2週間ほど仕事に忙殺されていたが、何とか抜けて少し息をつけた。
雨続きだったが2、3日晴れそう。
「叛逆のサウンドトラック」を見た。
面白い…のだが面白いと軽薄に感想をのべるには重い話でコンゴ民主共和国がベルギーから独立するときの初代首相パトリス・ルムンバが選出されるあたりから暗殺されるまでの時期を様々な映像を繋いで描いている。
コンゴはコンゴ共和国とコンゴ民主共和国があり、映画はコンゴ民主共和国の話だ。
第一次世界大戦ではゴムが第2次大戦ではウランの鉱山が重要な資源として米・西欧が覇権を握り続けようとした場所で今も混乱は続いている。
様々な映像の3分の1くらいはジャズにまつわるものだ。
そして映画全体が主にジャズの名曲に乗って綴られる音楽映画になっている。
編集が非常に巧みでビジュアルもブルーノートのジャケットに似せたタイポをふんだんに使い洒落ている。
政治の重さとジャズ映画としての興奮が混じり合って見終わった後は何とも言えない気分を味わった。不思議な映画だ。
1回見ただけでは単純に出来事を理解するだけでも少し難しいし一体何を見せられたんだか判らない。
今話題のネルソンさん、のように戦争映画という側面も持っているけれど解りやすい戦争映画では無い。
パンフレットは中村隆之、菊地成孔の解説がのっていて副読本として良い。
まだ読んでいる途中だけれど、中村隆之氏の「ブラック・カルチャー 大西洋を旅する声と音」も映画への理解が深めてくれる。
映画の中では非常に愛嬌のあるキャラクターとして描かれているニキータ・フルシチョフがアジア・アフリカの連帯を後押しして国連の米・西欧偏重を非難していたということも全く知らなかったし、ジャズやMomaなどをCIAが利用していたということも知らなかった。
しかし、そういう政治の話ではない何かを語っているようにも見える、不思議な映画だった。
パンフでもドミューンでも菊地成孔は一貫して映画の尺を3時間だと言っているが、実際は2時間半ほどで、時間を錯覚させる何かかがあるのかもしれない。
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久しぶりの園芸店【2026年06月21日】
やっと少し仕事が落ち着く。
が、本格的に新人の演出を育てるという計画が動き出すようなので準備をしないとまずい。
多少時間が必要なので、しばらくはゆるゆると出来ることをやるしかない。
あとで整理しないと。
久しぶりに園芸店に行ってエキナセアを幾つか買ってきて植えてみた。
とにかく水をやりすぎないように気を付ける。
丈夫な筈なのに、ことごとく枯らしてきたので。
スカビオサ、ガザニアは暑さに耐えられず枯れた模様。
ヘリアンサス・レモンクイーンは植え替え時期を完全に逃して鉢から抜き取れなかったので新しい陶器鉢は鉢カバーにした。
風で倒れなければ良いので用は足りるのだが、根がパンパンに張っているので調子が悪くならないことを祈る。
アガパンサスはファイヤーワークスは沢山花芽をつけた。去年の倍くらい?
ブラックマジックの方は今年も咲かない。
主軸を間違って切ってしまったのが痛かったのかも。
モッコウバラの下のセージは全然大きくならず。
日陰だからだと思われる。
ホスタなら育つはずだが、他のものも探ってみたいところ。
ワールドカップが始まる。
地上波ではあまり放映がないので、日本戦以外はあまり見られない。
初戦の対オランダは先行されては追いつく展開で少ないチャンスをものにしていた。
随分日本のサッカーも強くなったもので、歴史を感じる。
アニメ業界もちまちまと改善していくしかない、と同じ日に受けた新聞取材の受けながら試合を思い起こした。
新聞の記者は結構なオタクらしく、退職前に好きなことを取材したいと申請したら通ったというようなことを言っていた。
はて、私はどうしたものか。
若い演出を育てるのは少し楽しみ。
演出としては何が出来るのやら。
鏡リュウジ・東畑開人「昼間のスターゲイザー」読了。
占いは現実の複雑さを縮減させるための道具だと言われるとなるほど納得。
ホロスコープも複雑な宇宙を整理したイメージなのだと。
娯楽としての占いは面白そうだなと、最近関心がある。
占い師の話は作ってみたい。
占いは当たっても当たらなくても何か心を動かされて一喜一憂しそうで苦手だったのだが、もっと気楽に楽しむ心持がありそうな気はする。
占い師は占いをファクトにして権威化してはいけないという話は自分のような演出家にも当てはまりそう。
細木数子は、権威化したパターンの一つかもしれない。
権威化すると大体持たないという。
ユングと占星術は互いにかなり影響し合っていたというのは知らなかった。
占い面白い。
しかし、しばらくは演出教えるための勉強に専念しないといけない。
結構寒い【2026年06月07日】
急に暑くなったと思ったら、また肌寒い日がやってきた。
寒暖の振り幅が大きいと体調を崩しがちなので勘弁してほしいが、何事も極端な世界になりつつあるのか。
昨日はyakusyuでのダニーさんの還暦祝いに少し顔をだした。
私も来週55なので5つ違いなのだなと。
特撮、アニメ、音楽と幅広く知っていて、いつも感心。
自分の知見のなさを知る。
そして元気でやってるのが、何より。
どうも本当に新人演出を育てる機会を得られるようだ。
全然準備ができていないので、今月後半は頑張って勉強しないといけない。
割と時間もゆるりと考えているようなので、色んなことが教えられるかもしれない。
理論と実践(OJT的な)の両輪で。
実践はコンテを描きながら演出について学ぶ、というのを主にするつもり。
これは今までの経験的にも手応えがある。
楽しみ。
京都大学学術出版会から珍しく映画の理論書の新刊が出ていたので購入。
「ダイナミック・フレーム」元は2019年刊行らしい。
アメリカの研究者の著書。
題材は割と古いオーソドックスな映画が多いようなので判りやすそう。
アニメイションネイチャー、映画理論集成【2026年04月19日】
山村浩二「アニメーションネイチャー」を読み終わった。
作品はそれほど見ていない。頭山、年をとった鰐、は見たはず。
誰もが認める巨匠でありつつ、教育者でもある氏の芸大での講義を元にしたアニメーション論で作品の引用も多々あり、インディペンデント系のアニメーションのガイドブックとして読んでも面白い。
新人教育の参考になるかと思って読み始めたのだが、多様なアニメーションのスタイルを扱っているので、どう昇華するかはむずかしいかも。
自分のやっている仕事がアニメーションの中でも非常に狭い領域だというのは良くわかる。
しかし、一時期の商業アニメとインディペンデント・アート系のアニメーションの溝は最近少し狭まった様にも思う。
OP/EDの様な部分にインディペンデントな作家が起用されたり、本編内にも違う様式のアニメを入れ込む例が増えてきている気がする。
80年代あたりまでは意外と曖昧で両業界の親交もあった様なイメージだったが、90年代以降は、ほぼくっきりと別れていたのではなかろうか。
モルカーの見里さんの活躍などもあるし、再び入り混じり始めたのはとても面白いと思う。
TAAFの長編作品の審査員をした時、海外の人形アニメ作家の人が人形アニメ作品を強く推していたのが印象深かった。
良い作品だったのだが、他の映画祭でも賞を色々とっていて、これ以上推す必要があるのかというような議論をしたのだが、人形アニメはやはり報われていない、という意識をその作家は持っていた様な気がする。
もっと境界なく仕事の交流もあった方が、金銭的にもインディペンデントな作家に資するんじゃなかろうか。
その作家は、これから5年くらいかけて制作する短編アニメーションのシリーズを作るという様なことを言っていて気が遠くなった。
制作スケジュールの違いも商業アニメとの交流の敷居になっているととは思う。
本に戻るとメタモルフォーゼ、パースペクティブなど章立てで抽出しているテーマが面白い。結構たくさんの要素を抜き出して考えられていて、なるほどこんな風にアニメーションの要素が分解できるのかという気づきがある。
ナラティブの章は、さすがに自分でも考えたことがある様な内容で我々ほどストーリーに重きを置いていないのが印象的。
ともあれ、商業アニメのクリエイターもインディペンドなアニメはもっと見た方が刺激になると思う。
ネットで無料で見られるものも少なくないのが、今の時代の良いところ。
マクラレンの作品なんかNFBの公式YouTubeでほとんど見られるんじゃないか?
いい時代だ。
探していた映画理論集成の古本を手に入れた。
絶版で殆どどこでもプレミアがついているのだが、Amazonで超お安い値段で出ていた。
図書館の除籍本だから安かったのだろうか?
貸出の履歴を見ると3回くらいしか借りられていない様で、最後に貸し出されたのは99年4月26日。
約27年前だと思うと感慨深い。
四半世紀ぶりくらいに読まれるというわけだ。
読みたかったミュンスターバーグの訳が冒頭にあって、流石に全訳ではなく2章ほどの抜き出しだった。
しかし、方向性が知れたので満足。
ストレートに認知科学的な分析で、映画がどう観客に受容されるのか、空間の知覚などについて論じられていた。
今の認知科学の知見でどこまで正しいのかわからないが、こういうのが読みたかったという内容で参考になる。
認知科学で映画をまとまった形で分析した日本語で読める本は皆無なので、断片を集めて少しまとめられるといいのだが。
まだパラパラめくっただけなので落ち着いたら読みたい。
エアコンが壊れていたことが判明したので買い替え、今日工事も終わった。
猫たちは4時間くらいロフトに退避、かなり大きな音もするので年寄り猫には酷だった。
夏は快適に過ごせると思うので許していただきたい。
暑【2025年08月30日】
久しぶりの更新になってしまった。
ここしばらく肩こりなど酷すぎて仕事するにもしんどかったのだが、朝も涼しくなったので散歩へ。
5時だと少し前までは前日の暑さが引けきらず生暖かい空気だったが、だいぶ涼しくなった。
1時間くらい、いつものルートを歩く。
仕事帰りなんかで、なるべく歩く様にしていたものの荷物を持たず腕を振って歩くのが、やはり良いらしい。
肩こりがマシになった。
しかし続いてはいない。なぜか早めに寝ても目覚めず、睡眠時間はやたらと長くなって、それはそれで悪いことでもないのだけれど午前中でも暑くなってしまうと散歩にでるのは憚られる。
散歩途中でウェストリンギアの1メートルくらいある植え込みを見つける。
葉も随分大きいのだが、斑入りの葉が綺麗な印象は変わらない。
うちにあるのはまだ15センチくらい。
1メートルまでは地植えにしないと難しいのだろうし、何年かかるのか。
しかし、そのうちに鉢増ししたい。
カラスがカマキリを狩っていて、私が近づいたのに警戒して足を離したがカマキリはだいぶダメージを受けていたので難を逃れた訳ではないだろう。
カラスは何となく目線を逸らして素知らぬふりをしていた。
ジニアが、あちこちの家で咲いている。
どこも花上がりが良くて、背が高い種類もシュッとしている。
うちのは徒長気味で、日当たりが極端に悪い訳でもないと思うが、ジニアはがっつり日が当たっていないとダメなのだろうか。
しかし夏は葉焼けしてしまっていたし、どうしたものか。
切り戻せば良いのか?
サルビア・白くまが、なんだかしょんぼり。
新芽は出ている。
古い葉を切ってやったら少し勢いがも立ってきた様子。
どうも、夏に花が咲くらしいのだが、うちのはまだ株が小さいからか咲かなかった。
アリッサムの葉が盛大に喰われていた。
犯人発見、なんの幼虫だかは分からない。
いや、調べて判明した葉巻虫というものらしい。
二度目の薬を撒いた。
少しづつ復活はしてきている。
今度こそオルトラン(殺菌・殺虫剤)を撒かなければいけなさそう。
アスターの新芽が増えて完全復活の兆し。
チューベローズ、咲いている。
香りは思ったほどではない。
時間帯が悪いのか?
プレクトランサスは夏に傷んだ葉が多く見た目は悪いが、元気そう。
ヘリアンサス・レモンクイーンは風でバンバン倒れるが元気。
ヘリオプシスは茎に支えを入れた。花つきが良い。
ところが、ヘリオプシスが突然枯れ始めた。
病気なのか?白っぽいうどんこ病とも違う様な粉が少しついているが、本当に突然。
もう少し様子は見るが、ひと目は難しそう。
花が結構咲いていただけに悲しい。
根腐れしている可能性もありそう。
いちじくも風で倒れたりしなければ幾つか実が取れそう。
ひとつ完熟していたものがあったので食す。
めちゃくちゃ甘くて美味しい。
仕事はすごく切羽詰まった状況ではなくなったものの、落ち着かず。
STORYBOARD PROを最新バージョン25に変えたら結構軽くなった気がする。
やはり軽さは差御意の速さに大きく影響するので助かる。
増えた機能は、それほど面白いものはなさそう。
縦書きの文字に対応して欲しいのだが。
最近読んだ本は辻田真佐憲『「あの戦争」は何だったのか』、難波優輝「物語化批判の哲学」。
「物語化批判…」の方はとっちらかっていて深掘りできていない感じ。テーマは面白そうだったので読んだのだが。
結局、物語化批判のパートは全体の半分くらい。
前提としている物語についての整理くらいはして欲しかった。
面接などで語る自分の語りの罠、みたいな良い切り口はあった、精神分析に対する批判みたいなもの。
辻田真佐憲の本も実は物語についての本なのだが、こちらはとても整理されて分かりやすくテーマも興味深くて面白かった。
こちらは物語化批判に対する批判みたいな話で、結局物語を作るしかないのだったら、マシな物語を作るしかないじゃん、じゃあどうすればいいの?みたいな話。
「物語化批判…」の方にも歴史の話は取り上げられていたが、ただ取り上げただけみたいな印象だった。
夏が終わらない。
少しは本を読む時間ができそう【2025年07月28日】
1日だけ水をあげられなかったキク科の植物がカラカラに干からびていて、これはやっちまったなと思いながら祈る気持ちで水を与えたら、昼にはしっかり復活していてホッと胸を撫で下ろした。
暑さ寒さに強いという種類ではあったものの、しょぼしょぼに縮んで鉢に這う様にしなだれていた葉があっという間に復活したのは驚く。
流石に新芽などは痛んでいて、本格的に復活するには時間がかかりそうだけど。
どうもここのところ沢山枯らしてしまったので、諦めていたのだが強い種類は本当に強い。
特にキク科の花は強いものが多い印象で、結構いろんな種類を買い込んだ。
エキナセアもキク科。
菊と言えば和風のお供えに使うようなもののイメージしかなかったが、園芸種は色んなものがあって本当に楽しい。
ローダンセマム、オステオスペルマム、エキナセア、アスター、etc
たぶんキク科の植物が一番多く生き残っている。
暑さに強くても葉焼けして葉の一部が干からびてしまっているものも多い。
これはどうにも避け難いような気はするが、何かいい方法があれば知りたい。
少しだけ時間ができそうなので、映画理論系の本を読み始めた。
古い本なのだが、基本は今も変わらなく参考になる。
しかし、改めて理論系の本は難しすぎるところへ突っ込んでいってる感がある。
物語表現の技法を簡素に教えるようなものはないのかも。
シド・フィールドの脚本の書き方を教える有名な本も1冊読んだ。
何冊かあるのだが、大体内容は察した。
具体的な脚本の作り方ではあるのだが、いきなりハリウッド映画のようなものを書きたい脚本家の卵を向けた本なので、初心者が読んでもかえって分かりずらい。
しかも何か書きたいことがある人、を想定していて、そんな人は殆どいないだろう…と私は思う。
書きたいものとかなくても、そもそも人間は物語形式で何かを理解したり伝えたりするので、もっと素朴な教え方が可能なのではないだろうか。
実際仕事にしてしまったら、シド・フィールドの本のように見せ方について考えたりもせざるを得ないと思うが、初めからそれを教えても混乱を招く。
どこかの若い演出家が現場で使える辞書的な演出の本をクラファンを募って出そうとしているようだ。
なるほど、確かにそいう本はないのだが、どこまで本で伝えられるものなのだろうか。
私のやろうとしていることも似たような事ではあるのだが、細かな用語などは現場によっても違うし、あまりディティールに突っ込むのは難しいと思っている。
最近はオン・ザ・ジョブ・トレーニング、OJTで教えてもらえる機会も減っていると思うので、そいった本の需要が有りそうだという事なんだろうが。
結局最後は、表現の技術なんかよりもっと面倒で難しいことが演出家を待ち受けている。
それこそ「何を」描くかなのだが、原作もの全盛の中、そんなことを考えることもアニメの演出家には求められていないようにも見える。
しかし、そこから目をそらすのも不可能だ。
山場は抜けたか?【2025年07月05日】
梅雨はほとんど雨が降らないままあっという間に終わってしまって、のしかかるような暑さがやってきた。
日差しは殺人的な強さなので日傘なしに移動するのは危険だ。
植物も幾つか調子を崩しているが暑さが原因と思われる。
家の庭は全体に日陰なので暑さにそれほど強くないものは、そちらで育てているのだが、それでも枯れ込んでいるものがあって、暑さのほかに原因が思い当たらない。
よりによって、気に入っている苗が調子悪い。
ペンステモンだったか?はもうダメになってしまった。
特に花の大和で買った宿根草は長野の涼しい農場で育苗しているので、買ったタイミングが暑さが厳しくなる直前で失敗だったかもしれない。
一応、植物に付いてくるタグ?に説明があって暑さ寒さに対する強さや他にも特性が記載されているのだが、環境によってかなり違うので、育てて見ないと本来のパフォーマンスを発揮してくれるかは分からないものが多い。
強い植物もそれはそれで扱いが難しかったりするわけで、地植えすると大きくなりすぎたり、他の植物を駆逐したり。
エキナセアなどは冬に地上部が枯れるのでスカスカになってしまいつまらないので、鉢管理しようと思っているのだが、去年買ったものは多分水のやり過ぎで根腐れしてしまい芽吹かなかったので、上手くいくか心配。
3種類くらい買ったエキナセアは今のところは元気。
しかし花が咲いてるのは一つだけで、他のものは来年かなぁ。
秋に鉢増し出来るといいけど、大きくなってくれるか?
アガパンサスはファイヤーワークスだけ花をつけている。
紫と白のグレデーションでとても美しい。
アガパンサスの花は小さな花が球状に沢山集まって出来ているのだが一気に咲くわけではなく、下から順番に咲いている。
蕾も綺麗なので見た目は華やかだが、下の方は先終わって散り始めているので、全部咲いたところは見られないのかもしれない。
花持ちは比較的良いと思うのだけど、蕾が出来てから開花まで結構時間を要している。
少し時間が出来そうなので夏用の植物を植え込みたい。
しかし暑すぎるので上手く育つかは怪しい。
先週の日曜はJAniCAの総会で相変わらず委任状の集まりが悪かったものの、滑り込みで成立。
会員が多くなると議決権を有する人も必然的に増えて、しかし皆んな入ったきり議決権とか忘れてしまいがち。
町内会とかも委任状集めるのは結構大変だと思う。
一般社団法人は法律で社員総会が成立するための条件が決まっていたりするので人数の多い組織の委任状集めはどこも苦労しているのではなかろうか。
総会後、珍しく理事で飲み会。
私が参加してから初めて。
私が理事になった時はまだコロナ禍だったし、理事会ですらオンラインなので雑談をする機会もほとんど無かった。
多少なりとも、話をする機会が増えることは良いことだ。
皆んな忙しいので、集まれる機会はそうないが。
仕事はひと段落。
ついにコンテを抜けた。
うーん、時間かかりすぎ。
いろいろな作業しながら描くので、まあ仕方ないところはあるが。
どうも描画ソフトの挙動が遅く、その原因も分からないというのも時間がかかる大きな要因になってしまっている。
液晶タブレットが、ずいぶん古くなったのでそれのせいか…とも思ったけれど、お絵描きソフト以外では特に遅延は感じない。
パソコンはこれでオーバースペックといって良いはずなので、問題ないと思うのだが。
やはりタブレットかなぁ。
若い子が作業しているのを見てみたい。
ソフトの設定とかの問題もあるので他の人の環境を知りたい。
藤津亮太「富野由悠季論」を読み終わった。
想像していたのとは少し趣が違う。
演出技法などの解題が中心になっていて、一般的な評論ではない。
どちらかというと技術書のようなイメージ。
とはいえ、富野さんとその作品について私の知らない情報が沢山あって、そこは面白かった。
技術解説的なところは殆ど分かっているようなことの確認だったので、結構読み飛ばしてしまった。
もう少し、なぜそれをしたのか。
ある演出について、どうしてその時そういう選択をしたのかを時代性とともに藤津さんの見立てで推察しているようなものが読みたかった。
娯楽作家は、時代と無関係で何かを作るということはないし、富野氏も本文中でそのようなことを語っていることには言及されていて、その関係性の方が重要だと個人的には思う。
演出技法やキャラクター造形などは無限に選択肢がある中からそれを選んで使うわけだけれども、「選ぶ」というところに創作のかなり重要な部分がある。
私が興味のあったのは、富野由悠季の「選択」にまつわるエトセトラだったのだが、それについては今回の本は少なめ。
とはいえ、面白い部分も多々あった。
富野由悠季はモノを売るための作品を多く作ってきた珍しい監督なので、特に時代との関係性で何を選択してきたのか、分析すると面白いのではないかと思う。
私もモノを売るための作品を作った監督のはしくれだが、その面白さは独特のものがあると思う。
モダンチョキチョキズの配信が開始されたのでつい聴いてしまう。
学生時代を思い出す。
コミックソングの雄。
来週は久しぶりに遊びの予定が入っている。
浜野志保「写真のボーダーランド」【2025年06月07日】
とにかく後一歩というのは遠いもので、あとは自分のコンテを終わらせれば山を越えるという状態にあるけれど、思った様には進まない。
ちょこちょことしたチェックやら、少し時間がかかる作業やら仕事自体は常に積まれている状態なのと、自分の体力やら気力がこれまでの山を超えた後に通常状態に戻るまではずいぶん時間がかかる様になってしまったのでいたしかた無い。
私の作業が進まないことには、先に進めないので少しスケジュールは見直ししてもらいつつ、少しづつでも作っていく。
急に暑くなったのも体力を削いでいく。
スタジオに入った方が集中はできるのだが、移動時間をそこで消費する体力を考えると家での作業にしてしまいがち。
監督業は自分の作業が終わると人に託すしかなく、その時間が結構長いので今年の後半は待っている時間が多い。
カップラーメンの様に蓋をして3分経ったら出来上がりというわけには流石にいかないので、鍋の蓋をとって様子を見ながら時間までに茹で上がらなければ野菜を小さく切り直す様なことも必要になってくる。
「写真のボーダーランド」が面白かった。
博論を大幅修正して作ったものらしい。
心霊写真の類は最近は流行らないが、AIの作る画像は心霊写真の類だ。
見えないものを可視化したいという欲望は人眼のマインドの奥深くにセットされている。
というより、奥深くのものを見つけるために写真も発明当時から利用されてきたということか。
映像を盛るということも、ごく初期からあるし、写るという段階で照明や化粧や美的な構図やら様々な形で盛られている。盛らないと写らないという物でもあったりする。
今は、人間の目ではわからない様なディティールが記録され拡大され再生される。これはありのままというものでもなかろう。
フレームもまた映像の切り離し難い限界だ。
もちろん限界を作らないと人げには認知不可能なわけで、VRは映像そのもののフレームがなくなった代わりに人間の認知のフレームが採用されているだけだ。
映像の虚構性が顕在化するとアニメの様な虚構の映像の真実性は相対的に増すのかもしれない。
Vtuberの隆盛も、その延長線上にあるのだろう。
幽霊の復権は死んだ人間を喋らせてしまう AIの映像の中ですでに始まっている。
人間の中に常に存在する見えざるもの、について考える。
温度差が激しい【2025年05月24日】
昼は夏かと思う様な暑さで夜は春前の様な肌寒さ。
気を抜くと風邪をひきそうである。
あとひといき仕事の山を越えるまでは体調を崩せない。
手持ちのコンテが終われば気分的にはだいぶ楽になるが、まだしばらくかかる。
最近は細々とした仕事も重なってえらく忙しかった。5月はまだ1週間残っているのだが、コンテは当初の予定通りには終わらない。
気が重い仕事はだいぶ片付いてきたので、あとは着々と進めたい。
植物も微妙な天候で調子を崩しているものがちらほら。
なかでもスカビオサは、葉がぐったりしていて危険なのだが、病気ではない様子で水の調整がうまくいっていない可能性が高い。
またしばらく乾燥気味にして様子見。
バーバスカム、ジギタリスが花をつけ始めた。
ジギタリスは思ったほど背が高くならず。肥料不足なのか?
バーバスカムは白に中心が赤紫の花で思っていたよりかわいい。
ユスラウメの実が鈴なりについて赤く色づき始めた。
調子悪そうだと思っていたチューベローズは新芽が出て、復活しそうな雰囲気。
植え替えをしないと、球根が大きくなれないと思われるので、急がないといけない。
花は毎年咲かすのは難しいらしいので、今年は無理かもしれない。
イベリスは花が終わった後、勢いがなくなった感があるのでどうしたものか。
もう置き場所も無くなり始めたのに、また苗を買ってしまった。
花の大和から宿根草を幾つか。
そもそもエキナセアが育ててみたくて花苗を買い始めたのだが、去年の夏の終わりにセールで買ったものは冬越しに失敗した様で芽が出なかった(と思われる、エキナセアは動き出すのがえらく遅いらしいので、早まって捨てた可能性はあるが…)
ので、エキナセアを何種類か買ったのだが、どの苗も良い感じ。
早く植え替えて株を太らせないと、また冬に溶けてしまいそうで怖い。
何か地植えするか悩むが、白いベロニカが草丈40センチ程度の様なので、モッコウバラの下に植えるならコレかも。
他はとりあえず鉢で株を大きくする予定。
ひととおり無事に大きくできると良いのだが。
大きくなって植え替えが必要そうな植物が幾つかあるので、梅雨が来る前に植え替えてしまいたい。
中公新書の『台湾の歴史と文化・六つの時代が織りなす「美麗島」』を読んだ。
高雄港の娘で興味が湧いて読んでみたのだが、少数民族、植民地化、中国との関係などかなり複雑な国なのだというのは分かった。
美味しそうな食べ物が沢山紹介してあって、日本で食べられるものは無いだろうか?
佐藤春夫の女誡扇綺譚の話が出ていて、そういえば台湾が舞台だったなと思い出した。
もっと詳しい歴史は他の本を読め、と資料も紹介されていたので暇があったら読んでみたいものだ。
東畑開人のオンライン講座を今年の分も聞くことにしたが初回から仕事が終わらずアーカイブを視聴。深層心理の入口の話で面白い。
そこで福来友吉の話が出てきて、浜野志保「写真のボーダーランド」を思い出しリアルな本はもう売って無さそうだったのでKindleで買って読み始めたが、頭から面白い。
紙の本を買っておけばよかったと少し後悔。
積んであるコティングリー妖精事件も読もう。
幾つか欲しいと持っている本も紙があるうちに買っておきたいが、置き場所に困ってきたので電子があるものは電子を買うか。
やっとあったかくなりそう。植物日記・生きる演技・ペスト、ラジオ【2025年04月05日】
しばらく続いた雨が止んで気温も上がりそうで買い込んでいた植物が植えられそうな気候になってきた。
雨が続いては作業もままならないし、根腐れしてしまう。
地植えにしていたプリムラジュリアンはいい感じに咲いていたが地面に這うような植物なので雨の影響をもろに受けて花はダメになり切り戻してみたけど葉もだいぶ痛んでいたので、復活は難しいかもしれない。
アネモネは沢山花が上がってるので、このまま暖かくなれば楽しめそう。
ビオラは種類によって生育にえらい差があって、元気ではあるが思ったように育たない品種がある。
宿根草が結構出回り始めたので立性の背の高いものを探しに園芸店へいったが、ラベルに高さが書いていない品種が意外に多い。
最近は背の高いものより矮性種の方が多くなっているようで、立性のものがなかなか見つからない。
宿根草はとんでもなく大きくなる品種も結構あるようなので、50〜80センチくらいで収まる品種の方が使いやすいのはそうかもしれない。
環境や管理によっても大きさは随分変わるんだと思う。
幾つかは立ちの上がるものを見つけたので植えてみようと思うが、大きくなるには2、3年かかるんじゃなかろうか。
なかでもアカンサスモリスが楽しみ。
町屋良平「生きる演技」は趣味では無かったがよく出来た作品だった。
演技と言いつつ小説についての小説のようでもある。
自分の話す言葉が自分のものなのかは怪しいものだろう、いつか誰かから聞いた言葉をまるで自分の中から湧き上がってきたもののように感じたり、常識、思い込み、人間は殆どそういったもの作り上がっているんじゃないのという、そりゃそうだろうねとも思うし、自分と他人との境界が曖昧になっていく様を言葉を使ってまざまざと非常に巧みに見せてくれる。
しかし湿り切った質感は趣味ではない。
1R1分34秒のような爽快さは無かった。
カミュ「ペスト」は「アルベール・カミュ──生きることへの愛」という新書の島薗進の書評が面白かったので興味が湧いて読んでみた。
そもペストが今でも時々流行しているということは全く知らなかった。
コロナ禍を経験した我々はペストの街の気分を容易に思い浮かべることができる。
かなり実感を伴った小説として読むことができる。
医師リウーの結局のところ出来る事をやるだけだという諦めのような境地は感染症に閉じ込められた世界のみならず現世から逃げ出すことの叶わない人間の共通感覚として読める。
コロナ禍を思い出して気が重くてなかなか読み進められなかったが収束は非常に面白かった。
今週は知り合いのプロデュサーの頼みで突然ラジオに出ることになり、もう週末にはオンエアされるらしい。
文化放送には初めて入った。ニッポン放送は随分昔に行ったが両局ともテレビ局とは違う独特の小ささが昔のアニメ会社の空気感を感じられて好ましい。
私なんぞの小物がゲストで聞いてくれる人はいるんだろうか…と心配にはなるが。
