

    アニメの場合は沢山の人間が同じキャラクターを描かなければ行けないので感覚的な癖の様なものを旧友するのは難しい。どうしても大勢の人間が共有しやすい様な平均化の作業が必要になる。

    漫画家の絵にしてもアニメーターの絵にしても必要とされる技術の差異はあっても、それは絵の上手い下手とは別だ。

    芸術と呼ばれる様な分野の中で究極的に上手いとか下手とか決めるとするならば表現したいものが表現できているのか、そうでないのか…位しか判断基準は無いように最近は思う。が、表現が達成されているされていないの判断をするのも容易でないので、やはり上手い下手を決めるのは難しい。

    技術の部分であれば上手い下手を決め安いとは思う。

    立体をうまく捉える事ができるか、透視図法を理解しているか、とか。

    技術は、基本的には共有可能なものとして作られているので比較もしやすい。

    しかし、そうでない表現の本質的な部分に分け入っていくには批評の様なややこしい分析が必要になるだろう。

    子供の絵にそんな面倒な批評が必要な訳でもない。

    大人のアドバイスが必要な場面があるとしたら、子供がリンゴを描きたいと思っていて、しかし自分の描きたいと思っているイメージと差異がある場合とか、他人に見せた時、自分が表現したい物が伝わっていなくて傷ついた時とかだろうか。

    後者は余計なお世話になる場合もあるが…。

    姪っ子に私の言葉が響いたのかどうか定かでないが、自分が楽しいと思う事を楽しそうに続けているのは何よりだ。

    好きこそものの上手なれとも言うし、人生の楽しみを一つでも多く持っているのは良い事だよ。

  • 観劇からの感激

    観劇からの感激

    先日、ロロ『BGM』を見た。

    ロロは、ここ何年か追っかけていて公演があれば大体見ていると思う。

    コロナの前は他の劇団もたまに見ていたけど、落ち着いてからも忙しかったこともありロロ位しか見られていない。

    しかし、演劇もライブも元の状態に戻れそうなので嬉しい限りだし時間があれば色々見に行きたい。

    ロロを初めて見たのは「ハンサムな大悟」だったかと思う。

    板橋駿谷さんは強烈に印象に残ったが、全体として自分が普段やってる仕事に近い事をやっているのに表現として全く違うし思いもつかない様なことをやっているのが面白くて嵌ってしまった。

    三浦直之さんの劇作、演出は色々なものの境界を曖昧にする、又は同じレイヤーというか同じ次元に重ねて見せてしまうというところが強烈に好きだ。

    時間や場所や個性や現実と非現実、普通重ならないものを重ねて見せて、見えないものが見えてくる。

    私の作っているアニメーションは、実はそうしたことがとても得意な表現技法なのだけど三浦さんの様なことをやっている作品はあまり見かけない。無いわけでは無い。

    舞台ならではのシンプルな美術(舞台装置)の中で時間や様々なものが重なり変化していくのは不思議だが自分の中の観念の世界を感じて自然でもある。

    劇作の中で扱われる題材は根の部分はそれほど突飛なことは少ない、と思う。突飛な世界でも地に足がついている感覚がある。それは役者の力量のおかげでもあるのかもしれないが。

    なのに夢の様な魅力的な世界が見えてくるというのは素晴らしい。

    特に今作『BGM』は友達の結婚式に行くという、ただそれだけの事が描かれているだけだ。だが劇的だ。

    日常が魅力的に見えるというのは素晴らしい、自分もそういうものを作りたい、と思っていることもあって『BGM』はとても好きな作品だ。

    今回は再演であったので筋は概ね知っていたが、思っていたより雰囲気が変わっていた。音楽が変わったのが大きかったのかもしれない。

    表現技法の特質をうまく使った表現というのは、やはり個性的で刺激的だし三浦直之の舞台は、いつもそれを明快に見せてくれて好きだ。

  • しばらくはゆるりと

    しばらくはゆるりと

    ゆるりと仕事再開。

    しばらくは絵コンテマンとして活動することになりそう。

    全く知らない監督の仕事はあまり来ないものではあるのだが、自分ではない人にコンテを提供するときはどういうスタイルがいいのかなという探りを入れたりしてなるべく監督のスタイルに合う様に考える。

    とはいえ、他人と同じものは絶対に描けない。

    絵コンテだけの仕事を請け負う様になってずいぶん経つけれど、真似しずらい理解しずらい微妙な表現はオーソドックスに作る様にしている。

    絵コンテにオーソドックスも何もあるのか、と言う向きもあるかもしれないが有る。

    キャラクターの捉え方(人物造形)お話の捉え方が極端に間違っていなければ、あとは基本的な映像文法を守ったあげるだけで監督は絵コンテの修正が圧倒的に楽になる、と経験的には思う。

    キャラクターとかお話の理解を除くと、技術的な違いが大きく出る部分は3つある。

    一つはイマジナリーラインの作り方。

    一つはカメラの高さ。

    一つは話題の対象を写すかどうか。

    一番面白いなあと思うのは、話題の対象を写すかどうか、のところだと思う。

    話題の対象とは何かというと、例えば何か会話をしている人物が二人いたとして、そのうちのしゃべっている人を写すかどうかみたいな事だ。

    そんなの普通しゃべっている人がいたら、その人を写すでしょと思うかもしれないが意外とそうでもない。

    しゃべっている人の話を聞いている相手はどんな顔をして聞いているのか、という事が重要な場合はその表情を写すということがあるが、この場合は一般的な話題の対象を写しているという認識で良いと思う。

    例えば、長いしゃべりの時に窓を写すみたいな演出はアニメでは非常に良くあるのだが、私はこれは話題の対象を写さない演出に分類する。

    これが悪いというわけではないのだが、外す必要がないのに外している場合や、外してはいけないのに外してくる人もいて、さて何故だろうかと考える事が時々ある。

    話し手の表情を想像させる、セリフに集中させる、それぞれに色々理由があってやっていることだろうと思うのだけれど憧れた作品からの影響というのも強くあるのじゃないか。

    エヴァ以降といって良いかと思うのだけれど、深夜アニメなどで対象との向き合いが少し変わっている様な変わった演出が流行っていたと思う。

    その影響を強く受けている人は結構いて、その事に自覚的ではない人もおり、自覚的でないと作品によっては全然合わない場合がある。

    最近の主流は割とオーソドックスなスタイルに戻っているという印象を私は持っていてオーソドックスはやはり出来た方が良いと思う。

    オーソドックスなものは見飽きてつまらないみたいな時代は終わってしまってオーソドックスなものしか見られないような時代になってしまった気もして、それはそれでどうなのよと思うけど伝統の中で育まれた王道なスタイル、方法論はやっぱり重要。

    大作映画も基本的にはオーソドックなスタイルに則って造られている様に見受けられる。

    まあしかしオーソドックスが体系的に教えられている場所、というのが今はハッキリと存在していないと思うので伝統が教えられる場所があるといいね。

    ハッキリ教えられてないのに、やっぱり存在する伝統問いのも凄いもんだと思うが。

  • 4月の近況

    4月の近況

    4月1日は「おとなりに銀河」の1、2話先行試写会があり、覗きに行った。

    一般の方向けの試写だったので当然お客さんの反応が見たくて行ったのだが席は最前列だったので、あんまり分からず。しかし上映後は拍手をいただいたので、まあ概ね好評価であったと解釈させていただきました。

    私の隣には原作者の雨隠ギドさんと旭プロダクションの河内山P。ギドさんとは最終話のアフレコ以来の再会かと思う。

    もののがたり、おとなりに銀河と原作ものを監督として担当するのは初めてだったが、快適に仕事をさせてもらった。おとなりに銀河は実写ドラマも同時期の放映となり、比べて見ていると技法の違いや尺のフォーマットの違いで原作のアレンジの仕方が違っているのがとても面白い。

    アイカツプラネット!で実写の現場を見せてもらったので違いが分かりやすく感じられて楽しい。

    偶然だけれど実写の方にアイカツプラネットでディレクターとして入ってくれていた國領くんが参加していて、そこも楽しみなのです。

    まさか同じ原作で仕事しているとはね…とお互いびっくり。

    あちらは15分枠で帯なのでアニメの方がゆっくり展開することになる。

    最近読んだ本

    「会話の科学 あなたはなぜ「え?」と言ってしまうのか」ニック・エンフィールド

    これは思っていたより面白かった。

    会話は言語だけで成立しているのでは無いうような研究を一般向けに解説したもの。言語学だとあまり大きく扱われてこなかったような分野の研究が最近進んできたらしい。我々は虚構の会話をたくさん作るのだが虚構をそれらしく聞こえるようにするという技術は経験的な感覚に頼ることが多い。

    こういう研究を読むと自分達の感覚は、ある程度間違ってなかったという確信が得られるし、創作にある程度客観的な根拠を持って迷わず作れる。

    基本的には英語の会話ついての研究が軸なのだが、会話は言語関係ない構造があるという辺りが面白い。

    とはいえ、まだまだ研究は始まったばかりという雰囲気なのでこれからに期待したいのと、参考文献をもう少し読んでみたいという気になった。

    「語り芸パースペクティブ」玉川奈々福 編著

    これはしばらく前に出た本なのだけれど、とても面白かった。

    日本には様々な語り芸が有るのだけれど、その分野の重鎮たちを呼んで実演とその芸について語ってもらった講演記録。

    講談だ落語だ文楽だ歌舞伎だと私もほとんどまともに見ていないのだが、自分のやっていることも語り芸の一種と言える気がするし日本の伝統の影響は無意識の中に必ずあると思う。

    自分のやっていることのルーツを探りたいというような事で伝統芸能、特に語り芸には今大変興味がある。

    この本は芸能のつながりの一端を垣間見せてくれてとても良い。

    今更だが古典を勉強してみようと思わされる一冊だった。

  • 一息ついた

    一息ついた

    去年からの仕事は大体片付いて、突発の仕事もまあ落ち着き、TAAFの長編のコンペの審査が終わって目の前の仕事はほぼ終了。

    TAAFこと東京アニメーションアワードフェスティバルは、何で私なんかが審査委員に選ばれたのだろうという気はするが、あまりイベント的な場所に呼ばれることもないのと海外の審査員と数日一緒に過ごしたのが新鮮で楽しくやれた。どうにも自分の英語力の無さにはがっかりしたのだが、通訳の方が基本的には同行していたのでコミュニケーションは、それほど不自由しなかった。

    それにしても、コンペに来ていた海外の審査員や作家は(私から見ると)流暢に英語を話す人が多い。母国は違っても英語でコミュニケーションしていて感心。

    作品は長編は4本ノミネートされていて、さすがにどれもそれなりのクオリティだったが、個人的にはティティナという2Dの作品が一番気に入った。北極が舞台になったいるのが、以前TAAFで賞を取ったノース・ウェイ・ロングと同じなのだが、それは監督の話を聞くとただの偶然みたいだ。ノルウェーでも探検家アムンゼンとイタリアの飛行船技師ノビレの逸話はあまり知られていないらしく、面白いと思ったので取り上げたというようなことらしい。

    基本的には実話に基づいていて、当時撮影された記録映像も交えて作られている。

    ミュージカル的な表現も交えて非常に楽しく見られる様になっている。特に前半は。後半の展開もどこまで史実に忠実なのか分からないが非常に劇的。戦争の足音が近くに感じられる時代の話なので今見ると非常に考えさせられるものがあると思う。

    グランプリを獲った「犬とイタリア人お断り(No Dogs or Italians Allowed)」も戦争の時代をモチーフにしていて、こちらも事実に基づいたストーリーで現代的なテーマを抱えていると言える。こちらは人形を使ったストップモーションアニメ。ユーモアが効いていてシリアスの話だが楽しく見られると思う。

    審査は特に揉めるという感じでもなかったのだが、グランプリはあっさりと全員一致で決まり、もう一本が票が割れてなかなか決まらなかった。

    クオリティーに決定的な差がないと、選ぶのはなかなか難しいもんだ。

    結局、短編部門の作品は全然見られてないので、機会があったら見たい。

    1、2月は立て込んでいたので、休んでいたJAniCAの配信も久しぶりに出来た。

    「演出について」というお題で、新人演出に演出について説明する様な体で話した。分かりやすい解説という意味では、まだ大分改善の余地がありそう。話題の順番やら細かな例の使い方とか、参考資料とか。

    参考資料は自分じゃ適当に色んなものの断片を繋げて使っているのだが、人に教える時は、具体的に参考になる資料を探しておく必要がある。でないと永遠に解説が終わらないし根拠ないことを話していると思われても困るので。

    しかし、資料を当たるのは目星はあるものの結構時間がかかるので、少しづつやるしかない。

    自分の仕事は、放映中の「もののがたり」は来週最終回、4月からは「おとなりに銀河」が始まる。

    両作品とも制作は終わってるので、のんびり放映を見るだけ。

    しばらくは映画見に行ったり、本読んだり好きなことに時間を割けそう。

    事務的なこともこなさないといけないのではあるが………。

  • 今日でほんとにラスト

    今日でほんとにラスト

    1月20日から上映されてきたアイカツ!の映画も今日で上映がラストだそうで、たくさんの人に見ていただいてありがたい限りです。

    10周年のお祝い楽しかった。

    10年前のことって、結構忘れかけている。なかなかもう振り返る機会もないので私が関わった当時の特に立ち上げの頃の事を思い出してみよう。

    といっても、ほとんどはどこかで記事になってる様な事だと思うけど。

    怒られたら消すかも(笑)

    アイカツ!話が私のところへ来たのは、別な作品「夏色キセキ」の作業をしている途中だった。多分2012の年明けとか結構ギリギリなタイミングだった様に思う。夏色キセキが春番だったので後半戦を作っている頃だったのでは無いだろうか。

    サンライズ(当時)との付き合いも、それまで全くなかったので私に任せるの不安じゃないの?と思ったが夏色キセキも一応アイドルネタだったし向いてると思ってくれたのかな?

    夏色キセキといえば寿美菜子嬢とは、その時に初めてまともに話した様に思うし芝居が非常に印象に残った。私にとっては、とても大事な役者さんとの出会いだった。

    シナリオ会議が始まったのは3月か4月、途中色々あって止まったりもしていたので作業は非常に遅れていた。

    夏色キセキに入っていた京極尚彦くんの監督作(ラブライブ)が動いているのを知っていたので、いつ放映?と彼に聞いてアイカツ!より先に動いてたのに放映は後だったのを羨ましく思ったのを覚えている。(アイカツ!は10月、ラブライブは翌年1月)

    私と加藤陽一は初めて組む、しかもお互いそれほど上(監督・シリーズ構成)に立った経験が無い状態だったので初めはかなり手探りだったと思う。

    サンライズPの若鍋さん1年目の制作チームのテレコムのP、テレビ東京の奈良さん、バンダイチームの人たちみたいな偉い人が沢山いて私がそれまで見てきた中では割と大所帯の会議だったので、色々言われたら嫌だなあ…などと思っていたがバンダイさんから難しい注文をされることは殆どなく、むしろシナリオで出てきた面白いアイデアをとにかくゲームにも反映させるぞ(時間もないのに)みたいなノリノリの雰囲気だったのでやりやすかった。

    もちろん大変なことも沢山合ったのだが…まあ今となっては笑える。

    とにかく止まったら落ちる(放映が)みたいな状況だったのであらゆる事が全力疾走だった。

    そして結局、3年半終わるまで走りっぱなしだった。

    もう今は無理だ(笑)

    ゲームチームの方もアニメと状況は変わらず、待ったなし。

    ドレスデザイン、カードデザイン、音楽制作、ゲームも制作は大変。

    しかしアニメとゲームの進行がほとんど追っかけっこしていたおかげで、シナリオとのシンクロ率は高められたと思う。

    フェブリスメーターと私が勝手に名前をつけた勝敗のポイントを表すバーが表示されるメーターやアバターのラフデザインは私が作ったのだが、時間がないけどアニメとゲームでデザインを合わせたいと言われてデザイナーもいなかったので私が起こした様に記憶している。ゲームチームはなるべくアニメのアイデアを拾おうとしてくれていたし、アニメの方でもなるべくゲームの面白い要素がフォローできる様にしてくれていた。

    お互いに時間がない中でアイデアを投げ合っていたので全部とはいかなかったが、まあ良くやっていたと思う。

    並走する彼らと顔を見合わせ、お互い大変だねと笑って話していた。

    役者さんのオーディションと歌い手さんの選定はほぼ同時進行で動いていた様に思う。

    今考えると少し時期をズラしても良かったのでは?と思うけど、春くらい?の段階で初期メインキャラ8人

    全員の役者と歌い手を一気に決めた。

    確か3DSのゲームで全員の声を入れたいからみたいな理由だったかもしれない(かなりうろ覚え)

    いや、ミシェルとかも決めたからキャラの役者は10人近く一気に決めた気がする。

    こんなに一気に決めることもなかなか無いのでは無いだろうか。

    キャストの選考を決める日は私の誕生日(6月10日)だった様に記憶しているので、オーディションはその少し前にやったのではなかろうか。決めてすぐゲームボイスの収録が始まった様に思う。

    当時アイカツ!あるあるであったのだが、ゲームの開発が先行しているのでシナリオにも出てきていないキャラの声をゲームに収録しなければいけない事がしばしばあった。

    なのでゲーム音声の収録には私も殆ど立ち会っていた。ゲームボイスのセリフの監修も私と加藤氏が目を通していたのでなかなかハードだった。

    しかし、ユリカは確か後でセリフを少々修正してボイスを録り直している筈である。

    シナリオが出来てなかったので当時は吸血鬼キャラという設定がなかったのだ。(沼倉さんすいませんでした)

    最初のゲームボイスの収録の時は他のキャラも大体こんな感じで見たいなざっくりしたイメージで作ってもらったと思う。

    テレビのアフレコが始まったのは、多分8月くらいとかからじゃなかろうか。(だいぶうろ覚え)

    音楽周りの初期は曲の発注などは私も参加したと思うが歌の収録などは水島氏と音楽チームにほとんど任せきりだった。キャラに関しては簡単なメモを書いて歌い手さんたちに渡していた程度。

    アフレコもしていないので歌い手の皆んなはかなり手探りだったに違いない。

    ロゴの制作などもシナリオと同時並行で進めていた。

    最初はコンペでは無く幾つか案が有ったのだが、思うところがあり無理を言って知り合いのデザイナーさんに声をかけコンペにして貰った。

    その中で採用されたのが内古閑さんのデザイン。

    私はコンペで上がってきた候補の中からプロデューサーたちが、ある程度選別したものをどれが誰のデザインということは聞かずに決めた。

    パッ見た時は誰のデザインか判らなかったけどコンセプトの昇華の仕方がとても素晴らしくシンプルにゲームの内容や作品の楽しげな雰囲気を表現してくれていたので選んだところ、内古閑さんのデザインと聞いて流石だなーと思ったのを覚えている。

    キャラクターの設定も一応コンペだったのだが、人が見つからず…というのと水島氏の紹介してくれた、やぐちひろこ嬢が圧倒的に良かったのですんなり決まった。

    アニメのデザイナーも当然一人では全部こなせないので、夏色キセキでメキメキと頭角を現した当時は新人原画マンだった渡部里美ちゃんとダメもとで電話したら引き受けてくれた石川佳代子嬢が参加してくれることになる。

    石川さんと私、内古閑さんも初めて顔を合わせたのはガイナックスで水島氏が監督で制作した「はなまる幼稚園」という作品だった。

    里美ちゃんは初期キャラクターの衣装替えのほとんど、石川さんはメイン以外の学園生徒やアイカツフォンなどプロップと呼ばれる小道具、宝石箱の様なフィッティングルームも考えてくれた。

    サンライズ側にいた最初期のメインスタッフは、木村、やぐち、石川、渡部。後は設定制作をやっていた今ではプリキュアのプロデューサーである田中昂くらいであった。

    メインで制作を請け負ってくれたのはテレコムアニメーションフィルムという、あの宮崎駿も在籍していた老舗スタジオである。

    テレコムのスタッフだったのが、その後長くアイカツシリーズに関わることになる色彩設計の大塚眞純嬢。当時ほぼ初めての設計業務だったと思う。

    そして美術監督の大貫雄司、撮影監督の宮川淳子嬢。編集の笠原義宏さんなど。

    他にも沢山絵コンテを描いてくれた矢野雄一郎さん、沢山演出をやってくれた小山田桂子さんなどがテレコムのスタッフだった。

    キャラクターにしても美術にしてもアイカツ!は設定の量が多かった様に思う…すいません。

    毎話ごとに違う場所出てきたり変装やらドラマで衣装を変えたり。

    設定に関わるの渡部さん、石川さん、大塚さん、大貫くんはとても大変だったろうと思う。

    設定というのはシナリオがある程度完成しないと作り始められないのでシナリオが遅れていたアイカツ!は設定もギリギリで追いかけっこをしていた。

    設定の発注はメインキャラクターは基本的に原案があったので原案に沿って発注。

    色も頭部はゲームチームの作った原案に沿っていた。

    原案と言えばエンディングにもクレジットされている川村歩さんが主にキャラクターのデザインをまとめていらっしゃったのだと思う。他の人のアイデアも当然入っていたと思うが主には川村さんがまとめていたと聞いていた。

    立ち上げは時間がなかったこともありゲームチーム側で先行してデザイン案が描かれていたのだと思う。私が入った頃にはキャラのデザイン案はメイン8人全て存在していた。髪型は子供への調査なども受けて変更があったキャラがいたと思う。ユリカとか。

    サブキャラはオリジナル、服装も制服以外はオリジナルなので自由に制作していた。

    服装は私は極力意見を言わない様にしていた。渡部さんにしても石川さんにしても服は好きな人だったので、おじさんが余計な口出しはなるべくしない様に気をつけていた。

    シナリオに関わる説明などがあれば伝えるくらい。

    色に関しても同様で相談されれば応えるが、女の子のセンスが必要なものに関しては基本的にはお任せで通したいと思っていた。ていうか今だにそう。おじさんが口出しても碌なことがない。

    基本的には私はまとめ役に徹して、女性の意見が反映される様にしていたつもり。

    立ち上げの頃アイカツ!に関わっていた女性スタッフや役者さんに子供の頃見て印象に残っている女のむけアニメはあるか良く聞いていたが、ほとんどの人が佐藤順一さんの作品を上げていた。セーラームーン、おジャ魔女、ふたご姫…など。

    私は一番最初のセーラームーンのノリが好きだったので、あの雰囲気を再現できないだろうかと目論んでいた。

    美術もセーラームーンや小林プロダクションが女の子向けの作品で作っていた様な雰囲気を意識していた。美術監督の大貫くんは、私が参加していた「はなまる幼稚園」の雰囲気を参考にしたと話していた気がする。

    美術デザインはちょっと西洋風というか少し洒落た和洋折衷のイメージでみたいなお願いをしていた様に思う。

    スターライト学園のデザインは何かイメージの参考みたいなものを大貫くんが挙げてくれていた気はするが、覚えていない。なんでも弁当の辺りの街並みは横浜の元町辺りの洒落た雰囲気みたいなお願いをした気がする。

    初期の頃は結構お仕事的にというか、あまりやる気なく参加してくるスタッフも少なくは無かった。あまりにスケジュールが悪かったので、それも当然と言えるのだが。そんな中、撮影監督の宮川さんにのやる気にはすごく励まされた。フェブリスアンテナ(この名称も作中では使わなかったかも…)という観客が頭につけるアンテナから出る星やシーンの変わり目に入るワイプは彼女が作ってくれた。ワイプは石川佳代子さんにタタキのアイデアを出して貰って宮川さんが起こしてくれた様に記憶している。

    宮川さん、石川さんといえばカレンダーガールのレコードの回る速度はテレビ局の注文もあってかなり直しを重ねた。最初はかなり早く感じたので仕方なく数枚の絵を不採用にして決定された。

    最近イベント上映の時に話したけどカレンダーガールのエンディングで回っているレコードを未来のいちごが止めて終わるというアイデアを私は考えていたのだが、絵コンテから丸々石川さんに頼むことになって、その時アイデアは不採用になった。この未来のいちごのアイデアがSTARWAYの映画に繋がっている。

    CGはサムライピクチャーズさんがテレコムの紹介で担当してくれることになった。時間がないのに前向きに色々相談に乗ってくれたのを憶えている。

    キャラのモデルは時間が無かったこともあり、あまり手が入れられないというような話だった気がするが結局色々あって修正されていったのはみなさんご存知かと思う。

    カメラワークも最初はゲームで付けたものを軸にアレンジしていく様な方向性だったが、後にディレクターの北田さんの参加で大きく変わっていくことになる。

    1話でのフィッティングルームで天井に光が映ったりするのは地味に部屋全体を3Dで組んで作って丸い天井への光の反射を作っている。

    アイカツ!の頃は昼間は、ほとんど打ち合わせで夜にデスクワークだった。アニメの監督は皆んな大体あまり変わらないと思うけど絵コンテ描いたり直したりは夜中の作業になってしまうことが多い。

    なので朝方とかに制作が私が描いたり直したコンテを回収にくるのだが、アイカツ!は人が少なかったこともあり、このままでは私も制作も疲弊してしまうと思い当時は出て間もなかったCLIP SUTUDIO PAINTで絵コンテの直しをやるという方法に1クール終わる頃には切り替えたんじゃないかと思う。

    データでのやりとりで済むので、非常に楽になった。

    1話は手描きのコンテで完成したのは6月の頭とかだった気がする。ヤバい……。

    2話は矢野さんがコンテを描いてくれて以降、矢野さんのコンテには沢山助けられた。

    矢野さんは宮崎駿の薫陶を受けた世代の方で姿はオジサンだが心は乙女の優しい方。絵は当然上手いが滅法手も早く2週間で1本くらいのペースで絵コンテを描かれていた様に思う。

    私なぞ遅くて遅くて、結局1話のコンテを描いて以降、次にテレビのコンテを描いたのは177,178話になってしまう。

    Signalize!のオープニングは夏色キセキの作画チームが担当してくれた。

    あの時はCGが間に合わなくてダンスシーンも作画で作っている。原画は確か長田伸二。

    いちごが着替えつつ色が変わるカットは渡部里美ちゃんが原画を描いて変わった色にして!みたいな注文で大塚さんに自由に色を決めて貰ったという記憶がある。

    最初のいちごが振り向くあたりは岩崎茂希くんが担当、ジョニーのあたりは盟友の安彦英二が描いてくれた気がする。

    作曲のNARASAKIさんは「はなまる幼稚園」でご一緒していて水島氏が繋いでくれて快く引き受けていただいたという流れだったと思う。

    音楽といえばMONACAチーム。

    私が入った時すでに何曲かはゲーム用のデモが存在していた。

    ゲームに最小された順はアニメの方との兼ね合いやらラインナップのバランスやらで最初にできた順から搭載されていたわけではない。

    劇伴の打ち合わせは帆足くんと石濱くんの二人で来てくれた気がする。石濱くんは大変なシャイボーイで当時はあまり話してくれなかった様に思う。沢山話す様になったのは劇場版アイカツの後あたりかなぁ。帆足くんはいつも気さく。絵コンテを簡単に編集してフィッティングシーンのガイドを作って帆足くんに曲を作って貰った様に記憶している。

    音響監督の菊田さんは、やはり夏色キセキからの流れで他の候補もいたと思うが私の希望や現場のテレコムさんも懇意だったこともあり決まったように思う。

    菊田さんはラブ&ベリーのゲームの収録も担当していたそうだ。

    アイカツ!のキャストには新人も多かったため当時は私はよく分かってなかったが個別指導をしてくれていたり丁寧に面倒を見て貰って、私自身も沢山勉強させて貰った。

    1話に色がついて完成した時、菊田さんが皆んなで見ようと言ってアフレコブースで映像を流して見た気がする。アフレコの時はいつもコンテ撮といって絵コンテを撮影して芝居が何となくわかる様な状態でしか収録できていなかったので完成形を共有するのは必要があるということだったと思う。

    うーーん、新人さんが多い現場で、あの状態のアフレコは本当に申し訳なかったなと今更ながらに反省。といっても当時はどうしようもなかったのだが…。

    1話も確かコンテ撮でアフレコしていると思う。

    さてさて、長くなってしまった。何とか1話が出来上がって、その後3年半アイカツ!は続く事になるのだが途中に映画も作ったりで、ずっと全力で走っている様な状態で当時は振り返る余裕もなかったし止まったら死ぬみたいな勢いで、ヒットしている状況も考えると怖くなってしまうから途中からはあまり気にしない様にしていた。

    とにかくドタバタと始まって、放映できたのが奇跡くらいの状態だったので、その後、形を変えて10年もプロジェクトが続くとは、流石に思いもよらなかった。

    2年は続く様にしたいなあ、というのが密かな目標であったが、それも1年やって続く様なら若い人にバトンタッチしようくらいの心持ちだった。私みたいなオジサンがやるよりは若い人の方が適任だとずっと思っていた。1年、また1年と伸びて3年半。今考えればそう長い期間でもない気もするものの、当時は倒れずに走り続けるので精一杯という思いもあった。でも、なんやかんやとこうして長く関わらせて貰えたの事には感謝している。

    特に今回の映画は手がけられて良かった。

    最後にもう一度、見ていただいて本当にありがとう。

    また気が向いたら昔話を書くかもしれない。

    取り留めない話にお付き合いいただき感謝。

  • やっと2022年が収まってきたかなぁ

    やっと2022年が収まってきたかなぁ

    年明けから始まったアイカツ!10th STORYの上映も終盤戦に差し掛かっている。

    沢山の方が観てくれて感謝しかない。

    なかでも子供の頃に見てくれていた女の子たちが見にきてくれたのは非常に嬉しい。

    高校生や大学生になった当時の視聴者に響く様な作品にしようという主旨で作られた作品なので、まさに見てほしい人が見てくれたということだ。

    昔のスタッフが見てくれて感想を直接くれたりSNSに書き込んでくれたのもありがたかった。

    ずっと準備をしてきたスタッフの苦労も報われたんじゃないかと思う。

    ミュージックフェスタも最後は滑り込みで声出し可能になってファンの皆んなも喜んでくれたいた様だし、我々も楽しかった。

    やはりファンの笑顔は我々の苦労を存分に癒してくれる。

    10年越しの新作で後日談を描くというのは、見たくないという人もいたのではなかろうか。

    何を描くか、ということについては殆ど私と加藤さんに任されたのであるが、私の方では具体的なアイデアはなく、ただ当時7〜9歳だったアイカツ!の視聴者として想定されていた、そして視聴率などみるに実際に見ていてくれていたであろう女の子たちの背中を押せる様な作品にしようという事だけは皆一致していた。

    かくして、インタビューやら舞台挨拶やらで話した様に卒業と大人になるということがテーマになった。

    後日談の中身はともかく当時見ていた若い人たちに響いてくれるといいなということだけ考えていた。

    響くも何も、当時の子供たちが見にきてくれるのかな?という心配もあったが、それも十分に裏切られた。

    私は大人について偉そうに語れる様な人間ではないけど、大人になるのは大変だが楽しい事だと思う。概ねは。

    鍋をつついて酒を飲むのもまた大人ならではの楽しみ…酒なんか飲めなくても楽しいことは色々あるね。

    これが大人なのである、などという形はないのだし、それを良くも悪くも自分で決められるのが大人になるということなのだから。

    とにかく大人になるのも悪くないね、と若い人たちが思ってくれたら嬉しい。

    歳をとるのも良いもんです。

    そして繰り返しになるけど、私が思っていたよりずっと沢山の方に映画を観て貰えて本当に嬉しい。

    去年はテレビシリーズ2本にアイカツ!の映画が動いていたため、べらぼうに忙しかった。

    年が明けても舞台挨拶だとか映画にまつわるイベントと小さな仕事なんかで、なかなか落ち着かなかったがやっと一息つけそう。

    つい先日は同期の演出家の作品の仕事を終わらせた。何とは言えないけど、制作は発表になってる作品だからしばらくしたら観られるのかな?いや、最近は放送まで時間がかかるので、まだ結構先なのかも。

    まあ、今年は誰かの手伝いでのんびりと過ごすことになりそう。

    作品を作っていると色んな方のお世話になるのだが、なかなか恩返しの機会もないので返せる時には返したい。

    しかしタイミングがなかなか合わず、最近は不義理ばかり。

    借りたら返すがアニメ業界の仕事人の渡世というものだったのだが、借りるも返すも難しい時代になってしまった。

    借りずに済めば良いのだが借りたくても借りられぬ人手不足。

    発表されてなくても水面下で動いてる作品が沢山あるので、さもありなん。

    さて、今年私はは人に手を貸せそうな気はするものの、なるべく楽しい作品に手を貸したい。

    仕事との出会いは偶然なので、面白そうな仕事に出会えることを祈るばかりだ。

    のんびり温泉に浸かったり、本読んだり、映画見たり、音楽聴いたり、やりたいことは色々あるので仕事はほどほどに…てな訳にはなかなかいかないか。

    大人は大変……あら?