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    はじめは無声

    先週金曜に第3回カツベン映画祭で山崎バニラさんと片岡一郎さんの活弁を新宿武蔵野館で観てきた。

    活弁はそれほど観ているわけではなく、以前に仕事でご一緒した山崎バニラさんの公演は何度か拝見している程度。

    バニラさんの活弁はコメディー作品を扱うことが多いので誰が観ても入りやすく楽しいと思う。

    各回楽しそうで時間があれば1日見たかったけど、そうもいかなかったので、バニラさんと、ずっと観たかった片岡一郎さんの回を選んだ。

    活弁は活動写真弁士の略なので本当は動詞では無いのだろうけど、「活弁を見る」とか「活弁する」で通じるみたい。

    片岡さんは口上で「説明は片岡一郎」と名乗っていたが、弁士が映画につける語りを「説明」と言っていたらしい。

    活動写真弁士については、片岡一郎さんが書いた「活動写真弁史」に詳しい。この本がべらぼうに面白かったので片岡さんの活弁はとても見たかったのである。

    「活動写真弁史」は映画好きなら間違いなく面白いので読んでほしい。

    無声で映画を見るというのは、昔は映像を自分で作るということになれば先ず誰でも体験するようなことだった。

    だった…というのは最近はスマホなどで簡単に音付きの動画が撮れてしまうので。プロの世界じゃないと無音で映像を見る機会は少ないかもしれないと思うからだ。

    フィルムで映像を作るとき音がないのが当たり前なので初めて自分が撮った映像を見るときは無声である。学生時代、自分が撮った画が映写機がフィルムを送る音をバックに壁に映るのを見てえも言われぬ感動が湧いたのを覚えている。

    私が初めて無声映画を見たのは、たぶん高田馬場にあったACTミニシアター。

    この映画館、椅子が無くて寝そべって観る!というスタイルで無声映画やマニアックな作品をたくさん上映していた。寺山修司の短編とか、戦艦ポチョムキンとか…。

    まあ寝ます。

    ポチョムキンとか何度も見てるけど果たして通して見られた記憶がない。

    でもマキノ雅弘の「雄呂血」とか面白かったのは、ちゃんと起きて見られてたと思う。

    学生時代に無声映画はちょこちょこ見たのだが、弁士付きで見たことはない。

    私はバスターキートンの映画が好きだったので当時こぢんまりと行われていた上映会にも行ったが弁士付きで見たことはなかった。

    当時(90年代あたり)、弁士で知っていたのは澤登翠さん位で私の記憶では弁士付きで見られる機会はかなり少なかった様に思う。

    古い映画でなくとも学生の映画は音をつけるというのは、なかなかハードルが高くて、ほとんど無声の映画は多かった。無声の映画でも面白いものは面白いのだが、つまんなければ圧倒的に眠くなる。面白くても眠くなることはままある。

    音が入ると俄然血肉がつくというか実体を伴い身近に迫ってくる感じがするのは随分長く映像を作ってきたけど変わらない。

    昔の名作無声映画も、やっぱり弁士付きで見た方が圧倒的に面白い。とバニラさんたちの活弁を見て思う。

    まずなんたって解りやすい。

    そしてバニラさん片岡さんの声はグッと心を鷲掴みにする響きがある。

    もちろん良い映画ありきだと思うけど、活弁は圧倒的に映画を生き生きとさせる。

    今まで見た無声映画を弁士付きで見直したいよなー、とつくづく思う。

    また活弁聞きに行きたいなー。